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第3話
人混みに溶けていく後ろ姿が見えなくなるまで、隼人は動けなかった。
帰り道、いつも二人で寄り道をした商店街を、今日はどこへも寄らずに通り過ぎた。
アパートの小さなワンルーム。 靴箱の上に鍵を放り出し、ネクタイを緩めると泥のように重い息が漏れた。
机に置いたスマートフォンが震える。
『今日はありがとう』
短いメッセージを見つめたまま、文字を打っては消す。 迷った末に送ったのは、『お疲れさま。ゆっくり休んで。』という無難で冷たい言葉だった。
すぐに「既読」がついたが、返信はない。
逃げるように木彫りの道具箱を開け、彫りかけの小さな木片にノミを当てる。
心を無にするための唯一の趣味だが、今日はノミを動かすたび、美香の笑顔が浮かんだ。手元が狂い、刃先が木肌を深く抉る。
「……だめだ」
削りすぎた部分は元に戻らない。浮かんでくるのは、自分ではない絶対的な安心感を持つ男が美香の隣で笑っている光景だった。
俺は、身を引くべきだ。
部屋の明かりを消し、ベッドに倒れ込む。
目を閉じても眠気は訪れない。
明日も仕事だと言い聞かせるほど、神経は冴え渡った。




