第二十話 『来訪者-04』
対峙する両者。
爪と牙を剥き出して腰を落とすファントマに対し、ハワードは剣を抜いた状態で棒立ちしている。否、並に見れば気を抜いているだけにも見えるその構えは、一切の隙を排し牽制しているのだ。
ファントマを剛とするなら、正に柔。
ハワードは柔軟な身のこなしでファントマをいなすつもりだった。
ただ、ファントマとて闇雲に突っ込むだけのことはしない。
立場の差として持てる緊張感の度合いに差があることだろう。
ハワードにとって勝利以外の道筋は死にすら直結する。それはレイヴンより直に耳にしたことで、嫌でも想像させられた。
片やファントマに失うものは何もない。強いて挙げるとすれば、ファントマには敗北という恥辱が最大の汚点となるか。それこそ、性格的な意味合いも含めてファントマが勝利以外を想像することは無かった。
負けることも視野に入ってしまう緊張感と、能天気なまでの戦いを愉しむ姿勢の差。
どちらが精神的な有利を得られるか、甲と乙を付けることも容易かった。
それだけに、愚直な行動はしないだけの余裕がファントマにある。あるいは、戦いをすぐに終わらせてしまうもの悲しさが理由なのか、ファントマの手はファントマにして丁寧なようにも見えた。
一瞬に決まってしまったあの日の勝敗とはかけ離れ、二度、三度と爪と剣を弾き合う。
その度にファントマが距離を取り、一々楽しそうにニヤついて一息挟んでくるのだ。
鬱陶しさと同時に気を抜けない確かな重い一振りが、距離を計る度増していく緊張でハワードの精神をすり減らしていく。
代わりにファントマの高揚感は沸き上がっていくばかりだ。
高揚していく度、ファントマの殺気はより鋭利になっていった。
長引けば長引くだけハワードの不利になっていく状況。
じっくりと長く愉しもうとするファントマに対して、しかし、冷静さを失ってしまえば余計に勝ち筋を逃すだけだ。
アイゼンフォート城、謁見の間にて極まる至上の戦い。
魔王を前に、彼らはくどいまでの膠着状態を演じる。
とはいえ、地を蹴り出す度に大理石の床さえも抉らんばかりに重い一撃の応酬は、無駄に時間を経過させているだけではなかった。
受けるだけで、繰り出すだけでも消耗するほど力を入れた攻防に息を大きく乱していく。
恐らく勝負は、やはり一撃。
あの日と同じよう、どちらかの一閃がその身を捉えれば一瞬で勝負は決まる。互いに耐えられる程度の軟な攻撃は放っていない。
あの日と違うのは、先に膝をついた瞬間が勝敗の分け目となることだろう。撤退を余儀なくされた戦場ではないからこそ、はっきりとした勝敗以外は認められない。
決着の瞬間に立ってさえいれば、どんな状態であってもそれが勝利である。
ハワードはそこに活路を見だした。
「どうした、私に付けられた傷がまだ痛むか? 随分と動きが鈍いじゃあないか」
扇情する言葉とは裏腹に、倦怠感を覚えるほど強烈な一撃にあとどれだけ耐えられるかと言ったところだろう。魔族と人間の種族として根本的な筋力の差がハワードの体力を奪っていく中、ただの虚勢ではない挑発で唆す。
このまま、ファントマの攻撃を捌き続けているだけでは負けてしまうことなど分かりきっている。あくまでも冷静さを失わず、その中で機宜を見極める。過剰なまでの冷静さを武器に、単純な愉悦に溺れる者を出し抜くのだ。
ファントマの単純な思考は分かりやすく挑発に応じてくれた。
「あぁん? ……ああ、分かったぜ。もうちと楽しませてもらいたいところだったが、お前がその気なら手ェ抜くのは終いだ。生き急ぎ過ぎて後悔してももう遅えぞ……!」
都合の良いことに先ほども喧嘩っ早い姿を見させてもらった手前、利用できるものは全て利用する。
全てを利用し、全てを捧げなければ、この戦いにおけるハワードの勝利はない。
「来い、蛮人が」
煽れば煽るだけファントマの怒りは増していき、力任せの突貫が大地を揺らす程の威力を得ることだろう。
震脚でひびの入った床がその威力を物語っている。
今正に、両の脚に蓄えられた筋力が暴発せんとばかりに膨れ上がっていた。
誘い出すように吐き捨てた一言はファントマを解き放つ引き金には十分だ。
