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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
序章 無限転生
9/23

8 ハチ転生


 落ちる!! 落ちる!!


 転生した瞬間に見たのは徐々に徐々にと近づいてくる緑の大地だった。人間のときよりも何倍か大きく見える朝露で濡れた草原へと、頭から真っ逆さまに落ちていたのだ。


 穏やかな明かりに満ちた書斎から、唐突な高所からの落下。その一瞬の切り替わりに、テレビやパソコンの画面でも見ているのかと錯覚しそうだったが、体に纏われた浮遊感は本物。空気を体が掻き分けて落ちている。地面に向かって……。この体を叩きつけようと……。


 くそ。間違った! 


 四度目の転生。俺が選んだのはハチ。しかし、その選択を今は空中で悔いる他なかった。


 前回のオオカミ転生で得られたたった一つの教訓を、あの理不尽なビブライアのルールへの怒りで忘れてしまっていた。


 『転生した生き物の体の状態を引き継ぐ』


 オオカミでは息切れと喉の乾きを引き継いだ。しかし、今回はそんな生易しいものではない。


 ハチは飛ぶ。そのぐらいは知っており、転生する前にもその利点について考えた。しかし、愚かにもその欠点については考えていなかった。

 飛べる生き物に転生すれば、その飛んでいる瞬間に転生してしまう可能性もある。そして、その可能性が目の前にやってきてしまえば、使い方のわからない羽というコスプレをして、地面へ向かってスカイダイビングをすることになる。

 

 あぁぁぁぁ!!


 声に出ない叫びを上げながら下から上に風を浴び、ビルから飛び下りているのかと勘違いしてしまうような高さを落ちていく。手足が無駄に動くがその程度では落下の速度は低下しない。

 

 ――背中に何かある感覚はあるし、動かせてはいる。けど、ダメだ。飛べない。止まらないっ!


 肩甲骨の裏側を意識すれば羽が動く。背中に張り付けた長い画用紙を筋肉で動かして揺らしているような感覚だ。しかし、それも動くだけ。飛べているわけではない。

 どうしようもない絶望感の中、瞑れない目を開いたまま意識を閉ざそうとう試みる。


 ――四度目終了だ。


 死を目指してまっ逆さま。体が叩きつけられ表面が砕かれてその体液を……。


 目の前に葉があり視界が緑で埋まっていく。そして、遂にはその緑に頭が直撃する。


 体が砕けて粉々にっ!? うぉぉっ!?


 死ぬと覚悟を決めていたのだが、衝突のあとにもこのハチ転生は続いていた。葉がクッションとなっていたのだ。壊れるはずだった体は葉をしならせて深く沈み込み、限界まで沈むと今度は落下とは真逆に上へと跳ね上がる。


 浮遊感。落下。浮遊感。落下……。


 酔いへの配慮を一切行わずに設計されたバンジージャンプでもしている感覚。体が乱雑に回転して、近付いては離れてを繰り返す。視界は最悪。しかし、その気持ち悪さと恐怖は徐々に穏やかになっていき、最終的には葉を伝って地面へと落ちていた。


 いったっ。生きてる……。あんな高さから落ちても生きてるのか。体は? 不備は? 骨折は?


 恐る恐る自身の体を確認する。人間のような動きで顔の前に手を掲げると、人のものではない硬そうで鋭い黄色い手がそこにあった。


 腕、継ぎ接ぎのように見えるがこれは虫として正常。腹部、人では見ない過激なカラーリングが施されているが体液が溢れているわけでもない。


 転生……成功か。

 

 どっと疲れて起き上がる気にもなれなず、横たわりながらあり得ないほど大きく見える虫の世界を眺めていた。


 普通の人間の感覚だったら死んでた高さだったけど。あれか。アリとかも飛行機からダイブしても死なないって言うし。空気抵抗か何かの問題で落下の速度が伸びないってやつだろう。


 数秒前の落下を思い返せば、確かに空気が水のように体に抵抗してきた感覚はあった。今回はこの小柄すぎる肉体に助けられたようだ。


 体を曲げて起き上がる。ハチの体は哺乳類のそれよりも柔軟性に欠けていたものの、地面に腕をピッケルのように突き刺してから体を引くとなんとか四つ這いにはなれた。

 顔を上げて周囲を見渡す。大木のように伸びた草には手のひらサイズの水滴が浮かんでいる。


 異世界転生。ウサギ転生。いろいろあったけど、この世界観は経験しないとわからない領域だよ。


 ハチの腕を持ち上げて自分の体よりも太い草の茎を押す。たった一つ雑草でさえ今の体では揺らすこともままならない。


 どうしたものかな。


 ハチの前足をやれやれと軽く上げる。

 ハチ転生の意図はハチの仲間、群れと共に行動することだった。しかし、落下していたときも、今このときも付近に仲間の姿はなく気配すら感じられない。


 ハチの巣にでも転生できたら、文字通りに甘い蜜を吸って生きていけるかとも思ったけど、甘くはないか。転生の出だし自体はもろもろ失敗。でもまあ、一つだけ教訓にはなったか。


