第四十六話 『玉座の少年Ⅱ-02』
あれは油断だったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
一人の剣士として、剣による対話に慢心を持ち込むことなど断じてない。
例え相手が成長途中の非力な子供であろうと、そこに傲りはなかった。
それ故に感じざるを得ないのは、末恐ろしき才能の片鱗なのである。
油断も慢心もなく、技量と筋量の差で勝りながら、使わされた。
眼の前に迫った剣の切っ先は紛れもなくこの身体を捉えていた。
能力を使わなければ、確実に致命傷を負っていたのだ。
才能の一言では片付かない。
その身体に流れる血の性だ。
考えてみれば、嫌に諦め悪く食い下がってきたことが既にその血筋の片鱗だったと言えるのだろうか。
何度でも弾き返した中の、ただの一筋の隙を見逃さなかった彼の才覚。
件を持ってその血の縁を更に確信する。
勇者の血があの幼き身体を流れていることに、もはや疑う余地もない。
――アルバが、あの瞬間抱いた感情は紛れもなく畏怖であった。
相対する種族として魔を狩る勇者に対し抱く畏怖である。
条件反射的に行使させられた能力でその僅かな一瞬の隙を打ち消すしかなったのだ。
一人の剣士として、魔力を持つ能力者として、あの一太刀から免れることに全力を強いられた。
もはや、彼を幼子のままに扱うことなど出来ないだろう。
技量は充分。
だからこそ、アルバには確かめなければならないことがある。
それは、アルバ自身の実力である。
「――レイヴン様。試合の準備が整いました」
君主の前に跪き、迷いなき眼で見上げる。
アルバとして、勇者の血を引いた少年の師として、己の剣技における憂いは断たなければならない。
――否、魔を統べる王の忠臣の一人として、半端な能力ではその役目を全うできないだろう。
王は甲冑を纏いし忠臣を見定めるようにねめつけ、その言葉を飲み込む。
聖剣を手中に収めるために尽くした貢献への恩賞。
四人の忠臣達がそれぞれ望んだ内、彼の者の要求は試合であった。
その準備が整った、と他ならぬ当人が言うのであれば今更無下にする理由もない。
ことレイヴンが見定めたのは、甲冑の内に秘められた微かな魔力の気配だった。
「やはり、使えぬか?」
「はい。精々、瞬き程の間を埋めるのが限界のようです。それも……実戦に登用出来る程も、連続しては使えません」
「……そうか」
物憂げに、その返答さえ想像していたかのようにレイヴンは哀れむ。
フレンの一太刀を避ける為に使わされた能力。
稽古という形式上そこで手は止まってしまったが、実戦であればそこで終わりはしない。
もしあの続きがあったのならば、致命的な一度を使わされた後は多少腕の立つただの剣士でしかなくなるのだ。
実際剣の駆け引きにおいては一瞬の隙を生み出すこの能力は脅威であると言えよう。
だが、彼の王が望む覇道に剣同士の一騎打ちだけを想定した戦など存在しない。
己の立場を鑑み、魔王にかしずく四人の忠臣としての必要性は疑問が残った。
それがフレンの一太刀に気付かされた事実である。
「ガーネット。要人を闘技場へ集めよ」
「畏まりました」
傍らの彼女は短い言葉で頷き、忽然と姿を消す。
同じ立場である彼女はその能力を持って分かりやすく役目を担っている。
今のアルバに、それに匹敵する働きは出来ない。
「――クロノスよ。我々も向かうとしようか」
「はいっ……!」
今のアルバはただの勇者の子の指導役ではなく、四忠臣の一人クロノスとして王の前に在る。
その名に恥じぬ力をこの試合で示さなければならないのだ。
人類の最高値に等しいハワード・ストラトスという男の力に渡り合えないことには最早立場もない。
それこそ彼との試合を望んだ理由である。
「安心しろ。俺とサファイアが絶対に死なせはしない。どんな傷を負おうと、負わせてもだ」
甲冑の下の緊張を解すようにこの上なき安心感のある言葉でレイヴンが激励する。
死者ですら蘇りそうなほど意味のある力強い言葉に、クロノスは思わず笑ってしまった。
「フッ……有難きお言葉です」
無論、真剣を取り扱う以上その危険性は嫌でも伴う。
その言葉に甘えるようでは、それこそクロノスの立場では死に等しいだろう。
フレンに見せたような隙は、恐らくこの試合ではそのまま敗北に起因する。
むしろハワードの隙を作りたった一度の能力で決着を付けなければ勝利は難しい。
そしてそれが容易ではないこともクロノスには既に解っている。
思い起こしてしまうのは、かつてハワードが同胞たるファントマと対峙したあの一戦。
彼は見事ファントマを出し抜き勝利を収めてみせた。
その太刀筋を思い返すに、今のクロノスがその両者と渡り合う実力は断じて無い。
頭を巡らせ、勝ち筋を探る。されど見当たらない。
策謀では意味がない、証明すべきはただ実力である。
やはり考えても無駄だ。
あるいは、クロノスがこの彼我の差に苛まれていることすら、彼の君主には見透かされているのだろう。
それでもこの要求を呑み込んでくれた君主とハワードには感謝しかない。
