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王平伝演義  作者: 阿雄太朗
蜀軍の王平
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演習戦、対馬謖

 南征軍を編成するための、大規模軍事演習の日がやってきた。

 王平はいつもの百に四百を加えられ、成都郊外の戦場予定地を進んでいた。率いる五百は徒歩で、王平のみが騎乗だ。相手は同数の馬謖。演習が始まる前に、蔣琬が上手くやれよと言うようなしたり顔で伝えてきた。

 遭遇戦を想定した演習で、双方に互いの位置は知らされていない。不意な戦闘になるため綿密な作戦を立てることはできず、指揮官の咄嗟の判断力が試されることになる。

 ここら一帯を一望できる小山の上に、米粒ほどの人影たちがこちらを見ている。諸葛亮とその側近で、蔣琬と費禕もそこに混じって観戦している。

 丘陵で遠くまで見渡せないためどこで馬謖と鉢合わせになるかわからず、王平は兵に丘陵の線を越えないよう徹底させ、慎重に進んでいた。

 陽が中天に近付き、汗がじわりと王平の背中を濡らす。しかしいつまで経っても馬謖の隊は姿を見せない。

「おかしいな」

 広い戦場ではない。互いに動き続けていればどこかで出くわすはずだが、そんなにちぐはぐに動いているのだろうか。

 陽が傾き始めても歩き続ける兵たちは飯も食えず、疲労の色を見せ始めていた。これでは敵に遭遇する前に士気が落ちてしまう。

 不審に思った王平は兵に休止を命じ、自らは馬を走らせ丘陵を一つ二つと越えた。稜線から見渡してみるも馬謖の五百の姿はない。

 しかし、近くにいる。山岳戦で培った王平の五感が、風に乗って運ばれてくる敵兵の気配を察知していた。

 気配の方へ馬を走らせると、いた。丘陵と丘陵の間に伏せ、兵は斜面に腰を下ろして呑気に干し肉を食っている者もいる。王平は気付かれないよう、稜線から顔を引っ込め自分の五百へと戻った。

 何が遭遇戦だ。馬謖は鼻から遭遇戦をやる気はなく、有利な場所に兵を伏せて王平の五百が通りかかるのを待ち構えている。これでは話が違うではないか。

「杜棋」

 王平は若い兵の一人を呼んだ。いつも率いている百の中の一人だ。体が大きく、気もそこそこに利き、他の兵とは上手くやっている。

「今から五百を二つ向こうの丘に伏せる。俺が合図をしたら、お前が五百の先頭を切って敵に突っ込め」

「俺がですか」

 五百の指揮をさせられると思ったのか、杜棋は嫌がって頭を振った。

「難しく考えるな。お前が走って他の者がそれに続く。それだけのことだ」

 まだ何か言おうとする杜棋を尻目に王平は馬で駆けだした。二つの稜線を越えたところで振り返ると、杜棋を戦闘にした五百は一つ目の稜線を越えたところだった。

 王平はさらに馬を駆けさせ、丘の稜線から颯爽と飛び出し、馬謖の五百を見下すように己の姿を晒した。向こうに騎馬は三騎いて、馬謖の他に彼の部下である張休と李盛が騎乗していた。

 王平の姿を見た馬謖が顔色を変えて何か下知すると、張休と李盛がこちらに向かって駆け始め、その後に歩兵が続いて来る。

 このまま来れば王平が伏せた五百が馬謖の五百に襲いかかる。馬謖の気を変えぬよう、王平は先行してくる張休と李盛に馬首を向けた。

 王平はちらりと振り返った。一里向こうに兵を隠した稜線がある。あそこから半里の中まで敵を誘き寄せたい。

 張休と李盛が競うようにして王平に向かってくる。実戦だけにある命を奪り合う迫力も恐さも二人からは感じられない。

 王平は手綱を曳いて馬足を落とし、馬上に剣を構えて敵の動きを見極めた。上半身を反らして張休が薙いだ調練用の木剣をかわし、李盛の木剣を叩き割った。

 王平は振り向き様に笑顔を見せた。連続攻撃をいなされた上に余裕を見せられた二人は悔しそうに怒っている。いいぞ、もっと怒れ。

 王平は腿を締め付け、再度馬を走らせた。

 顔を赤くして追って来る張休と李盛。さっきの二合でどちらも討てていた。しかしそれでは意味がない。かなり近くまで迫ってきている馬謖の歩兵を蹴散らさなければ勝ちではないからだ。

