第六話
「ミズキ、朝よ、起きなさい」
温かくて、ぼんやりと柔らかい日差しが瞼に当たっている。
体には柔らかい布のような物が乗っていて、柔らかいベッドに寝転がっているようだ。
「今日はダジルくんと遊ぶんでしょ? 待たせたらまた、喧嘩になっちゃうわ」
優しい女性の声が聞こえてきて、ゆっくりと目を開ける。
「おはよう、ミズキ」
「おはよう」
自分の意志とは勝手に言葉が出る。高くて、幼い声。知らない声だ。
(この人は誰?)
ぼんやりとする頭で、ゆっくりと考える。
そもそも、ここはどこで、今まで何をしていた?
(そうだ、ヴォルに蹴られて……)
銀の覇者の事務所に向かって、なんやかんやでヴォルに蹴られて意識を失った。そこまでは記憶にある。
「顔を洗っておいで。すぐに朝ごはんを食べましょう」
「うん!」
はっきりとしていく頭で、今の状況を確認する。
(これは、ミズキの記憶?)
先程の女性の顔は、ミズキの母親によく似ている。
「ずいぶん寝返りを打ったのね、髪の毛がぐちゃぐちゃになっているわ」
ベッドから降りて、地面に足をつけると、視線がかなり低い。
やはり、これは小さい頃のミズキの記憶なのだろう。
母親が微笑む姿を見て、妙な感覚に襲われる。
「クシでとかさなくちゃ」
「そうね、後でお母さんがやってあげるから、ミズキは服を着替えてきなさい」
「うん」
母は頭を撫でると、「二度寝はしちゃだめよ」と優しく微笑んで部屋から去る。
(なんだろう)
これは夢なのだろうか。それとも、意識を失って過去の記憶が呼び起こされているのだろうか。
ミズキはパジャマから半袖半ズボンに着替えて、鏡の前に立つ。
鏡に映っているのは、五歳前後ぐらいの小さな子供。髪の毛は胸のあたりまで伸びていて、鳥の巣のように後頭部で固まっている。
(女の子みたい)
ミズキが選んだ服は、少し可愛らしいデザインのもの。子供だから性別が曖昧なのもあって、かなり女の子寄りの見た目になっている。
「ぐちゃぐちゃだ」
髪の毛を手でとかそうとして、塊に引っかかってしまう。手でどうにか出来るものではなさそうだ。
「ダジルと遊ぶの、嫌だなあ」
鏡に向かって呟くミズキは、少し不満げな表情。
(嫌だったんだ)
わざわざ嘘を呟く必要はない。その言葉は本心だろう。
でも、記憶の中のミズキはダジルと楽しそうに遊んでいた気がする。
(なんでそうじゃなくなったんだ?)
流石に、嫌ならずっと友達でいることはないだろう。いくら幼馴染だからといっても、距離を置くぐらいは出来るはずだ。
冷静に考えると、ミズキの記憶はかなり歯抜けになっている事がわかる。
「はあ、でも、ちょっとかわいそうなんだもん」
ミズキの呟きは、ダジルに同情しているものなのだろうか。
確か、ダジルの両親はダジルが生まれてからすぐに亡くなって、母方の祖父母に育てられていた。
そして、その祖父母はダジルの両親について「考えなしの馬鹿者」だと言っていた。そんな事をぼんやりと覚えている。
(そうだ。ダジルの両親は冒険者で、ダジルを生んだ後に二人で魔獣討伐の依頼に向かって、亡くなってしまったんだ)
祖父母は「ダジルが小さいうちは、魔獣討伐に行くのはせめて一人だけにしろ」と言っていたのに、それを無視して二人は一緒に逝ってしまった。
(そういえば、これはダジルから直接聞いたような気がする)
その話を聞いて、ミズキは「でも、両親だってやむにやまれぬ理由があったんじゃないか」と自分の父親に言った。
でも、ミズキの父親は複雑な顔で「あの二人は子供を持つには幼すぎたんだ」と言っていた記憶がある。
どういうことだろうと、更に成長して、大人になってからもう一度父に聞いたら、確か……。
