回収物№???――回収されないもの【前編】
夜の仕事は、音で分かる。
異常は、目より先に耳に来る。
だから——。
何も聞こえない現場は、少しだけ厄介だ。
『対象はオルゴールだ』
いつも無線の声は短い。手短に、を遥かに超えてくる。
『鳴らない』
そう言ったあと、間が一つ。俺は黙って次の言葉を待つ。
『——鳴らないものほど、触るな』
少しだけ、言葉が重くなる。
「分かってますよ」
そう答えた。
いつも通りのやり取り。
いつも通りの夜。
――開けるな――
――理由は考えるな――
余計な説明はないけれど、それで足りている。
依頼現場は、住宅街の一軒家だった。
灯りはついているけれど、音がない。テレビも、足音も、生活音もない。
まるで何かが抜け落ちているように感じるけれど、依頼現場はこういう状況が多い。
インターホンを押したが、故障なのか音がしない。玄関をノックしても、返事はない。
嫌な予感がして、そっとドアノブを回すと、音もなく開いた。
家の中の空気が軽い。空っぽの空間みたいに。
玄関先で、中に向かって声を掛けてみると、廊下の奥の部屋から依頼人が顔を出した。
社員証を掲げて見せ、挨拶をした。
「こんばんは。回収に伺いました」
「気づかなくて、すみません……どうぞ。こっちです」
依頼人の声だけが浮いていた。
居間に案内されると、テーブルの上に、それはあった。
小さなオルゴール。
見た目は綺麗だった。
宝石箱みたいな作りで、表面は細かな模様が描かれ、小さなガラスの粒が散りばめられている。
蓋を開けると、ガラスの台座がある。そこに人形を置くと、くるくると回る。
ただ、存在感が妙に薄い。視界に入っているのに、気を抜くと、そこにない気がする。変な違和感があった。
「鳴らないんです」
依頼人が言う。
「最初は、普通だったんですけど……」
俺はその言葉に、黙ったまま頷く。
こちらからは何も聞かない。聞いても、意味がないことが多いし、依頼人の方も、言葉を探すうちに消耗していくように見えるからだ。
手袋をはめ、テーブルに近づくと、オルゴールを手に取った。
――軽い。
拍子抜けするくらいに。
ただ、違和感は、そこじゃない。
——静かすぎる。
本来、あるはずのものがないような、そんな感じだ。音、というよりも、気配に近いのだろうか。いや、そもそもオルゴールには気配などない。
そっとネジに触れ、回してみる。ゼンマイを巻く抵抗は感じるから、切れている訳ではないようだ。手を離すと巻かれたゼンマイがほどけていく音がした。
壊れてはいないけれど、曲は鳴らない。
その代わりに、耳の奥に引っかかるような、ジジジ、という音が聞こえた。
その音に集中すると、耳で聞いているのではないと気づく。もっと深いところ……頭の奥で、ノイズが走る。
ザザッと、無線が一瞬だけ乱れた。
『……聞くな』
小さく、そう言った。
さっきまでの通信状態とは違う。
まるで、こちらの状況を見ているみたいだった。
「分かりました」
そう答えたのと同時に、背後で声が聞こえた。
今のは依頼人の声じゃない。向きが違う。廊下側からではなく、テーブルの方角から聞こえた気がした。
「今、何か言いました?」
振り返って聞くと、依頼人は首を振った。青ざめた顔で、こちらを見ているだけだった。
「……いえ、何も」
それ以上は聞かない。気のせいで済ませられるものは、済ませておく。
リュックから小さな段ボール箱を取り出す。
いつもの封印用の資材。
規定通りの手順。
オルゴールを中に入れ、蓋を閉じると、手早くテープを貼る。
その時。
——チリ――
金属が擦れるような小さな音に、思わず手が止まる。
今のは、箱の中からか。それとも、自分の手元か。判断がつかない。
「……」
無線からは、特に指示もない。俺は少しだけ、迷った。
迷いながら、もう一度、なぞるようにテープを押さえる。
問題はない。
封はしてある。
それでいい。
それ以上は、確認しない。
段ボール箱を持ち上げると、さっきより、重い気がした。梱包資材の重みだと、思うことにする。
「回収します」
それだけ言うと、箱を抱えて車に戻った。
「依頼、完了です」
無線に報告を入れると、わずかに遅れて返答が来た。
『……そうか』
ほんの一瞬、間があった。
『それでいい』
短い言葉だ。
それ以上は何もない。
外は、変わらず静かだった。
ドアを開け、後部座席の回収ボックスに段ボールを入れ、固定する。
ふと、助手席が目に入った。
小さな紙袋。出勤前に寄った店のものだ。
中身は、プレゼント用のオルゴール。
もちろん、さっきのものとは違う。
音も、ちゃんと鳴るのを確認している。
「……」
本当は、車に積む必要はなかった。
家に置いておけば良かったのに、持ってきてしまった。私物を持ち込むのはルール違反なのに。
「……まあ、いいか」
小さく呟く。
渡すのは、明日なんだから。
そう思って、エンジンをかけた。
保管庫へ向かう道中、後部から、音はしなかった。
今夜はそれが逆に、落ち着かない。静かすぎるのが、不安でたまらなくなる。
信号待ちで止まった、その時。
——カチ。
ゼンマイが動くような、小さな金属音が耳に届いた。
反射的に、バックミラーを見るも、回収ボックスはしっかりと固定されている。
当然だ。
梱包はしっかりしたのだから。
ただ……今の音は、どこからだ。
それが分からないまま、車を出す。
ふと、無線が入る。
『——数は、数えるな』
唐突だった。
「……は?」
思わず、聞き返す。
返答はなく、ノイズだけが残った。
それ以上、何も言われなかった。
保管庫へ着き、規定通り、搬入する。
係員の指示で棚に置き、伝えられた通りの処理番号を書き留める。
その間も、特に音はしなかった。
静かなまま、終わる。
それでいい。
そういう仕事だ。
車に戻って乗り込むと、助手席の紙袋が、少しだけ傾いていた。
きっと、揺れたせいだろう。落ちないように、横にして寝かせた。
シートベルトを締めた時、ポケットの中で、何かが触れた気がした。
ポケットに物を入れた覚えは、ない。
だから、手は入れない。
確認もしない。
そのまま、ドアを閉め、家に向かった。
夜明けにはまだ早く、どの家も恐らく寝ている時間だ。
玄関を開けて靴を脱ぎ、少しだけ足音を抑え、部屋に入った。
時計を見ると、寝るには、まだ少し早い。
けれど、起きているには遅い、微妙な時間。
——カチ。
また、音がした。
ドアを振り返っても、何もない。
……いや。
視界の端で、何かが動いた気がした。
気のせいだ。そう思って、着替えを手に、シャワーを済ませた。
布団にもぐり込み、今日が終わる。
そして——。
翌日。
時計は、夜の十時を指していた。
玄関で、靴を履き、紐を結ぶ。
いつも通りの準備。
背後で、足音がした。
振り返ると廊下の奥に、小さな影が立っていた。
眠そうな顔で、目を擦っている。
「……お父さん?」
トイレに行こうと目を覚ましたのだろうか。そのまま近寄ってきて、俺の背中にもたれかかって来る。
「どこに行くの」
ゆっくりと体を回して、抱きかかえるようにして向かい合う。
「仕事だよ」
それから、頭を撫でた。
「早く寝なさい、六郎」
ドアを開けると、夜の空気が流れ込んできた。
廊下の奥で、かすかに音が鳴った気がした。オルゴールの曲に聞こえた。
きっと、気のせいだと思う。
ドアを閉め、車に乗り込んだ。