 教訓一、この境遇の転生では仲間はいない。仲間のいない生き物に転生させられる。


 知れば知るほど難易度が上がり続けるだけの転生に、気の抜けたような形で触角を広げる。なお、自分の意志ではない。


 他の生き物に転生して長所を押し付けて活躍するか。……そろそろ幻想からも覚めてきたよ。


 気を取り直すように黄色い手を見つめる。普段扱っていた二本の腕とは違う形状の、普段とは違う本数のそれ。手と言っていいのかもわからないようなそれを握れるのか試すと、指先が少しだけ動いた。


 哺乳類と昆虫。内骨格と外骨格。


 腕というか脚は六本あって、腹が自分の体の一番下にある。これまでとは違和感のレベルが違う。使い方もかなり違う。

 なので最初に始めるのは体の動かし方の確認だ。羽に関してはまだ使いこなせる気がしなかったので、ひとまずは歩く掴むができるように、六本の足の動きを練習する。


 昆虫は基本的には三つの部位に分けられるらしい。上から頭、胸、腹とその辺りの順序は人間と同じだ。しかし、人間は胸から手足全てが生えているわけではない。それに六本もありはしない。


 上の二本の足。これは人間のときの腕の動きとリンクしている。右腕を動かそうと思えばこの一番右上にある足が、左腕を動かそうと思えば一番左上にある足が動く。そして、俺が足を動かそうと思うと、一番下の二本が反応して動いた。


 で、この真ん中の二本。違和感がすごい。足の小指でも動かしてる感じだ。


 人間時代ではあり得なかった第三、第四の腕。これは意識すれば動かせるが、感覚がぼやけていて、細かく動かすことはできない。内に閉じたり、外側に開いたりはできるものの、掴んだり器用な動きはできない。多腕系のモンスターは手数が多くなって強そうだなんて思うことはあったが、実際に体験してみると補助輪ぐらいの印象しか持てなかった。


 ただ歩くだけなら苦労しないか。もちろん、四足歩行だけど。


 腹が足よりも下に位置しているため、この体での二足歩行は無理だった。けれど、これまでの転生で培った四足歩行に関しては、固さは残り走ることはできないが、歩けないというほどでもない。


 ――問題はここから何をすべきか。第一は安全確保か。群れであれば死ににくいって想定は既に意味はなしで孤立状態。空もまだ飛べないから、高所からの情報収集もできないときた。何のための転生なのやら。


「……」


 死なないための転生だったな。


 なんとなく動き回るのはこれまでの体験からして悪手だと知っていた。なので草の根本にうずくまって方針を定めることから考える。


 貢献をして転生ポイントを貯める。これが生き延びるための近道なのは間違いない。じゃあ何をしてみるべきか。そこでだいたい行き詰まる。人間であれば、人助けをしてみようなどと考えられるが、このハチの姿で人助けができるかは難しいところ。


 ……襲われている商人を盗賊から守ってあげるとかか。針で刺して妨害して、あわよくばアナフィラキシーショックで殲滅。


 体の割に大きな頭を振って現実的ではない案を否定。飛べないハチなどただの虫。羽がもげてまともに動けなければオオスズメバチでもそこまで恐ろしくは感じない。  


 俺はそっとあるものを思い浮かべる。すると目の前にウィンドウが現れる。


 《個体強化》 消費転生ポイント 5 10 50 100 500


 これを使えばそんな夢も叶うんだろうけど……。


 今の俺の転生ポイントは6。ギリギリ一番下の消費ポイント5の個体強化は可能だ。しかし、それをしてしまうと残りの転生ポイントは1。転生ポイントを貯めれなければ次の強化はできなくなる。

 さらに問題なのはこれが個体強化というところ。『種族』ではなく『個体』なのだ。つまりは、強化したこのハチが死んで、新たにハチを選んで転生したとしても、その強化値は引き継がれないということ。だとしたら、こんなハチにではなく、もっと希望がある生き物で希望のあるタイミングに強化したい。


 強化はなし。特出した強みもなし。飛べもしない。体は動かしにくい。


 ――だったらやれるだけ試してみるしかない。


 今回は生存を第一とする。ビブライアの思惑から外れ、今日一日を生き残る。


 手始めは……。 


 絶妙に融通の利かない頭を体ごと動かして、ハチの背丈の何倍もある植物の茎を見上げた。


 クライミングだ!

