↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

小さな王太子

 柔らかな陽光が差し込む王太子の私室で、一人の侍女が花瓶に花を生けていた。

 淡い黄色に白、薄桃色。春の訪れを感じさせる花々が、可憐に咲き誇っている。

「ねえ、そのお花、だれがえらんだの?」

 不意にかけられた幼い声に、侍女は振り返った。

 そこには、銀糸を束ねたような美しい髪と、宝石を思わせる紫の瞳を持つ、小さな王子がいた。

 アレクシス・ヴァレンティア。

 ヴァレンティア王国の王太子であり、国王マクシミリアンと王妃ジュリエットの愛息子。

 齢、わずか二つ。

 父王をそのまま小さくしたような容姿は、宮廷に仕える者たちの目を楽しませていた。

「私でございます、殿下。お部屋が明るくなるかと思いまして」

「そっか。きれいだね」

「ありがとうございます」

「でも、お花と花びんのお色、あってないね? 」

「……っ! 申し訳ございません!」

「おこってないよ? ちょっと気になっただけだよ」

 侍女は恭しく頭を下げる。再び向けられた笑顔は、どこまでも可愛らしい。

 それなのに、侍女は花瓶を抱えると、逃げるように部屋を出ていった。


 その背中を見送り、アレクシスは小さく息を吐いた。

「……なんでそんなにあわてるの?」

「殿下が怖かったのでは?」

 背後から、穏やかな声がした。

 アレクシスが振り返る。

 扉の近くに、一人の青年が立っていた。

 艶やかな黒髪に、鮮やかな赤い瞳。

 整いすぎたと言ってもよいほど端正な顔立ちに、柔らかな微笑みを浮かべている。

 黒を基調とした上品な衣服をまとい、その立ち姿には奇妙なほど隙がなかった。

「……だあれ?」

 青年は優雅に一礼した。

「ベリアルと申します、王太子殿下」

「ベリアル?」

「はい。本日より、こちらでお世話になることになりました」

「だれがいいって言ったの?」

「王妃殿下でございます」

 アレクシスは、わずかに眉を動かした。

「……母上が?」

「ええ。たいへんありがたいことに、気に入っていただけまして」

「なにしたの?」

「少々、お話を」

「お話?」

「美しいものについて、でございます」

 アレクシスは黙った。

 青年は相変わらず、にこにこと微笑んでいる。

「……それだけ?」

「殿下。美について語り合うのは、実に奥深いものですよ」

「ふうん」

 二歳の王太子は、小さく首を傾げながら青年を見つめた。

「君は、なにができるの?」

「お望みのことであれば、大抵のことは」

「なんでもできるの?」

「自信のない者を、お側に置きたいとは思われないでしょう?」

 アレクシスの口元がわずかに緩む。

「……おもしろいこと言うね」

「お褒めにあずかり、光栄でございます」


 ちょうどそのとき、明るい声とともに、扉が開かれた。

「アレク! ベリアル!」

 現れたのは、艶やかな黒髪と鮮烈な赤い瞳を持つ、美しい女性。

 ヴァレンティア王国王妃、ジュリエットである。

 その後ろには、銀髪に紫の瞳を持つ国王マクシミリアンが、当然のように付き従っていた。

 ジュリエットは青年を見つけると、ぱっと表情を輝かせる。

「あら! もうご挨拶は済んでいたのね!」

「はい、王妃殿下」

 ベリアルが恭しく頭を下げた。

「ちょうどよかったわ。アレク!この方、今日からあなたの側近になっていただくことにしたわ!」

 ジュリエットは息子のそばにしゃがみ込み、小さな頬を両手で包んだ。

 アレクシスは瞬きをし、ゆっくりと青年へ視線を向ける。

「母上がきめたの?」

「ええ、もちろん!」

 ジュリエットは実に満足そうだった。

「とっても優秀な方なの。それに、美しいものへの造詣も深くていらっしゃるのよ!」

「……でも、それって、ぼくのお世話と関係あるの?」

「あら、あるに決まっているでしょう?」

 ジュリエットは不思議そうに首を傾げた。

 アレクシスは小さく息を吐く。

「……母上」

「なあに?」

「ぼく、まだこの人のこと、なにも知らないよ?」

「ベリアルよ?」

「………」

 そのやり取りを聞いていたマクシミリアンが、くすりと笑った。

「ジュリ。アレクも突然のことで驚いているんじゃないかな」

「あら、そうかしら?」

「まだ二歳だからね」

「アレクは賢いもの。きっとすぐにわかってくれるわ」

 王妃は少しも悪びれる様子がない。

 アレクシスは父を見上げた。

「父上は、知ってたの?」

「もちろん。ジュリから聞いていたよ」

「……いいの?」

「ジュリが気に入った人だからね」

 実に穏やかな返答だった。

 アレクシスは、しばらく父を見つめていた。

「……そっか」

 それ以上、何も言わなかった。

 ジュリエットは嬉しそうに手を合わせる。

