第二十九話 『聖剣狩り-02』
それはレイヴンだけの習性なのだろう。
魔王を討つと志した勇者がいざ旅立とうとするのと同時に、半ば業務的に聖剣を手に入れようという考えを持ち出すのは合理性に凝り固まった『勇者』だけでなくてはならない。
かつては恋人の父親から授かった剣で戦い続けることに勇者としての意思を貫いたのだろうが、魔王の戦いにおいて聖剣を手にしていることは最も攻略に近い。
改めて当時の自分の愚かさに気づかされると同時に、未だに当時の心境を思い出せる。
アリーシャの父親は辺境の村の鍛冶師ながら紛れもなく腕の良い人物だった。
それはあらゆる世界を巡ってきた、魔王となった今でも思える。何分、千度も世界を巡ればなまくらを掴まされることも少なくはない。いつぞやそこらの獣との戦闘中にぽっきり折れてしまった経験を思い出せば、『魔王』の下に辿り着くまでの旅路を付き合ってくれていただけよっぽどマシな腕と言える。ただ、あくまでも腕の良いというだけの鍛冶師の域を超えてはいなかった。
信頼や義理や信念の、勇者の勇者然とした脆弱な剣で魔王の肉を断ち切ることは出来ない。
浅はかな感情で握りしめた剣がレイヴンの喉元に届かなかったことは必然だったのだ。
村の鍛冶屋が打ったものではない、勇者のみその力を引き出せる聖剣でなければ、如何に鋭利な刀身だとしてもこの身を通すことはないだろう。
とにかく。
魔王を討つ者が勇者と相場で決まっているように、勇者の手にする武器は聖剣であるべきなのだ。
誰よりも勇者であり、誰よりも勇者とかけ離れた存在のレイヴンだからこそ、合理性から生じた結論だった。
「聖剣ねぇ……、聖剣を狩るだと? そいつはまた面白いことを言う。獣を追いかけ回すのとはまた訳が違うぜ。そんな代物、意味もなく狩るったって気を乗らせるのも一苦労だ」
最終的には魔王の命令という理由に勝ることはないのだが、流石のファントマもあまりに突飛な話に口を挟まずにはいられなかったらしい。そのざわついた心情も察するところだが、ファントマが強者への渇望を一旦伏せておくほど冷静にさせるのもやむを得ないだろう。
端的に、魔族にとって聖剣やそれに準じた聖なる遺物は忌みされる。
ファントマもまた例外ではなく、考えなしで聖剣に近づくことへの嫌悪感は隠せなかった。
「いや、不安などと安い台詞では言葉足らずだったな。なんてことはない。この世界を絶望に陥れるその道中でつまらない邪魔に足止めされたくないだけだとも。人類に敢えて僅かな希望を残してやることも下らんだろう」
この魔王の身体を持ってしても脳裏にチラつく。
およそ千度の人生、勇者でしかなかったレイヴンがこの魔王の肉体から感じる新鮮さを愉しむには、聖剣という存在は目障りだった。
邪魔になるか、とすれば石ころ程度の妨害にしかならないのだろうが、濃度の高い勇者としての経験が妙に危機感を煽ってくる。石ころにつまずいて怪我をしても面白くはない。
だからこそ魔王として得た忠誠を利用し、道を踏み固めるのだ。
赤い絨毯を敷くほど念入りではなくとも、従者に砂利を払って先導させるくらいの傲慢は許されているだろう。
「端的に言うぞ。ファントマ、聖剣を俺の下へ引き下げて来い。聖剣が人類の手へと渡る前にな」
「……分かったよ。何を言ったって許されちゃあいないんならこれ以上は口にしねえ。ただ、その前に一つだけ改めて確かめさせてくれ。その仕事の適任者は、本当に俺なんだな?」
この場でクロノスが不在を決め込んだように、ファントマは適材適所の決りを求めている。
つまるところ、聖剣に結び付く強者の存在を確認しているのだ。聖剣も使用者が居なければただの剣。それだけではファントマが素直に合点のいくほどの裏付けには成り得ない。
