第三十二話 『聖剣狩り-05』
ファントマが発ってからかれこれ数刻。
麓では待ち惚けることを飽きた様子もなげに、レイヴンが腰掛にどっかりと身体を預けて以来立ち上がることはなかった。
勿論、構内では凄絶な戦いを繰り広げているはずのファントマの雄叫びや地鳴りの類が聞こえてくることもなく。
外観として代わり映えのない神殿を眺め上げていたところで何の面白みもない。
それでもレイヴンは、どこか愉しげにすら見える雰囲気を持ちながら待ち続ける。
レイヴンにとっては平たく言って建て前でしかない聖剣の存在も家臣を動かすには絶大な意味になる。
いくぶん無茶をさせている自覚はあった。無茶を押し通せてしまう立場に甘んじて、それに付き合ってくれる配下を便利に扱ってきた。
現に千度の人生における勇者的な基準でファントマを向かわせはしたが、勇者が勇者たる所以を考慮していなかったことに今更になって思い至っている。聖と魔の性質を含め、膂力や技術の理論では計れない強さをファントマは持ち得ない。単純な実力における物差しでは通用しない強さという致命的な点が頭から抜け落ちた状態で命じてしまっていたのだ。
されど、そこに対する悪びれや加勢もないことが最も無茶な扱いなのだろう。
それをある種の信頼と言えば聞こえは良いか。
「……そろそろ、辿り着いた頃合いか?」
地響きは届かないこの麓に、伝わってくる気配を直感と呼ぶしかない。
ただ、気の揺れというべきか、頬を撫ぜて行く風の形のような、そんな雰囲気でしか感受し得ない微小の揺れ。
そこにファントマの笑みを目に浮かべながら時宜を見計らう。
ぼちぼち番人が待ち受ける部屋に辿り着いた頃合いだろうか。
そんな、漠然とした雰囲気を認め、レイヴンは己が勇者だった時の記憶を思い出す。
聖剣の間へと挑む緊張感は息詰まるものがある。
魔王と対峙する時の腹を決めるしかないという雰囲気ともまた違う、それによって得る力への高揚感もあるのだろう。
聖剣を手に入れるというのはそれだけで矜持が生まれるものだ。
聖剣を手にするのは勇者として魔王に挑む舞台に初めて立てる瞬間と言えるだろう。
もっとも、それが立場の違うファントマとどれだけ当てはまるかは別件ではあるが。
果たして、立場の差がファントマに与える影響は如何ほどに及ぶのか。ファントマに課せられたのは、ありもしない忠誠で君主に命じられたという使命感のみ。むしろ己の愉悦のためという意味合いは隠せていない。
千度の人生に退廃的にはなれど、流石のレイヴンもその心持で聖剣に挑んだことは一度もないだけに、記憶も参考にはなりそうになかった。
待たれる結果だけが聖剣の所在を決めてくれることになるだろう。
よもやそんな無責任な扱いを受けているとは思いもしてないファントマに、無事を祈るのもおこがましいところである。
とは言えその心情がレイヴンの装いを変えることもない。
我ながらに家臣への冷遇を鼻で笑ってやるでもなく、放任主義のように大雑把な方針だ。
それで配下が付いて来るのだからレイヴンも姿勢を変えるつもりはなかった。
もとより、他人への興味を失せてから永いレイヴンが今更ファントマの安否を気遣うのも虫唾が走る。
心配ではない。信頼でもない。
レイヴンの中にある感情はファントマが聖剣を持ち帰るという結果への期待だ。
結果を知った賭け事に面白みがないのと同じく、ファントマの生還という分かり切った結果に聖剣の有無を賭けたのだ。
もはや心配や信頼ですらない前提に等しい過信の中で、ちょっとした遊び心が退屈を埋めていた。
「精々、張り切るがいいとも」
ファントマの耳には届くことのない言葉短かな激励は吹きすさぶ風に掻き消される。
ねめつけた視線を打ち払うように、神殿は鼓動する如き錯覚を見せた。
◆
先ほどまでの争乱は嘘のように静かだ。
講堂をひた歩く足音が反響して聞こえる。
何かの前触れを予感させるほどに、神殿中の、恐らく全ての空間が物静けさに包まれていた。
