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死んではじめるビブライア  作者: 細川波人
序章 無限転生
7/23

6 オオカミ転生


 転生と同時に味わったのは堪えきれないほどの胸の苦しさだった。


 マラソンを思い出すような心臓の慌ただしさ。しかし、マラソンよりも酷い。マラソンで息苦しくなった心臓と肺の負荷をさらに倍増させた感じ。「よーし、十キロマラソン自己最速でたな。もう十キロ行ってこい」と笑顔で言われ、怒りと共に限界の向こうへと行ってしまった感じ。


 心臓の音が胸からよりも耳からよく聞こえてくる。肩を持ち上げて空気を取り入れ、首を下ろして空気を吐き出す。全身で呼吸をしているのではと錯覚してしまうほどだ。


 心臓の痛みと戦うこと数分。ようやく目に回すだけの酸素が巡ってきたのか視界が晴れた。どうやら俺は、茂みの中で長くて薄い舌を出してはあはあと息をしていたようだ。

 口許を行き来していた水蒸気が一つにまとまって水滴として滴った。 


 ――今回のガチャは外れだったか。


 第一回オオカミガチャは、息切れ状態付きのオオカミだった。身体能力はどうかは知らないが、苦しみを味わったのだからスタートダッシュは最悪だろう。


「ガウゥ……」


 いや、スタートダッシュはしてたのかもしれない。俺が転生する前に走ってくれてたんだろうし。


 スタートダッシュ(物理)のお陰で、苦しみだけを肩代わりした俺はオオカミらしくないため息を一つ。


「ガル……」


 恒例の状況整理から始めるか。まずは場所。そっと茂みから頭を出して確認する。


「ガウ?」


 頭を出した先にあったのは鬱蒼と広がる森だった。岩が少ない森の様相は、何となくだが山などの山岳地帯ではないと想像できた。見渡す限りの平地の森。高低差が少なく特徴も少ない分、迷いやすそうな森だ。

 ウサギの前世で逃げ込んだ森とは少し様子が違う。あちらは山のような姿で、傾斜もあり、逃げ隠れできるような障害物も多かった。

 上を見上げる。先程までなかったはずの雲が今にも月を覆い隠そうとばかりに手を伸ばしている。


 ――違う。ここは別の場所だ。ウサギと嗅覚とか聴覚とかもろもろ全部違うけど、ここまで場所の印象が変わることはない。まったくの別物だ。


 心なしか肌寒く感じたのは、走りすぎて体が熱かったせいでそう感じただけではないだろう。そもそもの気温が低いんだ。


 別の場所だとしたら、これまでの全部は無意味か……。


 ウサギとして戦った前回の二つの転生の情報は、今回の転生では役に立たない。地形や状況のカンニングは通用しないのだ。

 死んで転生してのお約束は前回の経験が活きるってことだろうが、どうにもこの転生は毎度お約束が通じない。


 ことごとく推測を裏切られるよ。これがリアル異世界転生か。


 俺はオオカミの足を前に踏み出して茂みから出た。その動かした足は茶色。前回出会ったオオカミは灰色。別物確定。細かい種類も別っぽい。


「ガウガウウ」


 さてさて、どうしたものか。前は生きて人里に下りるという第一目標があったが、目指す場所がなくなり、その辺りもリセットされてしまった。


 考え込んでいると、喉の渇きに耐えられなくなり咳き込んだ。転生直前までこのオオカミはスタートダッシュを頑張ってくれていたのだ。喉を潤すぐらいの体への貢献はしなくてはなるまい。


 唾液を飲み込み喉に張り付くような感覚を味わう。その感覚を一刻も早く解消しようと、心臓が痛まないくらいの小走りで水場を探して動き始めた。


 やけにこざっぱりとした落ち葉のマットを敷いた森を軽快に走っていく。ウサギとは違いそこまでの聴力はないのか、川の音などは聞き取れなかった。


 草食動物の方が感覚には優れてるみたいだな。視野も広いって言うし。


 草食動物は捕食者から逃げるためにあらゆる手段で情報を得られるような体の構造をしている。目なんかがその代表例だろう。横にあるため、総合的な視角は肉食動物よりも広い。反対に肉食動物は狩りのための遠近感覚が大事なため前に二つ付いているとか。


 転生先の選択は、その辺りも考えてみるべきかもしれない。情報を集める草食動物。外敵を蹴散らす肉食動物。虫とか魚とか、その他モンスター類は経験してから役割を考えるか。


 辺りを見渡しながら小走りで。オオカミといえば群れの印象があるが、このオオカミは一匹狼のようだった。人間時代の俺と同じ。違うとしたら俺の場合は一匹狼と呼べるような気の強さではなかったこと。ぼっちとは言うな。


