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【C】―3 ー8

 それから私は季節が変わるごとに、洋服などを取りに何度か実家に戻った。聡志さんの家での滞在期間は長くなっていくけど、聡志さんからの正式なプロポーズの言葉はまだもらっていない。でも、なんとなく心地好くて、私は空気のようにそこに居た。そして一年が過ぎ、夏から秋へと季節を通り過ぎ、気が付けば冬を越えようとしていた。



「気合いを入れて、はちまきしたタコさんウインナー入れといたから。“勝利のウインナー弁当”食べて、試験頑張って」


 ニ月、蒼くんが受験する高校の入試の日がやって来た。お弁当を渡す私の手に緊張がこもる。受験日ということもあって、二人で早い朝食を食べた後だった。蒼くんは既に歯磨きして身嗜みも整え、後は時間が来たら出るだけの状態。

「受験票持った?」「筆記用具は入れた?」なんて心配する私に、

「ちゃんとありますよ」とバッグからすっとそれらを出して見せてくれた。ちなみに聡志さんはまだ起床時間前なので寝室にいる。

「ありがとうございます」

 蒼くんは微笑でランチバッグに入ったお弁当を受け取って、バッグにしまった。よ、余裕? 私のほうが緊張してるんだけど。

「緊張してないの?」

「してますよ」

「そうなんだ……」

 とてもそんな風には見えないけど、ま、いっか。私は

「じゃあ、おまじない教えてあげる」と言って自分の掌を使って説明する。

「緊張してる時は掌に人って字を……」

「知ってますよそれ」

 あ、やっぱり。てか今でも息づいてるんだ、このおまじない。ちょっと感慨深く思っていると、蒼くんがこっちを見て、不適に口角を上げた。

「それよりもっと効くおまじないがありますよ」

「え、何。教えて教えて?」

 食いつく私に蒼くんは、こうやってと自分の掌にすーっと文字を書いて見せた。私は目を瞠った。それって……

「“の”?」

「“のの字”です」

「のの字?」

 私の名前みたい、と言うと蒼くんはクスっとした。

「ののののです」

「のののの?」

 私はぽかん。蒼くんはますます面白がるようにクスクス笑った。

「乃々さんの“の”ですよ」

「私の“の”? なんで?」

 私が解せない表情で小首を傾げると

「のの字を書くと乃々さんのことを思い出すからです」

「え?」

 私は目をパチクリパチクリ。問いかけるように蒼くんの顔を見ると、蒼くんは続けた。

「乃々さんのことを思い出すと落ち着くんです。だから緊張したら俺は、こうやって“のの字”を書こうと思ってます」


 ズキューンっ! バキュン! バタン!

 矢が、弾が、私のハートを打ち抜いた。

 蒼くん、あなたキザすっ……(乃々語)。私がキュン死状態に陥っていると、蒼くんは腕時計に目をやった。

「じゃ、そろそろ」と言って椅子から立ち上がる。

「あ、うん、そうだね」

 バッグを持ってキッチンから出て行く彼を見送るために、私は玄関まで付いて行った。彼は玄関で靴を履くと後ろを振り向き「行ってきます」と言って柔らかく目を細めた。

「行ってらっしゃい……」

 開いたドアから、その向こうへと彼の背中が出て行ってしまいそうになる瞬間に、慌てて私は「あ、気をつけてね!」と言葉を付け加えた。







 一週間後の土曜日が、蒼くんが受けた大学入試の合格発表日だった。仕事が休みの私と聡志さんは、家でその報せが来るのを待っていた。私は落ち着かず、ケータイを片時も離さず、移動するたび持って歩いた。メールか電話か、はたまた自宅の電話かわからないけど、鳴ったらすぐに出られるようにしておかなくちゃね。時間を気にしてちらちら時計をチェックしていると――

 リビングのアナログ時計が10時ジャストを指した。私はうろうろするのをやめ、ソファに座って冷静に報告を待っている聡志さんの隣に腰を下ろした。目を瞠り、顔の前で手を組んで祈る。お願い、お願い、良い報せが来て。お願いっ!……

