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夜間回収係の記録~絶対に中身を見てはいけない回収物~  作者: 釜瑪秋摩


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12/22

回収物№289 ― 増える食器【前編】

 生活の痕跡は、音より先に気づく。


 使われたものの位置。触れられた形。減ったはずのものが、減っていない違和感。

 そういうものは、説明がつかないまま残る。

 そして、その違和感は、だいたい当たる。


『今回は食器だ』


 無線越しに、上司が言った。


「食器?」


『増える』


 いつもながら、短い説明で不安になる。


『毎晩、数が増える。使用痕もある』


「……誰かが使ってるってことですか」


『記録上は、住人は一人だ』


 それだけ言って、通信は切れた。なんの音も発しなくなった無線機を見つめながら、俺はふと、家主が留守の隙を狙って部屋に入り込み、そこで生活をする人間のドラマを思い出していた。


「回収に行って、依頼人以外と鉢合わせる……なんてないよな……?」


 依頼現場は、住宅街を抜けた先にある、古い団地の一室だった。灯りはついているのに、生活音がない。

 呼び鈴を押すと、すぐにドアが開いた。


 依頼人は、三十代くらいのガタイのいい強面の男だった。

 目の下に、濃い影が落ちている。強そうに見えても、訳の分からない回収物が相手だと、眠れなくなるのだろうか。


「……来てくれたんですね」


 声が、少し震えていた。

 社員証を掲げると、男は安心した様子で部屋の中に招き入れてくれた。

 違和感は、すぐに分かった。


 ――台所だ。


 シンクの中に、皿が積まれている。

 食器の数が多すぎる。一人暮らしの量じゃないのは一目瞭然。


「昨日は、三枚だったんです」


 男が言う。


「でも、朝起きたら……増えていて……」


 出勤前の忙しさで、そのままにして仕事から戻ったら、さらに増えていたそうだ。

 平皿だけでなく、茶碗、湯飲み、グラスや小鉢もある。一体、何枚あるんだろうか。


 いや——。


 数えないルールを思い出し、視線を外す。


「全部、使った跡があるんです」


 皿には、汚れと水滴が残っている。

 乾ききっていない。

 まるで、ついさっきまで使われていたみたいに。


「夜中に音がするんです」


 男は続けた。


「皿を重ねる音とか……水の音とか……」


 話ながら気味の悪さを思い出したのか、身震いして黙り込んだ。


「見たことは?」


 聞いてから、少し後悔した。男は泣きそうな顔を見せ、当然のように首を振った。


「怖くて、台所に近づけないんです」


 その時だった。

 後ろで、小さな音がした。


 ――コトン。


 二人揃って振り向くと、テーブルの上に、コップが一つ、置かれていた。

 さっきは、なかったはずだ。


「……今、見ました?」


 男の声が、ひどく小さい。

 俺はそれに答えなかった。答えない方がいい気がした。


 不意に玄関の方で、人の気配がした。


 誰かが立っているような気がするけれど、俺は振り返らない。

 振り返る理由がない。

 ここには、三人目はいない。


「……空木(うつぎ)さん?」


 小さな声が俺を呼ぶ。

 驚いて振り返ると、開けっ放しになっていた玄関ドアから、青葉舞日(あおばまひる)が顔を覗かせていた。


「青葉さん……どうして、ここに」


逆井乃(さかいの)さんに呼ばれたんです」


 逆井乃……保管施設の管理人である人が、何故、現場に舞日を寄越すのか、意味が分からない。

 しかも、こんな夜中に。ここまで、どうやって来たというんだ。


「いや、でも……うちの所長は、関わるなって言っていましたよね」


 そうだ。

 所長は管理人に対しても、舞日を関わらせるなと言っていた。

 それになにより、俺自身が彼女に関わって欲しくない。


「ここは、俺一人で大丈夫なんで」


 俺の言葉には答えず、舞日の視線は台所に向いている。


「これ、回収するんですか?」


 舞日が言った。

 いつもより、少しだけ強い口調に戸惑う。


「え……と、依頼はそうなってます」


「でも——」


 舞日は言いかけた言葉を止め、皿を見ていた。

 じっと。

 観察するようにじゃなく、感じているかのように、少し、首を傾けている。

 見ているというより、耳を澄ませているような仕草だった。


「この人、まだいます」


 小さく、そう言った。

 部屋の空気が重くなったように感じ、依頼人が、息を呑む音が聞こえた。


「いるって……誰が、ですか」


 依頼人の問いかけには答えず、ゆっくりとシンクに近づいた舞日は、皿に手を伸ばしかけて、止めた。

 触らない、というルールを知っている動きだった。


「ここで、食べてるんです」


 テーブルに手を置き、舞日が続けた。


「家族や友人、恋人との食事……温かかった時の記憶……」


 置かれたコップ、積み重なった皿。舞日はただ、それを見つめていた。


「今は冷え切ってしまって、また、温めようと――」


 ――カチャ


 舞日の言葉に被せるように、シンクから音が響く。

 俺は、何も言えなかった。

 たった今、増えた皿を見ていた。


