第2話 光線て撃てるのか?
翌朝。
目が覚めて、しばらく天井を見ていた。
「…………夢?」
本気でそう思った。
昨日、山へ行った。
銀色のボールペンみたいな物を拾った。
銀色の男が現れて、何を言っているのか分からないまま何かを託されて。
俺は、四十五メートルになった。
「…………」
ベッドから起きて、引き出しを開ける。
銀色のアレ。
「…………あるよな」
夢じゃない。
引き出しを閉めた。
「仕事行こ……」
◇
車を走らせる。
いつもの道。
いつもの時間。
いつもの通勤。
昨日、四十五メートルになった男が、今日は普通に会社へ向かっている。
「…………」
俺の名前は、高橋直人。
三十五歳。独身。
北海道の地方都市で、損害保険会社に勤めている。
勤続十二年。
役職、なし。
年収、普通。
住んでいるのは普通の賃貸。
車も普通。
特技、特になし。
趣味も、人に自慢できるようなものはない。
彼女。
「…………」
いない。
「そこまで説明する必要あるか?」
一人で自分に突っ込んだ。
信号が赤になり、車を止める。
昨日までなら、これが俺の全部だった。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
信号が青になる。
アクセルを踏む。
「…………」
まさか三十五歳になって、自分のプロフィールに『身長四十五メートル』なんて項目が増えるとは思ってもみなかった。
その時、カーラジオから聞き覚えのある話題が流れてきた。
『昨日、北海道内に出現した巨大な人型の未確認存在について――』
「…………」
また俺。
『現在も正体は分かっておらず、関係機関が調査を続けています』
調べても、たぶん何も出ないと思う。
昨日まで、俺だって知らなかったんだから。
『インターネット上では、その外見について様々な声が上がっています。銀色の身体、大きく発光する目、胸部の発光体などから――』
少し間があった。
『「どう見てもアレだろ」という投稿が相次いでいます』
「…………」
やっぱり。
みんな、そう思うよな。
俺だって最初にあの銀色の男を見た時、真っ先に昔よく見たアレを思い出した。
『一方で、「似ているだけ」「本物なら怪獣はどこだ」「北海道に何しに来た」などの投稿も――』
「知らねえよ」
俺が聞きたい。
『また、巨大人型存在が発した特徴的な声にも注目が集まっています』
「…………」
嫌な予感。
『へぁぁぁぁぁぁぁ!!』
「流すなよ!」
思わずラジオに突っ込んだ。
『この特徴的な声から、インターネット上では「へぁさん」と呼ぶ投稿も増えています』
「…………」
へぁさん。
「俺のこと?」
なんだよ。
へぁさんって。
いや。
確かに、へぁへぁ言ってたけど。
俺が言ってたわけじゃない。
普通に喋ってた。
ああ聞こえるだけだ。
「へぁさん……」
口に出してみる。
「…………」
ダサい。
そもそも俺、名乗ってないし。
会社が見えてきた。
駐車場へ車を入れる。
昨日の推定被害総額。
八千七百万円。
「…………」
今日くらいは普通に働こう。
そう思って会社のドアを開けた。
電話が鳴りまくっていた。
「…………」
嫌な予感しかしなかった。
◇
「おはようございます」
「おはよう。悪い、すぐ入ってくれ」
「はい」
鞄を置き、パソコンを立ち上げる。
受話器を取った。
「お電話ありがとうございます――」
『昨日の土砂崩れの件なんですけど』
「…………」
朝一番から。
俺だった。
「はい」
『車が土砂に巻き込まれまして』
「お怪我はございませんか?」
『怪我はないです』
「……本当ですか?」
『はい。幸い、誰も怪我はしてません』
「よかった……」
思わず声が漏れた。
「本当によかった……」
『……はい』
電話の向こうの相手が、少し戸惑っている。
「あ、失礼いたしました」
仕事中だということを忘れていた。
でも、本当によかった。
昨日、俺が受け止めた土砂は道路へ流れた。
あそこに人がいたらどうなっていたのか。
家を一軒守った代わりに、誰かを死なせていた可能性だってある。
そう考えると、電話の向こうから普通に声が聞こえているだけで、身体から力が抜けそうになった。
「では、お車の状況を確認させていただきます」
車種、年式、事故の場所、損傷状況。
聞き取った内容をパソコンへ入力していく。
やっていることは、いつもの仕事だ。
ただし今日は、その事故を起こした原因の一つが俺かもしれない。
