不法滞在者Ⅲ
ぬるま湯をかぶせたはずだった。
ソレダはとたんに硬直し、なにかを呻きそして大きく震えたかと思った拍子に、そのまま水浸しの床に崩れ落ちた。
「おい!ソレダ!」
声をかけるが、目を見開いたまま呻くばかりで、反応が鈍い。
「おいっ!」
ふざけているわけではなさそうだ。心筋梗塞? いや、胸を押さえるような仕草はなかった。アレルギーか? 水がアレルゲンになる場合も、ごく稀にある。いや、だが、普段の水分摂取は問題なかった。
シャワーを止め、ガタガタと震えが止まらないソレダを起こす。
思ったより軽い。そういえば、さっき腕をつかんだ時も、やたらと細いとは思ったが……。これなら、一人で運べる。
シャワー完成祝いで騒いでいる住人達を横目に、ずぶ濡れのソレダを抱え上げ、寝室まで運ぶ。
今日はいつもより、気温が低い。気化熱がずぶ濡れの肌から体温を奪っていく。寒さに思わず身震いが走った。このままだと、風邪引くな。最近、ソレダの歯軋りがうるさくて、寝不足気味も相まって、体力の戻りが遅いんだよな。今度爺さんに、栄養剤貰うか…小言聞くのめんどーだけど。シャワーの水分を吸い込んで重くなった服を絞る。もう少し、気温の高い日を選べばよかった。
ベッドに横たえて、ブランケットを引っ張る。
ソレダを見ると唇が真っ青だ。ヤベー。服が濡れている。このままじゃ体が冷える。脱がせなきゃ――
布を引っ張った瞬間、あたしは息を呑んだ。
腕に、肩に、胸に。
被搾取者の証が、びっしりと刻まれていた。
数字、バーコード、所有者のマーク。
見たことがある。バーチャルエコノミー圏の外では、珍しくもない。搾取され尽くした人間の体に刻まれたそれと、同じだ。
どれだけの年月、どれだけの場所で、どれだけ搾取されてきたんだ。
――だからか
クソ蒸し暑いここで、頑なに肌をさらさなかったのは
けれど、服は濡れたまま。放置すれば、風邪を引く。
仕方なく、最低限だけ脱がせて、ブランケットをかけた。タオルで髪を拭く。濡れた服を窓辺に干す。
自分の服も、ソレダを運んだ時に濡れていた。
脱いで、同じように干す。
半裸のまま、ベッドの端に腰を下ろした。
窓の外は、相変わらずの曇天。湿った空気が、肌にまとわりつく。
見るべきじゃなかった。
謝った方が――いいんだろうな。
適切な言葉を考えあぐねていると、背後でなにかが動く気配がした。ソレダが起きたのだろう
「その…悪かった」
あたしは背を向けたまま言った。
「あんたが嫌がるのを、軽く捉えてた」
返事はなかった。
代わりに、布団が擦れる音がし、次第に近づいてきた。その音を不審に思い、振り返りかけた瞬間――
「っ!」
細い指が、あたしの首を包み込む。
思ったより、ずっと力がある。気管が圧迫される。
殺される――のか?
反射的にソレダの手首を掴んで、指を引き剥がそうと爪を立てる。すると——力が弱まった。
――え?
首が楽になる。急いで呼吸を整える。
次の瞬間、耳元で低い声が囁いた。黒く塗りつぶされたような、怨嗟の様な呪いの言葉だった。
「お前は、見るべきではなかった。だが、見てしまった。さて——どうしようか」
あたしは、囁くそいつの顔に向かってゆっくりと振り向く。
唇が触れそうな距離。お互いの呼吸が、唇にかかる。
首にかかっているソレダの手が――小刻みに震えている。
顔は蒼白で、瞳孔が開いて、呼吸が浅い。
あたしはソレダの首筋。鎖骨。肩。腕と視点を移動させる。
首にかかった手が、さらに緩み、そして――外れた。
もう、攻撃する気はない。そう判断したあたしは、素早く体を翻し、ソレダの両手首を掴む。反転攻勢だ。
「どうするんだ?」
耳元で囁きかえす。
ソレダの目が、大きく見開かれた。恐怖の色がありありと浮かぶ。
そのままベッドに押し倒す。体重を乗せて、両腕を突いた。
それにしても、いい加減なにか着ないと、こっちが風邪引きそうだ。
顔を近づける。ソレダの瞳に、自分が映る。
耳元で、低く囁いた。
「首を絞めて…それから、どう、するんだ?」
次の瞬間——くらり、とした。
(あ——やべ)
視界が揺れる。体が重い。
支えきれず、そのままソレダの上に倒れ込んだ。
熱い。
体が、燃えるように熱い。
(ヤベ…死にそう…)
意識が、遠のく。
――鋭い刺激を感じて、反射的に目を開けた。
体を動かそうとするが、鉛のように重たく怠い。声を出そうにものどは腫れ上がったように熱い。
「起きたか?」
額に置かれていた手が外される。
鋭い刺激だと思っていたのは、冷たいこの手のことだったらしい。
