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わたしの悪魔さん  作者: 雪田
第一章 幼少期
23/23

23.わたしの???


「―― 魔女はうっすらとほほえみ、おうちに帰りました。めでたしめでたし」


 結びの言葉の中に光が吸いこまれ、あたりに暗がりが広がった。

 狭い寝台の上、丸くなった掛け布団の中からひょこりと頭を出すものが二つ。

 小さいほうの頭がころんと仰向けに寝転がり、甘えた声を出した。

 

「にーに、もっかい」

「また?」


 困ったように揺れた瞳に、譲らない視線がぶつかり、間に小さくため息が落ちた。

 閉じたばかりの本をひっくり返す。

 いとおしむように指で表紙の題名をなぞると、明かりが灯る。橙色の丸い光。

 その光の中を覗きこむようにして、二人の子どもは身を寄せあった。

 紙のふちに指がかかる、その手つきはひどくやさしげだ。 


「むかしむかしのあるところ、海の端と陸の端がちょうどぶつかってできた塔のてっぺんに、小さな魔女が住んでいました ――」


 声変わり前の伸びやかな声は、すらすらとつかえることなく物語を紡いでいく。

 もう何度も読んでいるのだろう、すでに暗記してしまった文章を目で追うことはなく、隣の反応を気にしながら次へと頁をめくっていく。

 聞き手は紙面に鼻先をくっつけんばかりに近づけ、ときどき思い出したようにほっと息を吐き出す。

 静かな夜だった。

 まるで世界には本と二人の子どもしか存在していないように、頁をめくる音だけが耳に残った。

 再び物語は終わりを迎え、ぱたんと閉じられる。


「さあ、ほんとにおしまい。もう寝ないと」

「ん。ねー、かーさまは?」

「母さまは…… あっちの部屋でもう眠ってるよ」


 暗闇の中、隣室へと続く扉はひっそりと沈黙を守っている。

 その様子に安心した子どもは、布団の中へともぐりこんだ。


「すみー」

「うん、おやすみ。…… いい夢を」


 前髪が何度かなでつけられ、その上にやわらかな感触が落とされる。

 胸いっぱいに広がっていく温かな気持ち。

 それが幸福という感情だと知らないまま、夢の世界へと旅立っていく。

 傍らの存在がそっと寝台を抜け出し、窓辺に満ちた月明かりの中で本を開き一晩を過ごすことに気づかないまま。

 星の瞬きさえ響かない、静かな夜は更けていく。



  


「痛っ」


 眠りを妨げたのは世知辛く、夢の感触とは程遠いものだった。

 鼻頭が曲がっていないか確認しながら半身を起こすと、お腹の上から床へとずり落ちたものがあった。


(…… 本?)


