第18話 海難救助
日曜日。
昼過ぎ。
『速報です』
テレビの声に、俺は顔を上げた。
『本日午後、北海道沖を航行していた旅客船が、貨物船と衝突しました』
「……。」
画面が切り替わる。
海上保安庁の発表。
『旅客船は船体側面を大きく損傷。現在も浸水が続いているとの情報が入っています』
「……マジか。」
『海上保安庁が巡視船などを現場へ向かわせていますが――』
映像が映る。
かなり傾いた旅客船。
甲板には、救命胴衣を着た人たちが集まっている。
『乗客乗員、合わせて三十七名が乗船しているとみられ――』
「……。」
テーブルの上。
銀色のアレ。
見る。
ガイドライン。
責任。
義務。
危険。
英雄。
色々言われた。
でも。
今は、そんなことはどうでもいい。
「……行くか。」
銀色のアレを掴んで立ち上がる。
「……。」
そのまま玄関へ向かいかけて、止まった。
冷蔵庫を見る。
「いや。待て。」
前回の検証を思い出した。
これを使うと、とにかく腹が減る。
しかも今回は、何回変身することになるか分からない。
「……食ってから行くか。」
冷蔵庫を開ける。
おにぎりを一個。
食べる。
もう一個。
それも食べる。
バナナも一本。
さらにパンを取り出したところで、手が止まった。
「……。」
テレビでは今も、浸水する旅客船の映像が流れている。
その前で俺は。
パンを食っている。
「……。」
「前回学んだからな。」
自分に言い聞かせて、残りを口に押し込む。
「なんで人助けする前に、こんな食わなきゃなんねえんだよ。」
◇
人目につかない場所まで移動する。
周囲を確認。
「……よし。」
銀色のアレを握る。
「へぁ。」
◇
巨大化。
そのまま飛ぶ。
海へ。
◇
現場が見えてきた。
「……。」
思っていたより、ひどい。
旅客船が大きく傾いている。
船体側面には大きな損傷。
片側は海面近くまで沈み込んでいた。
周囲には巡視船。
救命艇。
上空にはヘリ。
甲板には、人。
小さい。
「……三十七人。」
胸を見る。
三分。
「足りるか……?」
俺に気づいた巡視船が動く。
甲板上に、大きな表示板。
【へぁさん】
「……。」
「名前として完全に定着したな。」
表示が変わる。
【接近してください】
「了解。」
○
ゆっくり近づく。
【船体には触れないでください】
「……。」
○
「分かってる。」
「へぁ。」
当然、伝わらない。
船体に直接触れたら、俺が壊す可能性がある。
少し距離を取る。
海保が救命艇を近づけ、乗客の移乗を始めた。
「……。」
これなら。
俺、いらなくない?
そう思った時だった。
船体が。
さらに傾いた。
「おい……。」
甲板から悲鳴が上がる。
海保の動きが変わった。
【浸水拡大】
「……。」
次。
【船体を支えられますか】
「どっちだよ!」
さっき触るなって言っただろ。
でも。
状況が変わった。
船が沈み始めている。
「……分かった。」
○
ゆっくり海へ降りる。
足。
海水。
膝。
さらに沈む。
腰。
ザバァァァァン――。
「……。」
一瞬。
身体が固まった。
「寒っ!!」
冷たい。
めちゃくちゃ冷たい。
「寒っ! マジで寒っ!」
ガタガタガタ。
「……。」
バシャ。
バシャバシャ。
「……ん?」
また身体が震える。
ガタガタ。
バシャバシャバシャ!
救命艇が大きく揺れた。
『うわっ!』
『掴まれ!』
「……。」
「俺か!?」
寒さで震える四十五メートルの身体。
その震えだけで。
海面が波立っている。
「ちょっ……。」
震えを止める。
「止まれ俺!」
ガタッ。
バシャッ!
「寒くない。」
ガタガタ。
バシャバシャ!
「寒くない、寒くない……。」
身体はまったく言うことを聞かない。
「寒いもんは寒いんだよ!」
巡視船の表示が変わった。
【動かないでください】
「分かってるよ!」
反射的に。
×
「……。」
海保の動きが止まった。
「違う!」
慌てて。
○
大きく頷く。
バシャッ!
