第四十話 『時渡し―01』
レイヴンは逸る気を隠そうともせず玉座の上で苛立ちを見せていた。
待っていることすら煩わしいとばかりに忙しなく姿勢を組み替え、されど視線は漠然と一点を臨んでいる。
レイヴンの勇んだもどかしさを晴らしたのは颯爽と響く二つの声だった。
「――お待たせ致しました」
「お呼びにつき、御前に参りました」
忽然と現れた二つの影がレイヴンの眼下へと歩み寄る。
ガーネットが礼節に則って頭を下げた傍らに、クロノスは跪いて主君を見上げている。
「久しいなクロノス。面を上げろ。堅苦しい礼法は無しで話しをしようじゃあないか」
「……畏まりました」
規律の正しい動きで背筋を伸ばす性分までは問い詰めず、レイヴンは玉座から前屈みに半身を乗り出すほど露骨な興奮を晒す。
クロノスの爪先から舐め上げるように這う視線がレイヴンの期待を表していた。
「まずは大儀を労おうとも。お前にばかり、負担を負わせてしまうことを詫びよう」
「いえ、構いません。レイヴン様への忠誠に捧げたこの身、下命を頂く限り如何様に扱おうとも忠義を尽くします」
「お前のその律儀さにつけ込む真似ばかりで悪いが、また一つ、大儀を任せることになる」
「レイヴン様のお役に立てているのなら至福の限りです。私の身など、気になさることもありません」
自己犠牲の精神が極まった姿勢は相も変わることなく、義に忠実な振る舞いには感服すら覚える。
クロノスの小粋なまでの義理堅さにレイヴンは惜しみもなく厚い信頼を寄せていた。
「それで、経過はどうだ? 不平があるのなら何なりと申せ」
「何も、差し支えはございませんとも。無垢なまでの素直な男の子に成長しておりますよ」
「そう、か。引き続き面倒を見てやってくれ」
「無論、レイヴン様から賜った使命とあらば」
簡潔な報告と共に、義のままに頭を垂れる。
小言を挟む余地もないほど質素な取り交わしに余計な気遣わしさも生まれない。
その短絡さこそ順調を示すことの裏付けとすれば、レイヴンが詮索じみた無粋な疑念を抱くことはなかった。
傍らに佇んだサファイアが浮かべる戸惑いの表情を尻目に、レイヴンが閑話休題とばかりに姿勢を改める。
サファイアは会話の流れを汲めず独り蚊帳の外の気分で身を窄めた。
ファントマが不在なことは前提に、滅多に顔が揃うこともない四人の忠臣の一部として妙な孤独感という弊害を味わう。
先まで君主の天蓋の下で交わした熱い一時を忘れてしまいそうになるほど一人だけ場違いに浮き足立っていた。
それは持ち前の能力で外観上の傷が塞がった今尚余韻を感じる下腹部の熱の所為ではないことなど言うまでもなく。
話の腰を折るのも憚られ、サファイアは説明もない状況を心地悪く居合わせた。
「……また、お前の能力を貸してもらいたい」
超然とした中に、レイヴンにしてどこか躊躇いの垣間見える声色。
先の事例の通り、この忠臣にレイヴンの下命を断ることは出来ないと知りながら口にする不誠実さへの卑下が出る。
「私の能力、ですか」
面食らったようなクロノスの復唱がレイヴンの苦心を助勢し、きまり悪く顔をしかめている。
無論、クロノス自身に君主を貶めようとする意図は無くとも、レイヴンがその能力を求めることで生じる損害に苦悩する理由は心当たりがあった。
クロノスはその理由に当たりが付いた上で、歯牙にもかけない様子で一笑に付す。
「フッ……お言葉ですが、何度でも言わせて頂きましょう。この身を憂いているのであれば、そのお考えは早々に見限った方がよろしい」
「……ああ、お前の言わんとすることは良く分かっているつもりだ。だがやはり、今回ばかりはお前自身の決断を得なければ、俺が命じるこは難しい」
「分かりました。それでしたら、レイヴン様から命じて頂くことが私の確固たる想いとなりましょう。私の能力、存分にご利用下さい」
他でもなく、クロノス自身の身に及ぶ損害を憂う言葉にはレイヴンにしてやけに慈悲が込められていた。
決め手とするに十分な気持ち良いまでの快諾を更に二の足踏むほどクロノスの決意を邪魔は出来ない。
その手厚い忠誠に免じ背徳感を押し殺す。
「良いだろう。ならば、それだけの忠義を示してくれる者の覚悟を妨げるべきではない。お前の能力、我が野望の礎とさせてもらう」
「仰せのままに」
クロノスは晴朗なまでの小気味良い微笑を携えながら頭を垂れた。
後味の悪さも残さずその身の犠牲を買って出る献身さに、レイヴンの罪悪感さえ僅かに和らぐ。
「――ともすれば、私の能力では最早『四忠臣』の名に相応しい働きも適わぬことでしょう。肩書きに反する足手まといになることは免れない。除名して頂くことを進言致します」
「……そう、卑下しなくても良いのだぞ? お前の功労を称え、これまで通りの立場に居ることをこの俺が誰にも咎めさせはしない」
「いえ、他ならぬ私の信念がそうして頂きたいのです。レイヴン様から賜った名を汚したくはありません」
それもまた確固たる想いとして、忠義の下にある信念が見事なまでの意志を示している。
その揺るぎない決意に水を差すのも憚られ、レイヴンは喉から出かける言葉を飲み下した。
眼を閉じ、刹那の逡巡を経て頷くレイヴンの仕草にまた一人違和感を抱いたのはサファイアだった。
同じ立場を持つ者として、此度ばかりはクロノスの言葉を黙って聞き過ごすことは出来なかった。
