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エル・マルヘンの不法滞在者  作者: ArtCafePOLYPUS
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不法滞在者Ⅳ

 思ったより、時間がかかっちまった。

 曇天は相変わらずだ。この土地に来てから、晴れた日を見た記憶がほとんどない。どんよりとした雲が、低く垂れこめている。湿った空気が、肌にまとわりついてくる。

 見慣れた商店街を抜ける。とても商店街と呼べる代物じゃないが、この界隈ではそう呼ばれている。雑多な屋台と、崩れかけた建物が並ぶだけの通りだ。

 ——ここで、あのクソガキにバングルを盗られたんだったな。

 思い出すと、今でも腹が立つ。しかしまぁ、あのガキのおかげで、ずいぶんと妙な場所に居着くことになった。

 そういえば、いい加減返して貰いてーところだ。あのバングル。

 懐かしさ、と呼ぶには少し妙な感覚が胸をよぎる。出かける前と同じ景色のはずなのに、どこか遠くから眺めているような気がする。長く離れすぎたのかもしれない。

 小屋のある丘のふもとに差し掛かる。

 いつもなら、この辺りには物乞いがたむろしている。ソレダが時々施しをしているせいで、人数は減らない。何なら増えている一方だ。あいつも人が悪い。気まぐれに与えるから、アテにする連中が寄り集まってくる。

 だが——今日は、人気が少ない気がする。

 いつもの半分もいないだろうか。

 ソレダが例の件をうまく片付けたのか。それとも、ラファ奪還に失敗してこのあたり一帯を奪われたのか——まぁ、あのソレダがそんな下手は、打ちそうにないが。


 惰眠をむさぼっていた物乞いの一人が、あたしに気づいて身を起こした。こいつらは、あたしがソレダの小屋に出入りしていることを知っている。だから、顔をみると施しだか、おこぼれだかを求めて這い寄ってくる。

 そのうちの一人——見たことのない顔が、ふらふらとした足取りでまとわりついてきた。 まとう衣はところどころ焦げている。寝タバコでもしたのか、それとも縄張り争いの喧嘩か。焦げ臭い布の奥から骨の浮いた枯れ木のような腕が延びてくる。

 どこから聞き及んでくるのか、まったく。

 足蹴にして、先を急ぐ。

 中腹にある水場を、一応確認した。

 モーターは稼働しているようだ。だが、手入れはされていない。周りに蜘蛛の巣が張り、ごみが溜まっている。

 ——だれかやれよ。

 仕方なく、手近なごみをどけて、蜘蛛の巣を払った。軽く掃除して、先を急ぐ。

 小屋に向かう。湿度の高い空気が肌にまとわりついて、気づくと汗びっしょりになっていた。

 シャワー浴びねーとなー

 そろそろ、小屋が見えてくるはずの場所まで来て——あたしは、足を止めた。


 見晴らしの良い丘の上についた。


 ——見晴らしがいい?

 あたしは、立ち止まった。

 どこかで道を間違えたか。上ってきた道を振り返る。いや、見覚えのある光景だ。あの商店街の屋台、傾いたまま放置されている看板、中腹の水場。間違えていない。

 再び、正面に向き直る。

 本来なら、そこに小屋の屋根が見えるはずだった。 継ぎはぎの壁があって、傾いた柱があって、あの妙に生活臭い掘立小屋が、丘の上にへばりついているはずだった。

 小屋が—— ない?

 あたしは、しばらく動けなかった。

 今まで、夢でも見ていたのか。それとも、あたしが知っているこの丘は、別の場所だったのか? なんだ? 何が起きた?

 足を、前に進める。

 数歩歩いたところで、何かに躓いた。バランスを崩して、片膝をつく。足元を見ると、黒く焦げた木の破片が転がっていた。

 火事があったのか? それとも放火か?

 あたしは立ち上がり、小屋があったはずの場所に近づいた。

 壁は崩れ、屋根は落ちていた。辛うじて形をとどめていた柱も、半分は燃え落ちている。残骸の隙間から、湿気を含んだ灰の匂いが漂ってくる。燃えカスに触れると、冷たかった。火が消えて、時間が経っている。

「——ソレダ!」

 名前を呼んだ。

 応答はない。

 もう一度呼ぶ。耳を澄ます。

 風が、瓦礫の隙間を抜けていくだけだ。

 あたしは、廃墟の中に踏み入った。足元の瓦礫を避けながら、名前を呼び続ける。ここが応接室だった場所。花崗岩のテーブルは、真っ二つに割れて転がっている。作業台があった場所には、焦げた木の残骸だけが残っていた。

 分光器は、どこにもなかった。

 寝室があった付近まで来て、あたしは足を止めた。

 瓦礫の中に、何かが見えた。

 かがんで、手を伸ばす。

 この小屋を出る前、ソレダが設計図だけ広げていたものだ。実物ができていたらしい。思ったより、小さい。手のひらに収まるほどの大きさだ。

 使った形跡がある。

 あたしは、それを手の中で静かに握った。ノートに書かれていた数式を——出かける前のことを、思い出した。

「ちょっと、出かけてくる」

 あの時、ソレダはなんと返事したんだっけか。

 あいつは、視線は手元に落としたままだった。窓から差し込む光が逆光になって、ソレダの姿がシルエットになって見えた。作業台の前に座って、何かに向かっている。いつも通りの姿だった。

