第二十八話 『聖剣狩り-01』
退屈には慣れているレイヴンが此の程も退屈に明け暮れている頃。
更に退屈さを見せびらかすように大あくびを吐き出す輩が一匹。もとい、一人。
玉座に肘を掛けるレイヴンの眼下で、これ見よがしに暇そうな素振りをしてみせたのはファントマだった。
白々しいまでの言外の態度で倦怠感を噛みしだいている。
確かに、勇者の故郷へと襲撃をかけてからこの方、件の男が退屈のはけ口にするほどの戦闘は行っていない。
彼はそこに不服を示しているのだろう。
ファントマは既に蹂躙者としての快楽に味を占めている。
レイヴンの、改め勇者の故郷の村人たちをいたぶったことでその想いが増大していったのだ。
ユークリッド帝国を陥れた先の戦とハワードとの試合で負った傷もまだ完全には癒えぬうちから、ファントマは戦いを渇望していた。
ハワードに敗北した鬱憤もそれを助長しているだろう。
蹂躙者として目覚めた快感を満たすこともまた蹂躙でしか得られない。
ファントマの傷は癒えた頃合いだった。
「ファントマよ、退屈そうだな」
「あん? 言わなくても見ての通りだぜ。この頃アンタが何も命令してくれねえから眠たくって仕方がねえ」
雑談のようなレイヴンの切り口にファントマは嘯いて返す。
改まって言われるまでもない。ファントマが退屈そうなのは、恐らくこの場の誰もが認めていた。
「それだけの軽口が叩ける分ならもはや怪我の影響は無いと見える」
「当然。戦場なら例え這ってでも向かえるくらいだ」
「頼もしい限りで何よりだよ」
ハワードに負わされた怪我をファントマは頑として治癒の魔法に頼らなかった。殆ど自然回復で完治まで近づいた生命力は大したものだ。屈辱の上塗りを嫌ってサファイアに泣きつくこともなく、よもやこれほどのホラを吹けるまでに癒えているのならもはや心配は不要だろう。
もとより、ことファントマに限って不安を持つという行為自体が既に無益なのだ。
戦場という餌さえ与えていれば彼は勝手に懐いてくれる。
「――で? 今回もまだ何もさせちゃあくれねえ訳かよ」
期待を持たせるようなレイヴンの口ぶりにいよいよ痺れを切らしたファントマ。
このところの不機嫌さも相まって気性が荒くなっている。
元来から仕える君主が相手だとしても容易に牙を剥くであろうファントマが此度ほどの喧嘩っ早さを見せたのにもいくつか理由はあった。
傷が癒えたことによる腕試しや戦場への欲求不満を含め、餌を寄越さない主人へのわだかまりもあるのかもしれない。
その中でも、この謁見の間に集う副官たちの内、不在を決めた約一名への妬みが最も大きな要因だろう。
「少し黙ってなさいよ犬ッコロ。人間なんかに負けた分際で、さらに弱い人間を蹂躙して喜んじゃって……、何度も言うようだけど口の利き方を弁えなさい。レイヴン様から御下命を頂くまで待っているのも従者の勤めよ」
何時ものごとく、ファントマに大してこれだけの取り次ぎを出来るのはサファイアだった。
「ンなもん関係ねえっつーんだよ。勇者の故郷に向かったときは怪我人を無理やり引っ張り出したクセして、治ったって今度は長丁場の待機状態だ。その割にあのいけ好かない騎士様は何か一人でコソコソと出払ってんだろ。約束が違うんじゃねえのかい、レイヴン様よ」
白々しいまでに不満の理由をさらけ出すファントマは、同じ待機状態であるべきはずのクロノスの存在を暗示しながらレイヴンをねめつけた。
無遠慮に君主を問い質す様にサファイアは呆れ混じりの感慨を示す。
恐らく彼は任を受けるべき順番を主張したいのだろう。サファイアから言わせれば、ファントマではなくクロノスが優先される責務などいくらでも想像できる。どう足掻いても目立ってしまう己の存在感を計りきれなかったファントマは、不満ばかりが先行して適材適所という言葉に至らなかったのだ。
そう、当たりを付けつつ、レイヴンの口を煩わせてしまう前に割って入った。
