第二十七話 『玉座の少年-02』
少年は剣を振る。
教わるがままに、この世界での生きる術を素直に吸収していく。
何の知識もない自分には剣でしか生きていく方法はないと、無心に振った。そうすること以外の方法を知らないのだ。
何の知識もないからこそ、少年の覚えは早かった。
少年の幼い荒れた呼吸音が空間に響く。
覚束ないながら様になった立ち姿はアルバをも目を剥かせている。実際、同じ年端の頃の青少年たちと比べたとしても決して見劣りすることはしないだろう。
初めて剣を握った少年の目覚ましい成長に、アルバの有無も定かではない教育者冥利に尽きるというものだ。
少年からしてみれば右も左も分からない状況を良くぞ対応してくれたものだと、率直に賞賛に値する。
その太刀筋を見ても、初めてとは思えぬ乱れの無い軌道を描いていた。
「流石ですね……」
その太刀筋を吟味しながら、思いがけず不敵な笑みと共にアルバの賛辞は零れ落ちていた。やはり手放しに褒めてしまうほどの才能は本物だ。
しかし、この場合アルバの賛辞はアルバ自身違和感を覚えざるを得なかった。
さながら予想していたように零れた流石という言葉は、初めて剣を振ったはずの少年の腕前を以前から知っていたように聞こえてしまう。無論、記憶すらない少年の実力を知っているはずもなければ、だからこそ教授を施しているのだ。初めて握った剣がそれだけで上達するならアルバの立場もないだろう。
アルバの口から零れた流石という言葉の意味。
改めて考え直すまでもなくアルバはその理由に思い至っていた。
あるいは、少年の記憶がない理由もまたそこに結び付くことになるだろう。
少年に記憶の無い理由、そして記憶の無い少年の親に当たる存在、それらを知るアルバには少年の腕前に裏付けされた理由を結論付けることも容易かった。
(やはり、血は抗えない)
剣が空を切り裂いていく心地よい音に耳を寄せながら心の中で唱える。
記憶がないこと以外は良くも悪くも普通の少年の、その身体に流れる血が誰から受け継がれたものなのか。少年の太刀筋はアルバの中に残っていた一抹の疑念すら確信に変えた。
(本当に、彼の者の御子であることは間違いなさそうですね)
連想的に浮かぶ人物は少年の才能を裏付けている。否、最早一概に才能という言葉では片付かないほどの、血によって継がれた相伝の能力だ。疑いようもなく、アルバはただ事実としてその繋がりを認めている。
アルバを持ってそうであるとしか言わせられない少年の才覚。同時に、アルバをも自分の手に負えるものなのかとさえ思わせている。
それこそ、少年の親に当たる人物すら思い浮かべては、頭を振って想像を打ち払った。
この少年の前で父子のあるべき姿を想像することがどれだけ酷か。
アルバは独りでに少年の太刀筋から虚しさを感じ取ったのだ。
「今日はここまでにしておきましょう」
少年は最後の一太刀を振り下ろし、大粒の汗を垂らしながら鋭い呼吸音を響かせている。
やがて呼吸が整った頃、先ほどまでの荒々しい鳴動が嘘のように濃い静寂が訪れた。暫時、振り下ろした形のまま時間を切り取ったように膠着する。剣の手ごたえの余韻を味わっているのだろうか。
初めて剣を握ったとは到底思えないほど、既に手応えすら確かめる境地に近づいている。
やがて少年は納得したように構えを解き、滴る汗を質素な服の袖で拭った。
その日常的な動作の中にも、剣は少年の手中に馴染んでいた。
「どうやら、私が教えられることはすぐに底尽きてしまうようですね」
「初めて剣を握ったんだ。僕には、分からないよ。……ねえアルバ。なんでこんなに――」
アルバからの労いの言葉の意味を少年には理解し兼ねた。代わりに、少年の中で解決し得ない疑問が浮かぶ。それはアルバに聞いたところで会心の答えは貰えないのだろうと、勘としか表せられない漠然とした部分で悟る。
言いかけて、つぐんだその先を言葉に出来ない。ぼんやりと手繰ったのは手の中の剣だった。
少年の中に沸き上がる疑問、その細腕に揺らぐ激情のような、説明のつかない感情を言葉にする術がなかったのだ。
少年はしわい顔をしながら手に握った剣をまじろぐこともなく眺めている。
「――馴染みますか、剣が」
アルバの突き立てた言葉の剣が、静かに傾けていた耳に初めて芯を食った。
