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無限転生 -転生勇者の魔王譚-  作者: ホモンロ
第三章 玉座の少年
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第三十九話 『不死の乙女-03』

 どうしようもなく疲弊しきった不愉快な感覚。

 姿勢を正すのも億劫で、頭蓋を支える体幹すら捨て頬杖をついた。

 固い背もたれに食い込むほど身体が沈んでいく。


 レイヴンはただ瞼を閉じ、深い呼吸で気を落ち着けていた。

 無心を欲すれば欲する毎に複雑な思考が脳裏を掠める。


 どこで道を踏み間違えたのか、どこで踏みとどまらなければならなかったのか。

 この割り切れない感情の発端は全て己の責任であることは自覚していた。

 思考が堀下がっていく度に、聖剣を手に入れるという目的の破綻がレイヴンの身体を更に重く沈める。

 打開策も浮かんでこないまま、扉を叩く鈍い音が響いた。


「……入れ」


 外的要因により否応なく思考が断ち切れる。

 考え続けても自責の念ばかり募るレイヴンには救いの手のようにも感じた。

 同時に、答えの出ない状況を遮るその間の悪さへの苛つきは拭えなかった。

 主君としてその務めを命じた手前、短い言葉を吐き出し溜飲を下げる。


「失礼します」


 そう言って、扉を押し開く荘厳な音と共に現れたのはサファイアだった。

 艶やかな衣を身に纏い、普段には見ない装いで佇んでいる。

 千度の人生で審美眼の肥えたレイヴンでさえ、その姿を素直に見目麗しく思う。

 それだけにその固い緊張感が収まり悪く浮ついていた。


 サファイアの緊張を解すため他愛もない戯言を一つ、二つ。

 無邪気な弾んだ声色に彼女らしさを感じながら、その心象に温度差を感じる。

 この場におけるサファイアの気負いようを咎める気こそないが、互いに持ち合わせた心事が同じ方向を指しているとは限らない。

 レイヴンは心中に、サファイアの期待には応えられないことを予見していた。


 現に、この()()()()()()()()を前に情欲一つ湧いてこなかった。

 伊達に千度の人生を、よもや世界を救う英雄ともあればこういった経験も少なくはない。

 勇者という、無条件で異性からの好意的な視線を向けられてきた経験上、いつしか行為そのものを怠惰なだけのものに感じていたのだ。

 故に、今こうして対峙する少女との間で期待するものに隔絶した齟齬が生まれる。


「……建て前は省かせてもらう」


 おもむろに席を立ったかと思えば、レイヴンは強引にサファイアの腕を掴んだ。

 華奢な細腕がへし折れてしまいそうなほど乱雑に身を引き寄せ、密着した身体からサファイアの跳ね上がっていく緊張を直に感じる。


 強張った身体から漏れ出すサファイアの吐息がレイヴンの顔をしっとりと撫ぜる距離。

 レイヴンの腕の中でサファイアが小刻みに震えている。

 そうとは悟らせないようにか、下唇を噛みながら息を押し殺すように平静を保っていた。

 恐怖ではない、期待と悦でサファイアの表情が切迫していく。


「レイヴン様……!」


 諦念か、身を捧げる覚悟か、サファイアはレイヴンの名を呟き息を呑んだ。

 敬虔な少女のか弱い息遣いにレイヴンの理性のたがが外れる。


「悪いが、どうやら今宵の俺は歯止めを利かせられそうにないらしい」


 最後の理性により紡がれた言葉がサファイアの多幸感を逆撫でた。

 いよいよ期待せざるを得ない言葉に、脳が呑み込むよりも先にレイヴンが強行的にサファイアの思考を遮る。


 浮ついた足元はあまりにも容易く崩され、何の抵抗もなく天蓋の下へと押し倒された。

 羽のように軽い空気の奔流に燭台の火が揺れる。

 揺らいだ灯火が、サファイアに覆い被さったレイヴンの表情に影をはためかせる。


 天蓋の下からレイヴンの顔を見上げている、その状況が既に限りない悦に等しい。

 このまま永遠を過ごせれば良いのに、とサファイアは影に溶けるレイヴンの表情から一瞬も目を逸らさず胸に秘める。


 衣は淫らにはだけ、上目遣いに視線を送り、力の抜けた腕を豪奢な寝台に強く押し付けられながら、なされるがままに身を捧げる。

 レイヴンの握り締める手が強くなるばかりの刻々と過ぎ行く時間だけが、夢から覚めるような現実を伝えた。


「レイヴン、様……?」


 影に潜むレイヴンの表情を見上げながらもう一度怪訝にその名を呼びかける。

 返事は、更に強まる手の力がいよいよ危うさを感じる域に至ることで応えられた。


「――レ、レイヴン様っ!?」


 サファイアは痛覚に身を悶えだし、この異様な状況への焦りを隠せず呼吸を荒げた。

 サファイアの力では振り解くことも出来ないほど、もとより、抵抗することさえ何か背信的になる異常性。


 サファイアはこの期に及んで被虐的な思考が脳裏を過ぎる卑しさを自責する。

 痛みと反省で停止したサファイアの頭を動かしたのは、レイヴンの声だった。


「――そ……が……っ!」


 レイヴンが何か口を開いたという認識に言葉の意味が追いつかない。

 密かに力んだ息遣いが、ただ怒りという感情を露わにする。


「――クソがァ!!」


「……ッ!?」


 レイヴンの口から言葉としての意味を発した瞬間、サファイアの下腹部に伝う激しい熱。

 暫時、戸惑うサファイアの理解に遅れ、激しい鈍痛が状況を教える。

 レイヴンの固めた拳がサファイアの無防備な腹に突き刺さっていた。

 

