94 もしかして、待ってた?
墨色のシャツの袖にチョークの粉をいっぱいつけて黒板を消した。
窓を閉め、モニターの電源を落とし、教科書や出席簿やプリントなどを鞄にしまい、目立つごみを拾い集め、照明と空調を落とした。
廊下にランの姿はない。
一階まで上がって共用ロッカーに鞄ごと入れた。
ここにもいない。
正門まで来ると、ここで待っていた。
稀に、こうして学生たちの誰かと、あるいはグループで駅までの道を降りていくこともある。
講義内容が難しすぎるとか、演習時間をもっと取ってとか、学食のメニューがどうのこうの、大学祭のイベントがどうしたとか、他愛のない話をして親しみを深めていく。
だが、時には度を越した親しみ、つまり危険な罠を仕掛けてくる学生もいる。
いわば、ピンクトラップ。
体に触れてくるなど、必要以上に馴れ馴れしい態度をとったり、授業中には絶対に見せない艶然とした瞳を向けて来たり。
ストレートにご飯に連れて行って、などと誘いかけてくる学生もいる。
むろん、すべて無視、無反応。
この大学で長く講師を続けてこれたのも、こうしたトラップにかからなかったからだ。
授業途中で休講となってしまった男性講師もいるが、きっと、そういうことじゃないかと思っていた。
それに、大学に呼んでくれた親友ヨウドウの手前もある。
あいつに恥をかかせるわけにはいかない。
すっかり雨は止み、薄日が差している。
「もしかして、待ってた? でも、今から用がある」