『あの巨大なやつが、土砂をこっちに流したように見えたんですけど』
「それは悪気があったわけじゃ――」
『え?』
「…………」
何を言ってるんだ、俺は。
「いえ、失礼いたしました。現時点では、巨大な人型の存在と事故との因果関係は確認されておりませんので、調査結果を踏まえての判断となります」
『でも、あいつが土砂を受け止めたから、こっちに流れたんですよね?』
「…………」
そうです。
俺です。
とは言えない。
「その点も含めまして、現在確認中です」
『こういうのも保険って出るんですか?』
「ご契約内容と事故原因を確認した上での判断となります」
『巨大生物が原因でも?』
「…………」
巨大生物。
俺。
「……はい。まずは確認させていただきます」
受話器を握ったまま、小さく息を吐いた。
危ない。
今、危うく加害者側として事故受付してた。
◇
昼前。
上司が全員を集めた。
「昨日の件。本社から正式な見解が出るまで、原因について憶測で回答しないように」
全員が頷く。
「土砂崩れと巨大な人型物体との因果関係も現在確認中。巨大生物だとか宇宙人だとか、こちらから勝手な表現はしない」
「はい」
「事故受付は通常通り。確認できた事実だけ正確に取ること。補償の可否も、その場で断定しないように」
「はい」
上司が大きく息を吐いて、頭を掻いた。
「まったく……出るなら、せめて何もないところに出てくれよ」
「…………」
すみません。
とは言えなかった。
◇
昼休み。
「朝から何件取った?」
同僚の佐々木が、弁当を開けながら聞いてきた。
「七件」
「俺、九件」
「マジか」
「ほとんど昨日のアレ」
「こっちも」
佐々木がスマホをテーブルへ置く。
画面には、銀色の俺。
「しかし、これ」
「うん?」
「どう見てもアレだよな」
「…………まあ」
「俺、昨日ニュース見た瞬間そう思ったもん」
別の同僚も画面を覗き込む。
「俺も」
「でも、アレってこんな事故起こしてたっけ?」
「少なくとも飛行機にはぶつかってないだろ」
「しかも、こいつ」
佐々木が動画を再生する。
『へぁぁぁぁぁぁぁ!!』
「飛びながら叫んでるぞ」
「怖かったんじゃね?」
「何が?」
「高いところ」
「四十五メートルになっといて高所恐怖症だったら笑うわ」
「…………」
俺は黙ってコーヒーを飲んだ。
「でも、家は助けたんだろ?」
「結果的にはな」
「その前に土砂崩れ起こしたの、こいつじゃないの?」
「そう見えるよな」
「道路も塞いでるし、飛行機にもぶつかってるし」
佐々木がスマホを置く。
「ヒーローなのか、災害なのか分かんねえな」
「…………」
俺にも分からない。
「というか、名前までついてるぞ」
「名前?」
「へぁさん」
「…………」
知ってる。
「昨日から、へぁへぁ言ってるからだって」
画面には。
#へぁさん。
俺は人生で初めて、自分につけられたあだ名をネットで確認した。
「へぁさんねぇ……」
佐々木がもう一度、動画を見る。
「飛ぶ」
「うん」
「胸が光る」
「うん」
「見た目もアレ」
「……うん」
そして、何気なく言った。
「こいつ、光線とか撃てんのかな?」
「…………」
俺の箸が止まった。
「どうした?」
「……いや」
飯を口へ入れる。
「なんでもない」
光線。
その発想は。
なかった。
◇
午後。
パソコンを見る。
光線。
電話を取る。
仕事をする。
光線。
書類を見る。
光線。
「…………」
撃てるのか?
いや。
仕事しろ。
◇
帰宅。
飯を食って、風呂に入った。
テレビは見ない。
ネットも見ない。
引き出しも見ない。
「…………」
見た。
あの中には、銀色のアレ。
「いやいや」
昨日。
八千七百万円。
「もう変身しないって決めただろ」
そう。
決めた。
「…………光線」
想像する。
巨大な銀色の俺が堂々と立ち、腕を構える。
光が集まる。
ヒュン――
一直線に伸びる光。
遥か向こう。
怪獣らしき何かが大爆発。
俺はゆっくり振り返る。
背後で、さらに爆発。
「…………」
口元が少し緩んだ。
「……かっけぇ」
我に返った。
「…………」
何やってんだ。
三十五にもなって。
「そもそも怪獣いねえし」
立ち上がって洗面所へ行く。
顔を洗う。
鏡を見る。
「…………」
右腕を水平に。
左腕を縦に。
構える。
「…………違うな」
角度を変える。
「こうか?」
もう一度。
「こっちの方が出そうだな……」
「…………」
鏡の中には。
三十五歳。
独身。
