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夜間回収係の記録~絶対に中身を見てはいけない回収物~  作者: 釜瑪秋摩


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20/22

回収物№9081――呼ばれない名前【前編】

 夜の仕事にも、もうすっかり慣れていた。

 変わらないルール。変わらない手順。

 見ない。開けない。考えない。


 ……それでも。


 慣れたからこそ、油断はしない。馴染んではいけない。

 もう、逃がしたくないから。


 段々と減っていく街灯。寂しげな夜。

 ただ、通話の向こうに誰かがいる夜は、少しだけ違っていた。


『今日は遠いの?』


 イヤホン越しの声が、軽く笑う。


「そうでもないよ」


 短く返す。それで会話は続く。

 名前を呼ばなくても、通じる距離。


 ――あれから三カ月。それが、当たり前になっていた。


「今夜の回収物は……」


 ナビに表示された依頼現場を、もう一度確認する。

 現場名が空欄だった。


「あれ? 入力ミスか?」


『え? どうかしたの?』


「現場の名前。何も出てない」


 車を路肩に停めて、画面を見直した。

 いつも所長がピンに現場名を入れている。今夜はそれがない。

 タブレットで依頼内容を確認してみた。


「……こっちも空欄だ」


 回収物の説明欄が崩れて表示されていた。文字があるはずの場所に、何も残っていない。事務所を出るときに、一度、確認しているのに。

 不審に思いながら、車を出した。まずは現場に向かってみなければ。


『依頼の内容がわからないなんて、そんなこと、あるの?』


 少しだけ舞日の声の調子が変わった。

 俺は所長に連絡を入れようと、無線に手を伸ばした。


「いや、依頼内容は――」


 言いかけて、止まった。

 何を言おうとしたのか、一瞬だけわからなくなる。


『六郎くん?』


 舞日(まひる)の声が、やけに遠く聞こえた。


『ねえ、今どこ?』


「現場。もうすぐ着くんだけど……」


『待って』


 舞日にしては、珍しく口調が強い。


『そこ、やめた方がいいと思う』


 不安そうな声で言う。


「なんで」


『わからないけど……嫌な感じがするの。入らないで』


 言葉を選んでいるのがわかる。

 説明できないものを、無理に言葉にしている声だった。


「大丈夫だよ。心配しないで。もう着くから……終わったら連絡する」


『待って――』


 舞日が何かを言いかけたけれど、俺はちょうど通話終了のボタンをタップしたところだった。


「あっ……」


 失敗したな、と思った。

 でも、今から回収がある。

 かけ直すのは、それからでも遅くない。


 現場は、使われていない倉庫だった。

 照明は落ちている。

 月明かりだけが、地面に薄く伸びていた。


 人の気配はない。

 今回も、依頼者立ち合いのはずだったのに。

 俺は無線を手に取った。


『何だ』


 すぐに所長に繋がる。


「現場到着。依頼人はいないようです」


『いない?』


「はい。人の気配はありません。明かりも消えています」


『確認する。少し待て』


 ぷつりと無線が切れた。

 手持ち無沙汰で、俺は周囲を確認した。

 倉庫の裏は鬱蒼とした雑木林で、道路を挟んだ倉庫の反対側は、畑が広がっている。ビニールハウスが並んでいるのも見えた。

 遠くに点々と、民家が見えた。どことなく実家の風景に似ている。


 蒸し暑い夜。静寂に少しだけ、息が詰まる。

 近くを通る車もなく、虫の鳴き声が耳鳴りのように聞こえた。


『――空木(うつぎ)


