回収物No.012――置き去りのスプーン
その日の回収は、驚くほどあっさり終わった。
回収物は古い置き時計だった。
決まった時刻になると、誰もいない部屋で勝手に鳴るというだけの軽い怪異で、依頼人がしっかりと梱包をしてくれていた。若干、引くほど厳重に。俺たちの側では軽くても、依頼人にとっては気味が悪いに決まっている。
零時きっかりに訪問し、十分後には来た道を戻って保管庫に向かっていた。保管庫でも、特に音が鳴ることも、管理人から妙な問いかけをされることもなく済んだ。
夜間回収係の仕事で、こんなに早く終わる日は珍しい。
今日は所長も、会議とやらで都心の本社まで出掛けている。
事務所の机に戻った俺は、パソコンを立ち上げて回収記録の整理を始めた。
保管庫へ回した回収物の番号、回収場所、依頼者、封印処理の記録。細かな入力作業を淡々と進めていく。
ふと、画面の一覧に違和感を覚えた。
「……多くないか?」
表示されている依頼場所の一つに、同じ店の名前が何度も並んでいる。
――純喫茶・深更堂。
都内の小さな喫茶店だ。
依頼回数を数えると、この半年だけで七件。
しかも妙なことに、回収日はすべて同じ曜日だった。
「土曜と日曜……祝日もか……」
眉をひそめて画面を見つめていると、背後から声がした。
「それ、休日くんの現場だよ」
振り向くと、第十八支部の邑本がいつの間にか後ろに立っていた。
手に持った缶コーヒーを飲みながら、画面を覗き込んでいる。
「休日くん?」
「うん。あだ名だけど」
邑本は椅子の背にもたれかかりながら言った。
「オレら社員回収員は、基本、土日祝日は休みだろ」
「そうですね」
「けどさ、回収物も依頼人も、そんなコト関係ねーじゃん」
「……確かに、そうですよね」
「でもウチの会社はそういうトコ、しっかりしてるからさ。休日出勤とか、まずありえないワケよ」
大抵はどこの支部でも、それぞれの所長が平日回収になるように日程を調整してくれている。けれど依頼者の都合がつかない場合や、急ぎの回収物の場合には、休日のみ出勤してくる社員がいるという。
「そんなワケで、あいつ、休日しか出勤しないんだよ」
「……へえ」
「平日は絶対来ない。土日祝日だけ回収を請け負う変わり者」
だから邑本は彼をそう呼んでいるらしい。
「休日くん、か……」
俺は画面の依頼履歴をもう一度見た。
確かに、深更堂からの依頼はすべて土日祝日。担当欄には同じ名前が並んでいる。
「このサ店、常連みたいなもんだよな」
邑本は空になった缶を捨て、リュックから新たなコーヒー缶を出した。一本を俺に差し出し、受け取ってお礼を言うと、照れくさそうに笑った。
「そこ、妙に怪異が出るんだってさ」
「出過ぎじゃないですか? 他にも同じ場所からの依頼がありますけど、年に二、三回、あるかないかなのに……」
「ホント、それ。ここだけ、不思議よな。けどまあ、休日くんがいる限り、オレらには縁がなさそう」
「俺としては少しありがたいです。……ところで邑本さん、今日はどうして第一支部に?」
「あっ! そうそう。オレ、明日の予備資材が不足してて」
なるほど、それで近い場所にある第一支部に立ち寄ったのか。うちの所長は細かいから、資材が不足することはないけれど、他の支部だと貸し借りが結構あるんだと、邑本は言う。
「玖瀬所長には、ウチの所長から連絡済みだから、少し貰ってくよ」
「はい」
資材置き場から梱包材とテープを紙袋に詰め込み、邑本は帰っていった。
それからしばらくして、所長が戻ったタイミングで支部に緊急の回収依頼が入った。場所を見て、俺は思わず画面を見返した。
「……またここか」
純喫茶・深更堂。
今日は火曜日で、休日くんは来ない。
所長は電話の相手に、日程の調整を打診していたけれど、土曜までは四日ある。所長の返答から察するに、そんなに待てないと言われているようだ。緊急……ならば俺が行くことになるんだろう。
電話を終えた所長が、顔も上げずに言った。
「場所はそう遠くない。行ってこい」
短い指示だった。渋っている様子なのが少しだけ気になった。
梱包用の資材をリュックに詰め、回収ボックスを手に、事務所を出た。
深更堂は、古い商店街の一角にあった。
木製の扉と、小さな看板。そして植木鉢がたくさん並んでいる。
扉を開けると、柔らかなコーヒーの香りが漂ってくる。
「いらっしゃ――」
カウンターの奥から聞こえてきた声が、途中で止まる。
「……あれ?」
奥から顔を出したのは、青葉舞日だった。
「空木さん……?」
「……青葉さん?」
俺たちの声が重なる。
舞日はエプロン姿だった。どうやらここで働いているらしい。
カウンターの奥から、老人が顔を出した。深更堂の店主だという。
「ああ、君が回収の人?」