 これが顔面に落ちてきたのだとしたら、なるほどの衝撃だった。

 でもどこから? と見上げれば、周囲を壁に囲まれていることに気づいた。


 記憶にあるのと同じ位置、天井の中央にはぽっかりと穴が開いている。

 丸く切り取られた青空から、壁沿いにくるくると円を描きながら何羽かの鳥たちが舞い降りてきた。

 みんなくちばしにヒモを咥えていて、その先には小包みがぶらさがっている。

 色鮮やかな羽を広げたりすぼめることで角度を調節しながら、一番高いところへとその荷を置く。

 そうして少しずつ、無秩序に積み上がってできたものであるらしい、この壁は。


 かすみは驚きとともにまばたきをした。

 確かによく見てみれば、レンガに思えたそれらは色も大きさも形もあまりに様々だ。

 そのレンガの中には見覚えのある背表紙もあった。 


「これ ……」

「いったいどういうつもりだっ?!!!」


 響き渡った怒号に、思わず一冊を引き抜いた形でかすみは静止した。

 目の前の壁が小刻みに振動している。


「…… 館内では静粛に。裁定者がすっ飛んできちゃうよ?」

「緊急時だ。例外を認めろ」


 一冊分できた隙間から、二種類の声が交互に飛び出してくる。

 おそるおそる覗いて見ると、白と赤、対象的な彩りを髪に宿した人物が二人、間に受付カウンターのような長机を挟む形で対峙していた。

 そろって壁のほうを向いていて、その先にあるものはと確認すれば、一羽の真っ白なフクロウだ。

 あいにくと鳥の体格についての知識には乏しいが、顎の下あたりの毛はこんもりとしていて、なかなかの貫禄を感じさせる。

 フクロウはこげ茶色の薄目を開き、億劫そうに首を回し、すぐに閉じた。

 その反応に、白頭はがっくりと肩を落として、逆に赤頭は俄然の勢いを得て声を張り上げた。 


「あんだけ俺との契約を渋っておきながらほいほいとくれてやるな!! てめえはどんだけ俺に恥をかかせる気だ!!」

「しょうがない、僕にも選ぶ権利くらいはあるんだ」


 机の上に倒れこんだ白頭を睨みつけながら、赤頭は唸った。


「あんなガキに使いこなせるとも思えねーし。第一、あいつは“箱”志望らしいじゃねーか。宝の持ち腐れどころじゃねぇ」

「だから、じゃないのかな。どこの扉も開くための“鍵”は必要だ」

「…… 本人は辞退したいって言ったとか聞いたが」

「それこそ当人の気持ちなんて僕の知ったこっちゃないよ。僕は彼に鍵を与えた。それで契約は成立している。後は、どう使おうと彼の自由だ」

「あああちっくしょう!!!」


 机を蹴飛ばす。その風圧で近くに積まれていた書物の山の一角が崩れた。

 頬を机へとくっつけたまま、白頭の声が低くなる。 


「…… 僕は、君のそういうところをとても残念に思うんだけどね」

「ああっ?! なんか言ったか?!!」

「なーんにも。見てのとおり仕事が立てこんでるんだ。君もこんなところでサボってる暇なんてないだろ?」


 二人が討論している間にも、勤勉な鳥たちは次々と荷物を運んできていた。

 小さな隙間から見える範囲内でも、半分以上の床がすでに書物類で埋まっている。このけっして広くはない空間すべてがそうなるのも時間の問題のように思えた。


「君たち運び屋が働いてくれないと、世界は動きを止めてしまうよ」

「知ってんよ! おめえらはもっと俺様の有り難味を思い知りやがれ!!」

「知ってるよ」


 きっぱりと言葉を跳ね返され、赤頭は一瞬ひるんだ。

 今までの暴れっぷりを恥じるように、床に散乱した本たちにちらりと目をやり、きびすを返す。


「また来る。…… 俺はあきらめねぇからな」


 捨て台詞のようなものを残して、書物の山を長い足でひとまたぎすると、小さな戸口から出て行った。

 同時に仕事を終えたらしい鳥たちも、閉まる寸前の扉から外へと飛び出していく。

 数秒後、けたたましい轟音が鳴り響き、やがて遠のいていった。

 部屋には窓らしきものが天井穴くらいしか見当たらず、壁の外の様子までは窺い知れない。


(そもそも、ここはどこだろう)


 かすみの上に何度目かになる当たり前の疑問が降ってきたとき、ふう、と漏れたため息は二つ。

 白頭は身を起こし、しばらく机上を見つめた後、首を左右に一回ずつひねり、何かの作業に取りかかった。

 手に、針と糸らしきものが握られている。

 紙の束のようなものの中心に針を刺し糸を通す。一枚めくっては、同じ作業のくり返し。


(本職人さん、だろうか)