損害保険会社勤務。
真顔で光線のポーズを研究している男。
「…………」
腕を下ろした。
「何やってんだ、俺……」
洗面所を出る。
三歩。
止まる。
「…………」
戻る。
鏡の前。
ビシッ。
「…………」
角度。
よし。
「これだな」
◇
ベッドに入る。
目を閉じる。
「…………」
光線。
目を開ける。
「撃てんのかな……」
起き上がる。
「いや」
寝る。
三十秒。
起き上がった。
「一回だけ……」
引き出しを開ける。
銀色のアレ。
昨日とは違う。
ちゃんと考える。
街は論外。
山は、しゃがんだだけで崩れた。
昼間の上司の言葉を思い出す。
『出るなら、せめて何もないところに出てくれよ』
「…………海」
海なら家はない。
道路もない。
車もない。
沖へ向けて撃てば、少なくとも昨日みたいなことにはならない。
スマホで地図を見る。
港から離れ、周囲に住宅も少ない場所を探した。
「ここだな」
銀色のアレを握る。
「一回だけ」
◇
深夜。
北海道の海。
「寒っ……」
車から降りた瞬間、少し後悔した。
「早く終わらせよう」
後部座席から双眼鏡を取る。
右。
左。
沖。
灯りなし。
船影なし。
双眼鏡を下ろして耳を澄ませる。
波の音。
風。
それだけ。
「…………よし」
念のため、もう一度確認する。
右。
左。
沖。
「船、なし」
双眼鏡を車へ戻した。
辺りにも誰もいない。
銀色のアレを握る。
「これだけ確認すりゃ大丈夫だろ」
あの構え。
「一回だけだからな」
――閃光。
身体が一気に巨大化していく。
「怖っ……!」
『へぁっ……!』
地面がどんどん遠ざかる。
「分かってても怖い!」
『へぁへぁへぁ!』
やがて。
四十五メートル。
海を見る。
広い。
何もない。
「よし」
『へぁ』
できるだけゆっくり、海へ一歩踏み出した。
ザバァァァァン!!
「冷たっ!!」
『へぁっ!!』
反射的に足を上げる。
ザバァン!
大きな波が岸へ向かっていった。
「…………」
『…………へぁ』
「これだけでも駄目なのかよ……」
今度はゆっくり足を戻す。
「冷たっ……」
『へぁっ……』
もう一歩。
「寒い寒い寒い!」
『へぁへぁへぁ!』
北海道の夜の海。
冷たい。
当たり前だ。
どうやら巨大化したからといって、寒さまで感じなくなるわけじゃないらしい。
「なんで巨大ヒーローが寒がってんだよ……」
『へぁ……』
少しずつ沖へ進み、腰まで海に浸かる。
「…………無理」
『へぁ』
「これ以上は無理」
『へぁ』
身体が小さく震える。
そのたび、海面がざぶ、ざぶ、と揺れた。
「さ、寒っ……」
『へぁ……へぁ……』
「一発」
『へぁ』
「一発撃ったら帰る」
『へぁ』
沖を見る。
暗い。
何もない。
「…………よし」
鏡の前で試した一つ目のポーズ。
「これ」
『へぁ』
何も起きない。
「違う」
次。
「これなら」
『へぁ』
何もない。
「違うか」
もう一つ。
「これ?」
『へぁ?』
何も出ない。
「…………寒い」
『へぁ……』
「早くしてくれよ……」
最後。
鏡の前で「これだ」と思った、あの構え。
腕をゆっくり組む。
「これなら――」
『へぁ――』
その瞬間。
腕が白く光った。
「え?」
『へぁ?』
身体の奥から何かが一気に腕へ集まってくる。
「ちょっ……」
『へぁっ……』
光が強くなる。
「待て待て!」
『へぁ! へぁへぁ!』
止め方が分からない。
「これ出る!」
『へぁ!』
ヒュン――
「…………え?」
光が伸びた。
俺の腕から放たれた一本の白い光が、一瞬で夜の海を貫いて遥か沖へ消えた。
同時に。
ドンッ!!
「うわっ!?」
『へぁっ!?』
身体が後ろへ持っていかれた。
「なに!?」
『へぁ!?』
一歩。
二歩。
海底を踏みしめる。
止まらない。
「待っ――!」
『へぁ――!』
足が滑った。
ザッバァァァァン!!
「うわぁっ!」
『へぁぁっ!』
尻から海へ落ちた。
「…………」
『…………へぁ』
「冷たっ!!」
『へぁっ!!』
両手をついて起き上がろうとする。
その時。
遥か沖。
光が消えた先の海面が、白く膨れた。
「…………え?」
次の瞬間。
海が爆発した。
巨大な水柱が、一気に夜空へ伸びる。
「…………」
『…………へぁ』
音は。
まだ聞こえない。
ただ巨大な水柱だけが、遥か沖に立っている。
そして。
遅れて。
ゴォォォォォォォォォン!!!!
「うわっ!」
『へぁっ!?』
腹の底まで響く轟音。
さらに一拍遅れて。
ドンッ!!
