第四十七話 『玉座の少年Ⅱ-03』
クロノスが玉座の少年に思う、剣術の技量に反する非力さ。
大人と子供の単純なそれともまた違う脆弱さ。
時の禁忌によって作られた肉体は、矛盾しているほど年相応の筋力が足りていない。
クロノスは今まさに、それと同等の彼我の差を実感している。
剣を重ね合わせたこの一撃が重い。
気を抜けば簡単に押し込まれてしまうだろう。
剣術における格付けとして、技と力のそのいずれもが劣っていることを実感する。
剣が弾き合う度、色濃くその差が印象付いていく。
「どうしたクロノス卿よ! 遠慮は要らんぞ!」
「……手加減しているつもりは――無いのですがねっ!」
ハワードの激しい猛攻を耐え凌ぐばかり。
口を開く余裕すら見せるハワードに対し何とか反応することで精一杯だ。
このままの状況を長引かせたところで、消耗による差が更に開いていくことだろう。
攻めの隙を探る。されど、見当たるべくもなく。
たった一度の隙さえあればクロノスの能力ならば押し込むことも可能なはずなのだが。
ある意味では想定した通りの実力差が、悲しいほどに残酷な現実を突きつけた。
「――クッ、ウゥ……」
弾き飛ばされ、遂に片膝をついてしまう。
ここに追撃が来ればそのまま押し込まれてしまうであろう状況。
明白なまでの実力差にハワードの加減がよく分かる。
「……感謝などしませんよ」
悠然と立ち上がりながら踏み込んでこないハワードへ告げる。
猶予を与えられた手前に、噛み砕いた屈辱を吐き出した。
「いや何、貴殿の能力を警戒したまでだとも」
皮肉混じりにある種本心を含んだ返答は、実力差はあれどクロノスを侮っている訳ではないことが伺える。
無論、ハワードが迂闊に踏み込んで来たならクロノスとてその機宜を見逃すほど愚かなつもりはない。
再び激しい猛攻を浴びる。
防戦一方となってしまう状況を打破する一手は尚も見つからない。
光明も見えぬまま、ただ耐える。
技と力で劣りながら、それでも、心までは負けてはならないのだ。
何度も食い下がってきたあの玉座の少年のように。
この明白な実力差さえ埋めてしまうほど愚直に諦め悪く。
クロノス自身が身を以て体感した、あの諦めの悪さが生み出す綻びに賭けるしかない。
故に何度でも耐え立ち上がる。
逆の立場だからこそ分かる、油断も慢心もなく立ち向かってくれるハワードの胸を借りる。
およそ決闘とは呼び難い、端から観れば稽古にも近い形状だとしても。
生憎と、この諦め悪さは玉座の少年に学んでしまったのだ。
「ハァ……ハァ……」
隙を探るどころではないほど、立ち上がる度に増えていく疲弊はハワードとの差を更に広げていく。
荒れた呼吸が一滴の空気さえ取りこぼしては肺を潰してしまいそうなほど。
剣を持つ握力さえ、握れているのが不思議なくらいに力が入らなかった。
「……もう、いいんじゃない?」
誰もが我慢した言葉だ。
最早誰の目にも勝敗は明らかだ。
サファイアだった。
長引くほどに胸を苦しめる光景である。
剣の道にないサファイアにさえ続けるだけ無駄なことも分かってしまう。
厳しいようだが、口にする優しさを選んでしまった。
「まだ、まだです……」
クロノスはそれでも立ち上がる。
ふらついた足取りで、震えて定まらぬ切っ先をハワードへ向ける。
「ねえ……ねえ、もう止めて! ……レイヴン様っ!」
「――サファイア」
声を荒げたサファイアを制するのはガーネットだった。
今や同胞と言えど種族の差による偏見を拭いきれないサファイアには、ファントマに続き仲間を傷付かせる状況が受け入れ難い。
その内心も理解した上でガーネットは止めた。
ガーネットもまたサファイアの発した言葉を呑み込んだ一人だ。
主君にまで波及しかかる焦燥感はガーネットとて皆無ではなかった。