「…話さなくていい。普段威勢がいい割には、虚弱だな」
口元が湿らさされ、口の中にゆっくり水分が満たされる。
腫れて痛むのどを無理やり嚥下したあたりで、再び意識を手放した。
目を開けた。
天井が見える。
すっかり見慣れた天井だ。天井付近の明り取りの窓は、比較的明るい。
午前中なのかもしれない。
ゆっくりと上体を起こす。頭が少し痛い。
布を潜り抜けて、通路に出る。
「ソレダ、クルス起きてきた!」
ラファの声がした。駆け寄ってくる足音。
「大丈夫? すごい熱だったんだよ?二日も寝てたし」
「……そうだったのか」
作業台の方を見ると、ソレダがこちらを一瞥して、また手元に視線を戻した。
「ソレダ、すっごい心配してたんだよ。クルスが、全然目を覚まさないってさ! だから、俺言ったんだ。クルスみたいな奴はすぐ元気になるってさ!」
ラファが、得意げに胸を張った。
「……そうか。ありがとな」
「えへへ」
(……2日も)
自分の命を、他人に預けることに。
こんなにも抵抗がなくなっている自分に、驚いた。
*
体調が戻ると、ソレダ近辺の情報を探るため、外に出るようになった。
ソレダを訪ねてくる住民に目星をつけて、飲みに誘う。
貧民街の酒場——というより、誰かの小屋の一角に樽が転がってるだけの場所。
「姉ちゃん、強ぇな!」
地元の男が、驚いた顔であたしを見る。
あたしは五杯目を空けた。何杯飲んでも、酔わない。
「ソレダのとこにいる女だろ?」
「あいつ、女置いてんのか。珍しいな」
男たちは、よく喋った。
ソレダは、この辺りで「医者みたいなもん」らしい。
怪我や病気を診る。薬も作る。代わりに、食料や物資を受け取る。
ラファは「ソレダの甥」ということになってるが、誰も本気で信じちゃいない。
「時々、立派な格好した連中が来るだろ?」
「あれ、カルテルだ。ソレダは、あいつらに何か売ってる」
カルテル。この辺りを牛耳ってる連中。
「何をやってんのかは知らねぇ。でも、大金が動いてる」
男達は声を潜めた。
「ソレダは、危ねぇことしてんだよ。いつか殺されるかもな」
*
あたしは再び、エアライドの中にいた。
「お嬢、お顔色が良くなりましたな」
加齢臭爺が、にこやかに言う。
それには応えず、懐から一枚の紙を取り出した。
ソレダのノート――を、こっそり写したものだ。紙のメモですか……これまた珍しいと、嘯きながらジジイはそれを受け取った。
「これ、解読できるか?」
爺は額にかけた、眼鏡を鼻先に下ろし、視線をいそがしくスライドさせる。たるんだ目蓋の肉の奥に隠れていたしょぼくれた瞳が徐々に大きくなっていく。
「貧民街の襤褸小屋で、原始的な機器のみで一人で研究してる」
「鉱物学、結晶学、光学……独学でここまで?」
爺の問いに、肩をすくめて応える。
「お嬢。この人物、何者です?」
「……わからない。でも、使えるなら使いたいんだよな」
爺は、ゆっくりと頷いた。
「ずいぶん御執心なので、爺は少々期待したんですがね…なるほど。なるほど。腐ってもお嬢はお嬢…と。興味深いこの人物と、その人物のメモ。解読してみましょう。少し時間がかかりますが」
「頼む」
ひ孫が見たいだの、体調に気をつけろだの。小言を繰り出す爺を振り切り、襤褸小屋に戻る道すがら、考える。
――エスメラルダと名乗る、女の存在だ。
彼女は突然やってきた。派手で安い香水を振り撒きながら現れた。
エスメラルダ、とソレダが呼んだので名前を知った。
エスメラルダは――地元の連中とは、違う。地元の住民みたいな、卑屈さはない。
旧知、に見えた。二人の間には親しみはないが、遠慮もないやり取りに、寝室から出た通路に隠れて、聞き耳を立てた。が、よく聞こえなかった。
寝起きのふりをして、二人間に割って入ると、彼女はあたしを興味深そうに眺めまわし、ソレダは後ろめたそうな挙動を取った。誰何すると、ソレダの取引相手だという。……例のカルテルか?
ソレダの手前、性急に彼女の正体を暴くのは憚られたンで、話終えたエスメラルダが小屋を出たのを確認し、あとを追った。
「あら」
小屋をでてすぐ真横から、声が聞こえた。振り返ると、挑発的なエメラルド色の瞳とぶつかる。彼女だ。
「※※※※さん、でしたよね?」
この場で聞くとは思わなかった固有名詞に、思わず喉の奥を鳴らしてしまった。
やべー。すっかり油断してた。やっぱりどこかで見た顔だと思ったんだ。因業爺の追っ手か?それだが、あたしの情報を売ったのか?だから、さっき後ろめたそうな顔してたのか?
