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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
序章 無限転生
10/27

9 くりかえし


 頭にあった自我というものを質量を伴った苦しさが押し潰す。その要因は紛れもなく『不足』ではあるのだが、感覚は不足よりも圧迫だった。


 酸素が足りない。酸素が足りない。酸素、サンソ、さんそっ!!


 頭が破裂する。自我が消えて本能だけでのたうち回り、ハチの体が暗闇の中をバラバラにされて……。


 《生を諦めますか?》


「は?」


 体内に残っていないはずの空気が口から飛び出る。穏やかな明かりに照らされながら、暗闇から一変した世界が傾き、地面へと向かって体が落ちていく。


 ガコン。


 何かが倒れた。しかし、それを気にするまでの知性はない。ただここには空気があるようだった。塞き止められていた肺が空気を取り込む。吸って、吸って。肺の隙間を埋め尽くしそれでも足りずに肺が壊れるほどに息を吸う。


「ハァッ……ハアッ……」


 落ち着くんだ。落ち着こう。息は吸うだけじゃダメだ。呼吸は早いだけじゃダメだ。吸って酸素を肺から血へと馴染ませて、二酸化炭素を入れ換えて吐き出す。落ち着け。一度止めるんだ。


 吸った息を一度止める。そこから少しして吐き出してを繰り返す。何度も何度も。


 そこまでしてようやく煙のかかっていた自我が現れ始める。水の中に沈んでいた有畑奏真は一つの世界に回帰する。


「んっはぁ。はぁ。戻ってきていた……ふぅ、みたいだ」


 これまでと異なり、目の下にあったのは木製の床。視界の端には倒れた椅子が転がっており、その隣で両手を床について息だけをしているのが俺だった。


 ハチ転生失敗。


 その言葉が必要以上に胸を悪くするのは、この死に様が原因だろう。


「過剰な酸素は体に毒って聞いたことはあるけど……。こっちの正常な肉体に、酸欠の魂に入ってくるとこうなるのか」


 今の俺は正常な体にむやみやたらに呼吸で酸素を送り込んでいた。酸欠の体から通常の体へ。その差はどうしても生まれてしまう。


「幻痛だったっけ。失った手に痛みを感じるとか。それと同じ……とまでは言えないけど、失った肉体の苦しさが魂に残ってる。この辺りは気を付けないと」


 転がった椅子に、幻痛とは異なったちょっとした体の痛み。あとはこの憎たらしい挑発的なシステムからの文面。


 体から力を抜いて大の字に寝そべって天井を眺める。これまで見てこなかった天井には籠のような照明が取り付けられていた。


 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO


 体勢を変えても変わらず視界の中央に付きまとってくる文面。その文字が変わっていないことを確かめながら俺は変わらぬ答えを選ぶ。


「NO」


 また文字が消えていく。次はどんな試練を与えてやろうかと幻影の声がほざいていた。


 息苦しさと体の痛みと倦怠感。それら全てが残っていて、とても起き上がる気にはなれない。気力が尽きたわけではない。しかし、間違いなく今回の転生では『削られた』。


 この転生のシステムを理解して死を覚悟して挑んだ。タイムリミットまで推測して、その中で懸命に何かを掴もうとした。ただそこまで割り切り、覚悟をした上でも、死という痛みへの耐性は付かない。


「痛みには慣れても死に慣れはしない。これだけは絶対なんだ」


 あの魂と肉体とを無理やりに引きちぎる瞬間。恐怖と痛みと苦しさ。その一つ一つは別物で、人格を破壊する可能性だけを等しく孕んでいる。

 それが今の体の痺れと、気力の喪失に繋がっているんだ。一度失った自我が急に戻ってきても違和感ばかりで気分が悪い。


「あーあーあー、これで四時間。この部屋での経過時間含めたら、三十分が四回で六時間。開始が二十時だったから、今は午前四時ぐらい。時計見たら一目瞭然なんだろうけどね」


 息苦しさの名残で体を起こす気にもなれないので、このまま横になって考える。思えばこうしてまともに休息を取るのも久し振りだ。死んで動いてまた死んでを繰り返していたのだから。


 軽く頭を浮かせてから今度は頭を落とす。何度か床に頭を打ちつけるが、特に自傷といった意味合いはなし。


「恒例の情報整理といこう。……でもちょっとやる気が足りないから大雑把に。……スライムいたねぇ。強い弱いはハチだったからわからないけど、二度と会いたくはないねー」


 人間の大きさからスライムを見下ろせば、それほど恐怖もないのだろう。この体を持ち出してあの草原でスライムに出会えば愛らしくも思えるのかもしれない。ただそれでも自分からこの足で赴くつもりは死ぬほどない。


