第1話 小鳥はいつも可愛く囀るので
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本作は全話完成済みの状態で、順次投稿していきます。
全25回、2026年12月28日に完結予定です。
どうぞ完結までお楽しみください。
第1話 小鳥はいつも可愛く囀るので
泣かないでほしい。
目の前にいる誰かに手を伸ばす。
胸が締め付けられて、その頬を濡らす涙を拭いたくて必死に手を伸ばすけれど届かない。
もどかしくて哀しくて。
泣かないで、泣かないでと強く思うのに、体は一切動かない。
そんな顔をするのなら、こんなことなんてやらなければいいのに。
本当に、本当に、どうしようもないんだから。
顔も見えない、姿も分からない誰か。
私の、大事な、人。
―――それは起きたら覚えていない、けれど、何度も見る夢の人。
城野 麻音は都内の私立大学に通う大学二年生である。
自宅からドアtoドアで一時間程度という通いやすい大学のなんとなく気に入った学部に、ふわりとした志望動機で入りそれなりに充実した日々を送っている。
彼女のバイト先は大学と駅の中間にあるOtter Cafeという小さな喫茶店で、たまたま友人と訪れた際に、その雰囲気に引かれてバイトに応募したのだ。
持ちビルの二階にオーナーが趣味で開いた喫茶店なので、客もそれほど多くはないうえに落ち着いた客層でとても働きやすいのが気に入っている。
大学一年のGW開けから働き始めて、先日丸一年を超えたところだった。
「へ? なんて言いました? 古森さん」
食器洗浄機から出てきたコーヒーカップをふきんで拭きながら麻音は聞き返した。
あまり聞きなれない言葉が聞こえた気がしたもので。
「だからぁ、明日お祓いすることになったのよぉ」
聞き間違いではなかったようで、間延びした声が続ける。
四十代ながらいつまでも少女らしさを失わない雰囲気を醸し出したオーナーの古森は、頬に手を当て唇を尖らせた。
リップグロスを塗られた唇がぷるりと震える。
レースやフリルといったフェミニンな趣きを好む古森の趣味満載の店内は、小さくて可愛らしい小物がふんだんに飾られていて、オーナーである古森の少女趣味全開の装飾に彩られている。
毎年、古森は結婚記念日には夫婦そろって海外旅行へと行き、お気に入りの小物を購入し店舗の飾り棚に飾っている。
麻音たちバイト従業員にも現地の雑貨や菓子をお土産として渡してくれる。
去年フランス旅行土産として貰ったのはロクシタンのパリ店舗限定ギフトセットで、その中に入っていたハンドクリームは香りが気に入り、パッケージこそパリ限定だったものの、日本でも購入できる香りだったので現在でも愛用している。
「最近このビルで、なんか変なことが続出してるのは麻音ちゃんも知ってるでしょぉ」
「ええ、まあ。なんでしたっけ?幽霊が出るとか?」
「そうなの! ほんとぉにイヤ!」
事の始まりはなんだったか。
確か最上階の居酒屋が原因だったはずだ。
この喫茶店が出店している四階建てビルには、最上階に居酒屋が入っている。
その居酒屋バイトメンバーが行った肝試しが事の原因という話を聞いた覚えがあった。
複数人でバイトの後盛り上がって、有名な心霊スポットへ遊びに行ったそうだ。
その後、肝試しに参加した七人の内、四人が病気だのケガだので入院しバイトを辞め、残り三人も一気に辞めて、居酒屋は残りの少ないメンバーで回すのに大変らしい。
しかしながら、事はそれだけでは終わらなかったそうで。
「肝試し組が辞めたのに、今度は四階の居酒屋で何か見たとかいう人が続出してね……
そして四階だけじゃなく、三階の飲食店も一階の美容室でも、何かが出たって言ってきたのよぉ」
「それは……嫌ですねえ」
「嫌なんてものじゃないわよ! 地獄よ! じ! ご! く!