他ならぬ王の視線が変わらないことがその答えであろう。
当人達の気の向くままに、ただその行く末を見守り続ける。
「そう騒ぎ立てるな小娘。何れにせよ、直に終わるぜ」
ファントマもまた同じく、視線を動かさぬままに声を掛けた。
雌雄を決する瞬間が近いことなど嫌でも分かる。
分かってしまうからこそ、サファイアは手心を求めてしまう。
ただ、その真意がクロノスの単純な敗北ではないことをファントマは含ませていた。
「覚悟を持って戦う男に同情なんてすんじゃねえ。才能を失おうが、力が劣ろうが、武器を持って立つ以上誰にもそれを止める権利なんて無えんだよ」
「同情なんて……」
言いかけて、サファイアは言葉を呑み込んでしまう。
同情をしていないはずがないのだ。
能力を失った上に、実力でさえ差をつけられ困憊しきった姿のクロノスが居た堪れないからこそ止めたかった。
サファイア以外の誰もファントマの言を否定しない事実が物語っている。
同情ではクロノスの覚悟を止めるべきではない。
「俺がこのカタブツの立場なら今すぐにでもお前を噛み千切ってやりたいくらいだぜ。黙って見届けてやれ」
「ッ……」
サファイアは歯痒さを噛み殺し言葉を呑み込んだ。
「見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ない……。もう、少しだけ……あと、一度だけ……見守って下さい……!」
それが、次が腕を振れる最後であることを悟った言葉だ。
どれだけ惨めに映ろうと立ち上がり続けたクロノスが賭けられる全てだ。
実力も、体力も、矜持すらもボロボロな状態で、その全てを賭ける。
持てる力の全てを次の一撃に。
「来いクロノス卿。我が全霊をもって貴殿の全てを叩き潰してやろう!」
「恩に着ます……!」
容赦の無さがかえって慈悲深い。
ハワードの清々しいほどの宣言に思わず感謝の言葉も出てしまう。
もはや剣よりも重い腕の何処から力が湧き上がるのか、クロノス自身も不思議に思いつつ。
されど、その力の正体に疑いもなく。
これで腕が千切れるのなら本望だ。
骨が砕けようが、この一撃がハワードに僅かでも届くのならそれで構わない。
幸いなことに生死すら保証してくれた王が居る。
それに勝る信頼など何があろう。
後先など考える必要なく腕を振れる幸運を噛み締めながら、ただ、愚直に前へ。
懐深く待ち構えてくれるハワードに斬りかかる。
この一振りに全てを乗せた。
あるいは、過去を含めこれまでのどの瞬間よりも鋭く力が乗ったことだろう。
能力を失ってから初めて違和感が無くなった。
己の能力に頼ってきた剣が、今ここで初めて本物の剣士として実を結んだのだ。
迎え討つハワードの剣が重なる瞬間、響く鈍い音。
視覚や聴覚から得る情報よりも早く、クロノスは手中への手応えから動く。
「――今だァッ!」
奇しくも、それはあの少年と同じ反応だった。
最初にして最後、唯一にして最大。
これ以上に無い。この他にも無い。
だからこそ少年もその空気の揺らぎを見逃さなかった。
ハワードが生み出した隙へ嬉々として飛び込む。
ハワードの剣が折れていることを認識したのは能力を発動した後だった。
「逃がすものか――!」
呂律が回るよりも先に、あるいは、切り離した時の中に言葉を置き去りにして。
クロノスの渾身の力に折られた剣の鈍い音の余韻を味わう間もなく。
ハワードもまた手中の手応えから身を翻そうとしていた。
その瞬間を、その一瞬を止めたクロノスの腕は既にハワードの胴体を目掛けて振り上げられている。
類まれな才能さえ凌駕する時の禁忌は、ハワードの反射を強引に捻じ曲げその喉元に迫る。
どんな手練れだろうが避けられるはずのないタイミングだ。