「まあ、これで本格的に異世界転生ってわかったのもありがたいか。世界観は掴めてきた。あとは魔法とか、悪魔とかその辺りを知れればいい。夢が膨らむ! 酸素で胸も膨らむー!」


 肉体だけでも元気を装うように片腕を上げた。それでもやってやるぞといった気分には全くなれない。


「はぁ。……あとは意外と飛べたってことか。あれも飛ぶまでに何個かの段階があったから、すぐに飛べたとは言えないんだけど」


 最初の落下で羽への意識と動きの確認。逃亡中のダッシュブーストで羽で風を掴む感覚を獲得。そこから残り二つの羽の存在を悟って飛行に至る。


 肩甲骨と背骨の間に意識を向ける。動かせるには動かせるが、今はその筋肉の上に羽が付いているような感覚はない。


「三十分程度で肉体への慣れは可能かな。そこから他の転生でも活用っていうのがセオリーだろうけど、今回飛べたからといって他の生き物で飛べるかは別。鳥とかはそもそも骨格が違うから」


 死までのリミットの半分ほどの時間かければ体の扱いに慣れる。しかし、その技術は他の生き物に転生しても引き継げる場合の方が少ない。


「同じ種を選び続けて突破するのもありではあるんだろうけどね。ただ……」


 死んだばかりで、死んだビジョンが頭に残り、死んだ苦しみが魂に刻まれた中で、同じ名を指差し声に出す。その動作がどれだけ精神を削るのかは二度のウサギ転生で学んだ。学んで、失敗して派手に心を砕かれた。


 繰り返せば繰り返すだけ、失敗したときの反動は大きくなる。扱い慣れた体で、見知った場所で二度も三度も死ぬ。それは、死ぬ運命でしかないとビブライアから宣告されているようなものだ。


「そもそも、何で転生ポイントがこんなに低いのかだよ。何を見て俺を評価したんだよ」


 犯罪行為? した試しがない。苛めや暴言も、そもそも人と関わることをこちら側から遠慮したのだから無縁だろう。強いて言えば三ヶ月の自宅警備員生活は自堕落な生活とも判定はできるが、それでも自分の貯金で生活していたのだから文句は言われるはずはない。


「それなのにだよ。持ってる貢献度が6って……。もうこうなると平均値500ってほうが異常だと思うんだけど。常人は二人に一人が魔王でも倒してるのかな? 日常的に犯罪者を見つけて背負い投げでもしてる?」


 考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうになる。まだ窒息死の名残がある。冷静になろうとしてもどこかに動揺があり、怒りと自責がある。けれど、わかっていたとしても、修正できる手段はない。逃げ道もない。


 震える体を起こしてみる。この密室が理不尽さに拍車をかける。せめてもの変化はないかと本棚やドアに触れるが変化はない。ビブライアにも変化はない。


 一時間のタイムリミット。理不尽な境遇。仲間もなし。転生ポイントの変化もなし。転生以外で部屋から脱出する術もなし。


「くそ……」


 異世界転生への興奮でごまかそうとしていた本音が、開かれた本の上に転がった。変わらない名前の並び。変わらない端の数字。


 変わらない。変わらない。変わらない。変わらない。


「いやいや、変わるんだよ。そのための転生なんだ。まだ折れるには早いから! まだやれる。情報を持ち帰って何度も何度も繰り返して、一回の成功を引き当てる。そのためにまた俺は……」


 転生するんだ。推測して、行動して、神へと抗うんだ。だから。


「転生!」


* 


 ――まだだ。――まだ。


 酸素を失い体が朽ち果てる。死に近づき自我が壊れる感覚を持って魚だった俺は死んでいった。


 備考、魚でも丸呑みにされれば窒息する。


「NO」


 翼があれば空を飛び回れる。そう思っていても羽がないのであれば意味がない。飛べない鳥などどんな種でも関係ない。死を告げるカラスの声は巣から出ることはなく、蛇によって蝕まれる。折れる骨。窒息死は回避したが今度は絞殺される。軟らかな骨が折れて死にゆく中、頭から蛇の口に呑まれていった。


