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評議会の、朝

評議会の間は、書庫の最上階にある。長い階段を上るたび、空気が、わずかに、冷たくなっていくのを感じる。上るたびに、心も、少しずつ、引き締まっていくようだった。円卓を、族長と、五人の長老が囲む。私は、その末席に立った。窓から差し込む朝の光が、円卓の木目を、くっきりと照らしていた。誰も、まだ、口を開いていなかった。重い沈黙だけが、部屋を満たしていた。


この部屋に立つのは、四十年で、数えるほどしかない。書庫長という地位は、多くの場合、評議会に出向く必要のない、独立した立場だった。今日、私は、自ら望んで、この場に立っていた。足元の石畳の冷たさが、靴底越しに、はっきりと、伝わってきた。懐の書類の角が、掌に、軽く食い込んでいた。


「書庫長レスカン。人間の娘の処遇について、申し立てを」


族長の声は、静かだが、揺るがない重みを持っていた。四十年、私はこの声に従ってきた。今日、初めて、その重みに、抗おうとしていた。喉の奥が、微かに、乾いていた。


私は、懐から、一枚の書類を取り出した。黒豹領との境界協定における、彼女の功績を、記録したものだった。指先が、いつもより、わずかに冷たいのを感じた。緊張、というものを、私はほとんど知らずに生きてきたが、今、それに近い何かを、確かに感じていた。この一枚の紙に、彼女の未来の、少なからぬ部分が、託されていた。


書類は、昨夜、何度も書き直したものだった。言葉を選び、削り、また書き足す。四十年の書庫長生活の中で、これほど、一枚の書類に、時間をかけたことはなかった。


「彼女は、書庫の実務に、有用です」


私は、そう切り出した。


意図的な言葉だった。感情ではなく、機能。愛情ではなく、価値。族長を含む長老たちが、最も受け入れやすい理屈から、話を組み立てる必要があった。


「原本の判読において、書庫員十五名が見落とした書き足しの跡を、彼女一人が発見しました。境界を巡る紛争を、未然に防いでいます。これは、一度の偶然ではなく、彼女の観察の習慣によるものです。地誌の誤記も、同様に、彼女が指摘しています」


円卓の向こうから、紙をめくる音だけが、しばらく、響いていた。長老の一人が、静かに問うた。


「その功績、記録としては、確かに、拝見しました。……閣下は、彼女に、書庫補佐官の地位を、与えたいと、お考えなのですね」


「その通りです」


円卓の空気が、わずかに、張り詰めた。長老たちの視線が、一斉に、私に注がれる。四十年、この評議会で、これほど多くの視線を、一身に受けたことは、なかった。


    ◇    


長老の一人――ゾルド、族長に長く仕える古参――が、口を開いた。


「二度の手柄は、確かに、閣下のおっしゃる通り、認めましょう。ですが、書庫補佐官という地位は、これまで、蛇族の中でも、限られた者にしか与えられてきませんでした。人間に、初めて、その前例を作ることには、慎重であるべきです」


「慎重であることと、機会を与えないことは、違います」


私は答えた。声には、いつもより、力を込めていた。


「二度、目にしています」ゾルドは、続けた。「それも、実務上の話に過ぎません。……閣下。あなたが、この娘に、個人的な感情を、抱いておられることは、承知しております。それが、判断を、曇らせてはいませんか」


問いは、鋭かった。円卓の他の長老たちも、私の返答を、静かに待っていた。私は、一拍、間を置いた。


本当は、こう言いたかった。


――私の百年は、彼女の指文字の、ありがとう、一つに、出会うための、百年でした。彼女がいなければ、この評議会での申し立ても、私にとって、何の意味も持ちません。


だが、その言葉を、私は、飲み込んだ。


感情を語れば、この場では、弱さとして扱われる。伝統派の長老たちを動かすのは、情ではなく、実績だ。私は、自分の想いを、あえて、書類の裏側にしまった。


「感情の有無に関わらず、彼女の功績は、事実です。事実だけで、判断していただきたい」


別の長老が、口を挟んだ。


「閣下の仰る通り、事実は、確かに、重要です。ですが、書庫補佐官という地位は、単なる功績だけでなく、書庫そのものへの、長期的な献身を、証明する必要があります。人間の寿命では、その献身を、示す時間そのものが、限られているのでは」


「時間の長さと、献身の深さは、必ずしも比例しません」


私は、そう返した。円卓に、微かな沈黙が落ちた。誰も、すぐには、言葉を継がなかった。


別の長老が、静かに、口を挟んだ。


「閣下。仮に、評議会が、様子見を選んだとして、閣下は、それを、どう受け止められますか」


「受け止める、というより、その間も、事実を、積み重ね続けるだけです。評議会の判断を、急かすつもりは、ありません。ただ、事実が積み重なる速度を、遅らせるつもりも、ありません」


長老たちの間に、微かなどよめきが起きた。私の物言いは、これまでの四十年、彼らが知る私からは、想像もつかない、粘り強さを、帯びていたのかもしれない。


    ◇    


族長は、しばらく、何も言わなかった。円卓を囲む長老たちの間にも、沈黙が広がった。窓の外で、鳥の声が、一つ、二つ、聞こえた。私は、その沈黙の意味を、静かに、待った。


「レスカン」


族長が、ようやく口を開いた。


「お前が、感情を語らずに、事実だけで語ったことを、私は、評価する。だが、その事実の積み重ねが、評議会全体を動かすには、まだ、足りない。……今しばらく、様子を見る」


「様子を見る、とは、具体的に、いつまで、でしょうか」


私の問いに、族長は、初めて、わずかに、口元を緩めた。


「お前らしくない問いだな、レスカン。……お前が、これまで、二十五年、待ち続けてきたことを、私は、知らぬわけではない。だが、評議会が判断を下すのは、お前一人の待つ力ではなく、書庫全体の、確かな納得だ。その納得が、いつ、どれほどの形で、集まるかは、私にも、まだ、分からない」


前進でも、後退でもない、宙ぶらりんの答えだった。私は、深く頭を下げ、評議会の間を辞した。


族長の目には、私に対する敵意は、なかった。ただ、四十年、私が誰よりも重んじてきたはずの、慎重さという美徳が、いま、私自身の望みの前に、大きく立ちはだかっていた。皮肉なことだと、思わずにはいられなかった。


廊下に出ると、向こうに、通りかかったらしい人影が見えた。書庫のほうへ、静かに、遠ざかっていく後ろ姿。


彼女だったかもしれない、と思った。だが、確かめる前に、その姿は、書架の陰に消えていた。もし、彼女があの扉の外にいたのだとしたら、私が語った言葉のうち、どこまでを、聞いていただろうか。


私は、自分が発した言葉を、思い返した。「彼女は、書庫の実務に、有用です」。事実だった。だが、事実だけを語ったことに、私は、初めて、小さな後悔を覚えていた。


いつか、あの評議会の記録を、彼女自身が、目にすることが、あるかもしれない。


そのときのために、私は、書類の続きに、もう一行、書き加えておくべきだったのかもしれない。廊下の窓から差す光が、先ほどより、少し翳って見えた。


私は、評議会の間を、もう一度、振り返った。重い扉は、すでに、静かに閉ざされていた。


書庫へ戻る階段を、私は、一段ずつ、踏みしめるように、下りていった。この階段を、何百回、上り下りしてきただろうか。今日ほど、その一段一段が、重く感じられた日は、なかった。

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