 だから、あたしはそのまま出た。

 こんな貴重なものを置いて——あいつは、どこに行った。


「——随分と、遅かったわね」


 背後から、声がした。

 振り返ると、見覚えのある顔があった。エスメラルダだ。いつもの派手な装いで、崩れた瓦礫の前に立っている。その表情は、ありありと批難が浮かんでいた。

「戻ってくる気があるとは思わなかったわ。何ヵ月かかってるのよ」

「何があった」

「何があった?ですって!あの後、ラファは、無事に戻ってきたのよ。でも、あなたは姿を消したまま、帰ってこなかった!何カ月も!」

 エスメラルダは、瓦礫に視線を落としながら言った。

「ラファが無事に戻ってきたから、そのお祝いとソレダに渡された試作機の調整で顔を出したの」

 軽い口調だったが、目が笑っていなかった。

「あなたはいなかった。ソレダに聞いたら、あなたはいつもふらりといなくなる、と言っていた」

 そうだ。あたしはそういう人間だ。それは最初からそうだった。

「少し寂しそうだったけど」エスメラルダが、続けた。「普段通りに見えた。でもなんだか心ここにあらずで、手際が悪くて、いつもより時間がかかってたわ」

 あたしは、先刻拾った手の中のガジェットを、少し強く握った。

「それから一ヶ月後に、ラファから連絡が来たの」エスメラルダの声が、少し低くなった。「ソレダの様子がおかしいってね。クルスに面倒見てもらえばいいじゃないって言ったら——クルスが、まだ戻ってきていないって」

 ——それは……あの時は、数日、長くても一、二週間で戻るつもりだった。

 言い訳が、浮かんだが言葉にはしなかった。

「ラファは……。あの子は沢山の——両手いっぱいのCリングを差し出して、自分の全財産渡すから、ソレダを助けてくれって」エスメラルダは、地面を見たまま吐き出すように続ける。

「仕方なく、様子を見に行ったわ」彼女の触れた柱の残骸が、パラパラと崩れた。

「ソレダは前の月より、さらにガリガリになっていた。寝室からほとんど出てこない。ラファが食事を持っていっても、ほとんど手をつけない」

 彼女は続ける。

「結局、ほっとけなくて、ちょくちょく様子を見に、この小屋に来てたのよ。そしたら、あの日——すごい音がしていた」エスメラルダの足が、止まった。

「ラファの泣き叫ぶ声と、何かを破壊する音。駆け寄ったら、ソレダが手当たり次第に、棚やら何やらを壊して回っていた。ラファが泣きながら、止めに入っていて」

 あたしは、崩れた花崗岩のテーブルを見た。

「どうすることもできなかったわ。ラファをソレダから引きはがすのが、精一杯だった」

 エスメラルダの声が、わずかに揺れた。

「そのうち、火の手が上がって。小屋が燃えたの。火の勢いはすごくて、鎮火するのに、三日かかったわ」

 沈黙。

「鎮火後に戻ったら——ソレダの姿は、なかったわ」

 がれきの中から、ソレダの残骸は見つからなかったらしい。生きているのか、それとも違うのか。それは分からないといった。

 あたしは、手の中のガジェットを強く握る。

「ねえ。この数ヶ月、あなたは、いったい何をしていたの」

 エスメラルダの声が、高くなった。

「あなたがいなくなってから、あの人がどうなったか。見ていたの、わたしは。ずっと」

「——」

「ねえ!いったい、何をしていたのよ!」

 激高した声が、廃墟に響いた。

 拳が、飛んできた。

 頬に、鈍い痛みが走る。

「……ソレダが」あたしは、口を開いた。自分の声が、ひどく遠くに聞こえた。

「助けてほしいと、言ったから」

 エスメラルダが、息を呑む気配がした。

「ソレダの居場所。作ってきたんだ」

 小屋に戻って、ソレダに自分の正体告げて。でも、新天地なんて嫌がるだろうから、時間かけて説得して、それでもきっとテコでも動かないだろうから、ラファ抱き込んで、無理やりここから連れ出す。そういう予定だった。

「最初は、すぐに準備できると思ってた」

 目論見は大きく外れた。うまく行かなかったんだ。交渉は難航し、一週間が、一ヶ月に、一ヶ月が、気づけばそれ以上になっていた。

「……あんたは知ってるだろ。あたしが何者か」——まったく、自分で言ってても反吐がでる。

 エスメラルダの目が、細くなった。

「あたしの権力ちからがあれば……」

 ソレダが望む場所を。いくらでも創ってやれると——

「うぬぼれてんじゃないわよ!」

 エスメラルダの怒声が響き渡る。

「あの紳士から逃げ回って、こんな辺境に身を隠さないといけない奴の、どこに力があると言うのよ!」

 彼女は足元の燃え残りの木材を拾い上げ、あたしに向かって投げつけた。

 それはあたしの肩にあたり、バランスを崩して地面に座り込んだ。手についたすすを払いながらゆっくりと立ち上がる。

 あたしは、それ以上、言葉にしなかった。

 エスメラルダは、何も言わなかった。

 あたしは、廃墟の中をゆっくりと歩いた。瓦礫を踏みながら、かつてそこにあったものを確かめるように。

 寝室があった場所を抜けて、納屋の裏に回る。

 そこだけが、無傷で立っていた。

 あの日、地元民が総出で作ったシャワーだ。パイプも、浄水器も、崩れていない。小屋が全部燃えても、これだけが残っていた。



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