「はい」
俺は社員証を見せた。
「また置いて行かれたんだよ」
店主はため息をつく。
「ほら、あれ」
問題の回収物は、テーブルの上に置かれていた。
銀色のスプーン。
どこにでもある、喫茶店で良く見るようなスプーンだ。
「これが?」
「そう。ほら、見て。うちの店のスプーンと違うでしょう」
そう言って店主が見せてくれた店のスプーンは、置かれているスプーンと持ち手の部分のデザインが違う。
俺は手袋をはめてスプーンを持ち上げた。
微かな違和感がある。けれど、危険な怪異ではないように思う。
「危険はなさそうです」
ジッパー付きの袋を取り出し、スプーンを中に入れた。袋の中で動くことも、消えてテーブルに戻ることもなかった。ほんの数分で作業は終わった。
店主がひとしきり愚痴をこぼし、奥へ戻ったあと、舞日が小さく息をついた。
「すみません。呼び出しちゃって」
「いや……」
俺は店内を見回した。
古い棚、壁の時計、並ぶコーヒーカップ。
落ち着いた雰囲気の喫茶店だ。
「ここ、よく回収依頼出してるみたいですね」
すぐに保管庫へいかなければならないのに、俺はつい、気になっていたことを口にしてしまった。
「そうなんです」
舞日は苦笑して視線を落とした。
「よく置いていかれるんですよ」
「忘れ物?」
「いえ」
舞日は首を振り、困っているような、沈んでいるような、暗い表情に変わった。
「わざと、です」
客は何も言わず、ただ物を置いて帰る。確かに回収を依頼するよりも、手っ取り早く離れられる。戻る物でなければ、だけれど。
置いて行かれたものが怪異だと気づくのは、いつも深夜帯だという。
酷い話だ。
回収されるべきものを、わざと置いていく誰かがいるなんて、思いもしなかった。
日中のバイトさんたちは、ただの忘れ物と考えて、カウンター脇に置かれている、忘れ物入に保管しているそうだ。
「でも、良く置いて行かれるなんて……なんで?」
「たぶん」
俺の問いに舞日は肩をすくめ、小さく言う。
「私のせいです」
「え?」
「怪異、寄ってくるんです。完全に引き寄せているわけじゃないですけど……」
俺は思わず言葉を失った。
「そのせいか、この店に置いて行きやすく感じるみたいで」
だからって置いていっていいという理屈にはならない。
異常な物と遭遇するのは、誰だって一度だって御免なはずなのに――そのせいで彼女は、何度も。
「だからこの店、回収が多いんです」
当たり前のことのように話す姿を見て、胸が痛くなる。こんなことを、当たり前だと思って欲しくない。
「あの……危ないこともあるかもしれません。ここ、辞めた方が……それか、勤務時間を変えるとか……」
「時給、良いので」
給与面か。深夜は日中よりも稼ぎやすいけれど――。
「でも、深夜は危ないじゃないですか」
「店長もいますし、いつも必ず誰かと一緒ですから」
「けど、来るのも帰るのも――」
言いかけた言葉を、無線が遮った。思わず舌打ちしそうになったのを、唇を噛んで堪える。
『回収は済んだのか』
「はい。これから保管庫に向かいます」
『急げ』
いつもの短い言葉に、ため息を漏らして返事をした。
「お仕事の邪魔してごめんなさい」
舞日は謝るけれど、むしろ邪魔をしたのは、俺の方な気がする。
「こっちこそ。帰り……くれぐれも気をつけて」
後ろ髪を引かれる思いで深更堂を後にし、保管庫へと車を走らせた。
施設に入ると、今日も管理人がタブレットを手に待ち構えている。
「今日は……回収物が残念だね。さっきも、今も」
「え?」
「だって、どっちも弱いから」
この人は……。
回収物がどんな反応をする物なのか、ボックスの中にあっても分るんだろうか。
以前、写真立ての回収をした時、中を見ていないのに動いていると言っていた。
「回収ナンバー、〇一二。回収日時、十一月三日。保管庫ナンバー、十三のA三八番」
またいつもの調子で処理番号を伝えてくる。俺は急いでタブレットに入力をした。
この仕事を始めてから、半年が過ぎ、頻繁に顔を合わせているのに、未だに良く分からない人だ。
「ああ、そうだ。キミね」
帰ろうとしたところを呼び止められた。
また、健康診断に行けと言うのだろうか。
「戻ったら玖瀬くんに、連絡くれるように言っておいてよ」
所長に……?
何の用があるのだろう。いや、用があるなら連絡すれば済むことじゃないだろうか。
「わかりました」
どこか腑に落ちない気持ちのまま、俺は保管庫を後にした。
外は来たときと違ってやけに風が強く吹いている。
明け方近くの夜景は明かりも少なく、遠く見える街並みも暗く広がっている。
今日は楽な回収だった――。
そのはずなのに、胸の内には厄介な回収物に対応したときのような、嫌な感覚が残っていた。