 テレビではタレントが漫才のような掛け合いをしていたが、まったく愉しい気分になれなかった。試験結果のことが気になって、不安で押し潰されそうになる。蒼くん、あんなに頑張ってたし、大丈夫だよね? 朝早く起きて朝活したり、テストも学年二番だったって言ってたし、大丈夫だよね? お願い、お願いします、神様っ。どうか、蒼くんを合格させてあげてください! 今何人の人たちがこんな風に神様にお願いしているだろう。娘や息子や兄弟、“家族”のことを。私にとって彼もそんな存在になっていた。そのせいか待ち時間は字の如く、私にとってはまさに“試練”だった。時間を早送りしたい!――と思ったその直後。


「乃々ちゃん」

 聡志さんの声に私は、はっとした。自分がずっと離さずに握り締めていたケータイから、インストのメロディが鳴っている。電話の着信音だった。私は慌ててボタンを押して電話に出た。


「はい、もしもし!」

 動揺しすぎて声のボリュームがおかしくなる。

《声でかっ……俺ですけど》

「……」

《もしもし?》

「もしもし……」

《蒼ですけど。もしかしてまた、“オレオレ詐欺”だと思ったんですか?》

 少し呆れたような笑い声が聴こえてきた。私が慌てて切り出す。

「もしもし、蒼くん? 試験どうだった!?」

《受かってましたよ》

 あっさりそう返されて私は「そっか」と無機質な返事を返した。そして「よかったね。おめでとう」と機械がしゃべっているみたいに抑揚のない声でしゃべる。蒼くんが何か一言二言言ってから電話を切り、私は上の空でそれを聴き、耳に当てていた端末をだらりと下ろしてピッ。ボタンを押して通話を終えた。横で聡志さんが

「こっちにも蒼からメールが来たよ。合格しました、だって」と嬉しそうに言い

「よかったね」と私のほうを向いた。放心状態に居た私は

「はい」

 と言った次の瞬間感情が弾けた。嗚咽を漏らし


「よかったですぅ〜〜!」


 顔をぐちゃぐちゃにして、ボロボロ涙を流して泣き出す。もう抑えられなかった。ずっと不安で泣きたいぐらい怖かった気持ちが、ここで一気に溢れ出す。よかった。本当によかった。今まで生きてきて、こんなに人のために泣いたのは初めてだった。



 蒼くん、受かってて本当によかった……





 蒼くんが帰宅したのは夜の6時過ぎだった。なんでも、掲示板を見ていたらそこに中学の同級生がいたらしく、声をかけられしばらく駄弁ってたんだとか。

「すいません、メールしなくて。夜ごはんには絶対間に合うように帰るって決めてたんで」

 玄関で蒼くんは、詫びるように私にそう言った。

「ふふっ、私の作る夜ごはんがそんなに食べたかったの?」

 からかって私は、彼の腕をツンツンした。

「……」

 蒼くんは一瞬キョトンとして目を丸めた後、気不味そうに目を逸らして俯いてしまった。あれ、照れてる? ほんのり赤くなってる?

 逃げるように早足でいなくなる蒼くん17歳。


 超絶カワイイぃ〜〜っ!!


 超超超かわいくなって彼をぎゅ〜と抱きしめたくなる私は、その場で腕だけ振ってエアランニングした。かわいすぎるぞ、蒼くん!







「話があるんだけど」

 食事が終わると蒼くんが真剣な顔で、聡志さんに切り出した。

「なんだ、言ってみなさい」

「ここではちょっと……」

 と目を細めて躊躇う蒼くん。それを見て聡志さんが「わかった」と言い、二人はリビングのほうへ行ってしまった。


 え、私に聞かれたくないってこと?


 ぽつんと一人取り残されてしまった私は、孤独と疎外感を感じた。“私達”もう何でも話せるような仲になった気がしてたのに……なんか寂しい。

 でも、男同士でしか話せないことなのかも。うん、そうだそうだ〜! と無理矢理自分を納得させて、私は皿洗いを始めた。

 気になってしょうがなかったけど、皿洗いが済むと私はすぐに二階に上がったのだった。

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