「第18話」
それから一週間ほどの時が過ぎた。
かつてはぎこちなかったレイゲルの手つきも、今ではすっかり洗練されていた。どこから見ても非の打ち所がないほど、髪がきれいに結び上げられるようになった。いつの間にか、夜明けに目覚めては鏡台の前に座るのが日課になっていた。
「結べました」
「ご苦労だった」
一日の始まりは、髪を結び終えてからようやく始まった。ぴしりと髪が整っていると、やはり動きやすかった。
――それでだろうか。時間さえあれば何でもそつなくこなすレイゲルを見るたびにひとつの思いが胸をよぎるようになった。
このままでいいのかな。
何も教えてこなかったわけではない。薬草の見分け方から薬の調合まで、生きていく上で必要な知識はできる限り伝えてきた。けれど、それはあくまで――今の私の暮らしと結びついた常識にすぎなかった。とはいえ、レイゲルがいつまでもここにとどまる子ではないことも分かっていた。まだその時ではないけれど、いつかはこの場所を離れていくのだろう。私とは違って、人々の中で生きていく子。平民ではなく、貴族としての人生を歩んでいく子。ひとつ教えれば、いくつも理解する賢い子。
……だからこそ、もったいなく感じたのかもしれなかった。後々使うこともないであろう知識ばかり詰め込んで、肝心の『貴族として生きていく術』については、口にしたことすらなかったのだから。はたして、私は大人として正しいあり方をしているのだろうかと考えてしまう。
……これだからいけなかったのに。
そもそも、レイゲルを受け入れなければ悩む必要などなかった。こうなると分かっていたのに迎え入れた私も、たいがい大したものだ。もうこんな思いに至った時点で、手遅れなのだろう。短くため息をついた。
……教えてあげないとね。
まずは、村から戻ってきてから。私はこれまで調合した薬をひとつずつ籠に詰めた。
「ん? 師匠、出かけるんですか?」
「家に空間もないのに、毎日作ってる薬がどこに消えると思っているんだ?すぐ戻るから、頼んだことはしっかりやりなさい。」
レイゲルがこの地に来てから、すでに一月あまりが経った。つまり、この子を探して村を歩き回っていたベニアサの騎士たちも、そろそろ元の場所へ戻る頃合いになった。
「僕も行きたいです!」
『村に行く』という言葉を逃さず聞き取ったのか、レイゲルが身を乗り出してきた。その様子を私はじっと見下ろした。陽光を受けて煌めく金の髪、深く澄んだ蒼の瞳。しかも、子どもとは思えぬくっきりと整った顔立ち。外見はきちんとしているどころか、眩しいほどに華やかなのに、新しい服を用意する余裕がまだなく、着ているものはどこかみすぼらしかった。そんな姿の子を連れて町を歩けると?
――できるわけがなかった。
「次に」
即座に却下した。わざわざ目立つような子を連れて歩くつもりはなかった。せめて、新しい服を着せてから考えるべき話だった。
「どうしてですか?」
「私が嫌だからだ」
「僕は行きたいです」
「だから、どうした?」
冷ややかな口調に、レイゲルは唇を尖らせた。そうやって拗ねてみせても、無駄だった。
「私の言うことが聞けぬなら、今すぐ出て行けばいい」
「……」
この一言を口にすれば、レイゲルは決まって口をつぐむ。そのため、この子が駄々をこねるときは、いつもこうやってたしなめるようにしていた。
――ここが慣れてしまったのだろうか。そう思うたび、彼の反応に胸の内がほんの少し、痛んだ。
「じゃあ、行ってくる」
フードを頭からすっぽりとかぶり、私は村へと向かった。
***
カラン。
村に着いて、最初に訪れたのはいつも立ち寄る薬屋だった。
「いらっしゃいませー」
「元気にしていたか」
「もちろんです。おかげさまで、商売も順調です」
「それはよかったな」
店主がにこやかに迎えてくれた。私はそのままカウンターへ歩み寄り、持ってきた薬瓶をひとつずつ並べた。
「前に来たときは、ベニアサの騎士たちで大変そうだったが……今は落ち着いているようだな」
「ええ、あのときは本当に大騒ぎでしたけど……数日前に、全員一斉に引き上げて行きましたよ」
「そうか」
どうりで、街を歩く人が増えたと思った。日常が戻ってきたということであれば、喜ばしいことだ。
「ようやく、気兼ねせずに外を歩けるな」「そうですね。……そういえば、聞きましたか?」
一度言ってみろというように、店主をちらりと見やった。すると、彼は身を乗り出して、小さくささやいた。
「前にベニアサの騎士たちが探していた人、どうやら魔女の森に入ったって話があったらしいんです。それを聞きつけて、数人が森に入ったとかそうです」
そんなことがあったか。ずっと森の奥で静かに過ごしていた間、ベニアサの騎士どころか、彼らの紋章すら見かけなかった。ということは――結果は見えていた。
全員、死んだかも。
どうやら中で迷ってしまって、私でも普段は入らないようなところまで行ってしまったようだ。
「一週間経っても誰も戻ってこなかったそうですし、森から出てきた人も見かけなかったとか。だから、あの件が原因で撤退したんじゃないかって思われてます」
「なるほど」
納得のいく話だった。彼らも騎士だったのだから、何も考えていなかったわけではないだろう。余計な痕跡も残さず、すっぱりと引き上げたのを見るに、森に入ったレイゲルが死んだと判断したに違いない。
――半分は正解で、半分は間違いだったが。レイゲルの運が良かったとしか言いようがなかった。
「三十本、ぴったりですね。こちらが報酬です。感謝の気持ちをたっぷり詰めておきました」
店主が、カウンターの上に布の袋を置いた。中からは、ちゃりんちゃりんと心地よい金属の音がした。紐を解いて中を覗くと、期待通りの銀貨が入っていた。
「この辺りに、子ども向けの服を扱ってる良い店があれば紹介してほしいのだが」
「子ども服ですね。何歳くらいですか?」
「八歳」
レイゲルは同年代の子どもより背が高めだったので、年齢を少し上に言った。
「ご親戚のお子さんにプレゼントですか?」
「いや。最近、弟子を取ってな」
「おおっ、弟子ですか?」
店主は興味津々の様子で身を乗り出してきた。今まで一人で薬を売っていた私が弟子を取ったという話は、彼にとって面白かったのかもしれない。あえてレイゲルのことを話題に出しておいた。いわば、事前の根回しだ。
――その方が、後日レイゲルが村に現れても、余計な騒ぎにならずに済むだろう。いきなりぽんと現れるよりも、『ああ、あの弟子さんか』と自然に受け入れてもらえるのが楽だった。この店主なら、うまくそれとなく噂を広めてくれるはずだった。口は軽いが、人間そのものは軽くない。信頼できる相手だった。
「どこから連れてきたんですか?」
レイゲルに関する問いに、店主の顔はただの素朴な好奇心しか浮かんでいなかった。




