第二十一話 『来訪者-05』
また、静けさが返った謁見の間。
寒々しい場の空気に呑まれ誰もが発言を躊躇っていた。
ただ一人、絶対の支配者を除いて。
「――まあ、そこまで邪険に扱ってやるなよサファイア。ファントマはただの人間に負けたんじゃあない。この魔王の下に辿り着いて然るべき者に負けただけだ。その意味が、お前たち自身なら分かるだろう?」
勇者をはじめ、魔王の下に辿り着くことのできた限られた存在。
それは敵対する立場のみになく、四忠臣としてレイヴンの目利きに適った彼らならば理解できているだろう。
人間と魔族の差を度外視すれば、寄せ集めの彼らとの立場に大きな相違はない。
言うなればハワードもまた同じく、レイヴンに選ばれ相当の立場を得た存在である。
無論、彼らにとって種族の差はとても無視を出来る問題ではないなのだが、レイヴンの目利きに適ったという事実がそれを正当化させているのだ。
白が黒にもなってしまう理不尽な説得力が、如何なる懸念や不満をも呑み下させる。
懸念や不満以外の部分で君主の言葉に納得できていないのはファントマだった。
塞がれた外傷には見えない負傷を耐えるように、ゆるりと立ち上がった。
らしくない不確かな足取りで謁見の間を去ろうと居心地悪そうに足を運ぶ。
その足取りの重さが、慰留に掛かるだけの隙を生んでいる。
「どうしたファントマ、何処へ行くつもりだ? お前の控えるべき場所は俺の隣だ。俺はまだ何も言ってはない。次の命令も、体を休めていろともな」
いつもの威勢がいい破顔さえも力無く、ファントマは無骨に背を向けたまま返した。
「ハッ、ハッハッ……、ちと意地汚いんじゃねえかレイヴン様よぉ。傷心の手下を引き留めて嫌味みてえなこと言ってくれるなよ。……疲れてんだ、休ませてくれ」
重い足取りが痛みから来ているものなのか、あるいは、失意が重くしているのか。
軽口を叩けるだけ余裕があるとも見れるのかもしれない。
否、ことファントマに限って、間違っても敗北が軽くあるはずがなかった。
それだけ言い残し、ファントマは謁見の間を悠然と後にする。
レイヴンとてここで改めて引き留めるほど無粋ではない。
ある種、建て前的に立場上の義務を果たしたまでのことだ。
君主の立場として配下の勝手な行動をただでは見逃せなかった。
そこに正当性のある答えが返ってきたならそれを許すのも君主としての役目である。
疲れているのなら仕方がない。
「好きにさせてよろしいのですか、レイヴン様?」
君主に役目があるのなら、その配下にもまた万事に備える義務がある。
この精神状態ならば幾らでも荒れ狂ってしまいそうなファントマを野放しにするのは、それこそ度を超えて勝手な行動へと及び兼ねない。
それを危惧したガーネットが扉越しで件の者に悟られぬよう声を潜め尋ねてきた。
「いいさ。それでも気が収まらないなら、また、相応の場を用意してやればいい」
「レイヴン様からの御許しが無ければ、ファントマと言えど勝手な行動はしないとは思われますが……」
「負けてはならない戦いに負けたら、時に一人になりたくなるものだよ」
そうですかと、溜飲を下げるガーネット。
他ならぬ魔王の口から聞けたとは思えない口上が言葉に含みを持たせ、掘り下げることも無礼だと息を呑ませる。
何より、やはり場の空気が追及することを拒んでいた。
レイヴンもまた、かつて負けてはならない戦いでの敗北を喫した身としてファントマの心情は痛いほど理解できる。
巡り巡って自分自身を殺めてしまったという結果が、消えることの無い後悔へと繋がっているのだ。
そこに伴う理由や重みは今のレイヴンならば似ていると吐き捨てることも出来る。
もっともファントマの場合、後悔や不貞腐れていられる時間が有るだけ幾分もましなのだろう。
しかしそれは今のレイヴンにとって同情には至らなかった。
「こんなにも下らない、か……」
後悔する者の姿を客観視したことで気づかされる。
「何か、仰いましたか?」
「いや、なんでもない」
かつて執着していたものとは何だったのか。
後悔を繰り返してきた過去を懐かしみながら、レイヴンは独りでに自戒する。
『勇者』として歩んだ人生のその大半に付き纏ってきた後悔が、今更のように容易く吹っ切れてしまう。
掻い摘んで言ってしまえば、ファントマの背中が惨めに見えてしまったのだ。