 現世と変わらない孤独を抱えて進んでいく。声が聞こえた。同族の声ではなさそうな短い一拍の声。耳馴染みのある「ワン」だ。


 オオカミも犬みたいなものだからそれだろうな。声に反応してオオカミらしくお手本のように鳴いてあげたいけど、何となくの勘でやめておく。鳴いてあげたいんだけどね。


 「ワオーン」と鳴きたい本能を押さえつけて、口を閉じたまま小走りを続ける。今度は右側から「ワン」。次は左から「ワン」。徐々に近付いてきている感覚がある。


 ……仲間の呼び掛けって思いたいがこれは違う。嗅覚が異変を感じ取ってる。獣の臭いがしない。それどころか自然には生まれないであろう香りが動いている。


 ――敵だ。こっちを追跡してきている。


 感覚を研ぎ澄ましながら顎を動かした。殺害は控えたいが、来るなら抵抗はする。それだけのポテンシャルがオオカミにはある。


 小走りから走りへと変更。左右からの鳴き声も荒くなる。こちらは遠ざかるように走っているが、やはり犬の気配は近付いてきている。


 ――まだ見えない。あの木の向こう。――もうそろそろだ。来るぞ。


 唐突に鳴き声が止んだ瞬間、こちらに駆けてくる犬の姿が見えた。チワワ? NO。ポメラニアン? NO。トイプードル? NO。

 

「ガウァーウ」


 ドーベルマン。


 特徴的な模様はないが体格はまさにそれ。筋肉だらけのスタイリッシュな体躯に鋭い眼光。闇に紛れる黒い体は夜の狩りを目的としたと言っても過言ではない様相だった。

 

 長い足で地面を蹴って横から俺の首元に一直線。


 ただこっちはオオカミだっ!


 以前のウサギとは違う。攻撃力がある。それに加わる人間の知性。ついでにこういう噛むタイプの敵はウサギ生で二回経験済み(トラウマ付き)。


 狙われていたと思っていた首を逃がすように左回転。そのまま馬の蹴りの要領で、犬の腕の付け根に後ろ蹴り。


「キャイッン!」


 蹴りを受けて犬は落ち葉のカーペットを引き裂きながら吹き飛ばされる。流石に猟犬でもオオカミの後ろ蹴りは想定外だったのだろう。復帰は遅い。


 トドメの必要なし。逃げの一手。


 ゲームでもよくこういう経験はあった。目の前の敵は倒せそう。しかし、後続にまだ敵が控えている。こういう場合に安易にゴーサインを出してしまうと、大抵真顔でリスポーンさせられることになる。それは今回も同じだ。少し違うのは、リスポーン=痛みと苦しみを伴う死ということ。


 戦う意思をポイ捨てして全速力で駆け出した。これが案外最適解。もう一頭の犬は追いかけて来ずに、蹴られて倒れていた犬に心配しながら近寄っていた。もしこれで追撃をしていたら、その一頭の逆鱗に触れ、血みどろの結果を招くことになっていたこと間違いなしだ。


 背後を見ずに走り続けた。気配は遠退いている。以前のように待ち伏せを警戒して左右を耳と鼻で確かめるも、やはり遠ざかる背後の気配以外は存在しない。


 それでも止まるのはなしだ。呼吸を整えるために歩調を落としてから進み続けろ。


 既に舌を出した心肺機能酷使モードだった俺は、心臓を労るために足の回転を落とす。すると少しだけ呼吸が落ち着いた。

 そうして何分か経過した。時計やスマホがないので時間の進みはわからない。しかし、まだ夜中で日が昇るには時間を要する。

 

 歩みを落ち着かせ、無限に続いているかと思う森を歩く。この辺りはやけに落ち葉が深い。森の深くに入ってきているのかもしれない。


 それでもいいか。逃げてから考えればいい。あとは……


 ガチャ。


 無機質で機械的な嫌な音がした。「何だ?」と疑問が浮かんだ次の瞬間、それが勢いよく動いてしまった。

  

「ギャウン!! ギャァ!!」


 ――っぁぁぁ!! あぁぁぁ……!!


 前足を襲った鋭いとも鈍いとも呼べる二重の痛みに、頭が真っ白に染まる。フラッシュをたいたような有り様で、頭を殴られたかのような揺らぎがあった。

 それでも俺の目にはその原因が映っていた。俺の右足を『折り砕いた』原因が。


 俺の茶色い前足を挟んでいたのはトラバサミ。ギザギザと肉を切り裂くような形状の歯は俺の前足を複雑に噛み締めている。いっそ切断してくれればと願いたくなるような状態だ。肉を抉り、その内にある骨さえも砕いている。使えなくなった前足がただの痛みを伝えるだけの装置に変換された。


 あぁぁ!! くっそ! やっぱりだぁぁ!!