「そう、なんだ。何故か、この手に馴染む。初めて握ったはずの剣が何故かこの手に馴染んでしまう。怖かったんだよ。さっきまで。今だってじっと眺めていたら震えるんだ。なのに……、この剣が僕の体の一部みたいに、馴染んでくる……」
恐れているはずの剣。それは誰しも当然のことだ、とアルバは言った。そしてその教えの通りに、敢えて演じるまでもなく剣は怖い。
手の中でぎらついた刀身が自分に向いているのではないかと思ってしまうほど、故に剣を持った緊張感だけは決して手放すことなく接しているつもりだ。
されど、身体の反応とは別に、剣はそれと異なる恐怖を少年に与えてくる。
剣とは相手を傷付けるべくものだ。時に自分自身さえ傷つけてしまうものだ。
それが、異様に手に馴染んでしまう自分が怖かった。
「その恐怖に打ち克つ方法は、私にも教えることは出来ない。端的に言えばそれは才能なのでしょう。それも私程度には持ち得ない才能だ。貴方の場合、知識の少なさ故に自分自身を恐れることでしか才能を抑え込む手段を知らないのです。無闇にそれを解き放ってしまうことを、本能が阻んでいる」
「……やっぱり、分からないね。初めて剣を握った僕が、才能なんて言われたって」
「だからこそ貴方自身の手で恐怖に打ち克つ方法を見つけるのです。私よりも遥かな揺るぐことの無い才能は、貴方自身の手でしか切り開くことは出来ない。恐怖に染まった剣でこの世界を生きていくことは出来ません」
アルバは敢えて才能という言葉に膨大な意味を押し留めて諭す。
その血の運命であると宣告するには今の少年ではいささか幼すぎるか。
華奢なその背に負わされた命運の大きさは、およそ少年の想像ではまだ及ぶことは無いだろう。
少年が悲観的なまでに自分を卑下することは、あるいは当然である。記憶や知識がないというのは自分の腕への不信感に直結しているのだ。
剣を持った者として、比較するべき記憶がない。超えるべき過去の自分が居ない。どこまでの力を身に付けることが理想なのか。漠然とした生きるためという目的に対する過程は曖昧だ。
だからこそ、どれだけの賛辞であろうと少年の耳にはするりと抜け落ちてしまう。
溢れるほどのその才能に見合わぬちっぽけな自信が、少年を小さくしていた。
その手に馴染んだままの剣は、場違いなほど存在感を主張するように鈍く輝いている。
「これで汗を拭くといい」
アルバは用意していた水を張った桶から布切れを取り上げ、軽く絞ったそれを少年に渡す。
熱くなった体にひんやりと染み入る湿り気が少年に心地良さを齎した。
片手は剣、その逆は布切れという不調和な状態が、少年の曖昧な心の中を表しているようだった。
邪魔なら預かると切り出したアルバに、少年は馴染み過ぎる剣を離すのに手こずっていた。
◆
それから幾ばくかの月日が経過し、少年は剣の合間に座学や礼節を学んでいる。
とはいえ、それは最低限生きるために必要な知識や、他人との関わりの上で得るべき必要最小限の倫理である。
剣に比べそこは少年の溢れるほどの才能は及ばないところらしい。
少年は苦を労しながらも堅実に励み、日時を掛けながら知識を取り込んでいった。
今や初めて玉座で覚醒した時からは幾分か大人びている。本人にその自覚はないが、十歳ほどの少年の青臭さに鼻をつままなくて済む程度には成長していると言ったところだ。
華奢だった細腕にも多少は肉付き、筋肉の隆起を辛うじて視認できるくらいは発育していた。
体力も付いて日に日に剣を振る時間が増えているのだからそれも当然だろう。
才能に溺れないひたむきな姿勢が、日毎に少年を成熟させている。
座学や礼節を学ぶ時間と比較し、剣にあてがった時間はその倍に及んでいる。
さながら、生きるための手段がその道以外に無いとでも断定するかのように、アルバは少年へと教え込んだ。
だが、少なくとも少年が学んだ知識の上ですら、魔族の手が及ばぬ地で生きていくことも可能ではないのかと疑念が差し込む。剣の代わりに鍬を持てば飢えることもないだろう。血を流す必要のない土地さえ見つければ、そこで平穏に暮らすことも出来るはずだ。
ではその平穏な土地が何処にあるのか、とアルバが言外に口にしているようだった。