 無線から所長の声が俺を呼ぶ。


「はい」


『情報が確定しない』


 所長の背後で誰かの声と、ガザガサと紙や物を移動する音も聞こえる。


「どういうことですか」


『確認中だ』


 珍しい言い方だ。

 大抵、依頼人とはすぐに連絡が取れて、不在のまま回収が行われる。

 それが、確認中……というのはどういうことだろうか。


 俺はもう一度、タブレットで依頼内容を確認した。

 やっぱり、さっきと同じで空欄になっている。


「依頼内容のデータですが、空欄で確認できません」


『空欄?』


 無線の向こうで所長が動いている気配を感じた。マウスのクリック音も微かに聞こえる。


『そのまま待機だ』


「え?」


『確認している。指示するまで建物の前で待て。中には入るな』


「わかりました」


 そう答えたものの、何もない真っ暗なこの場所で、じっと待つのは不気味だ。できるなら、早く回収を終えて帰りたい。

 しばらく待つも、無線は黙ったまま。

 虫の鳴き声だけが、やけに耳についた。


 いつものような夜のはずだけれど、どこかいつもと違う。

 不安そうな舞日の声。所長の対応。違和感というより嫌な予感だろうか。


 ――それでも、本気で危険だとは、まだ思っていなかった。


 俺は倉庫に近づくと、そのままドアを開け、中に入った。


「回収物の確認くらいは……どうせ俺が回収するんだし……」


 小さなものであれば、回収しても問題ないように思う。以前のような大型家具であれば、応援を待つしかないが……。


 使われていない倉庫だからか、中は空っぽで、しんと静まり返っている。暗くて何も見えない。俺はライトを出して、周辺を照らした。


 倉庫の中央に、箱が置かれていた。

 小さな段ボールだ。見慣れた、いつもの梱包資材。ただ、封はされておらず、蓋が開いたままになっていた。


「梱包途中なのか……」


 四十センチ四方くらいだろうか。一人でも十分、持てる大きさだ。

 近づきながら、リュックから封印用のテープを出した。膝をつき、梱包しようと箱を引き寄せた。


「……軽い?」


 引き寄せたとき、重さを感じなかった。

 回収物が、そこにある実感が持てない。それでも、段ボールの中身があるのはわかった。

 俺は手袋をはめると、箱に右手を入れ、中を覗き込んだ。


 ――空だった。


 何も入っていない。

 なのに……指先が、何かに触れていた。

 つまもうとしても、握ろうとしても、小さいものなのか、上手く掴めない。


 ――でも、ここにある。


 見えないのに触れる感触だけが、残る。


「……なんだこれ」


 無線機の向こうで、所長の声がしていた。何か言っているのはわかるのに、言葉の意味が入ってこない。


『六郎くん、離れて!』


 急に声が耳に届いた。

 それなのに理解が遅れる。

 段ボールの中に、何かがある。それだけはわかった。


 ――それ以上が、わからない。


 頭の中から、言葉が抜け落ちていく。さっきまで見ていた外の景色が、所長の指示が、舞日との会話が――浮かんでは、消えた。

 俺はただ、膝をついて段ボールを覗き込んだまま、動けずにいた。


 どのくらい、時間が過ぎただろう……。

 背後で複数の足音がして、俺は振り返った。


 入口に、影が二つ立っていた。

 所長と――。


「六郎くん!」


 俺の名前が呼ばれた。

 はっきりと耳に届く声だった。


 その瞬間だけ、世界が戻ったように思えた。

 暗がりの中を、駆け寄ってくる彼女の姿が、ほんのりと明るく浮かんで見える。

 俺の横に膝をつき、すがりつくように首に手を回してきた。


「入らないでって言ったのに」


 息が少し上がっている。

 ここまで走ってきたのがわかる。


「これ……何?」


 彼女の視線が、俺の指先に向いている。

 さっきは見えなかったはずなのに、四角い小さなプラスチックのケースを指でつまんでいた。


「これは……ゆ……」


 これと同じものを、よく目にしているはずなのに――。


 説明ができない。

 自分が手にしているものの名前が分からない。


「六郎くん」


 彼女は荒い呼吸を鎮めるように、大きく肩で呼吸をしている。


「呼んで」


 静かな声だった。


「私の名前」


 彼女が誰かを、俺は理解している。何度もその名前を呼んだ。


 なのに――。


 口が、動かない。


「……ま」


 音が途切れ、先の言葉が続かない。

 名前が出てこない。知っているはずなのに。何度も呼んだはずなのに。


 それが――見つからない。


 頭の中で、何かが剥がれる音がする。

 ベリ、と。

 記憶が、剥がれていく。


「ねえ」


 彼女は俺の肩を揺すった。声が震えて聞こえるのは、俺が揺れているせいだろうか。


「どうして」


 こんなに近くにいるのに、彼女の存在がやけに遠い。輪郭が、薄れていく。

 掴めない。


「お願い。呼んで」


 もう一度、懇願するように俺の目を見つめている。


「……ま……」


 俺はそれに答えようと、何度も繰り返すのに、どうしても名前が思い出せない。

 ま、と声に出すたびに、舌が止まる。喉の奥が詰まっているような感覚。あるはずの音が、出てこない。

 彼女の存在が、視界から零れ落ちそうに感じた。

 思わず、その頬に左手を伸ばした。

 指が空を切る。


「離れろ」


 頭の上で低い声が響いた。

 ぐいと肩を引かれ、段ボールとの間に所長が割って入った。


「それは通常のものじゃない」


 手袋をはめると、俺の手から黒いものをもぎり取り、段ボール箱に投げ入れた。


「回収から逃れたものだ」


 理解が追いつかない。目の前の景色が揺れていた。


 ――いや。


 揺れているのは、俺の方だった。


「これ以上は、持っていかれる」


『持っていかれる』という言葉の意味が掴めない。

 目の前に広がる世界が薄くなる。音が段々と遠ざかり、景色の輪郭が……崩れた。

 頭の中で次々と消えていくのに、それが何なのか、気づけない。


 手早く箱が閉じられ、所長はそれを小脇に抱えて立ち上がった。

 倉庫の中は、静寂だけが残っている。最初から、何もなかったみたいに。


「……回収完了」


 所長が呟く。

 その言葉を聞きながら、俺の意識は暗転した。


 ――それからのことは、よく覚えていない。


 気がついたら、会社に戻っていた。

 記録端末が目の前にある。


 回収番号が表示されている。


 ――№9081――


 回収物の内容は、空欄。

 それが正しい気がした。


 俺は、端末に今日の日付を入力する。


 回収完了。


 それで終わりだ。

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