第24話
その夜――。
仕事終わりの佐吉とともに家へ戻り、夕餉を終えると、二人は縁側に腰を下ろした。秋の気配が混じる夜風が吹き抜け、庭で鳴く虫の音だけが聞こえる。
やがて、佐吉が夜空を見上げたまま口を開いた。
「……お前が、親方の弟子になるとはな。人生、何が起きるか分からんもんだ」
懐かしむように目を細める。
「ついこの間まで、お前は木の削り方も満足に知らなかった。鑿を持たせれば力任せに木を割り、刃をこぼす。剣術の真似事をさせても、足軽の子にすら負けて泥だらけで帰ってくる……。本当に、不器用な男だった」
返す言葉がなく、ただ静かに聞いていた。
「それが、記憶を無くした途端、見事な仏様を彫り、二刀を構えて城の護衛と渡り合うようになるとはなあ。……正直、最初は神隠しにでも遭って、中身が別の化け物に入れ替わっちまったんじゃないかと思ったほどだ」
図星を突かれ、心臓が大きく跳ねた。だが、佐吉は優しい声で続けた。
「だがな。お前は不器用だったが、決して腐ることはなかった。わしは知っているぞ。寝静まった後、お前が一人で木端を相手に小刀を握っていただろう。何度も何度も木を削っていたのを。子供のころに悔しそうに裏山へ入り、手のひらが擦り切れるまで木の枝を振り回していたこともな」
佐吉は、こちらの分厚く硬い手のひらを愛おしそうに見つめた。
「お前が人知れず積み重ねてきた努力が、ようやく実を結んだのかもしれんな」
嬉しそうに笑う佐吉の前で、自分の手を見つめる。(……違う)この手に残るマメは、現代で竹刀を握り続けたものだ。
木を彫る技術も、祖父に教わり、自分が積み重ねてきたものだった。
佐吉が見ているのは、本当の新九郎が重ねた努力ではない。
それでも、何も言えなかった。作業台で見つけたあの不格好な仏像。
あれを彫っていた青年は、どんな思いで小刀を握っていたのだろう。
(……すみません)
唇を噛み、顔を伏せた。 真実を打ち明ければ、この父親はどれほど絶望するだろうか。本当の息子は、あの日、森で冷たくなっていた。
自分はその顔に似ていたから、身代わりとして生きているだけの偽物だ。その事実が、鉛のように重くのしかかる。
佐吉は静かに姿勢を正した。
「新九郎」
「……はい」
「親方はな。お前のその『努力の証』である手と目を見ただけで見抜いたんだ。お前の人生を預かる覚悟を決めたんだ」
「……」
「だから、お前も中途半端な気持ちでついて行くんじゃないぞ」
罪悪感で泣きそうになるのを堪え、真っ直ぐに見返した。
「分かっています。もう迷いません」
それは自分への誓いでもあった。
新九郎の努力を、想いを、そして彼を愛した人たちの心を背負って、嘘をつき通してでもこの世界で生き抜く。
「それでいい」
佐吉は満足そうに笑って立ち上がった。
「明日は寅の刻から動くんだ。早く休め」
「はい」
自分の部屋へ戻り、布団へ横になる。明日から始まる修業。
暗闇の中で、自分の両手を見つめる。
「……新九郎。あんたの分まで、俺が……」
他人の居場所を奪っているという罪悪感は、一生消えないだろう。
だが、逃げ出したいとは思わなかった。
窓の外から聞こえる虫の音が、偽物に課せられた新しい人生の始まりを静かに告げている気がした。
「……親方」
暗闇の中で、自然とそう口にしていた。
もう『宗玄様』ではない。『親方』だ。その呼び名が少しだけ嬉しい。明日から始まる新しい生活と修業への高鳴りを胸に抱きながら、静かに眠りへ落ちていった。