空気そのものが叩きつけられた。
「ぐっ!」
『へぁっ!』
海面が一斉に押し広げられる。
水柱が崩れ、大量の海水が落ちていく。
「…………」
俺は海の中に尻もちをついたまま、それを見ていた。
「…………ヤベー」
『…………へぁ』
想像していたのと全然違う。
もっとこう、テレビで見るような格好いい光線を想像していた。
違う。
これ。
本当にヤバいやつだ。
「…………ヤベー」
『…………へぁ』
なのに。
口元が少し緩んだ。
撃てた。
本当に。
俺が。
光線を撃った。
「マジかよ……」
『へぁ……』
自分の腕を見る。
さっきまでの寒さも、一瞬忘れていた。
ボォォォォォォォ――――ッ!!
「…………え?」
『…………へぁ?』
暗い海の向こう。
もう一度。
ボォォォォォォォ――――ッ!!
「…………」
目を凝らす。
遠く。
小さな灯り。
「…………船?」
『…………へぁ?』
「いたの!?」
『へぁ!?』
慌てて立ち上がる。
ザバァン!
「いやいやいや!」
『へぁへぁへぁ!』
「確認しただろ!」
『へぁ!』
「双眼鏡で見ただろ!」
『へぁへぁ!』
誰に文句を言っているのか分からない。
でも。
いた。
間違いなく船がいる。
「当たってないよな!?」
『へぁ!?』
光線を撃った方向とは違う。
直接は当たっていない。
そこは大丈夫。
たぶん。
「…………」
だが、海を見る。
光線が着弾した場所。
そして、俺が尻もちをついた場所。
そこから大きな波が広がっている。
遠くの船が大きく揺れた。
「…………ヤバい」
『…………へぁ』
今度は。
完全に違う意味だった。
ピコン。
「え?」
胸。
赤い光。
ピコン。
ピコン。
「もう!?」
『へぁ!?』
早い。
昨日より明らかに早い。
「光線か!?」
『へぁ!?』
撃った直後にこれだ。
何が起きているのかは分からない。
でも。
時間がない。
「帰る!」
『へぁ!』
飛ばない。
絶対に飛ばない。
昨日、それで旅客機にぶつかった。
歩いて岸へ戻る。
「寒い!」
『へぁ!』
早く海から出たい。
「寒い寒い寒い!」
『へぁへぁへぁ!』
自然と足が速くなる。
ザバァン!
ザバァン!
巨大な身体が海水を押し退ける。
「…………あ」
また。
波。
「まずい!」
『へぁ!』
ゆっくり。
ゆっくり歩け。
「寒っ!」
『へぁっ!』
身体が震える。
海面がざぶ、ざぶ、と揺れる。
「震えるな!」
『へぁ!』
「俺だよ!」
『へぁ!』
どうしようもない。
なんとか岸まで戻る。
「戻れ!」
『へぁ!』
ピコン。
ピコン。
「戻ってくれ!」
『へぁぁ!』
――光。
身体が元へ戻った。
その場に膝をつく。
「寒っ……」
銀色のアレを握り、海を見る。
遠くには、まだ船の灯りが見える。
「…………」
当たってはいない。
大丈夫。
たぶん。
「帰ろう……」
◇
翌朝。
『昨夜、北海道沿岸で発生した大規模な発光現象について――』
「…………」
俺はテレビの前に正座していた。
『現場付近を航行していた漁船から、突然海面が強く発光したとの通報があり――』
映像。
漁船。
「…………あれだ」
『漁船に直接的な損傷はありませんでしたが、直後に複数の大きな波を受けたということです』
「…………」
複数。
光線。
尻もち。
帰る時。
「…………」
目を逸らした。
『一方――』
「…………」
嫌な予感。
港の映像に変わる。
『沿岸部では、係留されていた複数の小型船舶が損傷』
「…………」
『さらに漁業設備にも被害が確認されています』
「…………」
『一部の港湾設備についても破損が確認されており――』
「…………」
両手で顔を覆った。
「誰もいなかったじゃん……」
違う。
人がいなかった。
それだけだ。
何もなかったわけじゃない。
テレビを消す。
「…………」
棚を見る。
赤本。
仕事で使う資料。
スマホ。
電卓。
「…………やるか」
船舶の損傷。
漁業設備。
港湾設備。
その他。
分からない部分は、報道されている被害状況からかなり甘めに概算する。
カチ。
カチカチ。
カチ。
「…………」
電卓を見る。
もう一度計算する。
「…………」
変わらない。
俺はゆっくり引き出しを開けた。
銀色のアレ。
光線は撃てた。
ものすごい威力だった。
正直。
ちょっと感動した。
でも。
怪獣なんていない。
侵略者もいない。
戦う相手なんて、どこにもいない。
「…………」
銀色のアレを見る。
「撃てた」
少し間を置く。
「でも……」
「何に使うんだ?」
――二度目の変身。
救助、ゼロ件。
推定被害総額。
約一億四千六百万円。