 

 それハチになってやること? なんて質問は受け付けておりません。なぜ登るんですか? の質問の方であれば、「そこに壁が……」ではなく、飛ぶ、歩く、登るの三つの選択肢の中でもっとも有意義だったからと答えよう。


 人間であれば足蹴にできるような雑草も、ハチからしてみれば巨大な壁で、地面とほぼ垂直に根を張っている草は難攻不落の牙城だった。

 有畑奏真の体であったのなら、登れない登ろうとも思えない直角の傾斜に、俺は前足の爪を引っかける。そこから後ろ足も引っかけて、一歩一歩と登り始めた。


 人間として虫を見ていたときは、壁にハエが止まっていたり、虫が塀を登っていたりしていても当たり前ぐらいに思っていたが、こうして人間の魂でハチの体に入ってやってみると、これがかなりの感動がある。体の重さと特殊な手先のお陰ですいすいと登れてしまう。利点がないと思っていたが前言を撤回させてもらおう。


 ハチって素晴らしい!


 数秒して自身の体の十数倍の高さの葉を登り終えた。その頂上から見渡してみると、草花の上にいくつもの大きな露が浮かんでいる。一見魔法のように見えるそれはただの水滴。しかし、この光景が他ならぬ異世界で別の種族として生きている証なのだ。


 一つの水滴の近くまでやって来た。サイズ感は風呂。この体であれば足湯ぐらいはできるだろう。

 そんな月明かりに照らされ輝く水滴に触れる。普段は感じることのできない張力が、ハチの指先に抵抗する。


 いいね。まずはオオカミ転生での悲願を果たそう。じゃあ、いただきます。


 水滴の表面にハチの口を付けた。そこから小さな顎を動かして水を喉に迎え入れると、身体中に生命力と爽快感が突き抜ける。


 うっまっ!!


 背中を反らせて頭を上げる。思い浮かべるは満月の下で夜空に吠えるオオカミ。叫びたいその声を。声帯がすごく欲しい。


 心の中で全力の遠吠え。声が出る生き物に転生したら絶対にコレはやろう。


 ちょっとした次の転生へのモチベーションが生まれたところで、俺は目の前の水滴から他の場所の水滴へと視線を移し替えた。


 小さいからこそこの水滴一つで満足できる。小さいからこそ、水滴一つがウォーターサーバーになる!


 虫に転生するのは、そもそもの虫嫌いからして抵抗はあったのだが、こうして様々な観点から見れば利点が多い。特に食事に関しては郡を抜いて強みがある。


 食べる量がものすごく少なくていい。しかも、ハチなんかは狩りの必要もなし。思えば、虫が餓死しているってイメージはないか。これはこのハードモードの転生だと最大の強みだ。

 

 自分の下の方の腹は大きく膨らんでは見える。しかし、それも小さい体の中ではの話。米粒一つでも満足できるだろう。


 そんなハチなのだが、食料についてはいくつか考えられる。肉食のハチからそうじゃないハチまで。あの有名なオオスズメバチなんかは虫を襲ったりしているが、ミツバチなんかは花の蜜を啜っている。この肉体がどちらかまでは客観的に姿を確認できない状況では判断できないが、元より虫を食べるつもりはないので花の蜜を啜る。


 周囲を見渡して花を探す。季節的に冬ではないようなので、花自体はそこらかしこに存在した。低い場所にまとまって咲く青い花。細い茎の上に一輪だけ咲く白い花。あとはスズランのような下を向いて咲く花が少し咲いている。


 食事も取っておこうか。見たところ敵の影もないし。


 ビブライアによる転生先の境遇の補正。そこを警戒はしていたが、今のところ外敵の姿はなし。空を見上げても鳥が飛んでいるなんてこともない。夜ということもあって、多くの生き物は眠りについているのだろう。

 手足を動かしてハチらしくない移動方で葉を渡っていく。


 狙いは比較的高い箇所に咲いている白い花だ。花弁が大きく開いており、変に花の中心へと潜り込まなくてもいい。


 まさか二十代にもなって花の蜜を啜るなんて。ちょっとメルヘン。


 花粉にまみれながら花弁の奥へと這い入ると、水滴とはまた少し違った液体がある。そこへと顎を伸ばして口を付ける。

 ほのかに甘い。フルーティーの一歩手前、果実水みたいな味だ。後味としてほとんど残らない甘味。優しい香り。


 生きてるって感じがする。もうちょっと……。


 また一口と顔を近付けて急停止。


 ……待てよ。これは明らかな失態じゃないか? 


 この転生での共通事項は一時間以内での死だ。その死因は今のところ外敵による他殺ではあるが、何もそれだけとは限らないだろう。嵐の中で雷に打たれる可能性、山で落石に見舞われる可能性。そして、今目の前にあるこれ。


 一時間の内に死が訪れるのであれば、毒による死亡もあり得る。野生に生えている植物なんてかなりのものに毒がある。トリカブトほど大袈裟な植物ではないにしても異世界での植物だ。とんでもない事態に陥る可能性もある。