レイヴンに骨を折るとまで言わしめた、未だ空想でしかない相手の姿が見えてこないことにいまいち踏ん切りがつかないのだ。
ファントマはレイヴンの口から虚飾なく頷ける確証が欲しいだけだった。
「勿論だ。聖剣が祀られている大神殿は愚者が容易に立ち入れぬよう、迷宮状になった堂内を無数の聖獣が徘徊している。そして聖剣が番えられた部屋には侵入者を待ち詫びる、途方もなく強靭な番人が鎮座しているからな。アレは俺でも単純な腕力のみで捻じ伏せることは出来ん」
まるで実際にその目で見てきたかのように語るレイヴンの様子に怪訝を抱きつつ、しかし、聖剣という存在を持ち出されてまで今更そんな小さな疑惑を気にするファントマではない。
レイヴンの言葉はファントマの脳内で甘美な囁きに変換され、聖剣への嫌悪感もいくらか晴れていた。
されど空想でしかない相手の姿。それでも、ファントマが妄想を膨らませるには十分な言葉だった。
よもや千度の人生でレイヴンが実際にそういった体験をしてきたことなど知る由もない。
その妙に現実性の富んだ語り口にそそられる。魔王だからという理由以外で、その現実性のある知識への違和感をおとなしく受け入れられることはなかったのだろう。
魔王が全能のようにも見える違和感は存外に小さい。
魔王だから、どれだけ誇大妄想に聞こえる戯言も信憑に足るのだ。
「戯れが過ぎるんじゃねえか? アンタにそれだけ言わせるなんてよっぽどのことだ」
「人類に聖剣を渡すのはよっぽどのことだろう? 俺は何も誇張してはいない。お前の耳に仰々しく聞こえるんだったら、それが事実だとも」
「……いいや。事実だから、昂ってんだ」
「ああ。それでこそ、ファントマだよ」
示し合わせるように笑みを重ね合う両者。片や高揚から零れ落ちた笑みと、片や期待を含めた苦笑。
本来、苦境でしかないはずのこの大役を任されたファントマから高揚感を見せられては、それに呆れる君主という構図の議論へと割り入ることは出来ないだろう。
ガーネットとサファイアは珍しく気を通じ合わせたように同じことを悟っていた。
その後処理のしわ寄せが自分たちへと巡りくる予感を、ただ受け入れることしか出来なかった。
◆
暇があれば強者を求めてしまうファントマの感覚は、理解できなくもなかった。
千度の人生、魔王を討つという行為はレイヴンにとって退屈を紛らせるための一つの手段だったのだろう。
それを勇者の宿命と置き換えて自らを正当化することで自我を保ってきた。
否、その苦しみとファントマを同列に語るのは分類から違う。
ファントマはファントマなりに、戦いの中で己の在り方を示している。
だからこそ、戦いの場へと向かうその後ろ姿がある種勇者的にすら見えるのだ。
魔王に立ち向かうからこそ『勇者』が『勇者』であり、戦場へ向かうからこそファントマがファントマたる所以である。
いずれも、それを辞めてしまった時点で己が己でなくなることを知っていたのだろう。
敗北から始まって尚も千度の人生を勇者であり続けた様に、ハワードに敗れて尚戦地へと赴くことで自我を保っているのだ。
その姿が、どこか生き急いでいるようで、破滅的にも見えるかつての自分と重なってしまうことをレイヴンは独りでに危惧していた。
その生き急ぎが生じてか、曰く「一人で行くから余計な足手まといは連れて行かねえ」と強情を張るファントマに腐屍族を連れ従わせることは少々手こずった。
最終的にはレイヴンの言葉が降るまで意地を張っていたわけだが、迷宮状の道のりを散策することなどお前の得手とするところではないだろう、と指摘され初めて渋々と承諾する。
従者を使役することもまた得手とはしないのだろうが、それ以上に迷宮を練り歩いて道を選んでいくような作業は性に合わないらしい。