なんで肝試しなんてするのよぉ!」
「なんででしょうね。私は怖いの苦手だからなぁ」
そんな事を言われても、当事者どころか、別階の居酒屋組とはほぼ面識すらない麻音は、はははと乾いた笑いを返すしかない。
彼らとはせいぜいエレベーター内で挨拶を交わした程度だ。
顔を見れば分かるが名前までは分からない、といったところである。
「それどころかね……」
古森が両手で顔を覆った。
「……のよ」
「はい?」
「……の」
「え? なんですか? すみません。聞き取れなくて」
「だから! うちの店でも出たのよ!!」
「え? 出た? 出たって、その、ゆう……」
「やめて! 言わないで! 言ったら出ちゃうじゃない!!」
「えーーー!! 出ちゃったんですか?!」
「そうなの!! もう~やだ!」
古森はすでに半泣きだ。
麻音だって、幽霊だのホラーだのスプラッタだのは得意ではないし、特にグロテスク系はお断りだ。
映画は好きだが、映画館でホラー映画は鑑賞出来ないし、遊園地でもお化け屋敷は入れない。
軽いオカルト物映画や本は嗜むけれど、現実では絶対に出会いたくない現象であった。
恐れ慄いている古森とは反対に、麻音の心は落ち着いていた。
そもそも、麻音自身はこのバイト先の喫茶店で、
そのような怪奇現象に一切遭遇したことがなかったので、正直なところ半信半疑としか言いようがなかった。
それがどうも彼女の態度に出ていたらしく、
「麻音ちゃんは、怖い思いをしていないから、そんな平気そうな顔をしてるのよぉ!」
と何とも八つ当たりとしか言えない言葉を頂いてしまったのであった。
「はあ、すみません。でも私実際見てないんで。ちょっと実感がなくて」
「それよ! 他の子はトイレの水が赤くなってたり、天井からぶら下がる誰かを見たりしてるのに!」
「え? 何それ怖い!! そんな怖いことが起きてるんですか? やめてください! トイレに行けなくなっちゃう」
「麻音ちゃんは見てないじゃないぃ! 私なんて漏らすかと思ったんだから!!」
「あ、トイレの件はオーナーが遭遇した出来事なんですね」
「そうよ!!」
「それは確かに怖い……」
古森が半泣きになりながら説明してくれた怪奇現象は、どこかで聞いたことのあるようなよくある怪奇現象ではあったものの、実際に遭遇したら恐怖だろうといえるものであった。
「だから、お祓いっていうの? あれ、頼んだのよ」
「お祓い」
麻音は脳内に僧侶や神主を浮かべたまま話に耳を傾ける。
「聡さんの知り合いに六丁目の母って呼ばれてる占い師がいてね」
聡というのはオーナーである古森の夫で、非常に温厚そうな眼鏡をかけた恰幅の良い男性である。
たまに妻である古森に会いにカフェに来店するのだが、常に微笑みを欠かさない、包容力を体現したような人で、古森と併せて『おっとり夫婦』と常連客にも呼ばれている。
「ろくちょうめの、母?」
「そうよ。この町の六丁目に住んでる有名な占い師さんよ」
「わあ、思ったよりずっと規模が小さい」
思わず声に出してしまった麻音に、ちょっと、と唇を尖らせる古森。
新宿でも渋谷でも横浜でもなく、この小さな町の六丁目の母である。
そう思ってしまっても仕方ないと麻音は思うのだが、不機嫌そうな古森を落ち着かせるためにも形ばかりの謝罪を口にし続きを促した。
その六丁目の母と呼ばれる占い師には、もともと夫である聡が経営する会社の業績などを占ってもらっていたそうだ。
今回の件も相談したところ、占い師の彼女には、そういった怪奇現象を解決することを生業にしている一族に伝手があるそうで、口を利いてくれる事になったとの流れであった。
古森は聡と話し合った結果、占い師に紹介された人物を介し、依頼をすることとしたらしい。
「紹介された方は、いかにも営業マンって感じの方だったのだけど、
お祓いは専門の部署の人が行うらしくて明日いらっしゃるの」
ほらこれ、と古森が差し出した名刺には『戒道コンサルティング 営業 瀬戸屋 翔太』と書かれている。
「戒道コンサルティング? コンサルティング?」
お祓い、というオカルティックとは相容れることがなさそうな職種ではあるが、広意義では、問題の相談を受け解決へ向け助言をするのだから、お祓いも一つのコンサルティングなのかもしれない、ふむ、と麻音は得心した。
麻音という少女は、実に平均的と言える中流階級両親の元で、大きな問題や障害物に遭うこともなく育ったため、一般的に素直と言える性格に育っていた。
仲のいい友人には騙されやすそうと評されることもあるほどだ。
お人よしで、強く断ることはできない、相手に強く言われると譲ってしまう、そんな少女だった。
「でねえ、麻音ちゃんにお願いがあるんだけどぉ」
「お願い、ですか?」
「そう。そうなのよ」
古森が視線で強く物を伝えてくる。
「明日ね、その祓い屋さんの来ている間一緒に待ってて欲しいの。
お仕事完了のご報告をされるんだけど、私一人じゃ怖くてぇ」
「え? なんで私なんですか?」
バイトの中でもまだまだ歴の浅い麻音に頼まなくても、ベテランのパートだっているのだ。
お呼びでないだろうと、他に適任の方がいるじゃないですかと返す麻音に、言葉を重ねるように古森は言うのであった。
「だって麻音ちゃんだけなんだもの、怖い目に遭ってないの!
麻音ちゃんと一緒なら怖いことが起こらなかったから!
ねぇ、お願いよぉ〜」
なんだそれは、自分はお守りかと思いつつも、
もはや半泣きの状態で手を合わせて訴えてくる古森を前にして断るということもできず、麻音は渋々了承の言葉を紡いだのだった。
麻音も家族の誰も、信心深くもないし、神様なんて初詣レベル、お寺なんて葬儀の際しか関わり合いがないような人間である。
もしや、すごい守護霊でもいるのだろうかと、そっと背中に意識を向けてみたものの、もちろんそのようなものは見えないし分からない。
窓の外では、普段からよく耳にする小鳥の甲高い声が響いている。
雀でもシジュウカラとも違う鈴を鳴らすような声音。
鳥自体の姿を見たことがないが、麻音はこの小鳥の声が可愛らしくて好きだった。
今もリンリンリリンと綺麗な声で囀っている。
窓の外へと視線を向けても、やはり小鳥の姿は見えず、ただ初夏の青空が覗くばかりだ。
これほどの晴れ渡る空の下で、先ほど古森の話したような事象が起きているのは、俄かには信じられないものの、引き受けたからには忘れないようにしなければと麻音はスマホのスケジュールに記入したのであった。




