mission76 急なお宅訪問にも対応せよ!
前回のあらすじ。
みけを振ろうと思ったらなんやかんやあって、逃げたら桐生が家に襲来した。
「粗茶ですが……」
「ありがとう、いただきます」
初手でレモン水が出てくる桐生家とは違い、煎茶の準備も特になかった我が家は普通に麦茶を出した。案外美味しそうに飲んでくれる。
「……で、話って。なんだよ」
桐生すみれがこの家に来るのは初めてだ。普通なら学校で話せばいいようなことだし、俺も太郎もこの家の場所は教えていない。何やら地図を見ながら来たようだから、火急の用件でもあったのだろうか。
「その、もしかして。また、かまいたちとか」
「ううん、あれはほーちゃんがなんとかしてくれたもの。もう大丈夫だよ」
違うのか。桐生の体に傷がつくくらいのアレなら、火急の用件にあたると思ったんだけど。
「あのね。ほーちゃんに用事があったんだけど、最近なかなか話ができないから」
言われてみれば確かに……桐生のバッドエンドルートを回避してからは、委員長こと綴原と話したり、今日の昼休みはなぜか箱森に捕まったりと、話す機会はそんなになかったかもしれない。
「今度の土曜日のことだから、どうしても話したくて。先生にお家の場所聞いちゃったんだ。ごめんね」
「まあ……別に、いいけど」
箱森の墓参りイベントは日曜日だから、土曜日は何もないか。
しかし、攻略が終わったキャラのイベントが多いな。
「なんかあるのか、土曜日」
「あのね、水族館でその日だけ特別なイルカショーがあるんだって!」
桐生の声が弾んだ。好きなのか、イルカ。
「チケット2枚あるから、行きたいなって思ったんだ。予定、どう?」
「ああ、別に予定はないから、ドラゴンも一緒に――」
いつものとおり、太郎も誘おうとして。
そのチケットの枚数に気づいた。
「2枚か」
「うん、だから」
桐生が、足を崩した。痺れでもしたのだろうか。
つられて動くスカート、動く足先。それをなんとなく見て、視線を戻せば。こちらを見ていた桐生と、視線が絡んだ。
「ほーちゃんと、二人で行けたらって。思って」
その言葉に、意味があるのかは分からない。
家まで訪ねてきて、特別なイベントに一緒に行きたいという桐生のその言葉に。含まれた意味なんて。
「俺は――――」
言おうとして、足の間に挟まれた桐生の手が、震えていることに気づいた。
この前まで、人と上手く関われていなくて。小さい頃1日出会っただけの俺や太郎に縋った桐生が、今どんな気持ちで誘っているか、なんて。
「……いいよ。一緒に行くか」
「うん……うん! 一緒に、行こう! やった、よかったぁ」
言って笑う桐生は、余程安心したのか。そのまま立ち上がろうとしてバランスを崩し。
「ぁ――――――」
痺れて、いたのかもしれない。上手く立てなかった桐生は、前のめりに倒れてきて。
それを支えようとして手を伸ばして、なんとか抱き留めたものの、勢いに押されて床に押し倒される。
「……大丈夫か、桐生」
「うん……」
その振動でか、本が一冊落ちてきて頭に当たった。
「痛って……」
「ご、ごめんねっ! ほーちゃん、大丈夫?」
桐生が本をどけてくれ、改めてそちらを見ると。
近かった――――すごく。
なかなか、こんな距離で人の顔を見たことはなくて。桐生の吐息が、そのまま感じられて。
桐生の瞳の中に、映る自分から。妙に、目が離せない。
「ほーちゃん」
背中まである桐生の髪が、滑り落ちてくる。腕にかかるとこそばゆいそれは、ひどく柔らかくて。もっ――触れたくなる。
「……もう少しだけ、こうしていても、いい?」
返事を聞く前に、桐生は俺の胸に顔を埋めた。
嫌なら、引き剥がせということか……酷な選択肢を、与えてくれる。
背に置いたままの手も、絡む足も、そのままに。もう少しだけ、がいつまでかも分からず。動くこともできなくて。そのまま――――。
「温かいね」
もう、夏だから。暑いはずなのに。
「すごく、温かい」
汗だってかいているのに、そんなことを、桐生は一言も言わずに。
しばらく、そうして。
「ほーちゃんは………」
その先の、言葉は聞こえなかったふりをして。
そんな俺の胸に、一度だけ顔を擦り付けて。桐生は、体を起こした。
「ごめんね、痛くなかった?」
「まあ……本が痛かったくらいだ」
「頭にあたっちゃったもんね。たんこぶとかできてない?」
何の気なしに頭に触れられて、本が当たったあたりが優しく撫でられた。
「……柔らかいね、髪」
何度か。もう、たんこぶなんてないことくらい分かっているはずなのに。そのまま、手は往復して。柔らかく微笑む桐生が、なんだか眩しくて。そのまま手を伸ばした。
「お前だって……」
先ほどから何度も当たっていた髪を。頭から背中まで手を滑らせて、撫でる。一度も引っ掛かることなく指の間をすり抜けていくその感触が、ひどく心地良かった。
「あ、あの……ほーちゃん」
ぼんやりと髪を眺めていたので気づかなかったが、桐生はゆでだこのように頬以外も全て赤みが差している。ヤバい。調子に乗ってしまったかもしれない。
「これは。そのっ! ちょっと、限界というか」
「俺の触るのは平気だったのに……?」
「わ、私のは駄目なのっ! もう、なんかもうすごく駄目になっちゃうの!」
そんな不公平なことがあるのか……宮藤は平気だったのに。いそいそと帰り支度を始めた桐生は、ちらちらとこちらを伺って。
「帰るん、だけどね」
「ああ……気をつけて」
「うん、そうなんだけど……あのね」
改めて向かい合った桐生は、右手で髪をいじりながら。身長差的にどうしても上目遣いになりながら、口を開く。
「帰る前に、もう一回だけ……試してもらってもいい?」
「…………何を?」
「その……駄目になっちゃうか、どうか」
先ほどそう言っていたはずなのに、どうしてそんなお試し行為が必要なのか。
「……一回、試せばいいのか?」
「えっと……できたら、3回くらい?」
なんでだよ。と、思った言葉は喉奥に留めて。
瞳を閉じて、頬を染めている桐生から目を逸らして。こちらも目を閉じて、開けて。
言われたとおり3回。先ほどと同じように桐生を撫でた。
「……ご感想は?」
「うん……なかなかでした」
そうして、帰る桐生を見送った後。感触がまだ残る手を握って、それを消すように力を込めた。
多分……桐生は、死んだ母親に撫でられたことでも思い出したんだろう。だから、何回も。きっと、そうだ。そうじゃないと。
『ほーちゃんは……恋愛、しないの?』
桐生からの質問への答えだって。
きっと。
決まっているはずのそれは、
噛み締めた口から出てくることはなかった。
お読みいただきありがとうございました!




