「第17話」
俺の年齢……か。
ふっと笑いが漏れた。口元は緩んだものの、その笑みは心からのものではなかった。胸の奥にじわりと滲むような、何とも言えないほろ苦さがふわりと湧き上がった。
「さあな」
『生きるだけ生きた』という言葉すら、遥かに通り越すほどの長い時を生きてきた。今さら年齢を明かすのが恥ずかしいとか、そんな段階はとっくに過ぎ去っていた。むしろ、そういう感覚そのものがとうに失われていた。一つ一つを問いただすには、あまりにもその段階から遠く離れすぎてしまったから。
「百歳まではそれなりに真面目に数えていた気がするが、そのあとはもう分からなくなったな」
最初の頃は、誕生日も祝ってたし、年齢もちゃんと数えてた。だが、やがて気づいてしまった。数えたところで、そこに意味などないと。老いることも、死ぬこともない身体なのだから。それを自覚してからは、歳を数えるという思考すら手放してしまった。覚えているのは、百まで数えたところでやめたという事実だけだった。
「君が誰を連れて来ようと、私より年上の者などこの世にはおらん」
「師匠について書かれた本を読んだことがあって、何となく予想はしたんですけど……やっぱり、かなり重ねているんですね」
「私について書かれている本、か……」
その言葉に少しだけ興味が湧いた。
「まあ、これだけ時が流れれば、私のことを書いた書物も色々と出回っているのだろう」
どれほどの数があるのか、想像もつかなかった。最初のうちは好奇心があって何冊か手に取ったこともあったが、今ではもう目を通すこともなくなった。どれも内容が判を押したように似たり寄ったりだったからだ。
「読む価値はあったか?」
「それは……」
レイゲルは言葉を濁した。その反応だけで十分だった。沈黙に宿る意味は、痛いほど伝わってきたからだ。
「昔も今も、相変わらずだな」
いや、むしろ今の方がひどい内容で書かれているのかもしれない。悪名というものは、時が経てば経つほど強固になり、色濃く残るものだからだ。私を中心に起きた出来事など、数え切れないほどあった。意図的であろうと、意図的でなかろうと。今となっては、すべてがただの遠い記憶だ。長く生きてきた分だけ、感情も擦れて鈍くなった。だからこそ、淡々と語れるのだ。まるで他人事のように。実際、それくらいの軽さで話した。
――だが。俺の髪をいじっていたレイゲルの手の動きが、徐々に緩やかになっていくのがわかった。そわそわと動いていた指先が、次第に止まりかけていた。
「別に君のことが書かれているわけでもないのに、何をそんなに落ち込んでいるのかしら」
「だって……」
レイゲルはただためらうばかりで、はっきりと言葉にしなかった。
「なるほど。付き合いも長くなってきたし、私のことはもうわかってきた――そう思っているのか?」
「……」
なんとも傲慢な考えだった。同時に、そんな私を普通に見てくれるその姿勢に、感謝の気持ちが湧いた。だが、その感情がいつまで続くかはわからない。いつだって油断は禁物だった。
「手が止まっているな。結んでくれると言ったのに、このままでは日が暮れてしまうぞ」
「むっ、結びます!」
レイゲルが少し語気を強めて言い放つと、勢いよく私の髪を引っ張った。その反動で、ぐいっと首が後ろに倒れた。
「意地悪な」
でも、話題が変わることで、ぎこちなかった雰囲気が少し和らいだように思えた。
「できました」
しばらくの沈黙の後、背後からレイゲルの声が聞こえた。どれ、と思いながら鏡を覗き込んでみた。
「……やっぱり雑だな」
手に収まりきらないと言っていた通り、髪はあちこち飛び出しているし、結び目は頼りなく垂れ下がっていた。予想していた結果だった。
「師匠よりはマシです」
「まあ、このまま歩き回っても悪くはないかもしれないな」
他人が私の髪を結んでくれたのが、どれほどぶりだろうか。最後にそれがあったのがいつだったのか――それすら思い出せないほど、遠くかすんだ記憶だった。だからこそだろうか。なぜか、懐かしさを感じた。背後からぼやき続けるレイゲルの声を聞きながら、そっと手をのばして結び目に触れた。結ばれた部分には、ところどころ髪が挟まっていた。小さな子の不器用さの証。
「……」
滑らかではない、いびつな感触。だが、悪くない。そう思えた。
「その格好で出かけるつもりですか?」
「そのつもりだが?」
「ダメです!」
レイゲルは、自分で結んでおいたくせに、どこか気に入らなかったのか、ひもを勢いよく引っぱった。もともとしっかり固定されていなかったせいで、すぐにほどけてしまった。せっかく結んだ髪は、無防備にばさりと落ちてしまった。
……いったい何がしたいのか。こんなことになるなら何のために時間をかけてまで結んであげたのか、わからなくなる。
「見ててください!必ずちゃんと結んでみせますから!」
自分ひとりで怒って、自分ひとりで決意を固める。どうやら、変なところで闘志に火がついたみたいだった。
……何だろう。
そう思いながらも、気づけば私の指先に自然と力がこもっていた。垂れ落ちた髪の間を、そっと撫でた。髪から消えてしまった、あの結び目の温もり。そのわずかな感触が、指先からじんわりと伝わってきた。
――この感じ。本当に、久しぶりだった。
緩めてはいけない。
注意しなければならず、警戒しなければならない。
心が、崩れないように。