 蜜から離れて体の確認。痛覚がやや鈍感なせいで手で体に触れても特に違和感はない。体調は普通。動きはむしろいい。毒ではなかったようだ。

 しかし、自身の甘さには辟易とする。確実に死ぬという条件の中で無警戒に推測もせずに突き進んだ。俺らしくない。


 この白い花は覚えておこう。これからの食料の基準はこの花。……一応腹持ちの良さそうな花粉も食べておこう。


 ハチ転生での最初の食事として黄色い花粉を口に含んだ。味はほとんどなく強い香りだけが残る。香水をかけた常温の豆腐だ。次は食べない。


 腹が膨れ頭が落ち着いてくる。ここからは外敵との戦いだ。何が襲ってくるのだろうか。

 植物の葉に体を隠す。天地をひっくり返した視界で、地上の敵を警戒する。


 安全地帯とも呼べる巣に戻るのが一番だろうけど、あいにく都合よく頭に巣の位置が残っているわけもなく迷子状態。さらには夜で仲間が空を飛んでいるなんてこともないと。安定した居住エリアを見つけるよりも、旅をしながらその都度って方針が最適か。


 転生ポイントを貯めるという目標と、生き残るという過程。その二つを両立するのであれば、妥当なのは動き回ること。


 この場所に時計はないのでおおよその時間になるのだが、そろそろ転生してから三十分程度にはなるだろう。大抵は、この辺りの時間から敵に見つかりチェイスを繰り広げるのだが、今はそんな雰囲気はない。


 草に擬態したカマキリ、罠を張ったクモ、地面で目を光らせ餌を探すネズミ、空へと生き物をさらっていく鳥。


 いくつか考えられる敵はあるが、今のところどれの気配もない。不思議なほどに静かであり、眠っている生き物の姿もまともに見ていない。


 そもそもの話、このサイズで動き回って生き物を見ていないってほうがおかしいよね。何でだろう。


 夜だから? だとしても虫であればそこら辺の草の裏にでも隠れて寝ているだろう。さらに小動物は夜行性のものも多く、動き回っている影の一つぐらい拾えてもいい。それなのに視界にあるのは、花と水滴ばかり。生き物らしい生き物はハチの俺からは見つけることがかなわない。


 平均値から494も低い転生ポイント。一時間で死ぬようなマイナスの境遇。三度も死んだ。だからこそ、現状をマグレの平穏などと悠長に勘違いはしない。


 観察しろ。もっと深く、細かいところまで。推測しろ。一つ情報から枝分かれさせ、その中での最悪を導き出せ。


 ここは草原。川の音は聞こえない。時間は夜であり、空を見上げても飾り程度の雲が浮かんでいるのみで、雨のあとの湿気も感じられない。

 湿気はない。しかし、水滴がやたらと目立っている。ハチだからこそ見える細かな水滴だ。それ以上は何もない。


 だとしたら、この違和感のない環境に何で生き物がいないのか。こんなに住み心地の良さそうな空間なのに。


 甘い考えであれば寝静まっているだけ。そこから一つ悪い方向へ転ばせるとガスの充満や、植物が特殊な毒を持っているなどが浮かぶ。しかし、だとすれば三十分も平然と動き回れているとは思えない。


 あとは考えられるのは一つ。絶対的な捕食者がいるため。


 葉の上まで再び上って周囲を観察するが、それらしき痕跡はない。あるのはただの水滴だけ。大小様々な水滴がこの草原に所狭しと浮かんでいるだけ。


 ……そうか。わかってしまった。


 確かにここまで警戒し、推測をし続けてきていた。それが有畑奏真の生き方であり、過剰なまでに理由で装飾し続ける姿はその産物であった。その産物は人生において決して無駄にはなったことはない。向こうの世界でも大いに役に立ち、様々なリスクを回避してきたのも違いない。

 経験則と知識からのリスク回避。しかし、それはこの異世界に来てはゼロに戻る。知識と常識が異なる世界では、固定概念と呼ばれる無駄となる。


 水滴がただの水滴でしかないと思い込んでいた。違うんだ。向こうの世界ではそうだったけど、こっちの世界だと違う。この光景、魔法と呼ばれるものでも再現は可能だし、ある生き物なんかでも再現が可能だ。


 重力に負けてやや下部に重心を集めたその姿。草の丈に隠れて見えなかった部分に目を凝らせば、ルビーのように赤い半透明なコアが一つある。


 リアルで言うところのクリオネに酷似した色調。そして、その愛くるしいクリオネの見た目に似合わない食性を、同じような印象のまま抱える生物。


 やっぱり異世界だったか。――ここはスライムのテリトリーだ。


 新鮮な虫の世界が一転してビブライアのもたらす絶望へと変化していく。


 あのサイズの水滴は存在しない。スライムだ。小さいけどそれでも核が見える。あっちもスライムだ。今少し表面が波打った。こいつもスライムだ。


 一つ一つの情報が視界に収まっては確信へと変わっていく。やはりここはスライムの群生地だ。

 敵を目視できたのは最高の成果だった。しかし、その中で逃走ルートが悉くスライムのだらしない肉体で潰されていくのは、最悪な成果だ。


 スライム。?目?科。半液体状の体に赤い核が一つ。五感の有無不明。生態不明。食性不明……ということにしておく。


 ただこれで草食のおとなしい生き物とはならない。草食でこれだけの数がいるのなら、この草原は豊かすぎる。草が食まれたあとが残っていない。


 向こうの世界の知識と目の前に広がる光景からの推測。スライムの食性は雑食もしくは肉食。その肉体に獲物を捕らえ、窒息させ動きを封じ体内で穏やかに分解する。


 たまったもんじゃない!


