涙の理由
「乗らないか?」
目の前に突然手を差し出された。
「え?いやだから、私は乗れないって…」
「俺の後ろに来ればいい。背中に掴まっているだけなら大丈夫だ」
ほら、と急かされシャイナはおずおずと目の前の大きな手を握り鐙に足をかけた。
「―ひゃっ!?」
変な声が出たのは物凄い力で上へ引っ張られたからだ。
気付けば高い高い馬の背中に乗っていた。
「…………」
初めて見る馬上からの景色にシャイナは少し恐くなった。
「………高い、やっぱり無理。降りる。降ろして」
しかしセヴィルは前を向いたままだ。
「ねぇ、早く―――わっ!?」
いきなり身体をグンっと前に持っていかれた。セヴィルが馬の腹を蹴ったのだ。
落とされまいと必死にセヴィルの広くて堅い背中に手を回ししがみつく。それでもフワンフワンと腰が浮いて不安定だ。
「わぁぁぁー……降ろしてよ~!!」
叫び懇願するシャイナだったがセヴィルは楽しくて仕方なかった。
「あははははっ!どうして?楽しいだろう?」
「楽しくない〜〜っ!!早く止まってよ~!!」
「えぇ?何?もっと飛ばしてほしいって?よーし、振り落とされるなよ!!」
「誰も言ってない~!!あんたなんて小屋に入れなければ良かった!!」
後ろの声を聞きながらセヴィルは前から襲ってくる木の枝を交わしながらニヤリと意地悪気に口を緩めた。
獣道を駆け抜け、杉の木々が並ぶ小道を通り過ぎ、サラサラと音を立てる川を渡った。
「ハァ、ハァ、お願い……本当に、もうダメ」
馬に乗り馴れないシャイナに限界がやってきた。
もう少しイジメてやろうかという小さな悪心をしまい込みセヴィルは川原でゆっくりと馬を止めた。
スタッと馴れた足で降りると、馬の背で疲れ果て今にも落馬しそうなシャイナに手を伸ばす。
「降りれるか?」
疲れて垂れてしまった目でシャイナは首を横にフルフルと振った。
「無理……足が動かない」
見るとシャイナの足が小刻みに揺れている。よほど怖かったのだろう。
『少しやりすぎたか』と内心反省した。
「……え、ちょっと、次は何?」
シャイナの身体が強ばる。
セヴィルの長い腕が伸びてシャイナの肩を掴んだのだ。
「何って、降ろすんだよ。ずっと馬の上ってのも辛いだろ。身体の力抜いてこっちに倒れろ」
「嫌だ、怖い」
「怖くない。俺が受け止めてやるから。早く倒れろ」
足元を見ると自分が座っている高さに怖くなる。でもいつまでも馬上にいるのも怖い。
恐る恐るセヴィルの腕を這わせる様に掴みギュッと目を閉じ横に倒れた。
フワリとした一瞬のすぐ後に温かいものに体を包まれた。
「上手いぞ。――立てるか?」
目を開けるとセヴィルが少し心配する様な顔でこちらを見ている。
顔が紅くなる前にすぐに目を逸らし言った。
「う、うん。大丈夫そう」
恥ずかしそうに目を逸らすシャイナをセヴィルは少し不思議に思った。
「……ねぇ、セヴィル……もう降ろしてもいいよ」
「……へ?あ、すまない」
お姫様だっこのまま、しかも若い男に黙って顔を見つめられシャイナの心臓は破裂寸前だ。
すぐにセヴィルは降ろしてくれた。
川の水は火照った身体と乾いた喉を潤すのに最高だ。
「プハァ!おいしい!やっぱり川の水は最高ね」
あの時、酒を一気飲みしていたシャイナの姿を思い出す。
「酒よりも、か?」
「?お酒?」
横目でシャイナの反応を楽しむとセヴィルはそのまま疲れた様に寝転んだ。シャイナもそれに習う。
夜明けの空は一段と澄んで綺麗だ。
東の空は星がすっかりなくなり、押しやられた西の空には数少ない星が最後まで輝きを放っていた。
「―――知らなかった」
セヴィルが呟く。
「え?」
「こんなふうに眺めた事も、こんなにも空が綺麗なことも知らなかった。……いつも、下ばかり見てたから」
「……そう。―――セヴィルはどうして軍人になったの?」
「――俺が軍人になった理由……か。そうだな……自分が持つ善心ってやつをどこまで発揮できるのか確かめたかったから……かな」
「善心?」
「君も分かるだろ。人には生まれつき持つ善がある。それに引っ付いてくるのが悪だ。傷ついた人を見て助けようと考えても、周りの人間に流されて見ぬふりをする事がある。でもそれは周りの奴らが原因じゃない。皆と一緒に無視しようと決めた悪に勝てなかった弱さのせいだ。―――組織の中には色々な人がいる。俺は軍界という組織の中でどれだけ沢山の人を、自分の意思で助けられるのか確かめたかったんだ」
シャイナは寝転んだまま隣の男に目をやった。
「素敵ね」
素直に心の内を伝えたくてそう言った………
「……素敵?素敵なもんか」
セヴィルの口調が暗く怖くなった。
「セヴィル?」
「そんな奴が、無抵抗な人間を殺すか?」
「殺す?あなた何言って――?!」
言葉が出なかったのは――セヴィルの目から涙が一筋流れていたからだ。静かに、音も立てず。
「…ッ………」
手で目を覆うとセヴィルは声を押し殺して泣いた。




