第十九話 『来訪者-03』
彼らは客人のように呑気な扱いをしてくれるが、ハワードからしてみればその丁重な扱いは息苦しいだけである。
帝国の騎士として幾度も戦い、この日まで生き残ってきた自負すら関係ない。
対面しているだけで生きた心地を失くしていく威圧感。
彼ら五人の、その全てが同じ重圧を押し付けてくる。
否、その中央に座する魔王だけは同格と語ることさえ難しいところだった。
彼らとてハワードの力量は認めているだろう。
何より今しがたファントマが語ったように刺し違えるだけの実力は持っている。
それで尚その呑気な扱いが物語るよう、彼ら――彼らの王は侵入者を食わせ物と認めていなかった。
あくまでも来訪者、客人、という扱いにハワードは驕りを手放す。
この魔王を前に生きているということがある種奇跡ですらある。
その傷付いた自尊心を見極められてか、呑気な扱いにも溜飲を下げざるを得ない理不尽な説得力があるのだ。
あまりに大きすぎる絶対的な存在を前にすれば、嘯くのも逆に滑らかにもなる。
ハワードの前提に諦念があるからこそ、胸焼けするほどの緊張感の中でも荘厳な装いが保たれていた。
「……私は、先の戦いにおいても生き残り、戦い抜いてきた。かつては帝国一の騎士と謳われた。ユークリッドの騎士として戦い、幾重も剣を振るい、そしてそこに誇りもある。取るに足らない陳腐な傲慢だが、それでも己の力を信じてきた」
レイヴンを前に、既に折れてしまった自尊心。
嘯く本人すらも鼻で笑ってしまいたくなる戯言に、更に脚色を加える。
「それでも……我が力、誇りを賭して戦っても、この国は守れなかった。魔族の手に、それもあまりに容易く陥落したのだ。己の小ささというものを……、思い知らされた……」
事実、苦虫を嚙み潰したような気分ではある。この腕が腐ったわけではない。魔族と帝国、その勝因と敗因を分かつ要素として、ハワードの実力というのは直接大きな食い違いを生み出さなかっただけなのだ。そこに屈辱を感じるのももはや烏滸がましい。
あの戦場においてハワードという存在はほんの僅かな誤差であり、魔族の勝利という決まりきった因果を覆すことは無かった。
それを必死になって自分に言い訳することほど哀れなことも無いだろう。
今正に、ハワードは道化を演じてみせる。
「――笑ってくれたまえレイヴン卿ッ! このハワード・ストラトスという男の惨めさを! 人類の頂点に近いと自負するこの男が、そこに居る貴方の副官のたった一人と互角に振る舞うだけのことで精一杯だったのだ! よもやそれを四人も従える貴方を前に、この背で国を守ろうとしていた! あまつさえその守るべき国の王は一人で逃げ及んでいたというのだからなあ!」
忸怩たる思いを語勢を荒げて吐露するハワード。
守ってきたものを守れなかった非力さと、守ろうとしたものに裏切られた悔しさを、怒気を孕んだ自嘲で戯けて見せる。
怒りの矛先を自分自身に向けることすら、ましてそれらを奪った魔王へと差し立てるのもお門違いだ。
ハワードは自嘲することでしか悔恨の思いを吐き出すことも出来ない。
魔王という――レイヴンという存在があまりにも強大過ぎるが故に、怒りや悔しさという感情は泡沫のように消えていく。
ハワードの自嘲がそのレイヴンを笑わせるための洒落にでもなれば、それに勝る気晴らしも無いだろう。
生憎と、千度の人生を繰り返したレイヴンの審美眼は厳しかった。
ハワードがお道化た程度では、簡単には喉を鳴らさない。
「俺は、お前と似たような奴を知っている。……『勇者ブレイン』。彼の男もまた、お前のように守るべきもののために戦ったとも。誇りを賭けて、その背に世界を背負い、俺の下に辿り着いた」
さながら自分のことでも語るように、レイヴンはハワードに諭す。
事実、それは他ならぬかつてのレイヴン自身の談義なのだが、真実を知る者はレイヴンの他には居ない。
誰かに伝わることもない、面白みに欠けた自虐だ。
『勇者』としてレイヴンが歩んできた道と、ハワードが歩んできた道。
敢えてその差を擬えてみたが、勇者として仲間たちと共に立ち向かった立場を含め、似ても似つかぬ格差がある。
ただ、一介の人間が魔王に立ち向かうこの状況を、似ていると評することも間違いではないのだろう。
もっとも、最大の格差としてはこの魔王の下に立ち向かったその腹案にある。