そんな下らない理由で手放せてしまうものに千度の人生を費やしてしまったことが馬鹿らしくなる。
否、この『魔王』の肉体が勇者としての意思を拒もうとしているのかもしれない。
とにかく。
その程度のものだったのだな、と。
そんな言葉で片付いてしまうほど簡単には整理のつくはずがない天命が、泡沫のように消えていく。
不思議と、自身に対する幻滅はレイヴンの中で安易に流されていた。
◆
「――さて」
それだけ呟くと頭の中はさっぱりと切り替わり、再びレイヴンが視線を集めた。
扉の先へ残る漠然とした意識は、続くレイヴンの言葉で自然に擦り抜けていく。
「さしあたってお前……、ハワードの処遇を決めようか」
名を呼ばれたことに反応して強張るハワード。
それと同時に緊張とは別の要因によりサファイアが同調する。
眉を顰め、僅かに顔を俯かせながらレイヴンの言葉を待っている。
顔や反応には出さないが、それは傍らに控えるガーネットやクロノスも心中に秘めた思いは同じだろう。
「と、言っても、何も考えなしに迎え入れてやるだけのつもりはなかったことだけ先に断っておこう。端的に言えばそれが条件を課した理由だ。お前が都合よく現れてくれる以前から考えていたことではあるが、実力が備わっていなければ務まらない役目だからな」
「ある程度の力量が必要な役目、ですか……?」
「ああ。よもやこの魔王の副官を負かしてしまったのだから、その力にケチをつける者は居ないだろう」
ちらと覗き見る副官たちの顔。
程度の差はあるが各々訝しげな表情を浮かべながら、レイヴンの言葉への口出しを躊躇っているようだ。その言葉自体が、ある種抑制的な効力を持っているのだ。
今しがた口にしたように、ファントマを負かしてしまった以上ケチはつけれない。
ケチをつけるな、とレイヴンが暗喩していることも原因なのだろう。
反論は無しと見るや、レイヴンはおもむろに語りはじめる。
種族の違う人間すら迎え入れる、その根幹に潜む真意を言葉にする。
「先の争いにより、我々魔族の同胞たちも少なからず損傷した。元来、数の少ない魔族におけるその痛手は大きい。その補充として俺の力により死人に息を与えたとも。……が、それはこの世界を手にする上でとても足しになったと言える数ではない」
種の生態として人間に如何とも劣る繁殖力は簡単に埋まる差ではない。
その埋め合わせに行われた策もまた、この広い世界へ侵攻するには心許ない数だろう。
ともすれば、更にその差を埋めるだけの手段が必要なのだ。
それをあてがう方法として、レイヴンにとってハワードという人材はこれ以上に無い適任者だった。
「そこで更なる戦力の増強が必要なことは言うまでもないだろう。無論、何も動かずして勝手に生まれてきてくれるものでもないのだ。さすれば、策を弄せずして得られる栄光もない」
「では、どのようにして……?」
「簡単な事さ。利用できるものは利用するだけだ。同胞の魔族は当然として、死者でさえ、単純な戦力もまた、利用してきた」
レイヴンは指折りで数えながら、最後にハワードを指差し、種族の垣根を度外視した計算をする。
元勇者、現魔王として、種と種の因縁ほど価値を見だせないものはない。
そのレイヴンだからこそハワードを受け入れることに躊躇いもなく、策の中の重要な役目に組み込むことができるのだ。
「今挙げた中の他に、まだ利用できるものが残っているよなあ?」
レイヴンは白々しく問いかけてみせる。
誰にともなく、応える権利はその場の全員に与えていた。
沈黙を応えとせんばかりに誰もが言葉を詰まらせたまま、暫時、経過する。
ただ一人答えに行き着いた者は、沈着した空気の中で発言の機宜を見計らった。
誰かの生唾が飲み下される音を頃合いとして、彼の者は恐る恐る言葉にした。
「――人間、ですか?」
「……ああ、正解だとも」
卑しく口角を吊り上げたレイヴンの表情は発言者に安堵を与える。
間違った答えを許されない雰囲気の中で彼が発言できたのは、彼の他にその答えへと辿り着ける者がいないと悟ってしまったからである。
他ならぬ彼自身がこの場でただ一人の人間だからこそ、それは彼にとって君主に取り入る好機と成り得たのだ。
「先の争いから補充した戦力は死者だけだ。当然、生者を利用しない手はない。今は奴隷の如き扱いを強いているが、それを戦力に変えられるのならこれ以上に都合の良いこともなかろう」
