第2話 ミルクたっぷりのカフェオレをどうぞどうぞ(2-1)
第2話 ミルクたっぷりのカフェオレをどうぞどうぞ(2-1)
時刻としては、夕刻どころか夜の始まりに差し掛かる中、麻音は駅前の商店街を小走りで移動していた。
全力疾走したいところだが、帰宅ラッシュとも重なり、それなりに人の波がある為そういうわけにもいかず、せかせかと歩く速度を速めるに留めている。
バイト先に到着すると、、エレベーターの中で息を整えた。
急に歩行を停止したことにより、止まり汗が体中から吹き出る。
ハンカチで軽くふき、手で風を顔に送る。
二階にはすぐ到着したため汗はあまり引かなかったが、幸いカフェは冷房が効いているので早く中に入ってしまった方が汗も収まるだろう。
本来ならば今頃は、先日、オーナーの古森から話があった例の祓い屋がくる前にバイト先の喫茶店に着いており、既に勤務開始している予定であった。
しかし、今日に限って大学の講義が長引き、麻音がバイト先に到着した時には、古森と交わした約束の時間を一時間ほど過ぎてしまっていた。
元々イレギュラーなシフトであったこともあり、引き受けた時点で遅れるかもしれないと告げてはいたので古森に苦言を呈されることもなく控室に入り、喫茶店のユニフォームであるブラウンのカフェエプロンを身につける。
麻音の勤務する喫茶店は Otter cafe という名の通り、店内の至る所にカワウソのマスコットが描かれている。コースターや紙ナプキンはもちろんのこと、カップやソーサーといった食器にもカワウソがあしらわれている。
従業員の着用するエプロンもそれに漏れず、下部右端に愛くるしいカワウソの刺繍がステッチされていた。
カワウソは貝の代わりにマドレーヌを両手で持ち、立ち上がっている。
可愛い物好きの麻音はこのエプロンも気に入っていて、繁忙時や嫌な客との接客時には軽く刺繍のカワウソを撫でてやる気を出していた。
今回もそっとカワウソを愛で、フロアにいる古森に声をかける。
古森はカウンターに座って一息付いているところだった。
先日より明らかに顔色が良い。
それは、解決策を見つけたからだとすぐに分かった。
麻音は初めて体験することなのでむしろ落ち着かない心持ちだけれど。
「遅くなってしまってごめんなさい」
「ああ麻音ちゃん、いいのよぉ。急にシフトに入って欲しいって言ったのはこちらだしね」
今日はビル全体が臨時休業となっているため、客は誰もおらず店内もがらんとしていた。
「お祓いの人、もういらっしゃってるんですか?」
確か約束の時間は夕方の五時だったはずだが、時計の針は既に六時を十分ほど過ぎた位置にいた。
「五時のちょっと前にいらして、今上の階からやって頂いているところなの。
終わったらご報告がてらこちらにいらっしゃるから、麻音ちゃん、コーヒーをお願いできるかしら?」
「はい。わかりました」
お祓いとはどういうことをやるのだろう、と麻音は今まで映画やドラマの中で見たことのある映像を思い浮かべた。
その中では、祝詞を読む神主や、数珠を持った僧侶が声を荒げている。
己の目で見たことのない景色は想像しかできないのだが、その想像が非常に嘘っぽいものしか思い浮かばない。
幼い頃、母と一緒に見た夏の風物詩の心霊番組では、イケメンタレントが九字切りをしていたっけ。
「お祓いする人ってどんな感じの方なんですか?
確か爽やかな営業マン風の人だって言われてましたよね?」
興味のまま問うと、
「それは営業の方ねぇ。
お祓いには別の方がいらっしゃるってお話しだったんだけどぉ、なんか急にギックリ腰になっちゃったらしくて、予定とは違う方がいらっしゃったの」
ギックリ腰。
いつだったか麻音の父がそれになり、この世の中にこんな恐ろしいものが存在するなんてと嘆いていた。
父は数日ベッドから起き上がることも困難で、泣きながら母に食事を食べさせてもらっている姿は、父の老後を思い描かせて麻音もなんだか憂鬱になったものだ。
その上、母に給餌される父は若干嬉しそうで、別の意味で見たくないものを見た気分が上乗せされた。
仲がいいのはとてもいいことなのだけれど。
「それでいらした方がねぇ…… とーっても若いの。
麻音ちゃんより少し上くらいかしら?