青筋を浮き立て、もとい体毛を逆立て、鋭い眼光でハワードをねめつけてくる。客観的に見ても、安い挑発に乗ってくれるものだとハワードは有難がった。
その前提として人間と引き分けたという事績がものを言わせたのだろう。そうまでして勝敗を拘ることに理解は出来なかった。それが人間と魔族の作り上げた歴史による意思の相違だ。
ファントマの場合、そこに極端なまでの強い拘りがある。
――だからこそ、勝利における形に拘らないハワードの行使した戦術はレイヴンをも唸らせたのだ。
「グゥルァァアアアアアアアアアアアアア!!」
憤怒はファントマを盲目にし、雄叫びと共にただ真っ直ぐハワードの肉体へと飛び込ませる。
野蛮な咆哮を孕んだ神風の如き突進は、来ると認識した瞬間には目の前まで詰め寄っていた。
想定以上のとてつもない速度だ。されど、ハワードを持ってすれば反応し切れない速さではない。
もとより、誘い出す駆け引きを仕掛けた本人が無様に喰らっては格好がつかないだろう。
ハワードはそのただ真っ直ぐな、愚直なまでに真正面からの突進を待っていたのだ。
「ぐっ……ぅぅううううううううッ!!」
衝突する直前で身を翻したハワード。しかし避けきれずに苦痛の声を上げた。ファントマが捉えたのはハワードの左半身だ。
この世のものとは思えないほどの痛みがハワードを襲う。骨の折れた音が体内を駆け巡り、噴き出した血が飛沫をあげている。衝撃に後退した分だけ引き摺った脚が床を抉りながら二本の線を描いた。
抉れた床から上がる煙に隠れる中で、立ち尽くすことで精一杯な痛みに耐え抜く。
それでも、立っているのだ。
そして、ファントマの動きはそこで止まっている。
「ズェアアアアッ!」
これが、ハワードの本命だ。
ただファントマの一撃の威力を殺すことだけに集中し、受け止めた。
捧げた左半身の逆、右腕一本でファントマの脇から剣を刺し込む。
ここまで来たらもはや理性ではない。ようやく捉えた肉体。刺し込んだまま深く押し込み、力任せに剣を薙ぎ払う。
それが魔族としての意地なのか、ファントマは絶叫を噛み殺し、ハワードへと再び手を伸ばしかけたところで、振り解かれた。
ファントマはそのままうつ伏せに倒れ伏す。
ファントマを野蛮だというなら、よっぽど狡猾で汚い策だ。
勝利の形に拘らないからこそ、魔王の傍らに佇む少女の力を過信できるのだ。一歩間違えれば絶命し兼ねない、紙一重の差で圧し勝った。魔王の言う多少という範疇を超えた怪我だが、それでもハワードが収めた勝利には変わりない。
少女の能力も知らず、自らの肉体でさえ顧みることもなかった。無謀で、且つ緻密な策の末の勝利である。
魔族の仲間に加わろうという男の、魔族にはない思考。
その傷付いた満身創痍の姿に、レイヴンは自らの抱えてきた人間部分に通ずるものを感じた。
魔族に囲われ、魔王として捨ててしまった人間らしさ。
否、理不尽に繰り返された転生にそれすらもとうの昔に忘れさせられている。
ハワードから垣間見えた合理性に、レイヴンは本来魔王が持ち得るはずのない人間性を共感していた。
◆
目の前で、仲間が負けた。それも人間に、だ。
ファントマと同じく四忠臣の同志である彼らの反応は、人間の手に魔族が墜ちたという狼狽だった。
確かに、ファントマの敗因として稚拙な部分は見受けられたが、それでも個々の力における争いで敗北したという事実は彼らに言葉を呑ませるだけの効力がある。
彼らが仕える王は、絶句も白ける乾いた拍手を打ちながら称賛した。
「おめでとう。これでお前は俺の配下だ。……おっと、その前に約束通り怪我を治してやろう。サファイア」
あまりにも簡単に言って見せるレイヴンに、サファイアは自分の名を呼ばれたことに一瞬の躊躇いが生じる。
サファイアがレイヴンの下命を聞き逃した事実がもはや事の大きさを表していた。
まして人間を治癒するという行為自体に嫌悪を抱いている。
それでも、何にも勝る絶対の下命が有無を言わせず従わせる。
圧倒的な力を持って蹂躙した帝国、人々の抵抗も虚しく王の為に容易く手に入れて見せた。しかし、目の前で起きた現実はそれを裏付けてはくれない。輝かしい功績さえも霞んでしまう。
人間に負けた。それも絶対の王に選ばれ集った強者が、明確な敗北を喫した。