ハワードも見てきた、今の帝都には死者と生者の入り混じる光景が広がっている。
その中には当然、帝国を守る兵士として訓練してきた者も残っているのだ。
彼らの腕を持て余していることを考えれば確かに理に適った提案と言えるだろう。
しかし、人間を利用するという魔族にとって盲点に成り得る慢心により出し抜いたハワードは、先と同じくその問題点に逸早く気づいていた。
「しかし、今この帝都に生き残った者たちはそのほとんど先の争いにおいて剣を振らなかった者たちです。何より、同族である私がこう言うのも憚られますが、人間を戦力に数えるというのは反旗を翻すという危険性も兼ねているのではないのですか?」
レイヴンの策には真っ先に浮かぶ問題である。
それはハワード自身にも当てはまることだが、敢えて彼自身が口にすることによりそこに真実味が生まれている。
されど種族という概念にとらわれないレイヴンの思考は、どこかハワードの人間性すら超越した部分に達していた。
「女子供や老人共には畑作でも任せ、男手を戦力にあてがえばいい。これもまた都合の良いことに、ユークリッド帝国内の各地にも蜂起した者たちが居ただろう。彼らもまた容赦なく取り込む。だからこそ、その管理を任せられる人物が必要だった」
そこに現れたハワード・ストラトスと言う存在。
人間を指導する者としてこれほどまでに相応しい人物はそうは居ないだろう。
都合の良い巡り合わせが重なり、少ない戦力の補填と持て余していた生き残っている人間の問題を処理できる。
だが、それは配下たちの懸念の解決には至っていなかった。
「そこでこの者を、ということですか……。ですが、それではこの者も言っていたように、この者自身が徒党を組んで謀反を起こすという可能性は否定できません。勿論、戦力が必要という御考え自体は賛同いたしますが……」
ガーネットが気遣わしげに言う。
レイヴンの発言には、前提としてハワードへの信頼がある。
副官たちが解せないのはその部分だった。
ハワードが魔王の配下に加わったという事実は覆りそうにないが、道を違えば脅威にもなり得る大役を売り渡すにはいささか信用し過ぎている。
レイヴンの言動を見ていると兼ねてより無鉄砲な部分を感じられるのが彼らにとって懸念の一つだった。
だがやはり、その憂慮はレイヴンのたった一言に一蹴されてしまう。
「ガーネット、何度も言わせてくれるなよ。この魔王の力を持って、何に恐れることがある?」
頭を悩ませていることの方が馬鹿らしくなってくる圧倒的な説得力だ。
単純で、且つこれに勝る言葉はないだろう。
魔王の力を目の当たりした者の中で、魔王の力こそ絶対の信頼に相応しいものはなかった。
例え無鉄砲に見えようとその絶大なる力を裏付けとした自信は崩れることがない。
それは下に仕える彼らも同じく、魔王の力はそれだけで揺らぐことのない忠誠を誓う価値がある。
そのレイヴンにこれだけ言わせておいて素直に頷かないのは嘘になる。
ただし、それはハワードを仲間に加えるまでのこと。
レイヴンからの提案であれど、人間に重要な役目を与えるというのは簡単には譲歩できないのだ。
何よりも敬愛する君主の為、クロノスが口を開く。
「……御言葉ですがレイヴン様、その役目は、例えばこのクロノスが務めることは出来なかったのでしょうか? 彼に任せなければならにというのが我々の懸念なのです。もし四忠臣の役目に重複してしまうことが私に適わなかった原因なら、私でなくとも推薦できる人材もいます」
人間に任せなければならない、というのが概ねサファイアやガーネットの胸に突っ掛かっていた疑念だろう。
それを解消する提案としてクロノスの発言は的を射ている。
その答えには簡単で根本的な言葉が返ってきた。
「魔族が務めては独裁的になってしまうだろう? もとより、魔族に従う人間が何処にいる」
確かに、種族間におけるしがらみの多い人間と魔族の間で、従うのも従わせるのも簡単な事ではないだろう。
だが、それではその魔族に従おうというハワードの存在はどうなるのかと、やはり同じ疑念が浮かぶばかり。
これ以上は堂々巡りにしかならないとクロノスは身を退いた。
結論としては、他ならぬ魔王の命令、というのが彼らを従わせる要因となるのだった。