私とっても不安になって、一緒に来ていた営業の方にこっそりと聞いてみたのよ。大丈夫かしらって。
だってほら、高名な霊能者とかって結構ご年配のイメージじゃない? お坊さんとか。」
そう言いながら、古森の細い指がカウンターの上でトントンとリズムを刻む。
「けどね!
なんかねぇ、営業の彼が言うには、今日いらした祓い屋さんは祓い屋一族の中でも上位の方らしくて腕も超一流らしいの!」
―――普段ならこの値段であの方が仕事を引き受けるなんてないんですよ! 超ラッキーですね!
代理の人が他に誰もいなかったから、珍しく、超~珍しく空いてた彼が引き受けてくださったんです!
俺みたいな下っ端が彼と仕事できるなんて今までなくて! 超~興奮してます!!―――
とは猛烈な勢いで興奮のまま古森へと語った営業マンの言葉である。
「でも、そんなすごい人には見えなかったわぁ。
愛想もなく淡々とした方だったし。
目もそんなに合わなかったし。
背が高いのに猫背だったからかしら」
オーナーのタイプは恰幅の良いふっくらとした旦那様だからじゃないですか? とは言わずに、あははと軽く笑って返す。
コーヒー用のカップを二客用意していると古森の携帯電話が鳴り響いた。
軽い応対の後電話を切ると、晴れ晴れとした笑顔でぱちんと手を合わせる。
「お祓い終わったって! 今からいらっしゃるらしいわ!
コーヒーの用意よろしくね、麻音ちゃん」
ステップでも踏みそうな足取りで、古森は鼻歌交じりに客を待つことにしたようだ。
麻音はカウンターの内側で窓の外を眺めた。
ここに来る前にはまだ明るさが残っていたが、すでに日は落ち、街頭や隣のビルの看板が明かりを灯している。
ライトに浮かび上がったはす向かいの学習塾の広告を見て、麻音自身が中学時代に通っていた塾を思い出した。
遅くまで頑張る子が全員望む進路に進めるわけではないが、一人でも希望の形を迎えられるといいのだけれど。
そのようにぼうと考えていた時だった。
店のオープンベルがチリリンと軽い音をたて、二人の黒い男が姿を見せた。
スーツを着た男と、全身真っ黒なサマージャケットを着た男だ。
スーツの男はにこにことさわやかな笑顔を携えた青年で、「戻りましたぁ」と古森に声をかける。
もう一人の黒ずくめの男は、青年より頭が一つ大きい痩躯の男だった。
猫背なことと目を隠すほどの癖のある髪により一般的には陰気と評されるタイプだろう。
それなのに、麻音は痩躯の男を目に止めた瞬間から、彼から目が離せなくなった。
愛想のない男だ。
笑顔どころか一言も発していないし古森に目線を向けることもしていない。
彼の視線は窓の外に向いている。
けれど、麻音の眼は男に釘付けになったままだ。
美しいわけでもないし、彼と知り合いというわけでもない。
どこかで見た覚えもない。
じっと見つめていると、視線に気づいたのかゆるりと男の顔が動き、麻音を見た。
男の気だるげな黒目がゆっくりと動き、麻音と目が合った瞬間に切れ長の瞳が大きく見開かれ、何度かの瞬きの後ガラスのように輝くのを見た。
どれくらいそうしていたのだろうか。
「麻音ちゃん、コーヒー淹れてちょうだーい」
古森の間延びした声ではっと息を吐き、呼吸すら忘れていたことに気づいた。
「あっ! はい!!」
ケトルに水を入れて火にかけていると隣に来た古森がそっと囁く。
「気になるのも分かるけどぉ、じろじろ見ちゃだめよぉ」
「はい。すみませんでした」
古森は祓い屋という職業の人物が気になってしまったのだろうと判断したようだ。
麻音にだって自分の行動をうまく説明できる気はしなかったので反論はしない。
コーヒーのフィルターにお湯を注ぐ。
胸が早鐘を打っており、その音が麻音の耳にまで届きそうだった。
急に肺へと回った酸素に心臓がびっくりしているのだろうか。
こんな経験は初めてだった。
緊張しているような興奮しているような、何とも言えない感覚を感じながら、無心にコーヒーを用意する。




