第七話
場面が変わり、母とミズキが公園で会話をしている光景が広がる。
「ダジルくん、来ないわね」
「きっと寝坊してるんだよ」
「そうかしら」
「どうせ行くのはダジルの家なんだから、向かっちゃおう」
「そうね」
(そういえば、ダジルは小さい頃、かなりねぼすけだったな)
いつも公園で待ち合わせをして、少し遊んでからダジルの家に行く。それがいつもの流れだった。
ただ、ダジルはいつも待ち合わせより遅れて来るか、そもそも来ないことが多かった。
リンナが来てからはそれが三人になり、公園で遊ぶ時間が増え、自然とダジルも来るようになった結果、ダジルとミズキが二人で遊ぶことは少なくなった。
そうこうしていると、ミズキと母はダジルの家の前に到着する。
(でっかいな)
ダジルの住む家は、日本家屋に東南アジアの要素を足したような外観で、かなり大きな平屋建てだ。
住んでいるのはダジルと祖父母の三人。たまに親戚がやって来るらしく、ダジルはそれが嫌だと言っていた記憶がある。
ミズキが玄関のノッカーを揺らすと、ビビビビと、けたたましい音が鳴る。
「出てこないわね」
音は鳴っているが、暫く待っても玄関に誰も現れない。
「今頃、ダジルはおばあちゃんに怒られながら、急いで準備してると思うよ」
「ふふ、それじゃあちょっと待ちましょうか」
「うん」
ミズキと母は、「それじゃあ、お話でもする?」と他愛のない話を始める。
(ダジルは早い頃から一人で何事もやらせられてたから、その面では仕方のないことなんだよね)
五歳前後の子供が、一人で朝の用意をするのは少々難易度が高いだろう。
せめて起こしてあげるぐらいはすればいいのに、ダジルの祖父母は厳しくて一度声をかけたらそれで終わるとか。
(思ったより、ミズキはダジルのことを知ってるな)
少し記憶を探るだけで、次々とダジルの事が思い出せる。
暫く待っていると、ドタバタと音が聞こえてきて、「早くしな!」とダジルの祖母の声が聞こえてくる。
ミズキと母が顔を見合わせ苦笑していると、ガラガラと引き戸が開く音と共に玄関の扉が開かれる。
「……はよ」
玄関から出てきたのは、今起きましたと言わんばかりのダジルと、その後ろで仁王立ちするダジルの祖母。
「悪いね、ダジルが起きなかったんだよ」
「大丈夫です。勝手に来てすみません」
「ミズキはダジルと違ってしっかりしてるねえ」
ダジルはムスッとした顔で目線を横に向ける。
「ほらあんたも、一言ぐらい言ったらどうだい?」
「わるかった」
「……はぁ。仕方ない子だね、まったく」
ダジルの祖母が硬い表情で大きなため息をつく。
(こうしてみると、ダジルの母がやんちゃだったのは、少なからず理由があるんだろうな)
ダジルの祖父母は悪い人じゃないのだろうが、少し、厳しすぎる側面があるように見える。
大仰に言うとダジルは「家庭環境に問題あり」といったところだろう。
だからといって、放置されていたわけではない。なんというか、微妙な話だ。
多分、ミズキもなんとなくそれを理解していたのだろう。
(だから、優しくしていたのかな)
ミズキがダジルに優しかった理由はそれなのだろうか。
「入れよ」
「おじゃまします」
ミズキは慣れた手つきで靴を脱ぎ、一度振り返って母を見つめる。
「お母さん、また後でね」
「ええ、エシタさん、夕方迎えに行きますので、よろしくお願いします」
(エシタ……。そういえば、ダジルはおばあちゃんのことを名前で呼んでいたな)
祖父のことも名前で呼んでいた。祖父は仕事の都合で家に帰るのが遅く、ミズキと殆ど接点はない。
ただ、とても物静かな人だったことは覚えている。
ミズキは母と別れ、ダジルとエシタの後ろを歩き続ける。
ダジルの部屋に到着すると、エシタは「ミズキ、ダジルをよろしくね」と言い、すぐに何処かに行ってしまった。
ミズキはダジルの部屋に入って、畳に似た材質の床に腰掛ける。
視線もミズキの近くにある机の辺りで止まる。
部屋は子供部屋にしてはかなり広く、物が少ないので少し寂しい雰囲気だ。
「んだよ」
「顔は洗ったの?」
「洗ってるよ」
ミズキの質問に、ダジルは面倒くさそうに答える。
顔を洗っていると言うが、目頭に大きな目やにが付いている。
それに、髪の毛が爆発していて、見るからに寝起きなのが分かる。
ミズキもその嘘に気がついたのか、怪訝な表情になる。
「目やにが付いてるし、もう一回洗ってきたら?」
「めんどくさい」
「私は別にいいけど、ダジルの肌が荒れちゃうよ」
ミズキはダジルをじっと見つめながら、冷静に発言する。
(このころは『私』だったな)
一人称を「僕」に変えたのはいつだっただろうか、確か、かなり早い段階……子供の頃だったのは確かだ。
「お前さ、そんなこと言って何が楽しいの?」
「何?」
「なんかお前と話してると、人形と喋ってるみたいで気味悪い」
ダジルはミズキを睨みつける。
子供らしくないミズキが、ダジルにとっては違和感があるのだろうか。
(でも、ダジルも大人っぽくない?)