 嫌な推測しかできないが、嫌な推測が正しいのはわかってしまう。このスライムらは間違いなくこの肉体をハチを獲物として認識している。


 不満を発散するように顎を鳴らすが、怒りも恐怖には勝てず気付いたときにはハチの体を縮こまらせている。

 スライムには目などないのだから隠れても無駄かもしれない。しかし、それでも本能的に隠れてしまうのが死を知る者なのだ。


 足が震えて力が入らないが、それをハチの鋭い爪がカバーし、なんとか葉に張り付く。


 飛んで頭上を越えていきたいけれど、このハチでの経験が少なすぎて飛び方なんてまだわからない。練習して飛ぶ選択肢もあるけど、それまでスライムが待ってくれるのかも、飛べるようになるのかも不確か。……境遇補正マイナスにしても、スライムの群れに囲ませるなんてやりすぎだろ。


 転生書庫ビブライア。奴の基準では俺は死亡率九十%越えの異世界にしか転生させたくないらしい。理不尽と嘆きたいが、それ以上にここまで低評価をされた理由を説明してほしい。


 ……悪い方向に考えすぎか。現実逃避なんてしている暇はない。動くならスライムが寝ている今動かないと。時間が過ぎるごとに不利になる。それはどの転生でも共通していただろ。


 徐々に命と魂とを繋ぐ糸が細くなっていく。あるいは命の砂時計が下へと止めどなく流れていく。時間はないのだ。


 選択肢は三つ。この場で隠れてスライムが移動するのを祈る。飛ぶ練習をして空から逃げる。四足歩行で移動し、動きの少ないスライムの間を抜ける。


 どれを取っても正しいとはいえない。全てに失敗が存在し、全てに裏目が存在している。しかし、そんな命の保証がされていない賭けにしかでられないのだ。


 動かない選択肢はない。向こうにも何かしらこっちの姿を捉える五感はあるはずだ。となると……間を抜けるしかない


 今ある技術であればそれがもっとも安定した選択肢。歩いてスライムの間を抜ける。成功確率は分からない。


 スライムには目がないから視覚は多分存在しない。嗅覚も怪しめ。ありそうなのは振動を受けとる聴覚と……熱感知なんてのも強キャラの特権か。


 聴覚というか振動からこちらを割り当てるぐらいは普通にやられる予感があった。熱感知も『よし。逃げ切ったか』を言っている奴の背後に迫ってきているのが定番だ。警戒はしておく。


 思考完了。あとは試すだけか。


 スライムの数を数えながら、逃げ道としてふさわしいルートを首を伸ばして探る。左側はスライム密集地帯があるので却下。前方は終わりが見えないので却下。後ろは振り向きたくないので気分的に却下。残すは右。


 行くか。


 そう短い決意で小さな黄色い体に燃料を注ぎ、鉤爪を葉へと引っかけ前へ進む。

 今向かっている右側は、スライムが迷路のように点在している方角だった。しかし、それでもある地点を皮切りに、スライムらしき塊はとんど姿を消している。


 俺はハチだけどハチじゃない。四足歩行の極地にはまだ達していないけど、ウサギの足を体験したんだ。逃げるための四足歩行は本家のハチよりも実績がある。


 葉の上での歩行に慣れてきたところで、ようやく転生で培った技を利用する。ウサギとオオカミでの経験だ。

 元々移動を羽で行うことがメインのハチはそれほど速くは歩けない。犬や猫並みの速度で走っているハチなんて見たことがないだろう。それと同じ。

 ひとえに骨格の問題があるのだろう。足の太さなども影響しているのかもしれない。しかし、某G様はその細い足を使いながら人の足場をレーサーのように駆け回る。


 ようは足と体の使い方。ほとんどの虫は爪を引っかけて体を前に引くパターンだけど、地面を蹴るという形に変更すれば何倍も速くなる。四足ダッシュの予習は済ませてある。体の構造から流れる血の色まで違がうが、基本姿勢は変わらない。


 ウサギ転生で学んだダッシュ方。それがハチとなった体で再現される。


 前の足は各々が引っ付くぐらいに揃える。逆に後ろ足は体の幅ほどに離して準備完了。前の二本の足に上半身の重みを乗せながら、後ろ足を蹴って進む。哺乳類ではなかった固い体の違和感は、残った真ん中の二本の足で整えることで補う。