「だが、ハワード・ストラトス……――よもやお前は、仇討とうなんて考えでこの場に立っているわけでもなかろう?」
全てを見透かしたような視線が、ハワードの全身を這う。
レイヴンはハワードがこの場に着いた瞬間から戦う意志がないことを見抜いていた。そしてそれは紛れもなく事実だった。
この場に着いた瞬間から、否、ユークリッド帝国が魔族の手に墜ちたあの日から、ハワードの中で魔王に抗うという意志は捨て去っている。
より正確に刻むとすれば、魔王の力を目の前で見たあの瞬間から、魔王の尊大さに今日まで劣等感を感じ続けてきた。
そんなハワードに魔王へ抗う意志など、当然残されているはずがない。
あまりにも正確に的を射たレイヴンの質問に、ハワードは虚を衝かれていた。
無論、中途半端な覚悟でここまで来たわけではないが、ハワードの行動は決して勇者のような英雄的な思考によるものではなかった。
むしろその真逆にも等しい下賎な目論みが我ながらに情けない。
自分の心を騙し続けるのも苦しくなってきたハワードは、ついぞ此度の目的を打ち明ける。
「最初から……見透かされていたというわけか。なんだ、それでは本物の道化だ。だがそういことなら話は早い、単刀直入に言おう。私を――このハワード・ストラトスを……、魔族の軍勢に加えていただきたい」
魔族とは、この世界の大地を乱す存在である。本来人々の間ではそう認識されているものであり、淘汰されるべきものとして人間に迫害されてきた。敵対し合う生物同士、相容れることのない歴史を作り上げてきたのだ。
人間の、それも傲慢でなく紛れもない随一の実力を持つハワードが軍門に下るということが意味するのは、正義の非力さへの失望である。
ハワードですら諦念を抱えているということが即ち、それが既に絶望を受け入れる要因だ。
単純に、ハワードという戦力が魔族に加わるという足し算だけで戦況に影響を及ぼすことだろう。
あまりにも尊大な魔王の力。
その力を目の当たりにし、抗うという意志すら削がれたハワードが行き着いたのは、魔王への降伏だった。
それはかつてハワード自身が積み上げてきた誇りや栄光、その背で守ってきた――人類への裏切りである。
「……ほう?」
初めて。
初めて、ハワードの言葉がレイヴンの興味を惹いて見せた。
玉砕覚悟で無謀な挑戦をしに来たわけではない。交渉で帝国の返還を嘆願しに来たわけでもない。
ハワードが魔族の軍門に下る。それはもはや、人類の敗北を認めているようなものに等しい。
当然、個人の行動で左右されるものではないが、ハワードの意思による人々への影響は多大である。
勇者の死という事実と同様に、勇者まででなくとも世界に名の知れた存在が持つ影響力というのは、それだけで人類に絶望を叩き付けることも可能なのだ。
レイヴンからしてみればそれが向こうから寄って来ては、覇道を果たすまでの工程が近づくということだ。
レイヴンの関心が向くのも十分な理由である。
それは同時に、一人の男から反感を買う提案だった。
「おいおい、待てよ。お前が魔族の軍門に下るだぁ? ふざけんじゃねえっ! 人間が俺たち魔族の仲間に加わるなんて認められるわけねえだろうが。俺との決着だって付いてねえこと、勝手に忘れてんなよ」
ハワードの去就を認めるか認めないかを差し置いて、ファントマはそこに至るまでの申し出に怒りを示す。彼の場合は単純に、敵同士という立場以外を認めたくはないのだ。戦いという一点において身内になることは邪魔な要素に過ぎない。
ファントマにとって戦いとは真剣でなければならなかった。
命の取り合いであるはずの戦いが、身内になれば無意識にでも何処か手を抜いてしまうだろう。
例えファントマがそこに情けや容赦を排除したところで、身内になっては何れにせよ後味の良い結末には成り得ない。
レイヴンからの承諾も確認されていない以上ファントマの早とちりかもしれないが、その点だけは譲ることができないようだ。
そしてそれは、ファントマ以外の周囲からも珍しく同調する声が上がっている。
「そうですレイヴン様! こんな奴、誉れ高き我が魔王軍には相応しくありませんっ!」
レイヴンがほんの僅かでも興味を惹いたこと自体を懸念してか、君主の言葉の前にサファイアからも強い語句が介入してくる。
単純な戦力という面においてハワードの加入はこれ以上に無い補助となるだろう。
この場合、ファントマやサファイアが見せる焦慮とは、単純な考えでは語れない部分にある。