あれだけ居たはずの聖獣の気配を感じない。否、当然、広大な神殿の中でファントマの五感をもって感覚の届かない場所はある。
だが、この静寂はその中でも神殿全体が作為的に息を潜めているような、そんな気配だった。
考え得る限りの理由があるとすれば。
聖獣の猛威を払った侵略者の実力を十分と認めてか、無駄な犠牲を出さぬ内に聖剣への舞台を明け渡したのだろう。あれだけの数で侵略者を追い払えなかったという事象に対して、更に数をかけたところで結果に変わりはない。
何よりも、聖剣へ挑む資格を見極める者としての役目は全うしている。
聖獣の知性に組み込まれた生存本能が次なる段階への案内となっているのだ。
つまり、静寂が聖剣への筋道を示している、といったところか。
ともすれば、後は聖剣の間へと続く道程を見つけるのみ。
それが簡単に事を運べていればファントマも文句を垂れる必要はなかったのである。
「……ったく、どこまで歩かせやがんだよ……」
疲労の上にさらに疲労が、神殿の神気に蝕まれていく。
歩けども見つからない苛立ちを募らせながら、牛歩の如く足を運ぶ。
聖獣の気配がないことを認め、腐屍族たちにも散開を命じ草の根を分けた。
現状に脅威がない以上腐屍族に任せて一息ついて待っていてもよさそうなものだが、行軍に付き合うことで傍若無人に振り回した分のせめてもの償いとするには少々強引だろう。
もとい、少しでも体を動かしていなければ聖剣の番人と対峙する前に神殿の神気で酔いつぶれてしまう。
文句を垂れていたところで遣る瀬の無い現状。
奥に、奥にと足を運ぶのみだが、それが果たして深部へと近付いている正しい道かどうかすら分からなかった。
ファントマには歩くごとに聖獣を相手にした高揚が冷めつつあるのも淋しいところ。だが、当てのない足取りが目的に近付いているような漠然とした直感が、それ以上に心を躍らせてくれる。
手を分けしらみつぶしに入り組んだ横道を埋めていく。
突き当たりを引き返すだけでも時間以上に気をすり減らされた。
理性のない腐屍族たちの未だに衰えることのない足取りを羨みながら、しかし着実に前進していた実感はあった。
その根拠とも呼べるものは本能でしかないが、進む度に何となく感じていた聖剣の気のようなものが次第に強くなっていく状況を確信とするのも間違ってはいないだろう。
手がかりのない広大な迷宮でその感覚を頼りにするのもやぶさかではなかった。
「――近い、か……?」
いよいよ根性比べで負けを認めそうになった頃、ファントマの中で聖剣の気配への確信度は急激に増した。
冷たい風でも浴びたような、通り過ぎかけた横道から押し寄せてくる重圧感に反身を翻す。
道は枝分かれもせず只管に真っ直ぐ伸びきっていた。
先が見えない、ということにはこれまでの道程と変わりはない。その続く先が行き当たりだったことも経験してきた上で、ファントマは何故か嫌に視線を奪われる。
それを確信とするには早計か。
どうせ、直感以外が当てにならない状況に打開策もない。
ファントマは誘われるように横道を選んだ。
視界の届く限り只管に真っ直ぐなだけの道。行き当たれば引き返すしかない道など腐屍族に任せてしまえば良いものを、駒の使い方が下手と言うべきか。
されど、ファントマにとって最大の確信に基づいた行動を他の誰かに譲る理由もなかった。
「近い。ああ、近いな!」
無意識に歩幅の大きくなっている足取り。声も弾む。
聖剣が放っているのであろう。神気が強くなっていく度に、確信と期待は加速度的に高まっていった。
――故に。
辿り着いた末の待ち構えていた重厚な扉への驚きと感動は思いの外に小さかった。
それも当然、故郷に実家があるのと同じく、そこに聖剣の間があることを確信していたファントマが驚いていてはむしろ道理が通らない。当たり前に存在しているものにいちいち感動してやっては無駄に疲れるだけだ。
荘厳で豪奢な扉が目の前で佇む光景にファントマは何処か郷愁すら覚えていた。
想像以上に想像通りの存在感に安堵する。
扉越しに感じる聖剣の圧力が、妙に心地よかった。