それこそ、クロノスが少年と手合わせした時のような反射的に能力を使わされでもしない限り。
「――ッ……!」
声にならない声が響いた。
吐息混じりの、ハワードの声だ。
緊迫した空気を裂くように喉が鳴った。
振り上げられたクロノスの腕はハワードを捉えている。
上塗りする甲高い金属音が勝敗を告げる。
「――……私の……負け、です……」
余韻が収まり、刹那の静寂の後、クロノスは絶え絶えの呼吸で宣言した。
振り上げた腕に収まるべき剣が地に伏し、ハワードの胴体を捉えたはずの手応えは虚空を薙いだ。
全てを乗せた一振りは、正しく全てを出し尽くし限界を迎えていたのだ。
どうなっても構わないと覚悟を決めた腕は千切れてこそいないが、もはや力も入らない肩の先に繋がっていることがむしろ虚しい。
いっそ無くなってでもいてくれた方が潔く諦められたことだろう。
もう一度だけ、剣を握ったまま振れる力が残っていたのなら。
否、握れなくなるほどに満身を賭したからこそ、ただ一度だけハワードを超えられたのだ。
そんな葛藤も虚しく、余力の残らぬ身体に敗北が染みる。
「……これで勝った気になどなれないが、だが確かに、よもやこれ以上に続ける理由も無いだろう。見事な剣撃だった」
時の禁忌に生じた違和感からようやく抜け出したハワードが緊張を解く。
だらりと虚脱したクロノスを前に体術勝負までする気にはならない。
紛れもない全身全霊を受けたからこそ、素直な称賛が口についた。
「――サファイア、手当てを」
「はいっ」
この結末をしかと見届けたレイヴンがようやく口を開く。
血の流れぬ決着に、それを受け入れた上サファイアの介入を許した。
「ご覧の通りです、レイヴン様……。今の私の力では、限界まで絞り出しても……限界を凌ぐ本来の力以上の剣でさえ、ハワードを超えられない……」
サファイアの治癒により徐々に体力を回復しながら、次第に語気へ口惜しさを色付かせていく。
「……覚えておいでですか。立場に見合わぬ、落ちぶれた私を忠臣から除名して頂く進言を」
「……忘れてなどいないとも」
「ならば、今一度、提案させて頂きたい」
「……あざとい奴だ。このタイミングで言われては、断れる理由が無かろう」
他でもなく、実力が証明されてしまっている。
目の前の死闘、死力を尽くした結果が揺るぎない真実なのだ。
魔を統べる王に傅く四人、その内二名を打ち破ったとあればこの結果を認めざるを得ない。
ともすれば、当然血の入れ替えが行われるのは順当な判断なのだろう。
「立場は違えど、この忠義までは変わることなどありません。ハワード・ストラトス――我が矜持を、貴方に託します」
「そんなつもりで来たわけでもないのだが、矜持まで賭けられては何も言えないな。手に負える範囲で尽くそう」
ハワードからすれば寝耳に水である。
そんな気もなくただ組み込まれた試合で、その褒美にあまりにも重い責任を押し付けられたのだ。
この結末を仕組まれていたような、何か手の平の上で踊らされた気にもなりつつ。
されど、肩の荷が下りた清々しいクロノスの表情を前に過ぎたことは言えなかった。
「改めて迎えようとも、ハワード。人間という種族でありながらこの魔王の軍門に下り従じる殊勝な者よ。更なる働きを期待しよう」
「仰せのままに」
それは、かつてハワードが仕えてきた貴族たちに向けた形式上の礼法と変わりない。
その実力故に召し抱えたがった権力者たちは頭を垂れれば簡単に喜ぶ。
無論、そんなパフォーマンスでレイヴンが諸手を上げることなどないのだが。
意味もない低頭の、所詮形だけの応酬。
そんな冗談混じりで戯けて見せれば、あえてそれを咎める者も居ない。
良い顔こそしていないのだが、一様に何処かその素振りを認めていた。
恐らく、クロノスならば本意から同じことをするのだろう、と。