「……。」
「もう動かねえ。」
俺は慎重に船体へ近づいた。
傾いた側面へ、両手を添える。
「……。」
力を入れる。
「重っ……!」
当たり前だ。
船だ。
四十五メートルになったからって、何でも軽くなるわけじゃない。
「くっ……。」
支える。
傾きが止まった。
海保が一気に動き始める。
救命艇へ。
乗客が次々と移されていく。
「……寒っ。」
ガタッ。
「……。」
止める。
バシャ……。
「我慢しろ。」
動くな。
震えるな。
「寒っ……。」
歯を食いしばる。
「寒い……。」
一人。
また一人。
「早くして……。」
ピコン。
「……。」
胸を見る。
始まった。
「マジかよ。」
ピコン。
ピコン。
まだ人がいる。
船を離せない。
表示が変わった。
【残り十二名】
「十二……。」
無理だ。
このままじゃ時間が足りない。
でも。
ここで解除するわけにはいかない。
「……。」
俺は船体を支えながら、自分を指した。
それから。
遠くを指す。
×
海保側が少し戸惑う。
やがて。
表示が変わった。
【一度離れますか】
○
【再度来られますか】
「……。」
前なら。
答えられなかった。
今は分かる。
○
海保側からも。
大きな○
「……よし。」
救命艇が一度、船体から離れる。
俺はゆっくり手を離した。
船体が再び傾き始める。
「頼むぞ……。」
飛ぶ。
◇
海岸から離れた、人のいない場所。
ピコン。
ピコン。
ピコン。
「ここなら……。」
解除。
◇
「寒っ!!」
地面にしゃがみ込む。
ガタガタ。
「寒っ……寒っ……。」
鞄を開ける。
パンを食う。
続けて、おにぎり。
「腹減った……。」
水を飲む。
「寒い……。」
もう一個食う。
「忙しいな俺!」
時計を見る。
まだ十二人。
「……。」
立ち上がる。
「行くか。」
銀色のアレを握る。
「へぁ。」
◇
再び巨大化。
飛ぶ。
◇
現場。
旅客船は、まだ浮いていた。
「よかった……。」
海保が俺を確認。
【残り八名】
「減ってる。」
救助は続いていた。
俺がいなくても。
ちゃんと続いている。
「……。」
少し安心した。
再び海へ降りる。
ザバァァァァン――。
「寒っ!!」
分かってた。
分かってたけど。
「二回目でも寒いもんは寒い!」
ガタッ。
バシャッ!
「……動くな。」
自分に言い聞かせる。
ゆっくり船体へ近づき、手を添える。
「重っ……。」
支える。
救助再開。
七人。
六人。
五人。
「……寒っ。」
四人。
三人。
ピコン。
「……。」
二人。
最後。
一人。
「早く……。」
救命艇へ。
最後の一人が移った。
【全員救助】
「……。」
俺は。
しばらくその文字を見ていた。
「……よし。」
海保側から。
大きな○
「……。」
俺も。
○
船体からゆっくり手を離す。
あとは。
海保に任せる。
飛び立った。
◇
翌日。
『昨日発生した旅客船衝突事故について、乗客乗員三十七名は全員救助され、命に別状はないということです』
「よし。」
会社の昼休み。
俺はテレビを見ながら、小さく頷いた。
「今回はへぁさん、結構ちゃんとしてたな。」
隣で佐々木が言う。
「今回はって何だよ。」
「いや、今までが今までだから。」
「……。」
否定できない。
『一方――』
「……。」
嫌な予感がした。
『へぁさんが海中へ進入した際に発生した高波により、周辺にいた小型船舶三隻が損傷。港湾設備の一部にも被害が確認されています』
「……。」
映像が切り替わる。
岸壁に引き上げられた小型船。
壊れた港湾設備。
「やっぱり壊してんじゃん。」
「……。」
『さらに、へぁさんが沈没を防ぐため旅客船の船体を支えた際、船体の一部が変形したとみられています』
「俺?」
「何?」
「……へぁさん。」
「ああ。」
危ない。
『現時点で確認されている被害額は、概算で約二千八百万円に上るとみられています』
「……。」
佐々木が弁当を食べながら言った。
「二千八百万か。」
「……。」
「三十七人助けて二千八百万。」
「……。」
「一人あたり――」
「割るな。」
「まだ何も言ってねえよ。」
「割るな。」
◇
その夜。
俺は自宅でノートパソコンを開いていた。
「……二千八百万。」
今日発表された数字を入力する。
『海難救助 推定損害額 28,000,000円』
画面を見る。
「……。」
その上には。
これまでへぁさんが発生させた損害。
最初の山。
道路。
旅客機。
『推定被害総額 87,000,000円』
「……八千七百万。」
次。
海で光線を試した時。
「これなあ……。」
公開されている資料を確認する。
「双眼鏡で確認したんだけどなあ……。」
入力。
ほかにも。
俺が直接壊したと確認できるものだけを拾っていく。
一件。
また一件。
数字が積み上がっていく。
「……。」
最後に。
合計。
「……マジか。」
椅子にもたれた。
テレビでは。
昨日の海難事故が流れている。
『乗客乗員三十七名全員が無事救助され――』
テレビを見る。
パソコンを見る。
金額。
もう一度。
テレビ。
「……。」
「まあ……。」
言いかけて。
やめた。
「よくはねえな。」
印刷する。
プリンターから。
数枚の紙が出てきた。
表紙。
『へぁさん活動に伴う推定損害一覧』
「……。」
紙を揃える。
「なんで俺が、自分の損害査定してんだよ。」
捨てようとして。
やめた。
引き出しを開ける。
紙を入れる。
閉める。
その横には。
銀色のアレ。
「……。」
三十七人。
全員無事。
今回の被害総額。
二千八百万円。
銀色のアレを指で転がす。
「……ほんと。」
「金かかるな、俺。」