 それは、ただ単純に暴力的な言葉だ。

 暴力的なまでの、そこに意味さえ存在しない陵辱。

 辱めや快楽すら、嗜虐の価値もない、ただの暴力。


 怒りのままに振り下ろされた拳はサファイアの内蔵を抉り出してしまいそうなほど沈み込む。

 肺から失った空気がサファイアの疑心を言葉に変えることもさせないまま、漏れ出すような声が何とか喉を通した。


「……レ……ヴン、様……な……ぜ……ッ?」


 苦しみに悶え歪んだ顔がおよそ貞操を捧げる覚悟を決めた少女の表情に相応しくない。

 めかし込んだ衣服や化粧も関係なく、腹に突き刺さる鈍痛が伝えてくれるのはただ怒りのみ。

 サファイアの自動再生は虚しく作用し、レイヴンの不毛な暴力を肯定した。


「この俺が、失敗しただと……? ああ、永らく忘れかけていた感情を思い出すにはこの上ない方法だったなぁ。まさか、この身体で手に入らない物があったとは、考えもしなかった。何もかも……、何もかも、俺の見通しが甘かった所為だ……!」


 それはサファイアの疑問に対する応えというより、独り言のようにレイヴン自身に言い聞かせる囁き。

 語勢が強くなるに連れ、サファイアの腹を押し付ける腕にも力が込められる。

 レイヴンは肩が上下するほど息を荒げながら、怒りを噛み締めるように震える唇を開いた。


「サファイアぁ、今宵は俺の気が晴れるまで付き合ってもらうことになる。死なないように耐えてくれよぉ? そのためにお前を……呼びつけたんだからなぁ!?」


 悠然と振りかぶった腕がレイヴンの哮りと同時に再びサファイアの腹部を襲う。

 ねっとりと間延びした語尾が何時にもなく、一切の冷静さをも欠けさせていることが解る。


 サファイアの痛覚への耐性さえ意味を成さず襲い来る激しい苦しみ。

 自動で再生する特異体質が追いつかないほど、サファイアの能力を上回る破壊力は緩むことなく天蓋の下に釘付けた。


 振りかぶっては、降ろし、何度でも痛めつける。

 汚らしいだけの意味を持たない罵詈雑言と共に、歯痒さの限り拳を突き刺す。

 何度も、何度も、腹を殴られ続ける最中に、サファイアはもどかしくも高ぶる何かを開眼した。

 サファイアの身体を激しく求めるレイヴンに、味わい深い死の片鱗を見ていたのだ。


 かつて目にしたこともないおぞましいほどの気迫で迫り来るレイヴンの表情が尚更愛おしく映っている。

 この苦痛すら、崇拝なる君主に捧げた己が身の他の何にも代え難い愛として受け入れる。

 サファイアにしか示すことの出来ない狂気の忠誠は、レイヴンの鬱屈が紛れるまで続いた。


「――レ……さ、ま……」


 殴り疲れ荒れた呼吸だけが響く天蓋の下に、最早声ともつかない音がレイヴンの耳を傾かせた。

 指先一つ動かすことも出来ずにだらりと脱力した腕が発作的に痙攣を起こす。

 徐々に回復していく特異な能力が、命の淵で力無いサファイアの声色に生気を取り戻させた。


「レイヴン様が、望まれるのなら……こんなことで、気晴らしになるのなら……サファイアの身体など……」


 指先を持ち上げる気力さえ尽きた意識の狭間。

 昏睡に近い状態で伸ばした腕をレイヴンの顔に添え輪郭を撫ぜる。

 それが無礼な行為かさえ判断の鈍い憔悴した思考で焼け付く喉を張り上げた。


「――壊して、ください……!」


 理性が守ったというにはいささか傷付き過ぎた身体を差し出し、捧げる。

 最早この身体、この命は君主の物。

 このまま殴り続けることも、華のように命を摘むこともレイヴンの自由だ。

 そうなることを望み、そうなることがまたサファイアの救いだった。


 サファイアの特異体質とてたかが命一つ、レイヴンがその気になれば存在ごと消滅させることも可能なのだろう。

 今ここに僅かながら残るサファイアの意識を摘み取ることなど造作もない。

 それを知った上でレイヴンの衝動を助長する。

 理性の邪魔立てない本能のままに、憤怒という衝動を逆撫でた。


「ああいいだろう、壊してやろう! この魔王の肉体というものをその身を持って知るがいい! お前が望むように、お前という存在の全てを壊し尽くしてやろうとも!」


 レイヴンの突き上げた拳に魔力が宿る。

 禍々しく豪胆な魔力の暗い光が集い、徐々に膨れ上がっていく。

 回復の間に合いきっていないサファイアの身体が今それを受ければ無事でいられるはずもない。