四忠臣の一人クロノスとしての死に場所を盛大に作ってくれたことは、失った能力に苦慮するクロノスの胸を軽くさせてくれた。
◆
かつてユークリッド帝国の剣士たちがしのぎを削りあったであろうアイゼンフォート城の闘技場は閑静な空気に包まれていた。
対峙する二人の剣士を見届ける四名は各人各様の目だ。
張り詰めた緊張感が当事者達を呑む。
静寂に口火を切ったのは獣人の彼だった。
「久しぶりに役者が揃ったかと思えば……なんだよ。仲間割れかい?」
いつものように嘯くファントマの軽口が今は純粋にありがたい。
クロノスはファントマのおかげで必要以上の緊張感を自覚する。
「私も貴殿からの恨みを買った覚えはないのだがね、クロノス卿」
和やかな――とまではいかないが、多少緩んだ空気にハワードが自虐的に発言した。
遺恨などの単純なものではないことも知りつつ、むしろそれに当たるべき狼顔の彼はニヤニヤとこの状況を面白がっている。
「ハワード。私のわがままに付き合っていただき申し訳ありません。今の私の立場を証明するため、貴方の腕を借りたい」
一方的に果たし状を押し付けたような形を詫びる。
ハワードからすればファントマとの一戦で証明した実力を買われ得た立場、よもや同じ魔王の幹部から声を掛けられるとも思っていなかったことだろう。
そしてそれは立場を脅かし得るリスクでしかない。
それでも、魔王よりの下命とあれば引き受けざるを得なかった。
「詫びる必要は無いとも。他ならぬレイヴン卿の頼みとあればどんな仕事も二つ返事で引き受ける、それは貴殿らも同じであろう?」
弱冠一名を無視した発言ではあるが、それがこの魔王軍での配下としての在り方だ。
彼らとハワードに差があるとすれば、その動機が忠義によるものかどうかだろう。
そういう意味では気分屋のファントマと近しいものもある。
「それに、わざわざ私を指名するなど尋常ではない様子。貴殿の能力のことは聞き及んでいるが、それを使えばただの人間に過ぎぬ私の首を取るなど造作もないはずだ」
「――おっと、どうやらそんなこと気にする必要もないみたいだぜ?」
本来のクロノスであれば刃を通す肉質の相手なら試合など成り立ちすらしない。
状況の推察だけでクロノスの現状へ行き着いたハワードにファントマが口を挟む。
「鼻が利くモンでな。クロノス、悪いが匂いで気付いちまった。お前魔力はどうしたよ?」
痛いところ突くというか、デリカシーがないと言うべきか。
単刀直入な物言いがむしろ清々しい。
「確かに、このまま試合を行ってもフェアではないでしょう……。そうです。今の私は、魔力の大半を失っています」
勝手に嗅ぎ取られた居心地の悪さは別にして、言う度に同情されてしまうのも面白くはないが、訝しげに眉を潜めたのはハワードだけだ。
既に事情を知る顔ぶれの哀れみに肩身が狭い。
「話せば長い事情がある。あまり詮索してやるなファントマよ。俺が、命じたんだ」
同情を厭うクロノスの心境を悟ってか、君主からの助け舟にいくらか救われる。
君主に己が悪いとまで言わせてしまう不甲斐なさがただただ歯痒い。
「具体的には試合の中で一度、たった一瞬を操ることで精一杯。それ以外は一介の剣士に過ぎません」
手の内まで明かす必要はあったのかと言えば、それがクロノスという者の魔族らしくもない誠実さなのだろう。
ハワードを軽んじている訳でもないが、晒した上での実力を示さなければ意味がない。
「――ただ、その一度で貴方を討ち取る」
揺るぎない意思表示。
今持てる力を存分に使い、その上で剣士として最高峰のハワードを超える。
それが出来なければ、魔王に傅く四人の内の一人としてその肩書は相応しくないのだ。
僅かと言えどクロノスの能力を持ってして勝てる見込みのない相手だからこそ価値がある。
「……どうやら、てこを使ってもその覚悟は変わらないようだ。ならばこのハワードの力、存分に利用すると良い」
「感謝します」
空気が変わる。
クロノスの下げた頭が元に戻った瞬間から明確に張り詰める。
緊張感を取り戻した空間へ再び静寂が立ち込めた。
ファントマですら囃し立てる素振りもなくなり、いよいよその時を告げる。
どちらが何を発するでもなく、何かを示し合わすこともなく双方が同時に剣を抜いた。
開戦の号令だけを待ち侘びる状態に静かな時が流れている。
やはり、と言うべきか。
この静寂を破れる肝が据わった者は彼しか居ない。
「開戦の音頭は俺が取ってやるよ」
上機嫌そうに図々しく名乗り上げる。
両者の間に割って入り、それぞれの表情を一瞥し口角を僅かに上げた。
ファントマがその場で、その状況で何を想像しているのか。
主役ではないその立場で、あるいは己の至上の愉悦と重ね合わせているのだろう。
強者との至上の戦いを望みながら、此度ばかりは彼らへ譲る。
見届人の王も、そして主役の彼らも、ファントマを立会人と認めている。
ファントマの表情に冷やかしの類は一切ない。
――それは、もはや獣の咆哮だった。
「――開始ェェアイイッッ!!」
解き放たれた野性を掻き消すほどの轟音。
汗と血の染み付いた闘技場の地を抉り舞う粉塵。
剣と剣が弾き合う、甲高い金属音が空間に響き渡る。