 ウサギやオオカミほど滑らかなダッシュではなかった。関節が少ないロボットでも走らせているようなぎこちなさは、上から見れば明らかだっただろう。しかし、それでも陸上のハチとは思えないほど、洗練された走りに仕上がっている。


 沈む葉の足場をまた蹴りつける。地上の方が力のロスが少ないのだろうが、障害物や予期せぬ敵との遭遇のリスクがある。そのため草の上を飛び越え走り抜ける。


 黄色いハチが宙を舞うように葉の上を駆けていく。一メートルほど離れたスライムを通り過ぎるが、こちらに意識を向けている様子はない。静かにただの青いゼリーに成り下がっている。


 スライムは昼行性だったのか。ここだけはビブライアの温情か。


 どうやらここら一帯のスライムが動いていない原因は、眠っているからのようだった。思えばゲームをするとなったとき、夜間にスライムが草原で跳ねていた記憶はない。その点からしても、スライムの昼行性は周知された情報だったのだろう。……それほど深く考えるような話ではないのだが。


 また一体のスライムの横を過ぎ去る。寝ているのだとすれば、視覚や熱感知は気にしなくてもいい。音だけは起こしてしまう可能性があるため注意の必要はある。


 あと八匹。


 ある程度迂回しながらルートを選んで進んでいる。しかし、それでも一メートルほどのスライムの間を抜けるような瞬間は出てくる。


 ルート的に次が一番難しい。三匹のスライムがいて、右手前から左奥にかけて並んでいる。特に真ん中のスライムはその中でも体が大きく、一メートルは余裕で越えている。


 肺とは違った身体機能が、体に動きにくさという結果だけをもたらしている。しかし、ハチの足はさらに前へとビブライアの呪縛を引きちぎろうと動く。

 息を潜めてまずは巨大な真ん中のスライムと、その右隣のスライムの前へ。緊張感の中選んだのはこの二体の間を抜ける選択肢。そして肝はダッシュではなく徒歩であること。この挟まれている状況では走り去るよりも密かに抜ける方が適切だ。


 静かに次の葉の上に乗って、後ろ足を離す。スライムの弾力性のありそうなボディから直接的な畏怖を感じるのは難しい。しかし、このサイズ差と、意思を持つ生物と認識していれば、警戒心が緩むなんてことはない。


 ゆっくりだ。あと少しで抜ける。


 一度は近付いたスライムから距離が離れ始める。その途中、一瞬スライムがぶるりと震えたが、何のことはないただの寝相だ。


 こうして見ると愛くるしいだけなんだけど、その生態は丸呑みで溶かすだからな。硫酸のプールに沈められてるって思えばおぞましいよ。

   

 同じようにいくつかの関門を抜けながら、遂にはラストのスライムに差し掛かる。こちらはまだ余裕がある。他のスライムとは基本は五メートル以上離れている。距離を取りながら通過できるので、これまでよりは難易度が低い。


 にしても、本当に幸いだったよ。このスライムたちが俺みたいな夜行性じゃなくて。やっぱり生き物は夜は寝るものだよね。ね? ……ね?


 ハチの触覚が無意識に動きを止めた。動かし方の不確かな真ん中の足でさえも、空気を読んで次の一歩を踏み出す途中で機能を止める。


 今、何か動かなかった?


 何がどう動いたか説明できない。草花が風にゆられて舞ったのか、それともバッタか何かが跳ねたのか。視界の端で何かの動きを感じて振り返っただけであり、明確に何が動いたかをこのハチの目で捉えたわけではない。

 広がっているのは変わらぬ光景。細長くそしてしつこく地面から伸びた雑草。その上を飾る宝石のような水滴。そしてこれから通り過ぎようとしていたスライムという青い障害。


 依然として周囲は夜と呼ばれる静けさに包まれている。変化はない。間違い探しに間違いはない。


 待って。いやいや、待とう。


 違和感から逃れるようにダッシュで逃げることもできたが、俺は足を止めている。足を止めて一つの箇所だけを注視している。


 ――目の前のあのスライムの近くだけ水滴がない。 


 頭が一回転する。なぜ水滴がないのか。周囲の動きによって草の先に付着した水滴が落ちた可能性。スライムが気付かれないように動き水滴を体内に飲み込んだ可能性。可能性……可能性、可能性。


 可能性ではない。紛れもない事実なんだ。


 まだ数メートル離れた箇所にいたスライムが動く。突かれた餅のように、横長に広がり草をなぎ倒し、次の瞬間にはこちらに近い位置で元のスライムの形状を取る。


 昼行性の中にもたまに出てくるか。昼夜逆転。俺とお友達だったわけか。


 またこちらへとスライムが近付く。もちろん、友達としてではない。捕食者と餌として。


 お近づきにはなれません!


