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REINCARNATE  作者: 翠星蟲
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第7話 夜の散歩

 ベッドで寝転がっていた僕は日記を閉じて束に戻した。日記は姉が事故に遭う数日前までずっと続いていた。直近の1、2年は仕事のことやユノちゃんのこと、赤森さんとの日常が主に綴られていたが、赤森さんの愚痴なんて一言も書いていなかった。


 ベッドサイドの時計を見るともう深夜と呼べる時間だった。僕は金庫も開けっ放しにしたまま、服を着替えて散歩に出た。途端にまとわりつく温度と湿度。今日も熱帯夜らしい。さすがに昼間よりはかなり人が減っていた。


 人通りが少ない住宅街をぶらぶらと歩く。田舎でこんなことをすれば不審者扱いされても文句は言えないが、都会だと夜歩きしても誰にも不審がられない。たしかに開放的かもしれない。自分のことを誰も知らない土地。どんな自分でも受け入れてくれる街。姉はこういう空気の場所で暮らしたくて、実家を離れたのだろう。


 あまり遠くへ行くと帰るのが面倒なので、今日赤森さんと歩いた散歩コースの周辺をうろつく。赤森さんが語って聞かせてくれた様々な姉が、昼間よりも鮮明に想像できる。姉はあの土手で花見をしたのだ。あの空き地で猫を見たのだ。あの川を覗き込んだのだ。あのパン屋で紅茶パンを買ったのだ。


 姉は、この街で生きていたのだ。


● ● ●

 

 街灯の明りに羽虫がたくさん群がっている。近くのマンションから食べ物の匂いが薄く漂ってくる。遠くで何かを叫び散らしている酔っぱらいの声が聞こえる。自分が歩く足音がやけに大きく聞こえる。


 じっとりと汗をかいたまま歩き続ける。姉は居場所を見つけていた。では僕はどうだろうか。もう大学3年生。授業に出てしっかりと単位を取り、倉庫のバイトで小遣いを稼ぐ。でも友人らしい友人はいない。学内にも、学外にもいない。サークルも新入生の頃少しだけ行ってすぐ辞めてしまった。ネットの友人がいるわけでもない。ただ大学とバイトに行って、家ではネットやゲームをして過ごしていているだけの大学生活。当然恋などしたこともない。


 僕もこの街でなら違う自分に出会えるのだろうか。いや、ダメだろう。姉は自分から行動したのだ。自分の人生をどうにかしたいと、自分で足掻いたのだ。そして色々な経験をして、赤森さんやユノちゃんとの日常を手に入れたのだ。


 僕はどうしたいのだろう。姉のように充実した学生生活や恋人のいる日常を送りたいのだろうか。送りたいような気もするし、別に今のままでも不自由はないような気もする。困った。食べたことがないものは美味しさが分からないのだ。


 姉が自分から動いたきっかけは上京もあるかもしれないが、決定的には井澄先輩という人への恋だろう。その恋があったから、マッチングアプリも始め、赤森さんと出会うことができたのだ。素の自分でぶつかることができる人を得たのだ。


 僕は他人に踏み込む経験もなく、その必要もなかったのだから、赤森さんに指摘されたような当たり障りのないコミュニケーションの取り方になっているのではないだろうか。もしそうならそれは悪循環だ。自分から断ち切らない限り、こじらせる方へどんどん進んでしまう。


 でも人と関わるのは面倒だと思う。とても億劫に感じる。何かもともと好きな趣味でもあれば人とつながれるのだろうかとも思うが、あいにくそういうものもない。人と関わるために何かを始めるというのも不純な気がする。


 そこで赤森さんの顔が浮かんだ。


 ……こんなことを言っているからダメなのだ。もし今を変えたいなら、何かを変えるべきなのだ。悪循環から抜け出すために。食べたことのないものが美味しいかどうかわからなくても、自分の舌が美味しさを感じられるうちに、色々食べてみるのだ。


 そうだ、どうせ生きていくなら楽しい方がいい。赤森さんも言っていた。

 自分がそうしたいからする。自分がとった行動の責任は自分で取る。相手を傷つけたり、不快な気持ちにさせることもあるかもしれないけれど、それでも自分がそうしたいからするのだ。そしてその責任は自分で取るのだ。


 思えば僕はずっと良い子だった。良い子で、つまらない子だった。ちょっとふざけたりとか、悪いことをしたりしない。信号無視だってしたことがないレベルだ。そうだ。良い自分でいたいのは悪いことではないかもしれないけれど、そんなことをしていても満足するのは自分だけなのだ。そうだ。僕は自分が可愛いだけなのだ。非難されたくない。安全圏にいたい。誰も傷つけないから僕を傷つけないでほしい。改めて考えれば実にくだらない。


 そう思ったらなんだか急にすっきりした。コンビニに入ってアイスを買った。夏はフルーツ系のアイスがたくさんあって良い。コンビニのごみ箱にアイスの袋を捨て、歩きながら食べる。こんなことも今までしたことがなかった。少し楽しい気がする。


 さて何を始めようか。不純だろうが知ったことではない。まずは友人ができそうなオンラインゲームでも始めてみようか。友人ができなくても、ゲームが面白かったら続ければいいし、面白くなければやめてしまえばいい。とにかく行動が大事だ。早く帰ってどのオンラインゲームがいいか検討しよう。姉の部屋を目指して歩く。アイスを食べながら歩く。さっぱりしたオレンジの棒アイス。心地よい。


 そこで急にスマホが震えた。友人もいない身の上なので、公式アカウントからの広告かと思ったが、赤森さんからのメッセージだった。

赤森『悠樹くん、今日はありがとうな!』

赤森『ところで日記読んだ??』

 どう考えても日記の内容が気になっている。

悠樹『読みましたよ!』

赤森『凛花ちゃん、なんかうちのこと書いとった??』

悠樹『もちろんたくさん書いてありましたよ』

 たっぷり1分以上置いてから、返信が来た。

赤森『どんなこと書いとった?』

悠樹『とにかく悪いことは一つも書いてありませんでしたよ!』

悠樹『一緒にこんなことして楽しかった、とか、こんなこと言ってた、とかです』

赤森『……ほんまに?』

悠樹『嘘だと思うなら読んでください』

赤森『いやいや、それならええねん!』

赤森『あと凛花ちゃんが昔好きやったやつのこととか知りたくないしなあ……』


 意外と乙女な赤森さんだった。井澄先輩のことやワンナイトした女の人のことは知ってはいるかもしれないが、当時の姉の細かい感情まで知らない方がいいかもしれない。


赤森『悠樹くんは日記読んで何か思った?』

赤森『凛花ちゃんへの見方とかそんなん』

悠樹『僕が知ってる姉とはほぼ別人でしたね』

悠樹『でも日記の姉の方がよっぽど人間らしくて、身近に感じられました』

悠樹『僕も姉みたいに何か行動しようかなとも思いました』

赤森『お、ええやん、やっぱり人間、他人と関わってなんぼやからなあ』

赤森『まあ、あんまり気張りすぎずに頑張りや!』

悠樹『ありがとうございます! ぼちぼちやってみます』


 やり取りを終えてスマホをしまい、アイスの棒にくっついた最後の一口を食べた。

「……お?」

 食べ終わったアイスの棒をよく見ると、「あたり」の文字が刻まれていた。

 そんなはずないのだけれど、姉も背中を押してくれているような気がした。


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