「ねえ、アレク。ベリアルは本当に面白い方なのよ。お話していると、時間を忘れてしまうくらい!」

「……母上が楽しいなら、よかったね」

「ふふっ。あなたもきっと気に入るわ!」

 アレクシスは再び青年を見上げた。

 黒髪。

 赤い瞳。

 穏やかな微笑み。

 そして、何を考えているのか少しも読み取れない表情。

「……ベリアル」

「はい、殿下」

「母上がきめたなら、いいよ」

「承知いたしました」

「でも、ちゃんとお仕事してね?」

 ベリアルは一瞬、目を細めた。

 そして、楽しそうに微笑む。

「それは、腕が鳴りますね」

「うん。よろしくね」

 アレクシスも微笑み返した。

 その光景を見て、ジュリエットが満足そうに頷く。

「ほら! やっぱり気が合うじゃない!」

「……そうかな?」

 アレクシスの小さな呟きは、母には届かなかったらしい。

「ねえ、マクシ。アレクったら、あなたにそっくりでしょう?」

 ジュリエットが夫を振り返る。

 マクシミリアンは、愛する妻へ柔らかな笑みを向けた。

「そうだね、ジュリ」

「お顔だけじゃなくて、こういうところまで!」

「君にもよく似ていると思うよ」

「まあ、嬉しい!」

 ジュリエットは夫の腕に絡みついた。

 マクシミリアンは当然のようにその腰を抱き寄せる。

 二人の距離は、あっという間になくなった。

 ベリアルは、その様子を興味深く眺めていた。

 どうやら、この国の王と王妃は、たいへん仲睦まじいらしい。

 いや、仲睦まじいという言葉では、少々足りないかもしれない。

「ところで、ジュリ」

「なあに、マクシ?」

「せっかくここまで来たんだ。庭でお茶でもどうだい?」

「あら、素敵!」

 王妃の赤い瞳が輝く。

「でも、その前にベリアルのお話をもう少し聞きたいわ」

「……彼の?」

 ほんのわずかに、マクシミリアンの笑みが揺れた。

 その変化を、ベリアルは見逃さなかった。

「王妃殿下とは、美についてたいへん興味深いお話をさせていただきました」

「そうなの! マクシ、あなたにも聞いていただきたいわ!」

 ジュリエットは嬉しそうに夫を見上げた。

 マクシミリアンは、妻の頬をそっと撫でる。

「もちろんだよ、ジュリ」

 そう答えながら、青年へ視線を向けた。

 艶やかな黒髪に、鮮やかな赤い瞳。

 ジュリエットと同じ色彩を持つ、美しい青年だった。

 しかし、妻を思わせるのは外見だけではない。

 近くにいると、どこか懐かしい香りがする。

 香水とも、花の香りとも違う。

 いつも腕の中にいる、最愛の妻を思わせる何か。

 それが何なのか、マクシミリアン自身にもわからなかった。

 最初は、妻が青年を気に入ったことに、ほんの少しだけ面白くない気持ちもあった。

 けれど、不思議と憎めない。

 むしろ、どこか親しみすら感じるのだ。

「……不思議な男だね、君は」

「おや。何がでしょう?」

「いや、何でもないよ」

 ベリアルは微笑んだ。

 マクシミリアンもまた、穏やかな笑みを返す。

「では、マクシ。お茶にしましょう!」

 ジュリエットはすっかり上機嫌だった。

「そうしようか」

「アレクも一緒にいかが?」

「ううん。ぼくはここにいるね、母上」

「あら、残念」

 ジュリエットは息子の額に口づけた。

「それじゃあ、ベリアル。アレクのことをよろしくね」

「かしこまりました、王妃殿下」

「マクシ、行きましょう!」

「うん、ジュリ」

 国王夫妻は、寄り添うように部屋を後にした。


 残されたのは、二歳の王太子と、その新しい側近。

 しばしの沈黙。

 やがて、アレクシスが口を開いた。

「……ねえ」

「はい」

「母上と、なかよしなんだね」

「ええ。たいへん魅力的なお方ですから」

「父上、やきもちやくよ?」

「おや。それは困りましたね」

 困ったような口ぶりだったが、ベリアルはまったく困っていない顔をしていた。

 アレクシスはそんな青年をじっと見つめる。

「……へんな人」

「よく言われます」

「ほめてないよ」

「存じております」

 にっこり。

 アレクシスは、しばらく何かを考えるように黙っていた。

 それから、小さな手を差し出した。

「じゃあ、ベリアル」

「はい、殿下」

「ちゃんとお仕事してね」

 ベリアルは片膝をつき、その小さな手を恭しく取る。

「仰せのままに」

 王太子の紫の瞳が、静かに細められた。

 そこに浮かんだ感情を、青年はあえて問いたださなかった。

 幼い容姿に似合わぬ聡明さ。

 相手を見極めようとする鋭い眼差し。

 そして、どうやら自分を簡単には信用していないらしい。

 実に興味深い王太子だった。

 ベリアルは穏やかな微笑みを浮かべた。

「末永く、よろしくお願いいたします。殿下」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。