第十一話
お風呂から上がると、メグはもう寝ているようだった。
布団は変わらず頭の方まで被っているが、少し見えた目元は、正直化粧をする前と変わっていないように見える。
でもあまりジロジロ見るのはやめておこうと、すぐに視線を外す。
瑞希も寝ようかとベッドに寝転がるが、眠気がやってこない。
(昼、寝すぎたな)
頑張って目を閉じるが、まったく眠くない。生活リズムがおかしくなりそうだ。
通信時計をいたずらにちょいちょい触ってみるが、当たり前のように誰からもメッセージは来ていない。
暇つぶしに過去のメッセージを眺めてみる。
キュアからのメッセージは、ストーカーというのが判明してからかなり減っている。
こうしてみると、ちょっと異様な頻度だったが、なぜかストーカーという単語から連想されるようなねっとりとした不快感がない。
(なんだろうな)
なんというか、好意は感じるものの、その中に恋愛みたいなのを感じない。かといって他に変なものを感じるわけでもない。
キュアは二十二歳と言っていたが、それより若く見える。それは見た目がどうこうというより、言動の影響もあると思う。何となく、全体的に子供っぽい印象だ。
(うーん)
それが原因なのだろうか。でもなにかを見落としている気がする。すると、タイミングよくピコンと通信時計が鳴って、キュアからのメッセージを受信する。
『体調は大丈夫? ゆっくり休んでね』
ストーカーというには、全てのメッセージがあっさりとしている。
キュアの行動を肯定するわけじゃないが、ストーカーという言葉だけで片付けるのは違和感がある。
『眠気はあんまりないけど、体調はいいよ。キュアも早めに休んでね。おやすみ』
そう送ると、少しの間を置いてピコンと鳴る。
『眠れないの? 実は私も眠れなくて、よかったらお話ししない?』
『いいよ』
(嫌だと思えないのはなんで?)
瑞希だってストーカーは嫌いだ。でも、どうしてもキュアのことを嫌いになれない。知り合ってまだちょっとしか経っていないのに。
『その、よかったら外でちょっと話さない?』
『わかった』
確かに、いちいち文字を打つより、話すほうが速い。
瑞希はメグを起こさないよう、音を立てずに部屋から出た。
◇
「寒くない?」
「うん、ミズキも平気?」
部屋の外に出て待ち合わせをしたが、宿の中は静かで、あまり話をするには向いていない。
仕方ないので宿の外まで出て、少し歩くと、丁度いい場所にベンチが見えて、二人はそこに座った。
「リンナはもう眠ってるの?」
「うん、疲れたって言ってすぐに眠っちゃった」
「そっか」
リンナにはいろいろ任せっきりだったし、きっとかなり疲れているのだろう。
昼にずっと寝ていたのが少し申し訳ない。
「キュアはいいの?」
「うん。実は私も馬車に乗ってた時、眠ってたから」
「そうなんだ」
夜の空気は冷たくて、頭が冷えていく。
「なんだか、調子が悪そうに見えたんだけど、大丈夫だった?」
「僕の?」
「うん」
ずっと眠っていたから、そう見えたのだろうか。
身体に不調はない。ご飯だって沢山食べていた。むしろ健康そのものだ。
「大丈夫だよ」
見える夜空は、瑞希の知っているものではない。
でも、星も見えるし、月も見える。
「月ってあんな色だったっけ」
見えている月は、瑞希の知っているものより少し青みがかっている気がする。
でも、明確にどこが違うのかと言われると言葉に悩んでしまう。
「うん」
キュアの返答を聞いても、やはり月の色に違和感がある。
そもそも、この世界の月と、瑞希の知っている月は別物だろう。
「僕さ、もう一つ、僕じゃない別人の記憶があるんだよね」
自然と、そんな言葉を声に出してしまう。
「そう、なんだ」
キュアの困惑したような声が聞こえて、苦笑する。
「ごめん、冗談だよ」
急に変なことを言って困らせてしまった。冗談にしては面白くなかっただろう。
謝ると、キュアは首を振る。
「ね、ねえ、その記憶ってどんなの?」
「冗談だって」
「でも」
キュアは焦ったように言葉を紡ぐ。
冗談だと言ったのに、まるで信じているかのような態度に困惑しつつ、眠れない夜にはちょうどいい話かもしれない。
「じゃあ、話半分に聞いてね。僕は僕によく似た……違う人の、女の人の記憶があるんだ。そしてその記憶の中での世界は、こことは全く違うものだったんだ」
なんて、信じないだろうと思ったが、キュアは真剣な顔で頷く。
「名前は瑞希で同じ、見た目は似てるんだけど違う。なんか変な記憶なんだよね」
自然とペラペラ喋ってしまう。キュアは瑞希の言葉をじっと聞いている。
「その世界で、瑞希は生きていて、別の家族がいて、友達がいて……。夢と言うには、はっきりしすぎていて、でもこの世界とは似ても似つかない。瑞希の記憶では月はこんなんじゃなかったのに、僕の記憶は『これが普通なんだ』って言っているみたい」
「混乱してるってこと?」
「そうかも」
言葉にして、初めて自分の感情が整理されていくようだ。
「よかったら、その世界の話を聞かせてほしい」
