回収物№7266――重なるオルゴール【前編】
この仕事は、音が厄介だ。
形がないぶん、逃げ場がない。
目を逸らせば済むものと違って、耳は閉じられない。
だから――。
『今回は聞くな』
無線越しの声は、相変わらず。
「音ですか」
『ああ。オルゴールだ』
オルゴール。
それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。空箱でも、空き瓶でもない。
中身があるものの方が、まだ理解できる気がするからだ。
『ただし、止まらない』
その一言で、思考が止まった。
「……壊れてるってことですか」
『違う』
所長のため息で、わずかな間が出来た。
『終わらない』
「終わらないって……」
『だから、長く聞くな』
止まらないうえに、終わらない音を、長く聞くなと言われても……。
いつものように無茶な指示だと思う。耳栓でもあった方がいいんだろうか。他の回収員たちはどうしているんだろう。
ナビが示す住宅街に入り、車を減速させる。
夜の街は静かだ。
静かすぎて、そこにない物まであるように感じる。
エンジンを切った瞬間だった。
――チリ――
小さな音がした。一瞬、耳鳴りかと思った。それにしては、すぐに音が消えた。
――ポロン――ポン――
間が空いたあと、さっきよりはっきりと聞こえた。
音がどこから聞こえているのか、わからない。
車の外か。
中か。
それとも――。
「……もう鳴ってるみたいです」
呼びかけてみるも、無線は沈黙したままだった。
代わりに、音だけが残る。規則正しく、ゆっくりと。どこかで聞いたことのある旋律が、夜の静寂に染みていった。
依頼先の家は、二階建ての一軒家。明かりはついているけれど、人の気配が薄い。
タブレットで依頼内容を確認した。
――木製オルゴール――
――発声(持続)――
――旋律異常/長時間接触禁止――
「長時間接触禁止……ということは、手早く回収しないと……か」
インターホンを押すと、すぐに応答があった。
「……はい」
女性の声だった。
「こんばんは。回収に伺いました」
扉が開く。
出てきたのは、三十代くらいの女性。
社員証を掲げて見せると、安堵表情を浮かべるが、視線は不安定にあちこちへと動いていた。
「中に……あります」
案内されるままに、リビングへ入る。
音は、はっきりと聞こえていた。
――ポロン――ポン――
さっきから聞こえていた、あの曲だ。
部屋の中央。
ローテーブルの上に、それはあった。
木製の、小さなオルゴール。蓋は閉じられている。
それなのに、鳴っている。一定のテンポで、狂いもなく。
ただ、同じ旋律を繰り返している。
「止めても、止まらないんです」
依頼者が言った。
「ゼンマイも、もう……ずっと回していないのに」
俺は手袋をはめ、オルゴールに近づいた。
すると、音が少し大きくなる。
――いや、違う。
距離で音量が変わっているわけじゃない。
――重なっている。
同じ音が、ほんのわずかにズレて、重なっている。
耳の奥で、別の音が鳴る。
これは……同じ曲だ。
同じ曲のはずなのに、微妙にズレて重なっている。
「……二つある?」
呟いた瞬間、無線が弾けた。
『数えるな』
所長からの短い警告。
自分の迂闊さに、舌打ちしそうになるのをこらえる。
今のは、まずかった。数を意識した瞬間、音が増えることがある。
数を数えない。ルールの一つだというのに。
視線を切り、音だけを切り離す――。
そうしようとして、できなかった。
音が、頭から離れない。
むしろ、近づいてくる。
耳じゃなく、もっと内側で……頭の中で鳴っている。
脳の奥に、直接流し込まれているような感覚。以前も同じ現象があった。
不意に鍵盤ハーモニカの音が、混じった。
反射的に息が止まる。
違う。
これはオルゴールじゃない。
息の混じる、ぎこちない音。
小学生の頃に聞いた――。
頭の芯が痺れるように痛む。回収しなければいけないのに。そう思うほど、頭の中で同じ光景が浮かぶ。
教室の揺れるカーテン。
白い鍵盤。
うまく指が動かない。
周りの音が、揃っていく中で、俺だけが遅れていく。
みんな真剣で、誰かに笑われるわけじゃない。でも、自分が遅れているのはわかる。焦って、余計に指が絡まる。
「……違う」
口に出していた。
何が違うのかも、わからないまま。
「空木さん」
俺を呼ぶ声がした。
振り返ると、いつの間に入ってきたのか、そこにいたのは――舞日だった。
「……どうしてここに」
「呼ばれたからです」
――また。
どうして……誰が……関わらせるなと言ったくせに……。
来て欲しくないと思っていることは、所長も管理人も知っているはずなのに。
オルゴールの音色が、わずかに変わり、重なりが揃い始めた。
それを見ても、舞日は怖がる様子を見せない。
むしろ――。
「懐かしいですね」
微笑みながら、そう言った。
こんなものを前に笑う舞日に、背筋が冷えた。
