青空 ■エピローグ■
朝から、空が高い。
突き抜けるような青で、雲ひとつない。
この小汚い小屋とも、今日でおさらばだ。
日が昇ると同時に、熱が地面から立ち上がってくる。乾いた風が路地を抜けて、土埃を巻き上げる。
低い建物が、肩を寄せ合うように密集している。日干しレンガの壁は、長年の日差しで色が抜けて、白っぽい黄土色になっている。屋根には金属の波板が張られていて、日中になると熱でパキパキと音を立てる。路地は入り組んでいて、慣れない人間はすぐに迷う。
土埃だけになった室内を見渡す。ギルドの立ち上げからずっとここにいた。乾季には熱気がこもって息をするのも億劫で、雨季はスコールが波板の屋根を叩いて、会話もままならなかった。
荷物を次々と、手伝いに来た地元の連中に手渡していく。こいつらとも、もう長い付き合いだ。
「これも頼む」
最後の箱を持ち上げた時、何かが転がり落ちた。
かがんで拾い上げる。布切れに包まれている。見たことのない柄の布だ。
何だ?こんなもの入れた覚えはない。
布を開くと安っぽい金属の輪が出てきた。
「……なんだこれ」
きったねー。
手の平大のそれには、黒い石が雑に焼き付けられていた。石の表面を、布で軽く擦る。石は、鈍く光り…
見たことがあるような気がする。この石——
「ムンドゥワ(腕輪)?」
横から、地元の男が覗き込んできた。
「ああ、これは、プルセ……」
言いかけて、止まった。
そうだ。これは——
これを盗ったのが、すべての始まりだった。
あの頃、俺はまだガキだった。いつも通り、市場でバカでウスノロな連中から金目の物盗って…そしたら、すんごい形相の鬼のような女に追い詰められて、小屋に逃げ込んで。あの人がいつも通り俺をかばって、あンのババアから助けてくれた。
——ソレダ。
無口で、感情があるんだかないんだかよくわからない人だった。でも、俺を手元に置いて、面倒を見てくれた。何も言わずに、当たり前のように。そんな日常が、あのババアが居座るようになって、騒がしくなった。
なのに——
あの人は狂い、自分を焼いて消えてしまった。
あの小屋での。あの最後の夜を思い出すと、今でも胸の奥に鈍い痛みが残る。
あれは、あの人があんなことになったのはババア…クルスのせいだ。今でもそう思ってるし、今でも憎い。
ババアと再会したあの日。
俺は、あの人の仇を討つつもりだった。ナイフを持ってアイツに突撃したんだ。だけど、まだガキの俺の攻撃なんて、あのババアにとっちゃ、お戯れの一つに過ぎなかった。
アイツに触れることも出来ずに、見つかって、けったくそに嘲笑われた。
その後は、子供たちが集められた小奇麗な集団の中に放り込まれて、集団生活とキョーイクとやらを押し付けられたっけ。
清潔で、食事も出て——だけど、監視されてた。エル・マルヘンで自由に生きてきた俺に、あの場所は合わなかった。息が詰まって、何度も脱走を試みた。何回かは、脱走に成功したンだけど、でもその度に、あのババアが現れて、へたくそだの、要領が悪いだのさんざん虚仮にされて、引きずり戻された。
限界だった。
もう何度目かわからない脱走の後で、捕まえに来たあのババアの顔を見た瞬間、何かが弾けた。まるで世界の崩壊みたいだった。手も足も体もすべて。使えるものすべてを使って、叫んで投げて転がって殴って…暴れまくった。
それでも、飄々と表情を変えない、あのババアが憎くて、本当に悔しくて、叫んだんだ。
なんで俺を閉じ込めるんだ。なんで勝手に決めるんだ。あの人がいなくなったのはあんたのせいだ。あんたが消えたから、あの人は壊れたんだ。なのになんで、あんたはそんな顔で立ってるんだ。
俺を止める連中を振りほどいて、全身の力を込めて、飛びかかった。
ババアは——クルスは、俺の体重を受け止めきれず、よろめいて倒れた。
思ったより、あっけなかった。自分よりずっと大きいと思っていたあいつが、簡単に地面に崩れ落ちた。一瞬、頭の中が白くなった。でも俺を突き動かす衝動は、止まらない。倒れたあいつの上に乗り上げて、その首に両手をかけた。
絞り出すように、叫んだ。
「俺たちは——あんたにとって、いったい何だったんだっ」
周りの連中に、引きはがされる間も、ずっとあいつを睨んでた。たぶん、俺はそこで初めて、あいつの顔をまともに見たのかもしれない。いくつもの表情が、波のように通り過ぎていった。怒りでも、哀れみでもない、なんとも言えない表情で俺を見上げてきた。
しばらくの沈黙……それは、とても長く感じた。
「ラファエル・ハリエト・ソレダ」
喉を押さえながら、静かな声でアイツは俺の名前を呼んだ。
「どうしたいのかは、自分で選べ」アイツはゆっくりと身を起こしながら、続けた。
「何も持たずに、ここから飛び出して野垂れ死ぬのもいい。何かをむしり取って、自分の足場にするンでも、好きなようにしろ」
選択は自由だ。と。
——何をしたいのか。
頭なんか使うのは嫌いだった。
けど、使わなきゃまた誰かの都合で好き勝手されるだけだ。そして思い出した。
あの人の……ソレダの姿を。
そうだ。俺は俺の稼ぎ方を選んでやる。
目的が決まれば、煩わしい日課やらキョーイクやらも、俺のための消化タスクへ変容する。吸収して吸収して、時々、脱走して。
俺は自分の人生を歩き始める。
始める場所は、空が見えるところが良かった。エル・マルヘンの、あの曇天の下じゃなくて。どこまでも高い空の下が良かった。そして、自分の目が使える場所。
この土地は、鉱石が採れる。俺の目は、ここでは重宝される。何が価値があって、何がないか、俺にはわかる。社会の危険度は増したし、文化も違う土地だったけど、それがあれば溶け込めた。
ある程度、知り合いやつてを増やして、それから、ギルドを開いた。とはいっても、ちっせー机と俺一人だけの、せせこましいギルドだけど。
ただ、ギルド初日、机の上に煤だらけの分光器が置いてあった。
ソレダのだ、とすぐわかった。誰が置いたのか、知らない。聞かなかった。
しばらくすると、またあいつが現れた。
捨て台詞吐いて、俺を捨てたくせに、と思った。でも何だかんだ、仕事を持ってきてくれる。ならば使ってやるか、と思うことにした。
あれから少しずつ大きくなって、ようやく看板を掲げられるくらいになった。だから今日、引っ越す。
プルセラを、もう一度握る。
ソレダも、クルスも、俺に恩を着せることはしない。二人を思い出すと、半人前のような気分にさせられる。まったく、最悪な親どもだ。
今は、厄介な調査依頼で、あいつ――あンのクソババアは半年近く帰ってきていない。
まっ、無事に帰ってきてくれればいいさ。
まだ返してもらってないものが、山ほどある。
見上げた空は、蒼く透き通っていた。
了