「クロノスが不在なのには何かしら理由があるからに決まっているでしょう? アンタじゃあ手に負えないことだってあるのよ」
「んじゃあ納得できる理由を聞かせてくれよ。アイツの手には負えて、俺じゃあ持て余すこと」
「アンタ……、自分の身形を分かってて言ってる? 戦いの場所以外でアンタの見てくれが目立たないところなんて無いの。文句を言うんだったらそれくらいあらかじめ踏まえておいてから言いなさいな」
サファイアは歯に衣を纏うことなく容赦のない物言いを突きつける。それだけに、件の騎士が戦場以外の場所にいるという説明には十分だ。逆を言えば、ファントマがこの壮健な状態で代わりにクロノスが戦地に赴いているという理由がないことを表している。
ファントマの先走った思考を改めさせるには適した制止だった。
と、勝手に解釈をしてはいるが、サファイアもクロノスの所在に心当たりはない。
少なくとも戦場ではないことを推測できるが、その行く先に当たりを付けるには至らなかった。
ただし、そんなことに拘るほど、ファントマのように気に留めることもなければ、レイヴンの考えを勘ぐるつもりもなかった。
例えば、それが子育てをしているという想像に及ぶはずもない。
「そうだともファントマ。よもやお前を差し置いて他の者に戦地へ赴かせることなどしない。飼い犬に手を噛まれるだけのような行為に何の意味がある。そんなことよりも……、そうとも、俺はお前の怪我が完全に癒えるのを待っていた」
結局、クロノスの所在を曖昧にしたまま、レイヴンは餌の匂いを嗅がせるのだ。
物理的に体が動かない状態以外で這う覚悟すら携えたファントマの、その怪我が完全に癒えるまですら待ったという所以。ファントマはその上質な香りに喉を鳴らさざるを得ない。これまでため込んだ鬱屈が解放されてしまいそうな予感に身体が勝手に震えていた。
この絶好の状態で、絶好の状態でなければ魔王さえ臆させる相手の存在に好奇心をくすぐられる。
君主のそのたった一言は、クロノスへの妬みすら馬鹿らしく思わせるほどの効力を持っていた。
「ファントマ。今度の相手ばかりはお前でも少々骨が折れるぞ」
こんなことばかり勘の鋭さを働かせるファントマの思考が早くも切り替わったと見るや、レイヴンは甘美な言葉を続けた。
肩書だけのようなものとはいえ四忠臣にまで上り詰めたこの腕でさえ、骨を折らせるという強大な存在。ファントマがその響きに胸を高鳴らせないはずがなかった。
否、実際にはこの力を持って魔王にこれほどまで言わせるものが、果たしてこの世に在るのかという疑念の間に揺れている。
それですら、魔王の発言という何者にも勝る権威を持った言葉がファントマの鼓動を早めていた。
よもやレイヴンともある者が無闇に期待だけさせるような発言などしないだろう。
レイヴンの口から紡がれたという事実だけで、空論のようなその言葉が現実味を帯びる。
探したって簡単に見つかるものでもない。戦いを求め、その度に失望を繰り返してきたファントマにとって、ハワードとの形式ばった試合にはない純粋な命の取り合いが、強さへの渇望と蹂躙への欲求のどちらをも満たし得る最上の馳走となるのだ。
それを中途半端に怪我を負った状態で味わうのはファントマの流儀とするところでは断じてない。
つまるところ、レイヴンの機宜を見定める眼に一点の陰りもなかったということだ。
「……ハッ! 骨の一本や二本くらいくれてやる。何本持ってかれようが構いやしねえ。この鬱憤を晴らせるだけの相手が居るんなら、どこにだって向かってやんぜ」
「いい気勢だな。やはり、お前に退屈は似合わん」
「心地の良いこと言ってくれる。けど、いい加減勿体ぶらないでくれよ。こっちはもう、ウズウズしてんだぜ」
気の急いた仕草を隠す素振りもないファントマが促すのは、他でもない件の存在の在処だ。