ファントマは扉に片の手のひらを押し当てた。
そこに力を加えるまでもなく、触れただけでずしりとした重みが伝わってくる。
温まった身体にじんわりと広がった扉の無機質な冷たさが逸る気持ちを抑えてくれた。
勢い余ってそのまま扉を押し開けそうなところ。扉越しですら重たい聖剣の圧力を準備もなしに受けるには息苦しいだろう。
改めて呼吸を整えてから、ファントマは扉を触れた手のひらに力を入れる。
「騒がせちまったみてえで悪かったな。待たせたか?」
悠然と開く扉。
ノックもない代わりに、扉の先で待っていた番人に挨拶だけはくれてやった。
これまでの広大な神殿の講堂を更に横へ四棟近い幅を広げ天井もそれに応じて高くなった空間に、ファントマの無骨な戯言は響いた。
待たせ人でもない相手には不適切な言葉だ。
空間を開け、まず真っ先に感じるのは圧倒的な重圧。
肌を劈きながら圧し掛かってくるような、それが聖剣から来る威圧感であることは刹那にして理解する。息を整え身構えた以上に重い圧力からファントマは思わず目を細めた。
聖と魔の性質がここに来て嫌悪を思い出せるのか、直視を避けようとする反射的な反応だ。
されど、確かに両の眼で捉えた台座に番えられる聖剣の姿は、酷く美しい刀身から輝きを放っていた。
玉座に君臨する王の如く、すらと伸びた刀身を誇らしげに佇んでいる。
空間そのものを依り代とするばかりの優雅な出で立ち。
魔族であるファントマですら重圧を忘れ見惚れてしまいそうになる。
それ以上に、聖剣と同じく目を惹かれる存在こそ、ファントマには何よりも魅力を感じられた。
「……聖域ヲ犯ス者ヨ、良クゾ辿リ着イテ見セタ」
響く重低音。
およそ人間、あるいは魔族が発するであろう声の概念には存在しない音だった。
しかし、耳は音を確実に拾っている。
それが賞賛であることを感受しつつ、ファントマは改めて声の主を一瞥する。
聖剣を番えた台座を背に、拳を固めた腕を胸部の前で交差し跪く巨体。立ち上がった姿を想像するに、講堂内の天井にすら頭を触れさせるほどか。背丈に合わせて全身が筋肉で膨らんだ恰幅は一目で分かるほど驚異的な膂力を誇っている。
何よりも、巨躯以上に目に付くのはその歪な容姿だ。
面相は獅子、頭部には人間の大腿程もあろう牡牛の如し双角。
黒い獣毛に覆われた人の形態を成す五体は、しかし巨獣と言い表す他にない。
鋭利な爪を携えた前肢が獅子と、膂力の塊たる力強い後肢は牡牛だ。
その背に負った蝙蝠のような大翼がこの巨躯を中空に舞わせるというのか。
背丈に近い長い尾は地を這うように垂れている。
正に、歪。
全身を成す全てが生物としての整合性を取れていない。
もとより、生物という概念に捉われていない存在なのだろう。
ただ聖剣を守る番人としての能力に傑出した、巨獣だ。
「ワレ、聖域ノ守護者也。汝ガ聖剣ヲ得ル者ニ相応シイ存在トスルカ、見極メン」
「ハッ! でかい成りしてるくせにみみっちい御託はいらねえんだよ。いいから、さっさと立ち上がって見せやがれ」
腕の交差を解き、立ち上がった巨躯の圧倒感は想像以上に仰々しい。
一つの動作に漏れだす息吹きが飢えた獣のように荒れていた。
あるいは、これほどの巨躯を動かすために消耗される活性力の膨大さが大げさに見えているだけなのだろう。
その全てが桁外れな規模を誇る、番人としての能力を裏付ける証だった。
「……――イザ」
ファントマの主義に則って、言葉少なな番人の身構え。
ファントマもまたそれに応えるように姿勢を低く構える。
暫時、静寂と共に対峙した両者の意気は重なった。
異形と、異形なる思想が交差する。
聖剣と、神殿と、魔王と、勇者と。あらゆる思考が巡る脳内で、唯一両者に共通した感情。
ただ目の前の存在を屠る。その単純な殺意だけが空間を形成し上げた。
両者の視線がぶつかり合う。
その瞬間、立ち込めた静寂は打ち破られた。
空間を、神殿そのものさえ、あるいは大地をも震わせる衝撃が走った。
唸り上げる振動が両者を包む。