 既に張休と李盛は王平の伏兵から半里の中に入っている。この中に歩兵の五百も入ってくればこちらの勝ちだ。

 張休が合図を出し、李盛が挟み込んできた。そして敵の五百から飛び出る一騎。馬謖が王平の行く手を遮るようにして躍り出てきた。

 三方から囲まれ、王平は手綱を左手に、木剣を右手にしながらぐるりと三人を見渡した。馬謖らは王平を追い詰めたと思って油断している。

「指揮官ともあろう者が兵から離れ孤立するとは愚か者め」

 馬謖の言葉に王平は悔しがる素振りを見せ、心中でほくそ笑んだ。

「そのようですが、最後まで私は戦います」

 愚か者はお前だと言ってやりたかったが自軍の上官であるためさすがにそれは憚られ、我ながら白々しいと思いながらも王平は大音声で答えた。もう少し、馬謖の五百が近付くまで時を稼ぎたい。

 馬謖、張休、李盛の三人が輪を縮めてくる。

 その時、稜線の向こうからひょっこりと一つ頭が出た。見ると杜棋が思いつめた表情でこちらを見ており、王平は慌てて手振りでまだ出てくるなと伝えた。

 その様に気付いた馬謖が、杜棋が顔出す稜線に目をやった。まずい、ばれた。

 王平は、歩兵に停止を命じようとする馬謖に馬首を向け疾駆した。

 指示を出すことに気を向けていた馬謖は不意を突かれて剣を構える暇もなく、馬から飛んだ王平の体当たりをまともに喰らって落馬して、二人はしばらく地面でもつれ合った。

「杜棋、出てこい」

 馬謖の後ろを取った王平が叫ぶと待ってましたとばかりに杜棋が姿を現し、その後ろから雲霞の如く兵が湧き出て丘陵を駆け下ってきた。馬謖の五百は既に十分引き付けている。

 馬謖を助けようとした張休と李盛が人の波に飲み込まれ、そのまま馬謖の歩兵に逆落としにぶつかった。勢いがついた王平の兵は、散々歩かされたうっぷんを晴らすかのように馬謖の兵を倒していく。勝負はあった。

 手に汗を握り夢中で歩兵のぶつかり合いを見ていた王平は、腕の中にある馬謖の体に気付いてはっとした。力の籠った王平の腕が完全に首に入っていて、白目を剥いて泡を吐く馬謖がごろりと地面に転がった。

「すいません、わざとじゃないんです」

 聞こえていないことがわかっていながら、王平はそう言わずにはいられなかった。


 演習後、王平は諸葛亮の待つ丞相府に向かった。勝った、という充足感が王平の中に満ちていた。

 中に入ると諸葛亮が真ん中に座っていて、そのやや右前方に頬を青く腫らせた馬謖が立っていた。落馬した時に、地面に顔を強打したらしい。

 名を告げ諸葛亮の前に立った王平に、馬謖は一瞥もしてこない。蔣琬と費禕も同席していて、二人は口元を緩ませながらこちらに目配せをしてきた。

「酷い戦であった」

 諸葛亮が、蔣琬と費禕の態度を制するように語調を強めて言った。勝った王平を評価する気はさらさら無いようである。

「遭遇戦をやれと言ったのだ、馬謖。何故、あのようなに兵を伏した」

 そこまでして勝ちたかったのであろうことはここにいる誰もがわかっている。命令を半ば無視した上に勝ちを得られなかった馬謖は何を言わずに俯いている。そこに諸葛亮の視線が突き刺さっていた。

「それと王平」

 視線が王平に向けられた。

「馬謖を誘き寄せたのは良い。しかし指揮官であるお前がたった一騎で敵の只中に突っ込むとは何事であるか。あれは兵法でなく、ただの蛮勇だ。これからの蜀軍にあのような蛮勇はあってはならん」

