不法滞在者Ⅰ
クソ憎たらしいガキにバングル(腕輪)を奪われたのは迂闊だった。
元はといえば、地の果てまでも追いかけてきそうなあのクソったれな因業ジジイのせいだ。あの野郎を振り払うために、地図に載るのも諦めたような、名前があるんだかないんだかよくわからん地域まで潜り込まにゃならなかった。辺境民に紛れるために、一カ月、いやもしかしたら一年は洗濯していなさそうな臭ぇ服に身をやつして。ようやく振り切ったと安堵した、その矢先だ。もちろんこんな土地、自分を守るのは自分だけだってのは重々承知だ。それでも、まさかあのバングルを奪われるとは思いもしなかった。
――あンのクソガキ。
なんで気付いた。
道端で売ってた安モンのバングルに、採取したばかりの鉱石を焼き付けておいたんだ。
どっからどう見ても、価値があるようには見えなかったはずだ。そもそもあの鉱石は採取したてで、研磨にもかけてない。価値を分かる奴なんているはずがなかった。
それなら、まだ財布や、他の装飾を奪われる方が納得できる。
ガキはすばしっこく、入り組んだ路地を逃げ回る。地の利はあっちだ。――だが、歴戦の冒険者たるあたしの追尾を振り切れるわけがない。
人なんだか建物なんだか瓦礫なんだか。見分けもつきにくい障害物を軽々とすり抜けるクソガキを追いかけて、辿り着いたのは小高い丘の上の掘立小屋だった。廃墟の残骸に半分埋もれるようにして、辛うじて立っている。――ガキの家か?
飛び込むように入っていった崩れかけの小屋に入ると、埃だらけの棚の隙間に、ガキを見つけた。
ガキはこちらに背を向けている。好機とばかりに腕を伸ばし、ガキをようやく捉えた。
「おい、ガキんちょ。それはお前のものじゃねーんだ」
「××××!」
ガキの言葉は訛りがひどくて、聴き取れない。が、聞き入れてやる必要もないので、ガキの左手にあるバングルに手を伸ばす。
年は、7~8歳くらいだろうか。いや、栄養状態を考えると、年齢はもう少し上かもしれない。
細い腕を力の限り振り回すので、取り返そうにも、なかなか手ごわい。
暴れるガキを取り押さえようと四苦八苦していて気づいた、このガキはちょいちょい部屋の奥に視線を送っている。
部屋の奥には壁に穴をあけただけの、窓のようなものがある。
曇天でもそこから外の光が差し込み、室内全体の光源になっていた。
あれを窓と呼ぶならば、その下に大きな机が一つ。
「っ!」
驚いて、思わずガキから手を放してしまった。
大きな机の奥に大きく黒い影がゆらりと動いたように見えたからだ。
人間大の黒い影。――は、人間?
ガキは一目散に影に向かって行く。なに事か会話を交わした後、手に持っていたバングルを影に渡して、別の窓(壁に穴が開いているだけ)から外に飛び出していった。飛び出したと思いきや、こちらを見るなり不敵な笑みを浮かべていたのを見逃さなかった。
あンのやろー
ガキからバングルを渡された影は、興味なさそうにそれを眺めている。
とにかく、人間なら話は通じるだろう。ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込みながら、影へ歩み寄る。
「返せ」
——現地の言葉に切り替える。果たして通じているのかどうか。影が持つ腕輪を指さし、その後右手を突き出し、返すようにジェスチャーも交えた。
「コトワる。××売買デ手ニ入れた。カエサナイ」
はぁ?なんだって?売買で手に入れた?いつだ? ガキから手渡されただけだろうが!
「それは、あたしンだ!返せ!」
子供ならずも、大人にも話が通じないのであれば、実力行使が一番だ。影に一気に近づきバングルを持つ手首の急所を押さえる。手慣れた動作だ。案の定、バングルが地面に落ちた。すかさず拾い上げようと身をかがめた、その瞬間——胸に強い衝撃を感じ、息が止まった。
なんだ?何があった?
理解する間もなく、体勢を支えきれずに地面に這いつくばる。手を伸ばせばすぐそこにあるバングルは、いまいましい影に手の届かないところへ遠ざけられちまった。
影は少し楽しそうに、耳元に口を寄せて「…ビエンベニードス ア エル マルヘン」と囁いた。
――くそっ
徹頭徹尾、ツイてない。
衝撃で固まった筋肉を、ゆっくりさすりながら緩めていく。ひきつったまままとまっていた呼吸をゆるゆると吐き出す。焦っても仕方がない。呼吸が安定するまで地べたに這いつくばった。
さて、落ち着いたらどうしようか。相手もこの貧民街で「大人」に成れた輩だ。一筋縄ではいくまい。だがあれを奪われる訳にはいかない。残念だが、この町の流儀に従った方法をとるしかないか……
――相手が死んだと錯覚しさえすればいい
小指のネイルに仕込んだデットリンク(AAA:冒険家認定評議会 の技術部に無理やり改造させた、非殺傷型対人鎮圧電磁パルス器。)に触れ起動させる。あとは、あの忌々しい影の側頸部もしくは、鎖骨辺りに触れれば、一瞬で墜とせる。
呼吸を整え、相手を警戒させないよう、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がりしな、窓もどきの下に置かれた机を見た。
——自然光用に組みなおした分光器だと?こんな場所に?
これは、研究者の机だ。
黒く鈍い金属フレームに、レンズとプリズムが無駄のない配置で固定されている。電源コードは見当たらない。窓から差し込む午後の光が、細いスリットを通って内部に吸い込まれ、装置の奥でわずかに色を変えていた。
その脇には、加工途中の鉱石がいくつか並べられていた。
切断面は異様なほど滑らかで、透明度が高い。
――結晶の内部に、微細な筋が走っている…?
既知の鉱物に似ているようで、どれとも違う。高純度なのか、そもそも未知の成分なのか、判断がつかない。
鉱石のそばには、開いたままのノート。
びっしりと書き込まれた数値と図解、波長ごとのピークを示す細いグラフ線。その中に、何度も書き直された異常値がある。同じ波長域に、ありえないほど鋭い反応が繰り返し現れていた。偶然ではない。再現性がある。
机の端には、小さな化学瓶が整然と並んでいる。
ラベルはないが、中身は用途で分かる。溶媒、洗浄液、表面をわずかに削るためのエッチング剤。使われた順番まで、配置で読み取れた。
――これは…
起動していたデットリンクをオフにする。
そして、いつまでたっても光の下に出でこない黒い影に向き直る。
「それを返すまで、ここに居させてもらう。持久戦だ」




