回収物№072――開かない箪笥
その箪笥は、最初から妙だった。
依頼書にはこう書かれている。
――梱包必須――
――大型家具――
――引き出しが開かない――
それだけなら、いつも通りで珍しくもない。
ただ、その下に補足があった。
――開けようとすると、別の場所が見える――
いつもの事ながら、意味が分からない。
けれど、この仕事では意味が分からないことが普通だ。
現場は駅から離れた、のどかな一軒家だった。住宅街、と言うほど密集していなく、隣近所との距離が開いている。そのせいか、深夜ではあるものの、やけに暗く感じた。
庭は荒れていた。
依頼人が立ち合いの予定なのに、灯りはついていない。
呼び鈴がなく、俺は玄関の引き戸を叩いた。
返事はない。
手を掛けると鍵は掛かっておらず、からからと軽い音で引き戸が動いた。
「……おかしいな」
肩に掛けたIP無線で、上司に連絡する。
「依頼人、不在です」
少し間があって、上司の声。
『予定外だな』
「回収物は、まだ梱包されていません」
玄関の奥、廊下の突き当たりにそれが見える。
横長の、大きな箪笥だ。
三段の引き出しは、箪笥と同じ幅で長く、深さもあるようだ。無垢の木は色が変わり、見るからに古そうだ。
――そして。
部屋の空気が、そこだけ歪んでいるように見えた。これもまた説明できない、いつもの違和感。
「これ……一人じゃ運び出せませんし、軽バンには乗りませんよ」
俺は箪笥から視線を逸らし、ため息を漏らした。
『応援が向かっている』
上司の声は短い。
『東京第三支部と第四支部から一人ずつだ』
大型案件では珍しくない。俺自身、以前、第十八支部の応援に出たことがある。
応援が来ると分かって、少し安心した。
どう見ても一人で扱うサイズではないし、依頼人がいたとしても、俺の車に積めなければ意味がない。
十分ほどして、車が二台入ってきた。一台は幌付きのトラックだ。
先に降りてきたのは、背の高い男だった。暗くて顔がはっきり分からない。
「ああ、なんだ。空木くんだったのかぁ」
声を聞いて誰なのか分かった。
健康診断の待合室で何度か顔を合わせている、第三支部の篠凪朔真さんだ。確か、三十二歳で、この仕事は八年目だと聞いている。
落ち着いた目をした、気さくな人だ。
「あ、ホントだ。空木ちゃんと仕事で会うの、初めてじゃんね?」
その後ろから、もう一人。
無精髭を生やしていて、いかにも昔はやんちゃをしていたように見えるけれど、彼も話すととても気さくで明るい。第四支部の影咲景斗さん。三十五歳で、五年目になるという。彼と会ったのも健康診断だった。
この仕事は、健康管理が厳しい。多い時は月に何度も顔を合わせる。
上司から聞いた話では、二人のように、何年もこの仕事を続けている人は、そう多くないらしい。
「今日は大物らしいね?」
「はい。俺はいつも小さいのばかりなので戸惑いました」
「だろうな。オレらだって、普段は小物ばっかだよ。な? 影咲くん」
「それな。あれ? けどよ、今日は依頼人立ち合いだったろ? 依頼人どうしたんだ?」
「それが……来たら誰もいなくて……」
俺の答えに、二人は意味深に視線を交わし「ま、たまーにあるんだよな」と苦笑いした。恐怖に耐えきれず、逃げてしまうそうだ。
依頼人がいなくても、回収はしなければならない。仕方なく、梱包材を手に三人で家に入る。
廊下を歩くと、床がわずかに軋む。
箪笥の前に立つと、影咲が小さく口笛を吹いた。
「近くで見ると……やっぱでかいな」
篠凪が手袋をはめながら近づく。その後に続いた影咲も、手袋をはめ直した手で引き出しに触れた。
その瞬間、影咲の手が止まった。
「おい、朔くん、空木ちゃん」
「何です?」
影咲は引き出しを少しだけ引いた。
十センチほど開く。
「え……? 引き出しは開かないって……」
三人とも、開いた引き出しの中に視線を落とした。
普通なら、底板が見える。
――ところが。
中に見えたのは、暗い廊下だった。見たことのない場所。高さがあるとはいえ、たかが箪笥の引き出しだというのに、妙な奥行きがあり、奥に階段まで見えた。
影咲がすぐ閉める。
「……そういうタイプか」
説明できない違和感では済まされない。
完全に異常だ。異常があったら撤退のはずなのに、篠凪は手早く資材を広げた。
「梱包するぞ」
篠凪の言葉に、三人で作業を始めた。
まず、俺が毛布のような大型封印布を広げる。そこに影咲が符紙を貼った。
この符紙は、夜行物品管理株式会社から依頼人に送られる資材に、最初から設置されているものだ。紙と紙の間に挟まれるようになっているから、段ボールや袋を破かない限り、見えない作りになっていた。俺が回収に使うジッパー付きの袋も、中に符紙が入っていると、上司から聞いている。
箪笥に布を被せている最中、篠凪がぽつりと言った。
「似てるな」
「何にです?」
「昔の事故」
俺は手を止めた。この仕事で事故という言葉は重い。影咲も視線を上げた。