「はい」

 言い返したいことはあった。戦の空気に直に触れて初めて分かることもあるのだ。だが国の頂点に立つ者に対する畏怖が、王平の口を噤ませた。

「この勝負に、勝者はいない。引き分けとする」

 馬謖がはっと顔を挙げた。

誰がどう見ても、あれは俺の勝ちではないか。王平は心中そう呟いた。

「北へ行け、王平。南征が終わるまで一年はかかる。魏との戦が始まる前に漢中の空気をよく吸っておけ」

 王平は大きく返事した。蔣琬と費禕が上手いことやってくれたのだろう。南蛮征伐には行きたくなかったので、馬謖との一戦を勝ちだと認めてもらえなかったことは悔しかったが、忘れることにした。

 この様に、王平は諸葛亮の思惑通り掌の上で転がった。

「馬謖、お前は南だ。私の近くで働き、学べ。そして二度とこのような戦はするな」

「はい」

 費禕が書類に引き分けと記し終えると馬謖と王平は拱手し、それでその場の者は帰された。思っていたより、ずっと短い評定だった。丞相府からの長い廊下を帰っていると、後ろから蔣琬が走って追ってきた。

「見事な采配だった、王平。馬謖が罠にかかる直前、俺の胸は震えていたぞ」

「しかし俺は丞相に叱られてしまった」

 そう言うも、蔣琬に褒められ王平は頬を少し緩ませた。

「丞相はこれ以上、蜀の人材を失いたくないのだ。それにこの発端は俺がお前を煽ったことにあるわけだしな」

「そうだ、お前のせいだ。それで俺は少し無茶をしてでも馬謖殿に一泡吹かせてやろうと思ったのだ」

 蔣琬といつもの会話をすることで、王平の肩からようやく力が抜けた。力が抜けると、皮肉の一つや二つを言ってやろうという気が湧いてきた。

「見ていて小気味良かった。費禕もあれを見て手を打って喜んでいたよ」

「そんなことをわざわざ言いに来たのか」

「勝ったはずなのに引き分けと言われたのは不名誉なことだったろう。しかしな、よく聞け王平」

 どうやら蔣琬は、勝ったはずの王平が引き分けと言われてしまったことを気にかけてくれているらしい。

「さっきから、ちゃんと聞いているよ」

 引き分けと言われたことはもう気にしていなかったが、王平はわざと不機嫌そうにして見せた。それに対し蔣琬が必死に言葉を並び立てる。この男には、こんな優しさがある。

「今回の演習は決して単純なものではないのだ。特に蜀の戦を宰領する丞相にとってはな」

「蜀軍の主力任せようという人物が負けたとなると、軍全体の威信に関わる。そういうことだろ」

「お前のおかしな顔を見ていたらそう思えてきたよ。軍の中にいれば、こういうことも仕方のないことなのかな」

「俺はお前が勝ったと思っているよ」

「そりゃあ、そうだろう」

 友が、そう言ってくれている。ここはそれで良しとするべきなのだろう。

「丞相は俺が負けるとでも思っていたのか」

「そこまではわからんが、馬謖がまさかあんな無様な戦い方をするとは思っていなかっただろうな」

「何故、丞相はあんな男を起用するのだ」

 さすがに王平は声を潜め、蔣琬に耳打ちするようにして言った。

「東征の軍で死んだ馬良という人がいたろう。馬謖の兄だ。その人と丞相は仲が良くてな」

「友人の弟というだけで軍の中心に据えられるのか」

「それが政治というものだったりする。お前は下らないことだと思うかもしれんが」

 ふと王双のことを思い出した。自分が丞相と同じ立場で、王双に弟がいたならば、同じことをしたであろうか。もしかしたら、したかもしれないという気もする。

「まあいい。今回のことは、納得することにするよ。気を遣わせて悪かった」

「お前が謝ることはない」

 蔣琬がほっとした顔を見せた。蔣琬は文官として、軍人とは違うところで緊張を感じているのだ。

「それで、北へ行けばいいのだな」

「そうだ。南が静かになれば、次はいよいよ北の魏軍だ。そしてその魏軍と戦うのは、他でもないお前だ」

 魏軍とか、蜀軍とか、王平にとってはどうでもよかった。ただ気付くと自分は蜀軍にいて、魏軍に対する立場になっていた。

 王歓のところに帰りたい。胸にあるのは、その想いだけだ。

「早く、家族のところへ帰れるといいな」

 胸中を見抜かれたようで、王平ははっとした。しかし、蔣琬の顔には皮肉を言ってやったという色はなかった。


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