回収物№???――回収されないもの【後編】
今夜の回収を終え、全ての処理を済ませた。
社宅に戻って軽く仮眠を取り、朝になると、俺はスマホを手にした。
連絡先を開いてスクロールする。
「姉」
少し考えてから、思い切って発信した。
数回、コール音が鳴り、姉の二葉が出た。
――六郎? どうしたの、急に。
「朝の忙しい時にごめん……ちょっと聞きたいことがあって」
――何よ?
軽い調子で返され、俺もほんの少し、気持ちが軽くなる。
「俺、小学校の頃って、何してた?」
――小学校の頃? 何それ? 急にどうしたのよ。
「いや……俺さ、あの頃のこと、思い出せなくて」
嘘ではない。
思い出そうとしても、途切れ途切れの場面しか思い出せない。
景色が、音が、人が、全部どこかで切れている。それとも、子どもの頃の記憶なんて、みんなそんな感じなんだろうか。
――普通だったと思うけど。
姉はそう言った後、少し間を置いて、そう言えば……と話し始めた。
――あんた、あの子とよく一緒にいたじゃん。
「誰だよ」
思い当たる相手が浮かばず、すぐに聞き返す。
――ほら……名前、なんだっけ。ちょっと変わった名前。
記憶を探るような、曖昧な間。息づかいさえ逃したくなくて、耳にスマホを押し付けた。
――あー、駄目。思い出せない。
その声に、残念そうな表情を浮かべる姉の顔が見えるようで、苦笑してしまう。
「なんだよ。俺、誰も思い当たらないんだけど」
――嘘でしょ。毎日一緒に帰って来てたのに。
姉の声が少し強くなる。
――鍵盤ハーモニカ、教えてもらってたじゃん。
また一瞬、頭の中に曲が流れる。オルゴールの旋律。
「……その時、弾いてたの、何の曲だったか覚えてる?」
――そりゃあ、忘れられないよ。あんたの下手くそな練習を、毎日、何度聞かされたと思ってるの。
姉に笑われ、懐かしいような、くすぐったいような気持ちがした。
「あの曲、何ていったっけ」
――星に願いを、でしょ。
そうだ、それだ。
良く耳にする有名な曲なのに、どうして思い出せなかったんだろう。
――それで、あの子からオルゴールを借りてきていたじゃない。
「オルゴール? 俺が?」
――そうそう。楽譜が読めないから、オルゴールを聞きながら練習するんだって言ってさ。
姉の話を聞きながら、俺の頭には得意げな表情で鍵盤ハーモニカを弾く、隣の席の誰かの姿が思い浮かんでいた。当然のことながら、それが誰なのか思い出せない。
――それで、あの時、私も同じ曲のオルゴールを持っていたから、借りていたオルゴールは返してあげなさい、って、私のオルゴールを貸したのよね。
姉はどんどん話を続ける。
――そうしたら、あんた、夜なのに返しに行くって言いだして。一人で夜の学校まで行って……。
夜の学校。
ドクンと胸が鳴る。
「そのオルゴール……今もまだ、持ってる?」
――あれは、お父さんが『これは壊れてるから』って持っていっちゃったのよ。
「父さんが……?」
――誕生日プレゼントでくれたんだけど、正直、中学二年にもなって、父親からオルゴール貰っても……って思ってたから、別にいいんだけどね。代わりにゲーム機、買ってくれたし。
姉の明るい声が耳に届くけれど、俺の中ではどうしようもない違和感が広がっていた。
何かを思い出しそうなのに、辿り着けない。
黙ったままでいると、何かを察したのか、姉も黙りこくった。互いに言葉を発しないまま数秒が過ぎ、先に沈黙を破ったのは姉だった。
――あんたさ、小学生の頃のこと、思い出せないって言うけど。
「うん」
――あの頃、色々あったから……仕方ないんじゃない?
「色々って……何のこと」
――ほら……ちょうどあの頃、お父さんが体を壊して入院したでしょ。
「え……そうだっけ?」
――やっぱり覚えてないか。
「うん、全然……」
――ずっと夜勤だったからだろうって。お父さんの同僚の人が、関連会社に異動するのを勧めてくれて。
父がそれを受け入れて、今、実家のある農園で働くことになったのだと、姉は言う。
――何しろ急な話だったから、私たちみんな、学校への挨拶もろくにできないで引っ越したじゃない。
「……引っ越しって、その時だっけ?」
――そうよ。あんたは一番下だったし、あのドタバタだもん。忘れても仕方ないよ。四季や五朗だって、ほとんど覚えてないんじゃない?
一番下だと言っても、その頃は小学四年生だった。引っ越しのことは、薄っすらと覚えている。それなのに、その直前まで通った学校のことを、そんなに簡単に忘れるものだろうか。
ただ、すぐ上の兄と、その上の兄も覚えていないらしいなら、俺が覚えていなくても不思議じゃないのかもしれない。
――あんたも今、夜勤の仕事なんでしょ?
「あ……うん。そう」
――気をつけなさいよ。体。お父さんみたいに入院なんて、やめてよね。
「わかってるよ」
――大体、夜勤ならもう寝ないといけないんじゃない? 昼間、暇だからって……。
言いかけて、姉は「あっ」と小さな声を上げた。
「なに? どうかした?」
――思い出したよ! あの子。そうそう、まひるちゃんだ。
その名前を、姉の口から聞くとは、思いもしなかった。