「これ……知ってるんですか」
「はい」
迷いのない返事。
舞日は一歩、オルゴールに近づく。止めろ、と言う前に、手が伸びた。
彼女の腕に触れたその瞬間、音が、三つに分かれた。
完全にズレた旋律が、同時に鳴った。耳から入る音色に耐えきれず、視界が揺れる。
頭の奥に、映像が流れ込んできた。
夜の学校。
校庭。
風に揺れるブランコ。
誰もいないはずの場所で、音だけが響いている。
オルゴールの音と、鍵盤の音が、混ざっている。
そして――。
――もう大丈夫なの?――
小さな声。
誰の声か、わからないけれど、俺は相手が誰なのか、知っている気がした。
舞日が、俺を見る。その目が、酷く懐かしい。
「空木さん、ありがとう」
彼女の声が旋律を越えて、耳に届く。
何に対してお礼を言っているのか……。
「……何が」
「私のこと、助けてくれて」
音色が、さらに重なる。
記憶が、崩れるような感覚が起こり。たくさんの断片が、繰り返された。
照れ臭そうな父の顔や、姉の困ったような笑顔。
鍵盤ハーモニカに、楽譜。
紙袋に入れられた、オルゴール。
夜の学校。
ブランコを漕ぐ小さな背中を目指して駆け寄る。
紙袋の中で蓋が開き、流れる曲。
――星に、願いを。
歪んだような奇妙な音色。
蓋を閉じたのに止まらない曲を、怖いと言って、泣きながら止めようとしている誰か。
「……何なんだよ、これは……」
次々と巡る場面に目眩を起こし、酷い頭痛と吐き気までする。
その場に跪き、動けずにいると、誰かが両手で耳を押さえてくれた。
視線を上げた目の前にいるのは……。
「……舞日、ちゃん」
名前が、自然に口からこぼれた。
胸の奥が、強く締めつけられる。失くしたものに、触れかけている感覚。
――そういえば、あの時、こうして……怖がるあの子の耳を、塞いであげた。
そう思った瞬間、音が急に止んだ。オルゴールは、ただの箱に戻っていた。
さっきまでの音色の重なりが、嘘のように消えている。
『無事か』
無線の声に、はっと我に返る。舞日の手を解き、立ち上がると無線機を手に取った。
「大丈夫です」
『回収を急げ』
ぷつりと無線が切れる。所長の言葉に逆らう理由はない。
俺はもう一度、しっかりと手袋をはめ直し、オルゴールを掴むと、ジッパー付きの袋に入れた。
音は、もう鳴っていない。袋から出ることも、嫌な振動も、何も起こらない。
依頼人は、部屋の入り口に座り込んでいた。恐怖から解放されたように、深い呼吸を何度も繰り返している。
「……終わったんですか」
俺はそれに答えず、いつも通り一言だけ告げる。
「回収します」
舞日の腕を取り、玄関へ向かう。
外に出ると、夜の音が戻っていた。
風の音。
遠くの車。
現実の音。
車の前まで来ると、やっと「今」を生きている気持ちになった。
振り返ると、すぐ後ろに舞日がいて心臓が跳ねる。腕を取ったまま、無心でここまで歩いてきてしまった。
「……どうして何度も現場に来るんです?」
「呼ばれたので……」
まるで来ることが、当たり前のように言う。
「前のように……影響を受けたらどうするんですか。そうじゃなくても、こんな夜中に独り歩きするなんて……」
「でも、危ないと分かっていて、知らないふりはできません」
「だからって――」
「それに、うち、ここからそんなに遠くないので、大丈夫です。あまり遠いと来られませんけど……」
遠いとか近いとか、そういう問題じゃない。そう思いながら、俺は自分が何に苛立っているのか、うまく言葉にできなかった。
「俺が嫌なんです。青葉さんが危険な目に遭うのが」
「私も嫌です。空木さんが危ない物に触れること」
食い下がって来る姿に違和感が湧く。
普通なら、こんな事に関わるのを嫌がるものなんじゃないか?
誰だって、危ないことに巻き込まれるのは嫌なはずだ。怪異に遭っても、回収なんて回収員に任せればいい話しじゃないか。
「俺はいいんです。これが仕事なんだから」
「私も、いいんです。空木さんの助けになるなら、それで」
「なんで、そこまで――」
舞日は真っ直ぐ俺を見ていた。固く結ばれた唇が、意思の強さを示して見える。
その唇が、俺の言葉を待たずに開く。
「だって私は、ずっと空木さんを……六郎くんが好きだから」
「……え?」
ぎゅっと胸の痛みを感じたと同時に、全身から汗が噴き出た。滲んだ手汗が舞日の腕に伝わってしまいそうで、思わず手を引く。
少し間を置いて、俺は助手席のドアを開けた。
「えっと……とりあえず、送るから……荷物、積んじゃうから、助手席に乗っててください」
舞日が乗ったのを確認してドアを閉めると、大股で車の後ろに回る。
軽バンのハッチを開け、回収ボックスに回収物を収めると、いつもの通りロックをしっかりかけて固定した。
顔を上げると、助手席に舞日のうしろ姿がある。
それが自然に思える。その感覚が、少し怖い。
胸の奥のざわめきが治まらないまま、俺は運転席に乗り込み、車を出した。