「ちょ、ちょっと待って! クロノス、アンタがそうまで言う理由は何なの? ただ能力を使うということが何故そこまで大きな話になるのか分からない!」
第三者として当然抱く疑問。
義に忠実なはずの者の、半ば背信的とさえ受けられるその提言が意味する義への忠誠はどこにあるのか。
どこか憐れみ掛かった目でクロノスを眺めるレイヴンのその口が悠然と開かれた。
「――クロノスは、恐らく此度の務めでその能力の大半を失う」
あまりにも呆気ない語り口に数瞬、言葉の意味に理解が遅れサファイアは喉を詰まらせた。
咄嗟に視線を向けたクロノスが否定することもなく佇む姿がその事実を裏付けている。
「そんな……それは本当なの?」
「ええ。紛れもない、事実ですよ」
クロノスもまた、澄ました顔で肯定する。
虚偽のない言葉通りのその情報を噛み砕き切れずに、サファイアの焦慮は加速度的に膨れ上がっていく。
そこに生じる戸惑いを見越し、クロノスは淡白な口調で語り始めた。
「先んじて、レイヴン様より承った大儀があります。この私の『時渡し』の能力により、私は膨大な魔力を使用しました。近頃顔を合わせることもなかったのはその為ですよ。そしてその時私がレイヴン様にお伝えしたのは――」
「……『次に同じだけの魔力を使えば、この能力は使い物にならなくなる』、と」
レイヴンがクロノスの口上を奪うように核心へと触れる。
今からそうなろうという本人の口から言わせる酷を見過ごせず、同情を含む声色で代弁したのだ。
表情一つ変えず君主の語りに耳を傾けたクロノスの、一点の曇りもない覚悟が垣間見える。
怪訝の欠片もなく佇む姿にその事実を呑ませる説得力があった。
誰もが口を結び言葉を詰まらせる中で、サファイアの生唾を飲み下した音だけが嫌に響く。
「……憐れまれてしまってはこの矜持に疑問が生まれてしまう。レイヴン様より賜る大儀こそこの身を賭すべき総てなのです。もし我が儘を言わせて頂けるのであれば、どうか、この矜持を誇りのままで居させて下さい」
いたたまれない視線の歯がゆさにクロノスが沈黙へと口火を切る。
同情で揺らぐ程度の自尊心ではないが、空々しく嘯いてみせた。
どんな眼で見られようと忠義の中にある誇りこそクロノスがクロノスたる由縁なのだ。
「……分かったよ。後任においては後ほど話を着けようじゃあないか。最早遠慮は要るまい。改めてこの『魔王』の名において命じようとも。クロノス、お前の力を使わせて貰う」
「――仰せのままに」
躊躇いもなく跪くクロノスの精悍な声と顔付きにレイヴンは奮うものさえ感じた。
ともすればその手厚い忠義に応える声にも力が入る。
「今一度、聖剣を我が手にすべく出向かおうとも。我が覇道に悔恨の念を残すことなど断じて有り得ん」
超然とした中に静かな怒り。
執念に等しいこだわりを、固く結んだ拳が露わにする。
あるいは、失敗という事実への激しい屈辱感なのか。
臣下たちへそう感じさせる程、レイヴンにして感情が酷く剥き出しになっている。
正しく悔恨の念というものがレイヴンの行動原理だとすれば、未だに聖剣と口にする程の強いこだわりに臣下の彼等も納得せざるを得ない。
それが能力を奪う程の理不尽であろうと、彼等の言葉を失わせるだけの圧力があった。
誰しも異論を唱えることなく、レイヴンだけが声を荒げてまくし立てた。
「クロノスよ、よまや覚悟の有無など問うまでもあるまいな」
「無論」
「ならばガーネット。今すぐ俺とクロノスを彼の神殿へと連れてもらおう」
「畏まりました」
機敏な即応でレイヴンの命令に従う臣下たち。
今更その具体性に欠けた言葉を言及することもなく、ただ君主の気まぐれに付き合うだけだ。
もう一度あの場に立ち、そこで何を行うと言うのか。
ましてクロノスに至っては彼の神殿に足を踏み入れることすら初めてとなる。
聖剣を手にするという事、世から聖剣の抹消されたこの状態と如何様の差があるのか。
非合理的としか言いようのないその行為に、されど君主が渇望しているという以上の引き止まる理由は彼等になかった。
「サファイア、お前という存在のおかげで気付かされたとも。無闇にお前を傷つけてしまったことは、無駄じゃなかった。無駄にはさせない為に、彼の聖剣をこの手に持ち帰ると約束してみせよう」
「……はいっ!」
レイヴンは半ば一方的な言付けを吐き捨てるように口走る。
クロノスとガーネットの最低限の各人に意思を聞いた以上、焦燥感が先走りサファイアへの口実は多少おざなりになった。
それでも本人がレイヴンとの約束事という事実だけに浮かれているのなら、その言葉の内容自体に大した差異はないだろう。
口では耳心地の良い言葉で機嫌を取りながら、レイヴンの意識は既にサファイアには向いていない。
玉座から腰を浮かせ勇んだ足取りが物語るのは、聖剣への尋常ならざる執着心だ。
君主に気を急かさせてまで、その執着に疑問を持つことは配下の彼等になかった。
彼の魔王がそうしたいと望む以上の動機など存在しないのだ。
「では、往くぞ。此度こそ聖剣を我が物としよう」
鼓舞すら淡白な、されどそれ以外の言葉も必要としないほど揺るぎない意志に溢れている。
君主の言葉を濁さない控えめな返事と共に、彼等の足元を浮遊感が包んだ。