 そんな職業があると聞いた覚えはなかったが、これだけの本があるのなら的外れの推理でもないように思う。

 生前のかすみの視力は悪くなかったが、半分欠けてしまった上、この狭い視野では把握するにも限界があるのだ。

 なんと声をかけ出ていったものだろうと考えていると、ふと視線を感じた。

 こげ茶色のつぶらな瞳が、まっすぐ覗き穴の犯行をとらえていた。


「ホ、ホー、ホーホホー」

「んー?」


 鳴き声に反応し、白頭がこちらを向くように動いた。

 立ち上がったかと思うと、意外なほど軽やかにカウンター机を飛び越える。

 それにしても長い髪だ。

 セシアの髪も長かったので、少し切ってやろうと刃物を持ち出したらノンノに慌てて止められたことがあったけれど、それ以上だ。ひきづられる白髪は生き物のように床を這い回る。

 かすみよりもやや背丈は低い。

 大人なのか子どもなのか、男性なのか女性なのか、頭のてっぺんから足の先までを覆う髪のヴェールのせいで判定をつけづらかった。

 言葉をしゃべっていたから人間だとは思うが、街中で出くわしたら思わず距離をとってしまいそうな、実に奇妙な姿だ。


「面白いよね」

「え?」

「それ」


 と、壁の向こうから指差された先に、引き抜いたまま手に持っていた本があった。


「今さっき納本されたばかりなんだ。市場に出回るのはもう少し先になるけど」


 いじわる魔女シリーズ、見たことのないタイトルだと思ったら新刊だったらしい。

 パラパラとめくってみる。

 ああでもネタバレになってしまうかな。そう思い、絵が目に入らないうちに素早く閉じ直した。

 その様子に、白頭はふふと笑ったようだった。

 呼気に揺られ、白いヴェールの向こう側からちらちらと赤い光がきらめく。

 まるで宝石のような、作り物めいた鮮やかな発色。


「あ、あの」


 立ち上がると、壁はかすみの肩よりわずかに低かった。

 疑問を投げかけようとしたところで、身体を覆っていた布が足元まで滑り落ちた。


「………… ぎゃあっ!」


 あわててしゃがみこんだものの、危機感のなさに危機感を覚えた。

 こちらの世界にやってきてからと言うもの、驚くのに忙しくて、明らかに一部の感覚が麻痺し始めている。

 幸い、壁があるので見苦しい姿を晒し続けることにはならなかったが、ここに寝かされていた経緯を想像すると今更のような気もする。

 お尻の下、ひんやりとした床の感触を存分に味わいながら、かすみは両手で顔を覆った。


(もっと、ちゃんといろいろ気をつけよう……)


 本心からセシアであることを受け入れなければ、満月の日にかすみの姿に返るという不思議な現象はいつまでも終わらないと悪魔が言っていた。

 正直まだまだこの身体のほうが馴染み深くても、一晩だけという制限付きの人間ではこちらで居場所を得ることは難しいだろう。

 しかも今回のことを考えるに、成り代わるタイミングにはズレが生じるようである。

 となると、このことを誰かに知られでもしたら、セシアまで今の居場所を失うことに繋がりかねない。


(でも、気をつけるにも準備がいる。説明不足な悪魔には苦情を申し立てよう)


 やや理不尽に責任をなすりつけていると、白頭の手がぽんと合わさった。

 