 ルートを正しながらこれまで同様のダッシュで走り抜ける。元来走ることを主としていない細い足と、地で生活をすることを主としているスライムと足の速さを競う。絶え間なく足を回し、一秒間に何歩か踏み出すハチと、一秒の間に移動のサイクル一つさえ達成しないスライム。それなのに一向に距離は開いていない。


 歩幅の差か。人間と巨人の差みたいな奴だ。こっちが必死に風を感じて走っているのに、向こうはゆっくり一歩で間に合ってしまう。


 幸いなことに速度はある程度均衡している。重厚な水音が草原に目立っているが、他のスライムが起きる様子もない。一対一。

 ここから先には障害もなし。スライムもいない。このスライムから逃げ切れれば……。


 真ん中の足が軽く痙攣して転倒しそうになる。人間の俺には感知しにくい肉体の疲労だ。筋肉が引きちぎれるような痛みはないのだが、微かな苦しさと体への力の伝導の違和感は現れている。

 一歩一歩と歩くスライムと比べれば、このハチは何百歩を数分の内に駆けている。しかも全力で。全速力で走れる時間なんてそれほど長くない。五十メートルでさえ、本気で走れば息が切れる。


 ハチ感覚で何メートル走ったんだ。あと何メートルもつ? 速度は均衡していて、体力切れはこちらが先に訪れる。何か選択肢はないか? 考えろ。


 打開策。ハチの可能性。スライムの生態。地形的特徴。


 酸素の少ない頭で多角的に考える。考えるだけ考えて酸素と体力を無駄にして、答えが出ないままにスライムに先手を取られる。

 さっき言ったように、こちらは全速力で、逆にスライムの方は余力があった。スライムの移動は言ってしまえば徒歩だった。体を伸ばして、その移動方向の端に核を寄せ、また核の周辺に体を集める。しかし今、そのスライムは、らしくないリズミカルな音を立てて奇妙な動きをとっていた。


 何やってるんだ?


 スライムは足を止めていた。しかし、体は動いている。地面に広がった次の瞬間には、逆に縦長に伸びている。水滴が地面にぶつかる瞬間を再生し逆再生しを繰り返しているような光景に、触覚を止めて呆然としてしまう。


 あの行為に何の意味があるんだ。体を広げることでの索敵か? いや、こっちの姿を見失っているようには思えない。人間だったらあれってどういう動きになるんだろう。足を曲げて、伸ばして……。


 

 頭の中で人形が動きを再現する。屈伸かスクワットのような動作になるのだが、まさか筋肉のないスライムが筋トレやスクワットに勤しんでいるわけではあるまい。狩りの途中でスクワットなんて奇行がすぎる。


 難しく考えなければ助走ってところか。


 スライムが今度はこれまでよりいっそう深く身を沈めた。


 大ジャンプの前のね。


 その瞬間スライムが跳んだ。空中を舞う青いスライム。ハチの俺の専売特許を奪って空を飛行するスライムがスローモーションに見える。


 風圧を伴って隣へとスライムが着地した。スライムに飲まれることはなかったが、爪先が草から外れて横に揺れる衝撃に負けて軽い体が飛ぶ。

 視界が回転する。緑と青と茶色と、足場と空と地面とが回りながら地面に落下する。細かい砂粒が大袈裟な音を立てて転がって草の中に消えていった。


 草むらの向こうに青いスライムの体が見える。これは……。


 逃げろ!!

 

 水のように、かつ草を押し潰しながら向かってくるスライム。それに対してこちらは五センチにも満たないようなただのハチ。


 使えるものは使って全速力だ。じゃないとすぐに追い付かれる!


 手足だけではなく、動かし方の不確かな二本の羽も使って、空気を後ろに押し出して前へ。そもそもの速度は上がるが、葉の上とは異なり、地面の上では草を避ける必要も出てくるため、最終的な速度は落ちる。


 スライムによって薙ぎ倒された草の中腹が俺の背中を叩いた。距離は十センチ程度。あと数分も逃げ切れない。 

 この時点で希望なんてない。よく言う詰みってやつだ。しかし、ここで投了は違うだろ。一度の生で何かを掴めないのであれば、それはこれから先も同じこと。


 背中に意識を集中する。体の上を指先でなぞるようにして意識を移動させる。指先から肘まで、そこから上って肩から胸。そして、背中まで意識が向かって、動かし続けている羽へとたどり着く。

 ダッシュで後ろへと風を送り続けてくれている羽だ。動かせている感覚はある。


 待って……これ何だ?


 背中に意識を向けてようやく気がついた。これまでは両側に広がる大きな羽にしか気付けていなかった。しかし、今さら気が付いた。確かにその後ろで動いている羽の感覚がある。羽は二枚じゃない。四枚あったんだ。


 目視で確認している暇はない。やるか死ぬか。それだけだ。


 大きな羽を羽ばたかせる。今度は後ろに空気を送り出すのではなく下へ。そして、その後ろの羽で細かく体のバランスを取ることを意識。


 とっべぇぇ!!


 スライムと同じような動きでしゃがんでから力強く地面を蹴った。高い跳躍だ。五センチ……十センチ。まだ上がる。三十センチ。草むらから頭が出た。転生最初の落下したときよりもさらに上へ。


 お? おお!! 飛んでる! 間違いなく飛んでる!!