(ダジルの母親は十七歳で子供を産み、父親も同い年。二人とも子育てよりも依頼をこなすことが好きで、子供を母親の祖父母のもとへずっと預けていた)
お金に困っていたわけではない。ダジルの祖父母は土地を持っていてそれなりの収入があるし、両親はそれなりに有名な冒険者で、多少働かなくてもなんとかなっていたと父からは見えていたそうだ。
どうやらもともと、ダジルの両親はかなりやんちゃだったそうだ。ダジルを愛していないわけじゃなかったが、それ以上に自分達を優先していた。
ダジルも施設に預けるつもりだったのを、能力を知って育てることにしたらしい。
父が「それが悪意を持っての行動なら、俺もなにか言えるんだが、あの二人はただ無邪気なだけだったんだ」と神妙な顔で言っていたのを覚えている。
(うーん。ミズキがそれを知ったのはまだ先の話だし、今の仲はあんまり良くないのかな)
でも、同じ年齢ぐらいの時の、仲の良さそうな記憶もある。
そうこうしていると、ミズキは準備を整えて、母のいるキッチンへ向かう。
「おはよう、ミズキ」
「おはよう、お父さん」
「髪の毛がすごいことになってるぞ!」
朝の準備をしている父は、その手を止めてわはは、と笑う。
ミズキの父は木こりで、母は魔法の糸を使って布に刺繍を施す「魔法刺繍師」という職業だった。
だから、父は基本的に外で仕事をして、母も外に行くことはあったが、家で仕事をすることもあった。
「お父さんが髪の毛といてやろうか?」
「いい」
ミズキが父の言葉に即答すると、母の笑い声が聞こえる。
「お父さんは雑だから、お母さんがいいのよね」
「うん」
「そ、そんな……」
父はミズキの言葉にショックを受けている様子だ。作業着を着る手が止まっている。
「だって、お父さんがやると髪の毛が切れちゃうんだもん」
ミズキの追撃に、父はうなだれる。
確かに、父は全てにおいて力が強くて、たまに、家にあるものを意図せずに壊していた記憶がある。
もちろん、いいところもあった。例えば……。
「えっと、お父さんはご飯作るの上手だよ。美味しいし、いつもありがとう」
「あら、すっかり気を使われているわね」
この家での料理担当は父。確か、母も料理は出来るが、母が妊娠してから父がよく料理を作るようになり、そのまま続けているとか。
父はミズキの言葉にやる気を取り戻したのか、「よし、朝ごはん用意してくるから早く準備してこいよ!」とキッチンへ向かう。
(逆だな)
瑞希の父は料理が苦手だった。料理は母の担当で、その母はミズキの母と違ってそこまで器用な方ではなかった。
代わりに兄がかなり器用で、瑞希は小さい頃からよく兄に髪の毛を結んでもらっていた。
「ミズキ、ここに座ってくれる?」
「うん」
母の前に座って、ミズキは髪の毛をほどいてもらう。
シュッ、と音が聞こえる。髪に水を掛けられたのだろう。母はゆっくりとミズキの髪をほどいていく。
「ふふ、今日はかなり難易度が高いわ」
「……ごめん」
「怒っているわけじゃないのよ。ただ、寝ているだけでこんなになるのが面白くて」
「普通に寝てるつもりなんだけど」
「髪の毛が細いから、すぐに絡まっちゃうのね。それと、ミズキはよく寝返りを打つからその影響もあると思うわ」
「そんなにごろごろしてる?」
「ミズキは赤ちゃんの時から、寝る時間が長かったのよ。それで、ぐるぐるひたすら寝返りを打つから、お父さんが『これはおかしいんじゃないか』って、いつも心配してたわ」
母の柔らかな笑い声が後ろから聞こえてくる。
(ミズキはどんな顔をしているのかな)
今、瑞希が見ているのは、ミズキが見ている視界のまま。ドラマのように第三者視点で見られたらいいのに。
そう思って瞬きを何度か繰り返すと、視界がぐらりと揺れる。
(え?)