 悠然と閉ざしたまぶたがサファイアの肌を伝う熱の感覚をより鋭利に研ぎ澄ませた。

 膨大な魔力の奔流が焼け付くような疼痛を生み、それが心地良くサファイアの柔肌に纏わりつく。

 死こそ最上の快楽に等しいサファイアだからこそ、そこに安らかな刺激を感じている。


 まぶたは重く新たな光を得ようともしないまま、サファイアは微笑みを携えた。

 可視化した魔力の光をまぶたの裏に感じながら、レイヴンの腕が振り下ろされるその瞬間を待ちわびる。

 自然と強張るサファイアの身体が至上の悦を求めて息を呑んだ。

 そして、膨大な力が凝縮した魔力の塊が極限の状態へと達する。


「――壊す……?」


 忽然、レイヴンが思い詰めたように呟いた。

 どうにも腑に落ちていないような、憮然とした言葉がサファイアの頭上に零れ落ちる。

 間の抜けた空気に急激な落差で緊張は緩和し、凄絶な魔力が緩やかに静寂へと呑まれていく。

 遮絶した魔力の奔流の余韻に、サファイアは戸惑いを隠せなかった。


「そうか。壊せば、良いか……」


 そう口にして、魔力の失せた掌を見つめたままレイヴンは膠着する。

 サファイアの腕を締め付ける圧も収まってきたところで、生殺しのもどかしさが先に立つ。


「な、何か、思い付かれたのですか?」


 自動再生により苦痛が和らいでいく中で、思考に耽るレイヴンへ水を差すことの躊躇いにも好奇が勝った。

 馬乗りで覆い被さられたままのこの状況で、沈黙し続けているというのも逆に不自然だろう。


「サファイア、お前が居てくれて良かった。お前でなければ俺はこの衝動を抑えきることは出来なかっただろう。おかげで頭を冷やすことが出来た」


 憤りは晴れたらしいという声息だけは解る、取って付けたような義務的な言葉だ。

 代わりに、何か策謀じみた企みが明け透けて見えるほど散漫にあしらう。


 心ここに在らずとばかりの打って変わったレイヴンの表情に取り合わせられる余地もなく、サファイアは行く末を案じることしか出来ない。

 無闇に身悶えすることすら思考の邪魔かと、身動きも出来ない珍妙なこの状況を気まずく居過ごす。


「……再生し、壊す……」


 否応なく耳に入ってしまうレイヴンの独り言が剣呑と響いた。

 今宵サファイアの身に降りかかった災難が、ある種その一言に集約された呟きだった。


「改めて礼をするぞサファイア。どうやら、聖剣を諦めないで済みそうだ」


「そ、そんなっ! 私は何も……」


 礼を言われるほどの手応えもなく、レイヴンの賛辞に謙遜で応える。

 その所為か、危うく聞き逃しかけた一言に思わず目を見開いた。


「……聖剣、と?」


 言葉を交わさずとも分かる。

 目を見合わせ、それを肯定するように伏せた。

 そして、レイヴンは煩わしげに大きく息を吸う。


「――ガーネットッ! ガーネットォッ!!」


 二人きりの密室で目の前の少女とは別の名を叫ぶ。

 天蓋の下に重なり合っているという条件下であまりにも無粋な行為に、口を挟むことすら躊躇う気概を発している。

 独りでに純情をこじらせたサファイアをよそに、件の人物が何処からか密かに影を現した。


「お呼びでございますか?」


「今すぐクロノスを呼び戻せ。ヤツの能力(ちから)が必要だ」


「……畏まりました」


 ガーネットはサファイアへと横目に一瞥を下し、気にした素振りもなく下命を承る。

 始終を見ていた訳でもないはずのその内容にも、サファイアすら気にかかる違和感を一切も見せない。

 この時宜で今しがたレイヴンの口から聞こえた名への疑問は一抹に浮かび上がる。


 ともあれ、レイヴンの気勢が収まるにはレイヴン自身が納得するまで静観する以外の方法は無いのだろう。

 家臣として手出しできない領域にサファイアは不甲斐なさを感じていた。

 成り行きの間に再生していく四肢が無意識に力んだ。


「この場に連れるには何やら少々場違いなご様子。玉座の間にて、しばしお時間頂きますよう」


 馬乗りという状態のまま進行した相互伝達。

 この状況においてどちらがより君主からの寵愛を授かっているのかなど比較して、さりげなく勝ち誇るのは野暮ったい感情だろう。




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