 前には進めずに上へと昇って二メートルぐらいの高度をキープ。前に進んだり方向転換したりはできるかわからない。なので今はスライムが諦めることを願って空中に留まり続ける。


 もっと難しいものかと思ったけど、体の使い方が理解できれば使いこなせる! 俺も意外と才能のある男だったのかもしれない!


 表情のない顔の内側ではしゃぎまわる。まだ垂直な移動しかできないが、それでも生き物の強みを初めて発揮できた気がしていた。

 ウサギではウサギの体に染み付いた警戒心がなくその鋭い感覚を無駄にした。オオカミではその凶暴性と牙や爪などの武器を扱わずに逃げたためあっさりと死んだ。


 そういうことだ。その生き物のポテンシャルを出しきれれば生き残ることなんて造作もない。境遇補正なんて乗り切ってみせる。あとは転生ポイントを貯めれば……。


 ぐらりと急に体が傾いた。何だと思って見回すが外敵もいなければ雨や風もない。それなのに異様な動きが起きた原因は……。


 体の限界か!

 

 虫の疲労感と人間やその他哺乳類の疲労感とは少し差があった。簡単にいえば虫の方がわかりにくいのだ。息苦しさがない。体温が上がっている感覚もそれほどない。だから気付けなかった。自分の体の限界に。

 上下に大きく羽が痙攣する。その都度高度が下がりスライムの真上に来ていた。


 ダメだ。これ以上浮遊はできない。だったらパラグライダーみたいに飛んで着地点をスライムの上からずらす。


 さっきの羽ダッシユの要領で、下に扇いでいた羽を後ろに向けた。落ちながら滑るように前へと進む。

 鋭角に草むらに突っ込んだ。力の方向を意識して侵入したお陰か今回は草の上で跳ねるような事態には陥らない。


 なんとか着地は成功。でもまだだ。スライムとの距離は二メートル。ここから終わりの見えないダッシュを繰り返して体力が回復させて……。


 足が痙攣する。死にかけの虫のような弱々しい動きだ。前に足は出るが、その先で爪を引っかけても、体を引き寄せられずに爪が外れた。


 マズイ。マズイ。マズイ。


 理性が消し飛び頭に最悪だけが浮かぶ。解決策は思い付かない。ただ逃げるだけにしか頭が回らずに六本の足で地面を蹴りつけ、短い顎で地面を噛んで前へと。


 草が薙ぎ倒される音が近付いてくる。本来であれば逃げられる距離のはずだ。だからこそ余計に動かない体が腹立たしい。


「……!!」


 動け! 動け! 動いてくれ! 頼む!


 ずるりと体が動いた。一歩だ。ようやくハチの感覚での一歩が動いた。この調子で……。


 ペタリ。


 腹に何かが触れた。外気温よりも冷たくて濡れているようで、空気より何倍も重いそれが。


 わかっている。これが何かぐらい。だからここは振り返ることなく死にものぐるいで前に進むしかないはずだった。しかし、理性よりも恐怖が勝り俺は振り向いていた。


 ハチの針の出るところから文字通りの中腹まで青い粘液に包まれていた。その青い粘液には吸着力があるのか、引き抜こうとしても引き抜けない。泥沼にでも嵌まったかのように、じわりじわりと引き込みながら俺の体を飲み込んでいく。


 重っい……!


 地面に六つの足を着けて、必死に前に向かおうとするがまったく動かない。力の均衡さえも取れずに理不尽に引っ張られる。

 腹が全て飲まれた。足も押し流されるように引っ張られて、嘲笑うように地面の欠片を弾いて俺の足が離れていく。


 ドプリと体がスライムの粘液に触れて、その膜を破って内側へと沈む。一部の光が遮られたのかスライムの体内から見た空からは眩しさが消えた。

 希望溢れる世界から本来の地獄へと引き戻される。ようこそと、運命が満足げに俺の気孔を緩やかに塞ぐ。


 頭がっ……。


 肉体が窒息死に向かっていく。始まるのは頭が弾けるような感覚。外へ内へと血が酸素を求めて暴れまわる。


 割れる。爆発する。酸素を……酸素、酸素酸素酸素!!


メがッ……。


 視界から色が消えていく。口から侵入してきたスライムの粘液を味わいながら、窒息という死を迎え入れる。安らかな死なんてものではない。痛みとは別の苦しさだけの死。死ぬ寸前まで永遠に苦しみ続ける。死に近付くほどに苦しさが体を押し返す。けれど逃げられない。無理やり背中を押されその死のラインを越えさせようと……。


 うぐっ、ごあっ……あっ、頭、頭……あぶぁ。


 目が回る。意識が濁る。体と魂を繋いでいる糸が伸び続ける。――ほつれる。――また伸びる。


 ブチッ。


 あぁ。


 ――死んだ。



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