 叫びながら俺の推測が正しかったのだと、今になっては遅い後悔をする。


 さっきの犬は首輪がつけられていた。おそらく飼い犬。猟犬なんだ。猟犬がいるのであればその飼い主もいる。飼い主は狩りをしていたんだ。オオカミ狩りを。


 涙と涎と血が落ち葉の上で点々と散らばる。痛い。痛い。けれど、逃げられない。動けば痛い。止まっていても痛い。何をしても、どうしても痛い。


 痛みから逃れることはできない。ただ俺は誤魔化すためだけに意味もない叫びを上げて暴れまわる。頭が赤く染まっている。あまりの痛みに苛立ちが募る。それを自傷という形で地面とトラバサミにぶつけて硬くて黒い爪の一つが折れた。


「ほーら、見てごらん。お父さんの言う通りだったろう?」

「うん。すごーい。本当に引っかかってる」


 ザクリと地面を割くような足音に続いたのは二人の声音。片方は誇らしげに言葉の尻を丸めていて、もう片方は楽しげに好奇心だけを声に乗せていた。


 くそっ……。人間……。


 痛みに歯を震わせながら、この森で唯一の明かりの方へと頭を上げて、その憎き姿を拝む。


 現代では見たことのない衣装だった。雰囲気は中世のヨーロッパ辺りの貴族だ。衣服として無駄とも呼べる装飾のなされた服を着た体格のよい金髪の男は、頬に付いた肉を憎たらしく持ち上げて微笑んでいる。もう片方の子供も同じく貴族の服装。そこに利便性だけに気を遣ったようなランタンが一つ据えられていた。それに加えて……。


 ――いや。待て。この世界って。そんなものまであるのかよ。


 俺の視線は一通り二人の全身を見渡してからある一点に戻っていく。男の体とは対照的な細長いソレ。


 銃だった。ゲームで見かけるような弾倉を取り外せるようなタイプではなく、火縄銃のような単発式の銃。煌びやかに、まさに貴族専用といったデザインのそれが、見かけ通りの観賞用ではないことは、この場に持ち出されて俺の頭に向けられている時点で確かだった。


 黒い穴がこちらに向けられている。いつ飛び出してくるのかわからない弾丸と想像できるようで想像できないこの先が恐しい。


 いつの間にか俺の左右から猟犬が目を光らせる。さっき襲ってきた猟犬だ。ほんの少し動いただけでも、体を大きく見せるようにして牽制される。


 何でこんなことになっているんだろう……。俺が何をしたんだよ。何でまた死にそうになっているんだよ。


「クウゥン……」


 オオカミの威厳を捨てたような弱々しい声が出た。人間の姿だったら涙声だったそれは、妙に哀愁を漂わせていた。


「ねえ。パパ。この子かわいそうだよ」


 そうだよ。俺は何もしていないんだ。だから……生きる機会をくれ。猟犬の代わりにでもなるから。


 眉尻を下げた男の子。それに同調するように男が膝を落とした。


「いいかい、スレイ。私たちルーレイン家は狩猟の腕を認められて爵位を手に入れたのだよ。わかるね?」


「でも、このオオカミさん」


「今日はスレイに我がルーレイン家の生業を継ぐためにここに来ている。それにこのオオカミは悪いオオカミなんだ」


 言い聞かせる声音は柔らかい。けれど、俺にはその諭すような口調が苛立たしくてしかたない。


 俺は悪いオオカミかなんかじゃない。ずっとだ。俺は誰にも悪意を向けずに生きてきた。暴力も暴言もなし。誰にも迷惑をかけずに生きてきたんだ。だから、殺される理由なんてないんだ。


「――このオオカミはこの森に入った山菜採りのおじいさんとその奥さんを食い殺しているんだよ」


 は?


 男の子がこちらに目だけを動かした。軽蔑するような冷たい目線が降り注ぐ。気持ちは理解できていた。しかし、それは俺の体の持ち主がやったことだ。俺に責任なんてあるはずもない。


 俺じゃないっ……俺じゃないんだよ!!


「さあ」


 男から男の子へ銃が手渡された。引き金に指がかかっている。反動に負けないように体に力が入っていて隙がない。


 男の子の目が俺と合う。けれど、合っただけでその奥にある心情のやり取りは果たされることはない。


「さよなら。オオカミさん」 


 待っ……!


 聴覚が狂うような破裂音が響いた。硝煙の香りが墓を連想させる。彼岸にお墓参りに行って線香をあげると、風に揺れて天まで昇る前に消えていく線香の煙。


 頭が熱くなる。目が裏を向く。ああ、意識が消える。死ぬ。死ぬ……死ぬ。

 

 ――くそ、死んだ。


 《転生ポイント6》 《生を諦めますか?》 YES NO


 死んだ瞬間に浮かび上がるソレ。意味もない問いかけだろうと何度も吐き捨てたこの文字。その文字を睨み付け、俺の穴の空いていない眉間は熱くなった。

 

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