いずれにせよ、アルバの様子を見るにそれが邪推だったことを思い知る。
「強くありなさい。他の誰でもない、貴方自身のために」
少年の脳裏に繰り返されるのはそんな言葉だ。アルバは剣の訓練中よくそんな風な言葉を口にする。しかし、少年の中でその言葉は浮ついていた。
強さへの自覚は未だに無い。アルバが教えるからただ剣を振る少年にとって、強くあることが自分のためになるとは到底思えなかった。
アルバに剣を教えられ日毎に強くなり、その度にアルバから褒められることが何となく嬉しい。容姿と相応のそんな感情でしかない少年が、自分のために強くあることの意味など理解できるはずがない。
そんな折。
訓練は初めて実戦の形を成した。
いつも通り剣を握った少年と、同様に剣を引っ提げ対峙するアルバ。
今まで架空の相手を想定して振っていた少年にとって初めて敵らしい敵と言えるだろう。
そして少年とアルバは剣を討ちあう。
否、実際には鍔迫り合いとも言えない一方的な太刀捌きが容赦なく少年を襲っていた。
歴然とした力の差を感じさせるには十分な、それでいて加減された剣が少年の身体を掠めていく。身体のあらゆる箇所に傷が生まれ、傷口から止めどなく血が流れ出す。敗北感からか、あるいはいつも落ち着き払った雰囲気だったアルバの豹変ぶりへの畏怖からか、尻餅をついたまま呆然として身体を動かすことも出来ない少年。
しかし、意識を刈り取られる訳でもなく、傷の痛みからはっきりと冴えた少年の胸ぐらを掴み上げ、その耳元にアルバは冷然と言い放った。
「私に認めてもらうために強くあるのですか? それは違う。私は既に貴方を認めている。今の貴方じゃない。無限の可能性を秘めた貴方自身の未来に、だ。貴方にも大切なものはできるでしょう。他の誰でもない、貴方自身を、そして貴方の大切なものを守るために強くあるのです」
どうやら、全て見透かされていたらしい。アルバから教えられるから何となく剣を振っていたこと。そうして得た力は自分のためのものではなかった。
アルバに力の差を知らされた、その無力感に気付かされた。
強くある。他の誰でもない、自分自身のために。
アルバに教えられるからではなく、自分自身を、大切なものを守るために強くなくてはならない。
少年は痛む傷口の数だけ、アルバの言葉の意味に気付かされた。
「……分かったよアルバ。アルバに認めてほしいからじゃない、アルバが認めてくれてる僕自身を認めるために、僕はもっと強くなる――」
そう、答えたことももはや古い記憶のように感じる。
つい数刻ほど前の敗北と決意でさえ深い隔絶感に捉われている。
座学や剣の訓練以外の時間、少年の居場所は相も変わらず玉座の上だ。
今宵は特別、孤独感が強かった。
アルバに負けたことが堪えているのだろうか。否、そもそも勝とうという気概を持つことすらそぐわない。勝敗という意味でしか捉えられていないのなら、あの訓練は無益だ。無論、少年も得るべきものは得たことを自負している。
決意を得たことで、思考の中に没頭させられているのだ。
少年はいつものように玉座で膝を抱えながら物思いに耽る。
この場所で覚醒してから変わらず抱き続ける疑念。
アルバは最低限の知識は与えてくれても、少年の中の疑念を討ち払ってはくれなかった。
あるいは、この孤独感が疑念をより強く押し出しているのだろうか。
知識も、力も、決意も、必要なものは身に付けた。
アルバから言わせればどれも未熟かもしれないが、少年にも疑念を物問うだけの資格はある。
未熟な知識の中では決して自己解決には至らない。
その疑念に正解を出せるのは、少なくとも少年ではなかった。
「アルバ。もう、いいよね。教えてよ、僕の名前」
だから少年はアルバに問う。
アルバから聞くこと以外の方法は、未だ知らない。
「そうですね。確かに、何時までも少年と呼ぶのもいささか忍びない。名前もまた生きるために必要なものだ。今の貴方なら、自分の名前を語る資格はあるでしょう――」
そして、アルバはあっさりと答えるのだ。
少年が聞き出すのに決意を得ることすら必要としたその名前を。
少年は自らの名を初めて両の耳に刻み込む。
『フレン』とアルバは呼ぶ。
玉座の少年は、それを自らの名として受け入れることに数瞬ほど時間を要していた。