「そうだった、忘れてた。ごめんなさい」


 かすみの羞恥などそっちのけで、邪気のない声は言う。


「それ、着せていいものかわからなくて。よかったら自分で試してみてくれるとうれしい」


 示されたものは、かすみの足元にふわりと広がっていた。

 初夏の瑞々しい若草を思い出させる、緑の濃淡の色合いが美しく染まっている布だ。

 頭からかぶり、両腕を通すと、不思議とかすみの身体にぴたりとなじんだ、膝下丈のワンピースだった。

 裾はどこも切りっぱなしになっていて、糸は大胆にざくざくと表に出ているが不思議と趣きのあるデザインになっている。作り手のセンスがいいのだろう。


「手芸本を見てみたら、用意するものに布と針と糸とあって、ちょうどどれもが都合よく揃っていたからね」

「えっ? …… あなたが、作ってくれたんですか?」

「うん。ごめんね」


 なぜ謝るのか。かすみが首を傾げると、白頭も斜めになる。


「女の子はお店で買った服のほうが喜ぶって、そいつは言うんだけど。そんなもの、ここにはないし。困っちゃって」


 そいつという単語に反応して、止まり木で傍観していたフクロウが翼を羽ばたかせた。

 優雅に空中を散歩すると、白頭のてっぺんへとちょこんと降りる。

 ぽかんと開きかけた口を閉じて、かすみは深々と頭を下げた。


「ありがとうございます。これ、かわいいです。とても」

「そう。ならよかった」

「いろいろご面倒をおかけしたみたいですみません。…… 私、気を失ってたんでしょうか?」

「うん、そうだよ。いきなり倒れちゃってびっくりした。ここは何もないからとりあえず床に寝かせちゃったけど。調子はどう? 扉をくぐるときには酔っぱらう人もいるみたいだから気をつけないとね」


 では、やっぱりあの扉からやってきたのか、と後方、先ほど赤頭と鳥たちが消えていったほうを見る。

 けれど、あの橋の下からどうやってこの場所にやってきたのか。

 かすみの困惑した様子から、白頭は別の意味合いを受け取ったらしい。


「さっきの赤い人に見つかると面倒だったから隠しちゃったんだ、ごめんね」

「いえ、本当にありがとうございます。それで ……」


 それで、何から問うたものか、少し悩んだ。

 突如現れた裸の女を犯罪者扱いせず置いてくれただけでかなりの親切である。

 しかも服まで作ってくれるとは。神様のようである。

 その上で、聞きたいことが詰まれた本の山ほどにあった。 

 かすみが言いよどんだ隙に、フクロウは巣作りをするがごとく、白髪を弄んでいた。

 前髪は頂上で団子状にまとめられ、糸によってぐるぐると固定される。

 フクロウの足裁きは見事なもので、あっという間に、髪の下から、雲に隠されていた満月が顔を出した。

 白いを通り越した青白い肌と、さくらんぼのような赤い赤い目。

 白と赤。うさぎを思わせるカラーだ。

 

「さてと、じゃあ改めて始めましょうか」


 うさぎは軽く咳払いをして、かすみをカウンター席へ座るようにうながした。

 前髪がなくなった状態で見ても、男の子なのか女の子なのか判断しづらい外見だ。

 今にも折れてしまいそうな、細く頼りない首には、金属製の首輪がはまっている。

 その真ん中にぶら下がっているペンダントのような装飾品は、錠前の形をしていた。

 ざわりと、冷風に背筋をなでられたような感覚があった。

 手に持ったままでいたはずの本が、いつのまにかあるべき場所へ戻り、壁と一体となっている。

 代わりに、ひやりとした硬質な感触が手のひらの中に戻ってきた。

 白い、まるで目の前に座っている人物の髪色を模した“鍵”。

 今、この瞬間に身体の中から生み出されたもののように輝きを放ち始める。 


「遠路はるばるようこそ、幸運な迷い人さん」


 説明もなく始まった何かに、かすみは意味のわからないままお辞儀を返す。


「真理の扉はすでに開かれている」


 口調から子どものようなたどたどしさが失せ、どこか老成した雰囲気を帯びた。

 急な態度の変化に、小さく戸惑う。


「私は案内人として、昼夜を問わず、汝が深き暗き知識の森海において道筋を見失うことのないよう、先々に灯りを燈すことができる」


 机の上に置かれている一冊の書物。風も吹いていないのにぱらぱらと紙がめくれ始めた。

 先ほど針と糸によって縫われていた本だと気づく。

 やがて、文字も絵も何も描かれていない白紙の頁を両開きにし、止まった。


「一歩、踏み出す覚悟はできたか?」

「え?」

「真実に触れる勇気、とも言う」

 

 一瞬、赤い、血が凝固したような瞳の中へ封じこまれてしまいそうな錯覚に陥り、かすみは身震いした。

 唇は薄く笑みを結ぶ。

 

「―― さあ、汝の探りしものはなんたるや?」

 



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