第四十八話 『玉座の少年Ⅱ-04』
膝を抱える。
孤独感からか、うら寂しさからか。
そうすれば少しは落ち着いたから。
身が余る仰々しい特等席だった。
物の価値を知らぬ少年にとって、その豪盛な装飾の意味も知らず。
本来、自分のような者が座っていいような場所ではないのではないか、と。
そう思ってしまうほどに身に纏う布切れの貧相さとかけ離れている。
その程度の相対的な差でしか審美を見極められない。
この椅子がどういった意味合いを持つのか、背丈に合った知識があれば分かることすら少年は知らない。
実際、解っていれば飛び跳ねてでも降りたのだろうか。
一国の王が座すべき玉座に不相応な、何者ですらない少年だ。
だが、仕方がない。
少年にはそれ以外の居場所も無かった。
「――フレン。明朝よりこの場を離れます」
その居場所すら失くなってしまうのか、と。
何者でもなく、何も持たない少年が、一瞬脳裏に過る空虚感。
思い入れなんてものが彼にあるのかはともかく、唯一慣れ親しんだこの空間を離れる不安感は言い表わしようもない。
次いで、得体の知れぬ感情がそれを塗り替える。
「……うん。わかったよ、アルバ」
不思議と胸の内は晴れやかに応えられた。
それが期待という感情であることなど知らずに、ただ漠然と浮ついた心のままに頷いた。
言われたところで、何も無いのだ。
多分、きっと、小脇に抱えたこの剣だけは持って行くのだろう、と何とはなしに夢想するだけ。
持ち出す物もなければ、何を持てば良いのかすら想像もつかない。
だからこそ不安を上回る期待を持てる。
何も無いより、何かを得られるのだろうという朧げでしかない期待。
考えるだけ無意味なことに自覚のある少年は、名前も知らぬその感情だけを胸に宿した。
「明日はこれに着替えてから行きましょう」
「……きれいな服だね」
「人里に立つ以上、保護者として浮いた格好はさせられません」
「そうなんだ」
少年が渡された布は相変わらず飾り気もなく質素なものだ。
修行で傷んだ布切れより幾分かはマシではある。
それもまたぼんやりと、漠然とした想像の域を超えることはない。
人里がどういうものなのか、座学の上での知識では衣服の清潔さの必要性までは知ることも出来なかった。
少年を支えてくれるのは剣の技術だけ。
それすらまだ未発達の力不足は否めない。
何もかも未熟。だからこそ、その旅路に意味がある。
旅の道のりを糧とし、この世界で生き抜く力を得るのだ。
それこそ少年が漠然と思う旅の意味である。
「……この場所を離れるって聞いたとき、なんだか、体の真ん中あたりにぽっかり穴が空いた気持ちになったんだ。この旅を続けていれば、埋まってくれるのかな?」
少年なりに寂しさのようなものを稚拙な言い回しで表現する。
希望も絶望も知らぬ無垢、故にありのままの疑問。
少年の背負う血のしがらみがその疑問から簡単な答を遠ざけていることなど、彼自身にはまだ想像もつかないだろう。
勇者の血筋を引いた子が、かつて魔王の座した玉座で膝を抱えている異様。
どこの世界の英雄譚に魔王の玉座から始まる物語があるのか。
その状況を生み出した当人は、不安を煽らぬよう甘美な言葉を与える。
「これから貴方は色んな出会いや経験を得ることでしょう。それら一つ一つがその隙間を埋めてくれるはずです。あらゆる困難を乗り越えることで、きっと塞いだ穴が溢れてしまうほどの成長の糧となります」
少年が上手く言い表せなかった言葉が、彼の唯一信頼を寄せられる者の口から発せられた。
それだけで胸中の隙間に染みていくのは、言葉にするには難しい心情を代弁してくれたからだけではないのだろう。
この世でただ一人少年にとっての理解者であり、そして少年が知ることの出来るただ一人の存在だからだ。
「怖がらなくても良い。貴方の人生が幸福で満ちることを、私も望んでいますよ」
「……うん。ありがとう」
耳障りの良さがむず痒くも素直に響く。
照れ隠しに俯きながら、謝辞に上げた顔の先にある騎士の姿に覚える安心感。
結局、少年はその騎士の言うがままに付き従うしかない。
それ以外の生き方もないのだ。
己の出生への異様さは既に察している。
座学の中で学ぶ人の世と自分の置かれた状況は余りにもかけ離れている。
記憶がないのではなく、記憶に準ずる知識や知恵の欠けた感覚。
少年にしか理解しようもないその不自然さは彼自身の意志を奪うには充分だった。
言われた通りに剣を握った。
それだけで食事も与えられ、寝床もある。
その生活に意志など必要なく、娯楽や労働は無いが生きていられるという点では申し分ない。
申し分ないからこそ、なんとなく生きていらられる状況に安心しきってしまっている。
その意志の欠落感は旅路の中で改善されていくことだろう。
真に生きるという意味を徐々に理解していくまで、果てない旅路へと身を投じる。
「長い旅になる。今日はしっかり休んで明日に備えましょう」
「うん。わかった」
少年は再び淡泊な返事で頷いた。
騎士の言葉に従うことが、今はまだ、少年に出来る唯一の意思表示だ。
この玉座を離れ初めて少年は気付くのだろう。
人の世に溢れる幸福や苦難が人としての成長の糧となること。
初めて本来在るべき人としての生き方を見るのだ。
時の禁忌に生まれた矛盾を埋められるのは他でもなく少年自身でしかない。
その矛盾の正体を聞くには、少年の中で何かが憚られた。
ただ一人信頼出来る存在すら失ってしまうような気がして恐れているのだ。
そしてその直感の真偽は、きっと彼の危惧している通りなのだろう。
だからこそ少年は玉座の上で思い馳せる。
いつか己の身にまつわる真実を知ることを。
時の矛盾を取り戻すように、時の流れにただ委ねる。
旅路の中に得られる答を、夢見ている。
第三章 玉座の少年 了