否、真に殺し合いという意味なら、やはりハワードは引き分けに持ち込むのが精一杯だったことだろう。
これだけ傷付いた肉体がサファイアの治癒もなければ長く続くことはない。
されど、レイヴンの贈った称賛が既にそれを認めている。
何よりも、他ならぬファントマ自身が最も敗北を敗北と認識しているはずだ。
片膝をつきながらもサファイアの施しを受けるハワード。片やうつ伏せに倒れ伏しているのはファントマだ。
苦しみが伝わってくるような荒れた呼吸音だけが聞こえてくる。倒れ伏したまま、呼吸の上下だけがファントマの反応だった。
生きてはいる。
生きてさえいれば、サファイアが治せる。
強者同士による手を抜くことの許されない死闘で息があるだけ救われたものだ。
ハワードの傷が塞がり立ち上がるのにも苦としなくなった頃合いで、レイヴンは順当にサファイアへと命じる。
「サファイア、ファントマの傷も治してやってくれ」
「……畏まりました」
ハワードの時と比べ比較的に順応の早いサファイア。命じなければその気ではなかったのか、ハワードからファントマへと魔法を切り替える流れに若干のぎこちなさがある。
言うなれば魔族の名に泥を塗ったファントマへの怒りか。しかし他ならぬレイヴンから命じられたもどかしさへの不満なのだろう。
魔法の発光作用がファントマの傷口を包み込む。時間をかけて徐々に塞がっていく。
サファイアの表情は真剣と言うには程遠く、さりとて不真面目ではない、どこか虚ろな面持ちで黙然と唱え続ける。
暫く、謁見の間の視線が一点に集まって静まり返っていた。
「や……めろ……」
空間を覆った静寂の中に弱弱しい声が返る。ファントマの声だ。静寂の中に投じられた一言はより視線を集わせる。決してまだ喋れる状態でもないはずだが、ファントマは精神力のみで口を開いた。
うつ伏せの体勢は変わらぬまま、治癒を掛けるサファイアに対して背けた顔でくぐもった声を上げた。
これだけの傷で死に至らなかっただけでも、サファイアの顔をしかめさせる程度には大したものだ。
「派手にやってくれたわね」
アイゼンフォート城、王が座す玉座が存在する謁見の間の惨状。眺めた限りにがちゃついた景観への評価である。サファイアは治療を続けながら作業ついでに語り掛けた。
「やめ、ろ……、やめやがれ……っ!」
威勢の良い言葉とは裏腹に、ファントマは満足に動かない身体で拒もうと声を張る。
サファイアの魔法による回復が追いついて、次第に気勢を戻し始めた。
屈辱がファントマを拒絶させようとしているのだろう。人間に、誰よりも負けたくはない相手に、敗れたのだ。
哀れみはファントマの自尊心を蝕む。まだ痛みが残っているはずの身体で、実際に苦しみを帯びた、それとはまた違う苦々しさを噛み殺すように吐き捨てる。
慈悲を掛けられることに目に見えて焦燥感を募らせていく中で、それでもサファイアはその手を止めることはなかった。
やがてファントマが腕を振り回せる程度まで回復して尚、サファイアは構わず治療を続けている。
「――やめろつってんだろうがッ!」
自力で治癒の手を振り解くくらいには回復し、語勢を荒げながらサファイアを突き飛ばした。
施しを授かった手前で扱いの悪さにファントマは自分で情けなくなる。
そうでもしなければ、サファイアは手を止めてはくれなかっただろう。
そのまま治療を続けられる方がよっぽど惨めだ。
虚しさから誰にも目を合わせられず背けた顔。
振り払った腕に靡いてサファイアの碧い髪は乱れていた。
サファイアは険しい顔で睨み返し、興味なさげに言い捨てる。
「別に、私だって本当ならアンタなんか助けてやるつもりはないわよ。けれど、レイヴン様の命令にアンタの意思なんか関係ないの。勿論、私の意思もね」
小柄な体躯の半分を覆う碧い髪はサファイアの表情に影を作り、言葉に凄味を持たせている。
否、そこに威圧的な意味合いを感じ取ったのはファントマだけだろう。
屈辱や情けなさといった要因がファントマの胸中で入り混じった結果、錯覚しているのだ。
慰めですらない冷淡さが滅入った気に的確に染み入ってくる。
負けたのか、と。
サファイアの言葉に気づかされる。
ファントマは、そこで初めて強情を飲み込んだ。