「私からも一言だけ申し上げますと、人間風情の腹積もりが必ずしも発言と一致しているとは考えられないません。彼の男の去就には是非慎重な判断を」
ガーネットからの勧告もまた前者の発言を助長するものだった。
クロノスは、取り立てた発言も無いまま行く末を見据えている。
まだ否定も肯定ともしていない手前、同時に、言われずとも分かりきったようなことで場の空気を重くするのはレイヴンの望む限りではなかった。
言ってしまえば、前世まで人間だったレイヴンがその腹案を考慮できないはずはない。
端的に結論から述べると、この時点でレイヴンはハワードを迎え入れるつもりでいる。
おおよそ、副官らが懸念する事案としては人間を迎え入れることの危険性にあるのだろう。
いつその手を翻すかもわからぬ危うさまでを、レイヴンとて今この段階でハワードから読み取ることは出来ない。
魔王に仕える者としてその懸念を持つことは当然だった。
彼らとレイヴンの思考に食い違いが生じるのはその点である。
千度の人生を経験したレイヴンが最終的に望むのは、例えば魔王として世界征服なんて、そんなちっぽけなものではない。
千度の人生を終わらせること、即ち『死』そのものなのである。
レイヴンにとって脅威がこの身に近づくことが危険であるということにはならないのだ。
今正に会話に講じる一つの行為も所詮は暇潰し。
千度の人生に廃れた精神が、魔王という立場を得たからこそ、こと新しい世界を体感しているのだ。
あるいはその逆か。
ハワードに実力が伴わなければ、それこそ人間を魔王軍に加える理由はなかった。
その場合、そのまま追い返すか切り捨てれば済んでしまう問題であり、考慮する必要もない。
ともすればあとは彼らを如何に納得させるかだろう。
然るべき実力を示し、人間であるハワードを配下に加えて利点を得られるだけの理由。
レイヴンは既に彼らを納得させ得る手段を用意している。
「……よかろう、ハワード・ストラトス。お前の加盟を認めようとも」
「レイヴン様ッ……!」
「――ただし、条件がある」
レイヴンは淡々とした装いで、そしてさらりと言ってのけた。
制止の声はファントマからか、あるいはサファイアか、そのどちらもが声を合わせかけたところに新らしく続けたことで言葉を呑ませた。
彼らからの抑制も想定した上で、そこに条件を付け加えるのだ。
「ファントマ。お前も良く知っているであろう、そこに居るファントマと――試合をしてもらう」
レイヴンの紹介に応じるよう、指し示した掌の先でファントマの瞳孔が見開いた。
レイヴンの紹介の中からただ一つの言葉を耳に残したように、ファントマは身震いしている。
今回ばかりは先ほどまでの不満が募った反論も無い。
「試合……?」
「ああそうだ。今一度このファントマと試合し、実力を示してみろ。さすればこの者たちもお前の腕を認めることだろう。勝てば晴れて我が配下だ。ただし、勝てなければどうなることかも、もう分かっているだろう? 無論手加減は要らんぞ。多少の怪我なら……、この娘が治せる」
そう言って、サファイアの肩にぽんと腕を回すレイヴン。丁度、立ち位置的に隣を陣取っていたサファイアがその腕の中で頬を赤らめていたというのは差し置いて、彼の二人における手加減という言葉の度合いを敢えて考察から外す。
サファイアの腕を買っていることも含め、手を抜いては意味がないことと、同時にファントマの力量にも確信があるからだ。
手を抜いてファントマが納得するはずも無ければ、単純に手を抜けるほど力量に差はないだろう。
「ファントマ。お前はそれで納得できるな?」
「ハッ……! ハッハッ! いいぜ。いいに決まってる。俺はこいつと決着を付けれるのならそれでいい。だがレイヴン様よ。それだけで人間を仲間に加えちまうなんざ、他のやつらは納得すんのか?」
「何だ、お前はもう負けてやるつもりでいるのか? お前が勝てばそれで終わる話だ。勝って、皆を納得させてやればいい。万が一にも負けたなら、その時にでも条件を課した理由を話してやる」
「冗談じゃねえぜ。……負けねえよ。俺は負けねえ」
人間に引き分けたという事実。それがファントマを疼かせるのだろう。
拳を握り開く仕草を繰り返し、感触を確かめているようだ。
どこまでもファントマのファントマ然とした思考が、いっそ爽快だった。
その表情には、いつものように獰猛な笑みが浮かんでいる。