母親の前にぼうっと眠そうな顔で瞬きを繰り返しているミズキが座っている。
二人の斜め前辺りからの視界になってしまった。
(変なの)
急に視界が変わった事に驚きつつ、何度か瞬きを繰り返す。
もう、視界は変わらない。そもそも、体を動かそうとしても何も動かないし、動く身体がない。
不思議に思いつつ、取り敢えず今の状況を考えてみる。
(今のミズキの体は、多分意識を失っているということなのだろう。それで……夢を見ている?)
でも、夢にしては鮮明過ぎる。
(はやく意識を戻さなくちゃいけないけど、今の自分にどうにかできる話なのだろうか)
ただ、ミズキを眺めていることしか出来ない。
母は慣れた手つきでどんどんミズキの髪をほどいていき、真っ直ぐな髪の毛になる。
「さらさらになったわ。今日はどんな髪型にする?」
「一つにまとめて欲しい。ダジルと遊ぶとすぐにほどけちゃうの」
「わかったわ。キツめに纏めるわね」
「うん」
母は手際よく長めの髪をポニーテールにしてから、団子の形に纏める。
「はい、出来たわ」
「ありがとう」
首周りがスッキリしても、相変わらずミズキは女の子に見える。
「朝ごはんを食べましょう」
「うん!」
二人が立ち上がりキッチンへ向かうと、瑞希の視界も同時に動く。
ミズキの座る場所には、小さなパンケーキが置いてあった。
視界は自動的にミズキの斜め前のあたりに移動して止まる。
「美味しそう!」
「よかったわね。今日はミズキの好きなパンケーキよ」
「うん!」
ふわりと膨らんだ、美味しそうなスフレパンケーキ。フォークとナイフを器用に使って、ミズキは一口齧る。
「美味しい!」
ミズキは小さな手を頬に当ててうっとりと微笑む。
こうしてみると、小さい頃のミズキはかなり可愛い気がする。
ちらりと視界の隅に見える父はでれでれと嬉しそうにミズキを見つめている。
(やっぱり、この記憶はない)
ミズキの記憶はいろいろと思い出せるが、この一連の記憶はない。
何気ない一日の記憶なら覚えていないだけだろう。ただ、どうにも違うような気がする。
ミズキはちょんとパンケーキにジャムを付けて口にする。
「幸せの味だ~」
「ふふ、嬉しそうね」
「うん! だってお父さんの作るパンケーキは一番美味しいんだもん!」
ミズキは嬉しそうに顔を緩める。
(私はパンケーキが好物ってわけじゃなかったのに)
でも、ミズキの顔に嘘や気遣いはなさそうだ。
「口にジャムが付いてるぞ」
父が近寄ってきて、ミズキの口元をさっとぬぐう。
「今日はダジルくんと遊ぶんだっけ?」
「うん」
「まあ、嫌なことをされたらすぐにお父さんに言うんだぞ」
「……うん。大丈夫。ダジルは一線を超えないから」
「あはは、そんな言い回し誰に習ったんだか」
父はダジルの性格を知っているのだろう、少し心配そうに微笑む。
(この時のミズキは……五歳ぐらい?)
ミズキの母が亡くなったのはミズキが十一歳の時だ。そして、リンナが近所に引っ越してきたのは七歳の時。
ダジルの話が出てきてリンナの話が出てこないのは違和感だから、きっとリンナが来る前……。
(そういえば、リンナと会った時はもう髪の毛を切っていた気がする……)
そもそも、どうしてミズキは髪の毛を切ってしまったのだろう。
何度か瞬きをしていると、急に視界が変わる。




