「第16話」
髪を結んであげるって?
……私の髪を?誰が?君が?まさか、その言葉がレイゲルの口から出てくるとは思っていなかった。もちろん、今までに自分で何とかしようと試みたことはあった。だが、その何とかに私の髪まで含まれるとは考えもしなかった。
「地面に引きずって歩くよりマシでしょう」
「長いのは認めるけど、引きずるっていうのはちょっと……」
「間違ってるわけじゃないでしょう」
レイゲルは肩をすくめ、堂々とした表情を浮かべていた。
――はぁ。
付き合いがどれほどになるとも言えぬのに、口から出るのは遠慮なしの言葉ばかりだ。
「結びましょうか?」
「君の髪でもないのに、なぜそんなに気にするのか」
楽なのも私、苦しいのも私――それだけのことだった。レイゲルとは一切関係なかった。
「えっと、それは……」
レイゲルは視線をそらした。何と言えばいいのか分からない、とでも言うように、目をきょろきょろとさせていた。
……ただ、深く考えてなかっただけか。
ふぅ、とひとつ息を吐いた。いちいち理由を求めようとした自分が、なんだか馬鹿らしく思えてきた。いろんなことを経験してきたせいか、それがすっかり癖になってしまっていたらしい。もういい――そう告げようとした。その時だった。レイゲルが、ぽつりと呟いた。
「気になるんです、僕が」
「いっそ聞かないほうがよかったな」
数ある言葉の中で、選んだのがそれか。
「いや、だから、その、悪い意味ではないです」
「さぞかし、そうなんだろうな」
本人も何かおかしいと感じたのだろうか。もごもごと口を動かしながら、弁解ともつかぬ言葉を重ねていた。
――残念ながら、その声は私の心には届かなかったけれど。
「違うのに……そうじゃないのに……」
片耳で聞いて、もう片方の耳から流したような雰囲気を察したみたいだ。レイゲルは小さく呟いながら肩をしょんぼりと落とした。
――私の髪なのに。
このまま放っておいたら、存在しない穴まで掘りかねない勢いだった。
「もういい。そんなに気になるなら、一度結んでみろ」
気のない様子で言い放つと、レイゲルはぴくりと耳を動かし、顔を弾かれたように上げた。少年はまばたきをしながら、聞き間違いではないかと戸惑っていた。
「ちゃんと聞こえただろう。二度は言わん」
そう付け加えると、レイゲルの顔がぱっと明るくなった。小さくスキップするような足取りで駆け寄ってくるその様子は、まるで喜びを隠しきれない子犬のようだった。
「紐はどこにありますか?」
「ベッドの横にある引き出しを適当に開けて探せば、見つかるはずだ」
ガラガラ。
レイゲルが引き出しを開けた。手を突っ込んでごそごそと探り、長い眠りについていた一本の黒い紐を見つけた。
「これも黒ですね」
「無難だからな」
「髪の色を隠すってのは言い訳で、本当は黒が好きなんじゃないですか?」
「勝手に思いなさい」
必要なものを手に入れたレイゲルは、再び私の元へ戻ってきた。髪を結びやすいよう、近くのスツールを引いて腰を下ろした。
「えっと、じゃあ……始めます」
声の語尾がほんの少し震えた。あれだけ自信満々に言っておきながら、やけに緊張しているようだった。
――まぁ、これも初めてなんだろう。
レイゲルが『自分でやる』と言ったことに、初めてじゃないものなんて一つもなかった。当然だった。貴族としてはやる必要のないことを、ここでは山ほどやらされることになったからだ。唯一まともにしていたのは剣術くらい。だが、私には剣のことなどよく分からぬゆえ、結局一人で稽古するしかなかった。放っておいてもよくやっているとは思うが。話が少し逸れてしまったけれど、結局言いたかったのは、今『髪を結んであげる』と言われても、あまり期待はしていなかったということだ。ぐちゃぐちゃになっても構わなかった。どうせ、紐を解けば元通りになるのだから。
「すごく……柔らかいですね」
レイゲルが、感嘆の声を漏らした。何か特別なものにでも触れているわけでもないのに。
「香油とか塗ってるのを見たことないのに」
「手入れする理由も必要もないからな」
レイゲルは何やら一人でぶつぶつと呟いていたが、すぐ黙った。前後に動く櫛の感触だけが残った。どうやら集中し始めたようだった。不器用な手つきながら、懸命に手を動かすその様子は、悪くなかった。私は静かに座っていた。どんなふうに仕上げるのか、少し気になってきたころ――
「師匠、髪の量が多いです」
「君もな」
「片手に全部握れません」
「適当にやってみろ」
まだ幼いから手が小さいのだろう。かなり苦戦しているようだった。
「それに、重いです。師匠、頭重たくないんですか?」
「別に、そう思ったことはないけど」
「生まれたときから、こんなに長かったとか……?」
「まさか。私が魔女だからといって、生まれたときからこの姿だったとでも思っているのか?私にも幼い頃はあった。その頃は、今よりも短かったし」
当時は、身分が高いほど女性の髪は長かった。髪の長さが自分の地位を示す時代だった。時の流れとともに、私も髪を伸ばした。そして滅多に切ることもなかった結果、今に至った。
――もし長生きすることを知っていたなら、ばっさり切っていたかしら。
今は文化が大きく変わり、身分に関係なく自由に髪を飾って歩いているのだから。
「師匠にも、子どもの頃が ありましたか?」
「何でも言うのだな」
そういう何気ない一言を聞くたびに、まだ子どもにすぎないと実感する。
……それとは別に、少し癪に障る気持ちもあるが。
「師匠って長生きしてますよね」
「まぁ、そうだな」
「何歳なのか聞いてもいいですか?」




