「第24話」
かつて、魔法の黄金時代と呼ばれていた頃があった。
レイゲルは、聖女が活躍していたというその時代に強い関心を持っているようだった。
「全部、本当の話だ。今じゃ特定の地域にたまに現れるくらいだが、当時は魔物の出没なんて日常茶飯事だったからな」
「でも、神官たちのやることって、せいぜい怪我を治すくらいじゃないですか。そんな程度の神聖力で、魔物を本当に消せるのかって思っても……もちろん、大したことないって言いたいのではないです」
「伊達に聖女と呼ばれていたわけじゃない」
他の者たちと同じ程度の神聖力しか持っていなかったのなら、あれほど人々に称えられることもなかっただろう。
ずいぶん昔の話になったな。
記憶が薄れてもおかしくないほどの時間が流れたというのに、その光景は今も鮮やかに残っていた。あの頃は一日と空けずに魔物が人々を襲っていた。魔物が放つ濃密な魔気に空は覆われ、地上には陽の光さえ届かず、あちこちから誰のものとも知れぬ血の匂いが漂っていた。捕食者である魔物たちの咆哮と、生き延びようとする人々の悲鳴。文明がもっとも輝いていた時代であると同時に、絶望が満ちた暗黒の時代でもあった。そのふたつの時代がひとつに重なり、混沌に満ちた時代。
――そのすべてを、聖女が終わらせた。
「念のために言っておくが、魔物が全部いなくなったわけじゃない。今でも、普通にうろついているからな」
「わかってます。ただ、そう言っただけです」
魔物は完全に消えたわけではないが、その数が目に見えて減ったのは確かだった。それは今でも、聖女の神聖力が王国を守っていたからだ。だからこそ、今もなお称賛の声が途絶えることがなく響いているのだろう。
どれだけすごいって言っても万能ではないんだが。
この事実を知っている者が果たしてどれだけいるだろう。一方、レイゲルは気まずそうに頭をかきながら、ちらちらとこちらをうかがってきた。慎重になっているようにも見える態度だった。何か言いたいものでもあるのか。
「これ、別に僕が思ってるわけじゃなくて……本とか、皆が言ってることをそのまま言ってみただけです」
「ぐずぐずせずに言ってみろ」
レイゲルは頬を指でかりかり掻きながら、やや間を置いてから言った。
「……聖女を倒すために魔物を呼び出したって聞いてます。でも、結局は聖女が勝ったって」
「ああ、そう記録されている」
どの書物にも、一字一句違わずそう記されていた。
――眩いほどに美しく、誰からも愛された聖女を妬んだ魔女が、彼女を殺すため魔物を呼び出した、と。
「君はどう思うか」
問いかけると、レイゲルはしばし黙り込んだ。
「僕も、最初はそう思ってたんですけど……今は違うと思います」
「そうか」
「だって師匠、何もできないじゃないですか」
「……なんだと?」
一瞬、頭の中が真っ白になった。さっきまで見せていた遠慮がちな態度は、すべて演技だったのか?レイゲルはそこから言葉を遠慮なく、ぽんぽんと投げつけてきた。
「狩りもできないし、かといって身のこなしがいいわけでもないし、師匠って、めちゃくちゃ鈍いじゃないですか。だったらせめて家事くらい得意かと思ったのに、それもダメだし、ご飯はまずいし、裁縫もできないし、髪だって僕が結んであげてるじゃないですか」
「……」
次から次へと遠慮なしに繰り出される言葉に、何も言い返せなかった。しかも、悪意がなかった分だけ、余計にダメージが大きかった。
「魔女なら魔法くらい使えると思ってたけど、それも全然できないし。唯一ちょっと誇れるのって、薬草の見分けと調薬くらい?魔女らしさが皆無っていうか……ちょっと似合わない気がしませんか?」
「……もうよせ」
羞恥か、それとも別の感情か、自分でもよくわからないものが込み上げてきた。こめかみがずきずきと痛み始め、左手で額を押さえながら、右手をレイゲルに向かってひらひらと振り、『もうやめろ』と言わんばかりに合図した。だが、当の本人はまるで気づかないふりだった。
「むしろ、師匠の目を隠してる布を作ったっていう師匠の友達の方が、よっぽど魔女っぽいですよ。魔法も使えたって言ってたし、この森を迷宮みたいにしたのもその人だっと言ってくれたんじゃないですか」
気がつくと、レイゲルが私の昔の友人のことを口にしていた。少年は何か引っかかるものがあったのか、そこで言葉を止めて顎に手を当て、しばし考え込んだ。
「もしかして……その人が本当の魔女じゃないですか?」
提示された手がかりだけ見れば、そう結論づけるのも無理はなかった。だが、違った。私はゆっくり首を横に振った。
「違う」
「どうしてですか?師匠は魔女でしょう。その人は師匠の友達ですし。むしろ、そっちのほうが魔女っぽいなんですけど」
「馬鹿げたことを言うな。私が魔女だからといって、友人まで魔女だというのか?それなら、君は私の弟子だから君も魔女だというつもりか?」
「……そうですね」
レイゲルは、自分でも変なことを言ったと思ったのか、照れ隠しのように小さく咳払いをした。私はこの子を見つめながら、続けた。
「それに、あいつのことをそんな風に言うな。彼は魔女みたいなちっぽけな存在じゃないからさ」
「ちっぽけってなんて……師匠はちっぽけなんかじゃないんですっ!」
レイゲルがムッとしたように言い返してきた。この場面でそんなことを言うとは。思いもよらない言葉に、私の目が丸くなった。思わず口元がゆるみ、ふっと笑みがこぼれた。手を伸ばし、小さい子の頭をそっと撫でた。
「なるほど。師匠としての敬意は一応あるってことか」
「た、ただ言葉のあやですっ!」
レイゲルは顔を真っ赤にしてそっぽを向き、撫でられる頭を振って手を振り払おうとした。だが、もう耳の先まで真っ赤に染まっていた後だった。
「そ、それより、さっきから『彼』って言ってますけど……その友達って、男の人でしたか?」
無理やり話題を逸らそうとしているのが明らかな口調だった。私はレイゲルの頭から手を下ろし、口を開いた。
「女か男かなんて、君とは何の関係がないんだが……しかも、もうとっくにこの世にいない者だ」
「それでもです!」
よくわからないが、レイゲルにとっては重要な部分らしい。不思議には思ったが、隠すほどのことでもないので、素直に答えることにした。
「女とも言えるし、男とも言える。うーん、曖昧だったな。いわゆる両性ってやつから。まあ、普段は男の姿でいることが多かったけど」
「はい?」
レイゲルが眉間にしわを寄せて聞き返した。何をわけのわからないことを言ってるんだと、呆れた顔だった。
「君が性別を聞いたんじゃないか」
「女なら女、男なら男でしょう。両性ってなんですか?女でもあり男でもあるって、それどこが人間なんですか?そもそも人間でありますか?」
「違う」
「ですよね。人間じゃ――……え?」
すんなり肯定した私の言葉に、レイゲルはうなずきながら返答しかけ……途中で固まった。いつもは利口な子が、ぽかんとした顔をしていると新鮮だった。
「人間じゃ、ないんですと?」