 使われた跡。

 残った水。

 増え続ける皿の数。


 それは、怪異というより、誰かの生活のようだった。


「増える前に、箱詰めしないと……私も手伝います」


「駄目です。これは俺が一人で――」


「――間に合わせないと、消えなくなります」


 舞日にぴしゃりと言われ、依頼人はさらに震えあがった。

 本当は触れさせたくない。とはいえ押し問答している時間もない。俺は仕方なく予備の手袋を舞日に渡し、二人で手分けをして箱詰めを始めた。


 重い空気に満ちた部屋の中。ただ、音だけが残っていた。

 水の滴る音。皿の触れ合う音。


 それを聞きながら、段ボール箱に食器を閉じ込めていく。

 箱詰めしている間にも、増えていく食器。次の食器が現れる前に最後の皿を箱詰めして、手早く封をした。

 数は――数えていない。

 数えない方がいい。


 回収は、少し時間が掛かったものの、無事に終わった。結局、段ボールは三個にまで増えた。


「封入、完了しました」


 無線機に報告を入れた。聞いているのかいないのか、所長からの返答がない。

 依頼人も相変わらず不安そうな表情を浮かべている。こうしている間にも、また皿が現れたらと思うと、気が気じゃないんだろう。


『まだ増えるか?』


 十分ほどして、ようやく聞こえた所長の声に、俺も依頼人も辺りを見回し、思わず視線を交わした。


「増えていません」


『……よくやった』


 ぷつりと無線が切れた。

 この仕事を始めてから、もうすぐ一年。

 こんな風に労いの言葉をかけられたのは、初めてのことだった。


 段ボール箱を抱え、玄関を出る時、依頼人は、何度も頭を下げていた。


「これで……やっと眠れそうです」


 箱は食器が入っているとは思えないくらい、軽かった。一人では持てないかもしれない、と思っていたのに。

 団地の狭い階段を降りるたび、箱の中でカチャカチャと音を立てている。


 夜の空気は、やけに静かだった。さっきまで、あの部屋に異常があったとは思えない。見上げると、窓の明かりは消えていた。

 軽バンの後部を開け、全ての段ボールを回収ボックスに入れると、しっかりとロックした。


「……あの」


 声を掛けると、前を歩いていた舞日は立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。


「どうして、こんな時間にわざわざ来たんです?」


 そんなつもりはないのに、責めるような口調になってしまった。

 舞日は、考えるように目を伏せた。


「わかりません。でも……」


 舞日は視線を落としたまま、少しだけ間を置いた。街灯の明かりが、俯いた舞日の横顔を薄く照らしている。


「一人では、終わらなかったと思うので……」


 確かに、一人でもたついていたら、回収は失敗したかもしれない。段ボールに収まりきらないほど、食器が増えたかもしれない。


 それでも、納得はできなかった。

 ただ、反論もできなかった。


「……青葉さんは、平気なんですか? こういうの」


 気づけば、そんなことを聞いていた。

 舞日は視線を落とし、首を振った。


「平気じゃないです」


 即答だった。

 当然の答えだ、と思う。以前、慣れていると言っていたけれど、慣れていることと、平気だと言うことは別だ。俺はもう少し踏み込んで聞こうとして、しなかった。平気じゃないと分かっていて、それでもここに来る理由を聞くのは、少し残酷な気がしたから。


「でも……たぶん、空木さんがいるから、大丈夫なんです」


 その言葉は、俺にとって、思ったよりも重かった。

 軽く受け流せるような調子じゃなかった。


「……それ、逆じゃないですか」


 なんとなく、そう返した。


「俺の方が助けられてますよね。さっきも……手伝ってもらって」


 舞日は顔を上げ、少しだけ驚いた顔をした。

 ほんの一瞬、視線が絡む。

 目を細めて俺を見る表情は、笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

 それから、ぱっと視線を逸らして、また下を向いてしまった。


「私、ずっと――」


 小さく、そう言った。

 風の音に紛れて、聞き取れないくらいの声だった。


「……え?」


 聞き返すと、舞日は思い直したように顔を上げ、それから首を振った。


「なんでもないです。それじゃあ、私はここで」


 街灯の下で、俺からは表情がよく見えないけれど、寂しそうな声だった。その寂しさに、少しだけ迷った。


「……あの」


 歩きはじめた舞日を呼び止めた時、やけに距離が近いように感じた。物理的な距離じゃなく、気持ちの距離が。

 理由は、分からない。

 前からこうだった気もするし、今日、初めて気づいた気もする。ただの気のせい、なのかもしれない。


「……家まで送ります」


「大丈夫ですよ。家まで歩いて十分ほどですから」


「いや、夜中なんで。何があるか分からないじゃないですか」


 食い下がると、舞日は振り返り、かすかに微笑んで頭を下げた。


「じゃあ……すみません。お願いします」


 その笑顔が、街灯の薄明かりの中でも分かった。

 俺はそれに何も言えないまま、助手席のドアを開けた。

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