荒れ果てた岩肌が剥き出しの切り立った渓谷は、奈落のような闇が谷底を埋め尽くしている。険しい環境の中で渓谷の上に聳え立つ、神々が造り上げた煌びやかな建造物が見下ろしてくるようだ。その空間だけが世界から隔絶されているような、神秘的と言い換える他にない圧倒的な存在感。
もっとも、何百と巡ってきた似たような体験にいちいち感動することはない。
よもや魔王の目を通して見るそこは、くすんで見えた。
ガーネットの転移の魔法により数十体の腐屍族を引き連れ降り立ったそこは、聖剣が祀られる大神殿の麓である。
神殿のそれ自体に秘められた聖の力にガーネットの魔の力が干渉を拒み合うために直接講堂内にとはいかないらしく、こうして麓から眺め上げるだけのレイヴンは気ままにファントマの経過を待っている。
レイヴンが腰を浮かせたのは、知識に基づいた道案内という名分のただの退屈しのぎだ。
口頭で十分に伝わるはずの行軍にのこのこついてきたレイヴンの役どころは、隷属の男どもを闘技させる悪趣味な貴族かのように傍から進行の動静を眺めていることだけだった。要するに、必要もない見張り役といったところか。
その間、城の留守はサファイアに任せてきている。サファイアが一人取り残されていることに拗ねているというのは別の話だ。君主の不在を良いことに残り香や玉座に残った温もり堪能していることは更に別の話である。
そんなサファイアの人知れぬ楽しみはさておき。
この世界で、魔王としてこの場に立っているもどかしさを咬みしだく。
今のレイヴンがかつての己に敗北する姿など想像もつかない。それは聖剣を手にしているかどうかの差ですらなく、かつてあの時あの瞬間が決めた敗北の運命が覆ることはなかったのだ。
少なくとも、一介の剣で貫ける程度の力を宿してはないことをこの肉体から感じている。
聖剣を得ることがまず魔王を討つための前提だとすれば、その舞台に立った気で居ただけのかつての自分の未熟さを痛切に感じるものだ。
世界を賭けた舞台におもちゃで乗り上がった稚拙さに後悔すら募らせることも出来ない。
結果論と割り切ればそれまでだが、かつてこの場所に来ることを考えなかった自らを呪うしかないだろう。
それだけに、聖剣の有無が分つ差ですらないことを教えてくるこの肉体が空しかった。
それでも、聖剣がこの魔王にとって石ころほどでも脅威となり得る唯一の代物であるならば。
この無限の輪廻に引導を渡してくれる可能性を秘めた聖剣を、素性も知れぬ他人の手に差し出してしまうのも虫が好かないだろう。その矮小たる可能性に夢を見てみるのも悪くはない。
圧倒的すぎる力の故に、『死』すら自らの手で選ぶことも出来ない肉体、魔王の立場。
魔王であることに飽きた頃にでも聖剣で首を掻っ切ればいい。その程度の考えだった。
千度の人生の中で次の世界へと巡るために自決という方法を選んだことも幾度とあった。それと同じだ。
あるいは、そんなレイヴンにとって事前に清められた剣を用意しておくことはある種自然的なことなのだろう。
飽きるほど勇者でしかなかったレイヴンの、魔王という肉体から得る特別感に見合う代物は聖剣しか存在しないと断言できる。
その程度には、この魔王の肉体に愉悦を覚えている。
「――さて、ファントマの帰還までこの場でゆるりと待つとしようか」
数体ほどの腐屍族の護衛とガーネットを侍らせたレイヴンは呑気に呟く。
その麓とは言え、遠巻きにも神殿から放たれてくる風格には相容れぬ悠長な発言だ。
そんなレイヴンに付き合おうというガーネットもまた、ちゃっかりと待合用に主君の腰掛けを用意している辺りは中々目敏いところである。