「面白い話じゃないよ」
瑞希の人生は波乱なんてない、穏やかな波のようだった。面白いのは最後ぐらいだ。
「私は、瑞希の話を聞きたいな」
そんな言葉にキュアの方へ顔を向けると、鮮やかなピンク色と目が合う。
まるでそれがミズキではなく、瑞希にかけられた言葉のような気がして、思わず心臓のあたりがじんわりと温かくなる。
「じゃあ、つまらない話だけど聞いてくれる……?」
◇
それから暫くの間、瑞希の話をキュアにした。家族のこと、兄がいた事、最後に瑞希が事故で死んだことを伝えると、キュアは驚いた表情を見せた。
「荒唐無稽な話だよね。嘘だと思ってくれていいからね」
「わ、私は瑞希の記憶は本物だと思う。きっとその記憶は、前世とか、他の世界の記憶なんだよ。それで、死んじゃったその魂が今のミズキに入ったんじゃないかな」
やけに熱烈に説得してくるキュアに困惑するが、前世と他の世界の記憶というのに、少し納得する。
「じゃあ僕は、記憶にある瑞希とは別人なのかな」
「それは……どうなんだろう。ミズキはどう思ってるの?」
「それがわからないんだよね。どっちの記憶も鮮明に思い出せるんだ。それにあまりにも似すぎていて、どっちがどっちかわからなくなっちゃう」
「じゃあ、瑞希として話すことも出来るの?」
「多分」
キュアは「じゃあ、喋ってみて」と続ける。
「でも、声が違ったから変な感じになるよ」
瑞希の喋り方とミズキの喋り方はそこまで変わっていないはずだ。でも、声の高さや、細かい所は違った。
「変じゃないよ! 記憶の瑞希も、今のミズキの一部なんだもの」
「一部……」
すんとその言葉が頭に入ってくる。今まで二つの記憶は別物だと考えていたが、分ける必要はないのかもしれない。
「……私はさ、瑞希の記憶、特に家族のことを忘れたくないなって思うの。でも、この体の家族は、私の家族とは別に存在しているわけじゃん。この世界で皆が知ってるのはミズキであって、瑞希じゃない」
誰も、この世界にいる人は大塚瑞希のことを知らない。
(私は、それが少し寂しかったのかな)
皆が接しているのはミズキであって、瑞希ではない。
意識だけはあるのに、誰からも認識されない存在。まるで瑞希は幽霊だ。
だから、瑞希がミズキに侵食されるみたいでミズキの記憶を思い出すのを無意識の内に拒否していたのだろうか。
「私は私の記憶を忘れたくない。でも、私の記憶を知っているのは私しかいない……」
「わ、私がいる」
「……そうだね」
流石にこれ以上は面白くないだろう。瑞希は喋り方をミズキのものに戻す。
「ねえ、その記憶のことは、誰にも言ってないの?」
「うん、ごめん。変な話だったよね」
「ううん。そんなことないよ」
今更、こんな話するべきじゃなかったかと後悔する。
でも話したおかげか、頭の中がスッキリした気もする。
「これからもたまにでいいから、瑞希の話を聞かせてほしいな」
「それは……いいけどさ」
瑞希の話を気に入ったのだろうか、少し楽しそうなキュアに困惑しつつ、話を聞いてくれるのは嬉しい。
「じゃあ、約束ね」
「……うん」
キュアが小指を差し出し、瑞希はそれに小指を絡める。
こんな風に約束をするのはいつぶりだろう。キュアが楽しそうに小指を振るので、瑞希も少し楽しくなって微笑んだ。
◇
約束をして、まだ少し話をしようと座ったままだが、話すことがなくなり、二人は沈黙する。
何か話題はないかと探すと、聞きたかったことを思い出す。
「一個聞きたいことがあるんだけどさ、なんでキュアは僕のストーカーをしてたの?」
「そ、それは……」
だって、ミズキにそんな魅力はない、とてもイケメンなわけでもないし、特別目立つ何かがあるわけでもない。リンナにモテてるなんて言われたけど、あり得ないだろう。
「私にとって、ミズキは……だから」
「ん?」
キュアが何かを呟いたが、小さくて聞こえない。
「ミズキは優しくて、かっこよくて、私の憧れなの」
「ええー」
まさかの返答が来て、苦笑いをする。だって、キュアの言っている通りなら、ミズキとキュアはあのぶつかった時に初めて会ったばかりだ。
他にもなにか理由がありそうだが、詳しく聞くのは恥ずかしい。
「ミズキが悩んでるなら、私はその悩みを解決する力になりたい。瑞希が苦しんでるなら、私は傍で寄り添いたい」
顔を上げると目が合い、キュアは頬を少し赤くしながら続ける。
なぜかその顔を見ていると、胸の奥が引っ掻かれるようなむず痒い気分に襲われる。
「そろそろ戻ろう? 眠れなくても身体は休めたほうが良いと思う」
「う、うん」
キュアは何でもないように立ち上がって笑顔を見せる。
(なんだろう、この気持ちは……)
胸の奥がじんわりと熱い。今まで感じたことのない感情に、瑞希は困惑する。
(いや、ミズキは知っている……)
ミズキはこの感情をどこかで知った筈だ。だけど記憶を遡っても思い出せない。
あともう少しで正解に辿り着けそうなのに……。
瑞希はそう思いながらゆっくりと立ち上がった。