ミズキには瑞希の記憶があるから納得できるが、ダジルにそんなものはないはずだ。
でも、受け答えはしっかりしているし、かなり落ち着いているように見える。
「それ、いつも言ってるけど、ダジルの知ってる人形は喋るの?」
「ふん、ちゃんと喋れるんじゃん」
(意外とミズキも言い返してる)
ただ、「人形みたい」という言葉をダジルがいつも言っていた記憶はない。
(思い出せない)
ミズキの記憶は殆どあるのに、所々、完全に思い出せない記憶がある。
なにか理由でもあるのかと考えていると、ミズキがじっとダジルを見つめながら口を開く。
「顔、洗ってきて。目やにがついてて汚いのは嫌」
「なんでお前に命令されなきゃいけないんだ」
「嫌ならやらないでいいよ。でも近寄ってこないで。ベタベタして不潔だから」
ミズキは冷たく言い放つ。部屋の空気が少し緊張したように感じる。
喧嘩が始まってしまいそうな雰囲気だが、ダジルは「あっそ」と言って立ち上がり、部屋から出ていく。
(怒ったのかな)
ダジルがいなくなった部屋で、ミズキは小さくため息をつく。近くにあったクッションを握りしめて、ぼうっと空を見つめ始める。
(眠そう)
無表情なのでわかりにくいが、ミズキは何度か小さな欠伸をしている。
(ダジルはいないし、寝ちゃう?)
別に、無理に遊ぶ必要はないのだろう。ミズキはこれからどうするのだろうかとじっと見つめる。
それから数分後、襖が開く音とともに、ダジルが現れる。
「これで満足?」
「うん」
てっきり怒ってどこかに行ったのだと思っていたが、あっさりと戻ってきてしまった。
髪の毛が少し濡れていて、先程までの寝癖が多少落ち着いている。きっと寝癖をどうにかしようと鏡の前で格闘していたのだろう。
つまり、ダジルの反応は怒っていたわけではないということ。
(わかりにくいなあ)
ダジルはぶっきらぼうに座ってミズキを見つめる。
「で、何すんの」
「なにかしたいことでもある?」
「ない」
ミズキの質問に即答が返ってきて、二人の間に沈黙が流れる。
確か、二人はこのあといつも……。
「じゃあ訓練でもするか」
「……わかった」
ミズキは少し不満そうな顔で頷く。
(嫌そうだな)
この後は、訓練という名のチャンバラごっこで遊ぶのがいつもの流れだ。
てっきりミズキも楽しんでいると思っていたが、その表情は少し戸惑いが見える。
「ふん、行くぞ」
ダジルは立ち上がってミズキの近くまで行き、その手を取る。
ミズキはそれに抵抗せず、手を握られたまま黙ってその後を歩き始める。
二人が向かったのは、大きな庭。でも、綺麗な花々が咲いているわけでもなく、運動場のような雰囲気だ。
ダジルは「待ってろ」と言うと手を離し、ミズキの傍から離れる。
ミズキの表情は相変わらず少し不満げだ。
すぐに戻ってきたダジルは、おもちゃの剣をミズキに手渡して、じっとミズキを見つめる。
「お前が言ったんだ。剣がうまくなりたいなら剣を打てばいいって、力になるとも言った」
ダジルはそう言うと、ミズキから離れて剣を構える。
(そんなこと言ったっけ)
記憶を探っていると思い当たるものがある。
――強くなりたいなら、今から訓練すればいいじゃん。ほら、おもちゃの剣で練習したら? 私も出来る限りは力になるよ。
話の前後をいまいち覚えていないが、ミズキがダジルにそんな事を言った記憶がある。
(こじらせてるな)
つまり、ダジルは「お前は俺を見捨てるのか?」と言いたいのだろう。
客観的に考えるとダジルはかなり愛情不足な状態だ。そして、ダジルにとってミズキは唯一年齢が近い友人。
もしかしたら、ダジルはミズキにある種、依存していたのかもしれない。
「あんまり、強くしないでね」
「分かってる」
ミズキは困ったように微笑むと、剣を構えてダジルに向き合う。
ダジルはそんなミズキを見ると満足そうに「ふん」と笑い、離れたところに立つ。
「はあっ!」
掛け声とともに、ダジルが剣を振りかざす。
ミズキはそれを受け止め、力を横に流す。
(まあ、子どものじゃれあいだよね)
二人が持っているのは木剣のような剣で、当たる音は、コン、と軽い。
剣の振り方もデタラメで、チャンバラごっこにしか見えない。
それでも、二人は真剣な様子で剣を打ち合っている。
(でも、楽しそうだけどね)
小さい頃の瑞希は、兄と一緒にチャンバラごっこをしていた。
新聞紙や広告の紙を丸めて筒状にして、音を立てないようにベッドの上でそれを打ち合う。
意外と楽しかった記憶があるが、ミズキの表情に楽しさは見えない。何の感情も見えなくて、ダジルの言う通り、少し人形みたいだ。
しばらく二人が剣を打ち合っていると、カン、と軽やかな音と共に、ミズキの剣が落ちる。
「俺の勝ちだ」
息を切らしたダジルが、剣をミズキに向けて高らかに宣言する。
「そうだね」
ミズキは表情を崩すことなく、敗北を受け入れている。
ダジルはそんなミズキを見て、ぐしゃりと顔を歪める。
そして、剣を放り出してミズキに近づいて、その胸ぐらをつかむ。
(え、怒ったの?)
ダジルの表情は怒りに歪んでいるが、その理由が全くわからない。
今日のミズキの行動は、ダジルにとっては気に食わなかったかもしれない。でも、そこまで怒らせるようなものだったろうか。
それとも、今日以前に何か喧嘩したのがまだ残っているのだろうか。
困惑していると、ダジルはミズキを睨みつけたまま口を開く。