情報としてはその正体すら知らない段階でファントマはもはや出向くつもりでいる。否、もとよりレイヴンの口先一つで拒否権は与えられていないのだが、その扱い易さに感心すら覚えるものがある。
なればこそ、これから告げるその行き先に、彼は何の疑問も持たず赴くことであろう。
「――知っているかファントマ」
ファントマの灼然たる欲情を差し置いて、レイヴンはおもむろに問答を始めだした。
突拍子もない問いかけにファントマは虚を衝かれる。
「……あぁ?」
口から洩れたような意気でしか発音できないファントマにレイヴンは構わず続けるのだ。
「勇者のみがその力を完全に引き出すことができるという、剣の存在を――」
レイヴンの口から紡がれた言葉に耳を疑ったのはファントマだけではない。
傍らのガーネットも、サファイアも、あるいは脇を固めた自我を持たぬ骨の騎士たちですらその例外ではなかったのだろう。
この期に及んでファントマの行き先と『勇者』という存在が如何に結びつくのか。
しかし、君主の口から発せられた絶対の発言権を誰もが否定できないで居た。
剣がファントマの相手だとでも言うのか。否、そんなはずはない。無機質な物質に過ぎない剣が勝手に人を斬ることなど出来るはずがなかった。ならばその剣の所有者だとすれば、レイヴンも今しがた口にしたように唯一完全に力を引き出すことができる存在である勇者は今やこの世に居ない。よもやレイヴンも亡霊を相手どれと命令することはないだろう。
されど、そこが関連付いていないのだとしたら脈絡のないレイヴンの切り口に意図を見出せなかった。
勇者のみ力を完全に引き出せる剣。
レイヴンは退屈に乗じて考えていたことがある。
かつて勇者だったレイヴンだからこそその危険性を把握している。
その剣が、未だこの世界で野放しにされているという懸念だ。
「分かるかファントマ。俺はその剣が誰かの手に渡ってしまうことが不安で不安で仕方がないんだよ」
体よく憂いを装いながら、思ってもないようなことを強情げに口走る。よくこうもつらつらと嘘を綴れるものだとしたり顔の自分を嘲笑する。
無論、魔王だから勇者のみ力を完全に引き出せる剣の存在を懸念することは理屈に外れているところはない。理屈が通らないのは、魔王の力への過信に対するちっぽけな不安という感情だった。
それはもはや不安ですらない。ただ、今までの千度にも及ぶ勇者としての旅路で染みついた習性のようなものだ。
魔王を屠り新たな世界へと巡りゆく、その過程。
一途に魔王討伐という目的にひた走るとしたら、どの道が最も近道となるのか知り尽くしている。伊達に千度も世界を救い去ってやろうと考えたわけではないのだ。
そのレイヴンだからこそ、魔王という立場でありながら勇者が歩むべき行動を見通すことができる。
簡単な事だった。『勇者』として目覚めたあらゆる世界で振る舞ってきた、己の行動を読み返すだけのことだ。
そのあらゆる世界で当たり前のように手にしてきた物がある。
レイヴンの口から仄めかされてきた暗示を繋ぎ合わせれば、自ずと見えてくる答えが浮かび上がってくる。
否、もはや答えに至った今なら直接的だとさえ思える言葉だった。
誰もが理解から認識に至るまでの時差に戸惑いながら、レイヴンの意図へと辿り着いていく。
次に浮かんでくるのは、そんなことを考え付く魔王が何処にいるのだ、と。
目の前の君主の魔王らしからぬ超越した合理的な思考に、ガーネットが代表するように口を漏らした。
「……――聖剣」
「ああ。聖剣狩りだ」
果たして、そんな言葉の羅列で正しく成り立っているのか理解し難いところだが、あるいはレイヴンの意図は淀みなく伝わっていることだろう。
その絶対の力を持ちながら慢心を見せない、配下の者たちの目にはそのように映っているといったところか。
レイヴンは一人、玉座から不敵な笑みを浮かべていた。