「どこの?」
「第三支部。七年前」
篠凪は箪笥から目を離さない。
「記憶事故だった」
神経が剥き出しになったような、全身の血が湧き立つような、気味の悪い感覚に襲われた。回収失敗による事故は、俺自身もデータを見て知っている。ただ、実際に遭遇した体験談を聞くのは、これが初めてだった。
「同僚だったんだ」
篠凪は静かに言う。
「三人で回収に行った。回収物は、小さい箱でさ」
作業をする手を止めることなく、篠凪は話を続け、影咲と俺も聞きながら作業を続けた。危険なものを手早く回収するために、作業の手は止めないのがこの仕事の習慣だった
「箱は至って普通。ただ、開けると学校が見えた」
俺の手が止まった。
――学校。
理由は分からないけれど、その言葉が胸に引っかかる。
篠凪は続ける。
「最初は、そいつの冗談だと思った。小箱の中に校庭が見えるなんてさ」
苦笑する篠凪に、影咲は一瞬だけ視線を向けた。
「笑えない話だ」
「笑えない」
篠凪の声は平坦だった。
「三人で確認した。確かに校庭だった」
引き出しが、微かに軋む。誰も触っていないのに。
「で?」
影咲が符紙を貼りながら聞く。篠凪は布でしっかりと箪笥を包みながら答える。
「帰ってきたら、一人が覚えてなかった」
「何を」
「仕事を」
部屋の空気が重くなる。
「回収も、会社も、俺たちのことも」
篠凪は淡々と続けた。
「全部消えてた。そいつの記憶が」
俺の胸の奥で、何かが軋む。
既視感。
デジャヴ。
この話を、知っている気がする。聞いたことがある気がする。なのに、思い出せない。
「そいつ、結局どうなったんよ」
影咲が聞く。
「退職扱い」
篠凪は汗を拭いながら短く言う。
「公式にはな」
公式。
その言い方には含みがあった。けれど俺は、聞いてはいけないような気がして、口をつぐんだ
――そのとき。
箪笥の引き出しが、音もなく少し開いた。
俺はもちろん、篠凪も影咲も触っていない。
隙間から見えるのは――。
夜の校庭だった。
月が出ているのか、暗いのに周囲が分かる。手前に見えるブランコが、僅かに揺れている。
風が吹いている様子はない。
――なのに。
引き出しから流れた空気が、足下をすうっと通り抜けていく。
心臓が強く鼓動を始めた。ここを、知っている。
何故なのか分からないけれど、知っている。
「閉めろ」
篠凪の声で我に返った。慌てて引き出しを押し戻そうとするも、古いせいなのか、引っ掛かって閉まらない。
「閉じません!」
影咲が俺の手の横を、握った拳で思いきり叩いた。
がたんと大きな音を立てて、引き出しが閉じる。
途端に空気が戻り、風もやんだ。
静かに呼吸を整えると、震える手で、篠凪が掛けた布を箪笥の下まで引っ張り下ろした。
「……空木くん」
篠凪が俺を見る。
「顔色、悪いぞ」
「平気です」
嘘だ。
さっき見た校庭が、頭から離れない。
ブランコ。
夜の校庭。
誰かの声。
思い出せない。思い出せないのに、何故か懐かしい。
影咲が保管庫で見るのと同じ、細い紐で布を固定して、梱包が終わる。
三人で持ち上げると、箪笥は酷く重かった。普通の家具の重さではない。おまけに、持ち上げた瞬間、家の廊下が長くなったように見えた。
いや、どう見ても距離が伸びている。空間が歪んでいるように、出口が遠くにある。
「走るなよ」
篠凪が言う。
「ゆっくりでいい。歩くんだ」
三人で視線を交わし、互いに歩幅を確認しながら進む。
廊下がぐらりと揺れて感じる。
――ぎぎ、ぎ――
箪笥の引き出しが、ゆっくり開く音だ。俺たちは歩みを止めず、それぞれに目配せをして、頷き合った。梱包は、隙間なくしっかりとした。引き出しが開くことは絶対にない。だから確認はしない。
出口だけを見つめていた。
振り返ると、箪笥ごと別の場所に出る。
そんな気がした。
外に出た瞬間、距離が元に戻る。トラックに積まれた大きな板の上に箪笥を置くと、影咲が手際よく、箪笥を囲うように板を組み上げて、ロックを掛けた。
「それも回収ボックスなんですか」
「ああ。空木ちゃんは初めてか。大物だと、入れるのが大変だろ? だから、こうして組み立てるんよ」
「なるほど」
大きな回収ボックスを目の前に、ようやく夜の空気が肺に入る。
三人とも、しばらく何も言わなかった。
篠凪が電子タバコを取り出して吸いながら、ぽつりと言う。
「……あの事故のやつ」
「何だ」
影咲も電子タバコを取り出しながら聞く。
「学校だったって話しただろ」
首元を撫でられたように、ぞっと寒気が来る。
「今日、見えたのと同じだった」
篠凪は俺を見る。
「夜の校庭」
心臓が一瞬止まった気がした。
何も言えなかった。
軽トラに積み込まれた箪笥は静かだ。
引き出しも動かない。
けれど、俺の頭の奥に、校庭の風景が残っている。
見たことがない場所のはずなのに。
俺は……知っている。
この、いつもの説明できない違和感。
それは、恐怖よりも深い場所に触れていた。




