第22話
侍は正面から迎え撃たず、わずかに横へ退いた。狭い路地では四人が同時に刀を振るうことはできない。
先頭の男が斬りかかる。キィンッ! 侍は刃を受け流し、踏み込んできた男の懐へ入って柄頭を胸元へ叩き込んだ。男がよろめく。背後から二人目が斬りつけた。
侍は半身になってかわし、返す刀を相手の喉元で止めた。
「……動くな」
残る二人の足が止まった。目の前の男が、命を奪う機会を自ら捨てたことを悟ったのだ。
最後の一太刀を弾いた瞬間、侍が初めて前へ出た。
フッ――。 ほんの一歩。それだけで、四人の間合いが崩れた。
一人の喉元へ切っ先が走る。男が息を呑んだ次の瞬間には、刀は別の男の手首すれすれを通り抜けていた。
さらに刃先が翻り、三人目の眼前でぴたりと止まる。四人目が刀を振り上げるより早く、その首筋には冷たい刃が添えられていた。
「……っ!」
誰一人として、侍の身体に触れることすらできなかった。
圧倒的な力量差を悟り、四人の顔から余裕が消える。
侍はしばらく見据えたあと、刀を静かに下ろした。
「まだ続けるか」
その一言だけで十分だった。四人は互いに目を合わせ、先頭の男が舌打ちをする。
「……退くぞ」
刺客たちは音もなく屋根へ飛び乗り、夜の闇へ消えていった。
静寂が戻る。侍は、血の一滴もついていない刀を静かに鞘へ納めた。
震える足で何とか立ち上がり、深く頭を下げる。
「ありがとうございました。命を救っていただきました。あの……お名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「名は明かせん」
「ですが、せめてお礼くらいは……」
侍は背を向けた。
「礼なら、もう聞いた」
「では、何とお呼びすれば」
わずかに顔を向ける。
「……影とでも呼べ」
「影……」
「また会う縁があれば、その時は話そう」
そう言い残すと軽く地を蹴り、一瞬で屋根へ飛び移って夜の闇へ溶けるように消えていった。
「……影」
その名を静かに呟く。だが胸の奥には、もう一つの名前が強烈に残っていた。(二瓶先輩……) 似ている。立ち姿も声の落ち着きも、あの絶対的な静けさも。だが、別人だ。ここは現代日本ではないのだから。
(あの人は……ただの旅の侍じゃない)
あの強さ、そして自ら名を隠したこと。深い事情を抱えた人物なのは間違いなかった。
「……また、会えるのかな」
答える者はいない。月だけが静かに城下町を照らしていた。
足を速め、家が見えてきた時だった。縁側に、一人の人影が座っている。月明かりに横顔が浮かび上がった。
「……父さん?」
佐吉は立ち上がると、心底安心したように大きな息を吐いた。
「帰ってきたか。心配したぞ」
「すみません。眠れなくて……少し外を歩いていました」
「眠れん夜もある。だが、この辺りは日が落ちると物騒だ。今度からは一声かけろ」
「……はい」
佐吉は戸を開け、先に通そうとする。刺客のことを話せば、巻き込むかもしれない。言葉を飲み込んだ。
「……心配かけて、ごめん」
「帰ってきたなら、それでいい」
背中を軽く叩かれ、何も言えずに家の中へ入った。
*
だが、その頃――。 城から離れた森の中。
四人の刺客は、一人の男の前に膝をついていた。
「……あのお方が仰っていた通りでした。新九郎は――生きております」
男がゆっくりと振り返る。
「……間違いないのか」
「はい。この目で確認いたしました。顔も、間違いなく新九郎です」
「それで?」
「始末しようとしましたが……正体不明の侍が現れました。我ら四人では、まるで歯が立たず……」
月明かりに照らされた男の瞳に、冷たい光が宿る。
「死んだはずの新九郎。そして、正体不明の侍……か」
男はしばらく黙ったあと、夜空を見上げた。
*
翌朝――。 障子の隙間から差し込む朝日に、ゆっくりと目を覚ました。 昨夜の出来事が夢ではなかったことを、身体中のこわばりが教えてくれる。
命を狙われた。あの日、この世界で最初に見た光景が脳裏によみがえった。倒れていた新九郎。あの青年は確かに死んでいた。
それなのに昨夜、刺客は再び新九郎を殺そうと現れた。
「……そういうことか」
敵は新九郎が生きていると思い込み、確実に息の根を止めるために命を狙い続けている。また襲ってくる。間違いない。
「逃げるだけじゃ、生き残れない」
昨夜は何もできなかった。影が現れなければ死んでいた。次も誰かが助けてくれる保証などない。
「……親方」
拳を握る。
誰かを斬りたいわけではない。だが、自分の命を守ることさえできなければ、美香のもとへ帰ることもできない。
大きく息を吸い込み、障子を勢いよく開けた。朝の光を真っすぐ見つめながら、迷いはもう完全に消え去っていた。
身支度を整えて居間へ出ると、佐吉が朝餉の支度をしていた。
向かい合って食事を囲む。
しばらく箸の音だけが響いた後、佐吉が口を開いた。
「新九郎。……答えは出たか」
箸を置く。
逃げることしかできなかった昨夜の自分。影の圧倒的な強さ。
そして、宗玄の言葉。 静かに息を吸い、佐吉を真っ直ぐ見つめた。
「父さん。決めたよ。俺……宗玄様の弟子になる」
佐吉は驚いたように目を見開いたが、すぐにホッとしたような穏やかな笑みを浮かべた。
「……そうか。迷いはなくなったんだな」
「うん。もう迷わない」
力強く頷くと、佐吉も大きく頷き返した。
「それがお前の出した答えなら、俺は何も言わん。親方もきっと受け入れてくれるだろう」
「父さん。今までありがとう」
「何を言ってる。礼を言うのはまだ早い。……さあ、飯を食ったら親方のところへ行こう。俺が案内してやる」
「はい!」
朝の城下町は活気に満ちていた。行き交う職人たちが佐吉に声を掛けてくる。町の人々から慕われているのが伝わってきた。
「親方のところへ通うようになったら、人との付き合いも学べ。腕が立つだけじゃ一人前にはなれん。困った時は助け、助けられる。それが仕事ってもんだ」
「覚えておきます」
現代での仕事を思い出す。数字に追われ、人との繋がりを考える余裕などなかった。
「そうだ。先に言っとくが、親方は厳しいぞ。覚悟しとけ」
「昨日で少し分かりました」
笑い合いながら歩き、やがて小さな林が見えてきた。
その奥に、趣ある工房が静かに建っている。
シャッ、シャッという軽快な音が風に乗って聞こえてきた。
「行こう」
開け放たれた戸口から中を覗くと、宗玄が一人、作業台に向かっていた。
「親方」
佐吉が控えめに声を掛けると、宗玄は鉋を止め、ゆっくりと振り返った。真っ直ぐにこちらを捉え、鉋を作業台へ置く。