――いやいや、ソレダがあたしについて知っているわけがない。ふと過った疑念を、振り払う。
自分に繋がりそうな手配書やら、データ通信はすべて監視してる。あいつは知らないはずだ。
「あの方、必死に探してらっしゃるわよ」
あの方――ね。クソ因業爺。何でこの場所がバレた?
エスメラルダは、ゆっくりと近づいてきた。
「取引、しましょう」
「取引ぃ? なんだそれ」
脳内に警戒アラートが鳴り響く。
「ふふ。考えておいて。また来るわ」
具体的なことは明示せず、香水の匂いを残して、エスメラルダは去っていった。
小屋に戻ると、ソレダは作業台で作業に戻っていた。それを横目に、寝室にもどった。
(出ていく日、か)
ふと思う。プルセラを取り返したら、出て行くつもりだった。最初は。
だけど――
小屋に戻って、夕飯だのなんだの一通り済ませ、寝る準備をしていると、ソレダが入ってきた。
「これを着て寝てくれ」と、何かを差し出す。
薄手の布。肩紐がついている。
「……」
よく見ると――ランジェリーだ。
しかも、かなり薄い。……ずいぶん、攻めたモン持ってきたじゃねーか。前回は、ムームーみたいなのを着るように言われて、仕方なく一度だけ着てやったが、結局寝心地が悪かった。それで諦めてくれたと思ってたんだけどなぁ。
「へえ。あたしに、これ着てほしいんだ?」まじかよ、こんなの着ろってか。どんな趣味してンだこいつ?
「ずいぶん挑発的な下着のようですけど?」あたしは、にやりと笑った。
「……!!」
そこでようやく、気が付いたんだろう。この朴念仁は。急に耳まで真っ赤になった。
「ち、違う! そういう意味じゃない! 上裸で寝るなって言ってるだけだ! これを選んだのは、機能性だ!」
声が裏返っている。
「——機能性、ねえ」
あたしは、ゆっくりと距離を詰めて、ソレダを見上げる。
いったい、どこで仕入れてきたんだか。
「ソレダって、こういうのを着る女が好みだったわけ?」
さらに近づく。ソレダの顔が、さらに赤くなる。沸騰しそうだ。
「暑い中でも着られて、寝返り打っても捲れにくくて、それで……その……」
――可愛いなぁ。
普段見ない表情と慌てぶりが楽しくて、つい揶揄っちまったがさすがにこれ以上は、ソレダも限界だろう。まったく仕方がない……
指先だけで、ずいぶんと挑発的な下着を受け取った。
まじかー、これあたしに着ろってか。
「あんまし、趣味じゃねー…んだけど…」
真っ赤だったソレダの表情が、恥ずかしさなのか、怒りなのか赤黒く変色し始めたので、最後の方の言葉は飲み込んだ。
「わかってるって。着りゃいいんだろ」
仕方がないので、着てやる。ずいぶんとフリフリだ。街の外に買い出しに行ったときにでも、買いなおそう。
――あ。いや、そんなことしたら、もっと怒るか?
人の気持ちってのは、測りにくい。
「まったく。過保護だな」
思わず口からこぼれたセリフに、背後で、ソレダがため息をついた。
さてさて、なんか話題変えねーと。不本意なものを着させられているせいか、次から次に悪態が口から溢れ出てきちまう。
「そういやさ」
振り返る。
「ソレダ、夜中の歯ぎしり、結構すげーぞ」
ベッドに体を滑り込ませようとしていたソレダの動きが、止まった。
歯がなくなるんじゃねーかってぐらいにかみしめている夜もあって、少し心配ではあったんだ。
「マウスピース、した方がいいんじゃねーの?」
そう言って、ベッドに潜り込んだ。
背後から、歯ぎしりが聞こえたような——気がした。
*
あたしとソレダは、ソレダの作業台付近で話し込むことが多くなった。
花崗岩のテーブルは、相変わらず地元民で大盛況。
彼らは、あたしらの話が落ち着くのを雑談しながら待っていることが多い。
あたしとしては、ソレダの力量を図りたかった。
もしかしたら、これからいろいろと使い勝手良く、頼めるかもしれないからだ。
渡しっぱなしのバングルも、そのうち解析されるだろう。
時折、こっそり眺めている姿を何度か見かけてる。
解析料払わずに、高度解析してくれるってなら、儲けもんだしな。
気になるといえば、もう一つ。
あの女から依頼されているらしい、鉱物片についてだ。
守秘義務とやらでなかなか見せてもらえなかったが、それでも鉱物片に内包される輝きが異様だということは分かった。
その時――
小屋の扉が、勢いよく開いた。
「ラファが! ラファがさらわれた!」
小汚い子供が、息を切らして叫んだ。