 備考、転生する生き物の年齢は実際の俺の年齢と同じになるわけではない。


「……NO」


 街中という初めての場所をネズミの姿で駆け回った。今度の敵は肉食動物じゃない。悪意に満ちた人間だ。何もしていないはずなのに、俺を追いかけ、追い詰め、角で丸くなる俺を捕まえ路地裏で魔法で焼く。激痛と共に香ったのは肉の焼ける匂い。思い返せば死んでからまともなものを口にできていない。何か食べたい。


 備考、人間の街を見た。魔法もあった。そして人間ほど何かにつけて殺す生き物はいないと知った。


 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO


 NO、NO、NO……。


 転生ポイントを貯めなければ……。あと十分で死ぬ。死にたくない。また死んだ。自分の色じゃない血が流れ、頭を噛み砕かれ……俺とぼくはぐちゃぐちゃになって、過去に戻ってお母さんの味を思い出して、お腹にナイフを差し入れられて……。


「転生」


 また誰かが叫んだ。よくやるものだ。どうせ死ぬのに。そして、またこう言うんだろう? 「NO」って。気取ることも忘れて、焦ることさえもできなくなって、機械的に死亡装置の一部として稼動可能だと意思表示。無駄。無駄だ。理解しただろう? 


「NO……NO」


 残酷な光景と壮絶な痛みと苦しみ。そこから健康的な自分の肉体に戻されてはその乖離に吐き気を催す。それでも、内容のない空っぽな胃の中を洗ってから、立つことさえもやめた人間らしきソレは這いつくばって、ブックスタンドにしがみつき、本を開いて次のモノへ。


「転生」


 記憶さえ曖昧に何をしたかも忘れて、学習する意思すら削られる。ただ投げた硬貨が偶然地面に立つような奇跡を願って、努力関係なしの運任せに縋る。


 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO

 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO


 当たり前のように風前の灯火が吹かれて消えていく。それをまた灯して消えてを繰り返す。対策もなし。攻略しようという意思もなし。ただ自棄になって自分を棄て続ける。


 頭がおかしくなりかけて俺は寝た。転生した瞬間に死んだように寝た。けれど、それは死んだようにではなく本当に死で、夢を見ていると思ったときには既にあの本だらけの部屋にいた。


 くそっ。くそっ。こんなのが異世界転生であっていいはずがない。こんなのが……。


「何で俺は転生ポイントが6なんだ……。もっと、平均並みの生き方をしてきたはずじゃないか」


 合理的に、動くよりも前にまず推測。後ろから支える根拠があって初めて行動へと移す。これが有畑奏真の生き様だ。それの何が間違っていた。それのどこに平均値以下と採点されるポイントがある。


 何十回目の椅子の上で、むしゃくしゃとして手当たり次第に殴りつける。大袈裟な振りのあとには惨劇が残るのが普通だが、ここにおいては何も残らない。痛みもなければ、物が散らかる様子もない。触れられない。


 青い羽ペン。紫の結晶の生えたインク瓶。楕円形のテーブルランプ。木製の置時計。一冊分隙間の空いた本立て。


 感情をぶつけることもこの部屋では叶わない。叫ぼうとも誰かに届いている様子はない。


「冷静になるんだ……冷静に……」


 駄目だ。どうやっても落ち着くことなんてできない。唇を噛み血を舐めるが、痛みが意識を現実へと連れ戻すことはない。慣れてしまったのだ。この程度の痛みでは正気へと戻れない。むしろ、血の香りが様々なトラウマを呼び起こし、徹底的に意識を闇へと沈めてくる。


「何で……俺なんだよ。もっとこの地獄を味わうべき奴らがいるはずだ。何で俺が地獄を味わってるんだよ」


 強盗に入り俺を殺した奴らの方がこの部屋で苦しむべきだろう。それなのに何故理不尽に殺された側が苦しんでいるんだ。普通は不運の帳尻を合わせるために、両手で抱えきれないほどの幸福を与えられるものだろう。それが何故誰かもわからない相手に評価をされて、無価値だと遠回しで罵られ、無限に死に続ける環境に転生させられているんだ。何故俺は地獄の道を歩まさせられているんだ。 


 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO


 ここで『YES』と答えるべきなんだ。そう答えて諦めるべきなんだ。ここは苦しみと希望のない情報しか得られない地獄なのだから。


 そう。ここはY……。


「NOだよ。NOなんだ……」


 俯き額をテーブルに当てる。その冷たさがまだ有畑奏真という生き物が存在し続けている一つの証明となっていた。


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