31 一度の成功のために
フローゼ・オーレンシュケン。エリゼの母でありオーレンシュケン男爵の妻。その性格は強気で、皮肉混じりに会話を進めるスタイルは、エリゼの姉のテレーゼにもよく似ている。しかし、絶対的に異なる箇所は存在する。
エリゼを守るべき家族として見ているか。そうじゃないのか。
現にレアの肩越しに見えたフローゼを俺は敵として認識していた。
「フローゼ……」
「あら、生きていたのね」
「もはや隠す気すらないみたいだな」
やっぱりだ。勘違いじゃない。ニセモノでもない。本物のフローゼで、本物の殺意だ。
歯の奥が鳴った。レアからあらかじめ聞いていて黒幕がフローゼだったのは知っていた。それでも知っているのと実感するのでは少し違う。当人を目の前にすると視界が焼き切れそうになるほど怒りが沸く。
エリゼを軽視するような発言。不意打ちで殺そうとしてきた卑劣さ。そして、何よりも、これだけのことをしながら負い目すら感じさせぬその態度。
エリゼの親なのに……エリゼの家族なのに!!
「何でこんなことができるんだよ!! 家族だろ!! エリゼは何も悪いことはしてないだろ!! それなのにっ」
「駄目だよ。エリゼちゃん。冷静になって」
「冷静だよ! 冷静だからフローゼのやったことを許せないんだ! 冷静だからその文句をエリゼの代わりに言ってるんだ!」
「――それで君はエリゼちゃんを死なせずに守れるのかい?」
レアにしては珍しい厳しい口調で言葉が詰まった。言い返そうと言葉を探しても、考えれば考えるほどレアが正しい。
現状は敵に襲われている状態。言葉のやり取りよりも前に、命のやり取りが始まるシチュエーションだ。ここで無防備にレアよりも前に出れば、さっきの魔法の餌食になる。悔しいがそれは自分の無力さを知っている俺にはよくわかる。
俺を抑えていたレアの腕から力が抜ける。けれど、俺の足はレアの腕を押し退けて前に出られるほどの力はなかった。
「ここはボクに任せて」
「……ごめん」
「いいよ。狙われている側の気持ちはわかるから」
レアが静かに頷く。完全に気持ちを切り替えられたわけではないが、それでも無謀な真似をやめるぐらいの落ち着きは戻った。
落ち着け。感情は今はいらない。ビブライア転生での死のリミットと思って集中しろ。
「そろそろいいかしら? 客人を待たせるのは家主としても店主としても失格でしょう?」
「これは申し訳ないね。我が店ファブロスはなにかと忙しくてね。……それよりもオーレンシュケン夫人。ボクの接客以前に、あなたの客としての振る舞いはどうなのかな? 人の店にこんな仕打ちというのはね?」
レアは店の惨状を大きく腕を広げて指し示す。数分前に片付けた店内は再び商品が落下し散乱している有り様。扉も破壊されて今は涼しげな夜風が店内を行き来していた。
こんな光景を見せられたら少しぐらいは罪悪感を抱く。けれど、目の前のフローゼという人間は別だ。
「言ったでしょう。ノックよ。貴族らしく礼儀を重んじたのよ」
「ノックねぇ。貴族様は知らないかもしれないけれど、庶民はノックでいちいち扉を壊したりしないんだよ」
「扉のほうが問題なのでしょう。魔法一つ防ぎきれない扉なんて扉とは呼べないでしょうに」
「それが庶民なんだよ。オーレンシュケン夫人」
負い目一つ感じた様子はなく、フローゼは淡々と言葉の節々に棘を潜ませる。端から見れば間違いだらけの理屈だ。それなのに、フローゼが言うとこちらが間違っているような気分になる。それだけフローゼの発言からは絶対的な自信を感じられる。
「あー、あとこれも言っておかなくてはいけないわ」
「あぁ……うぅ」
「待って!!」
「警備も変えた方がいいわ。これではあまりにも」
呻き声を上げながらゾンビのホルドが背後からフローゼへと飛びかかる。すでにフローゼにやられていたのかホルドの巨漢は所々焦げ、衣服は役目をなしていない。そんなホルドの攻撃は、速さはないが命懸けで本能的。独特の力強さと爆発力を秘めた右拳がフローゼの後頭部へと振り下ろされる。
「弱すぎるでしょう?」
フローゼが半身を返す。その半分の動きで十分だった。ホルドの拳は空を切り、力の制御ができずに床を叩き割る。そして、その拳を振り下ろして背の曲がったホルドの眼前にはフローゼの持つ短い杖が向けられていた。
「フレアパージ」
「ギャャャャャ!!」
短く冷たい詠唱のあとにホルドの顔は炎に飲まれる。顔の形さえ見えなくなるような濃密な深紅の炎はホルドの顔面の水分を一瞬で蒸発させ、叫び声さえもひび割れさせる。
「ホルド!!」
ヤバイ。……ヤバイ。
想像したくもないようなダメージを負いながらホルドが倒れていく。煙を上げて踠き苦しみながら。
今までいろんな敵に殺されてきた。殺されてきたんだ。その中でもホルドは明らかに上澄みにいた強敵だった。それなのにフローゼは、そのホルドを杖一本であしらった。単純な話だ。手も足も出ないような相手が手も足も出ない相手。そんな相手が目の前にいる。勝ち負けはわかりきっている。
毅然としたファイティングポーズは取れなくて、本能的に萎縮して一歩下がってしまう。けれど、そんな俺の動揺にも興味を示すことなく、フローゼはレアにだけ意識を向ける。
「無駄話は飽きてきたわ。わたくしがここに来た理由はわかるでしょう? レア」
倒れて通路の邪魔になったホルドを、フローゼが杖の一振で店の角まで吹き飛ばす。物音と乱暴さに俺はビクリと震える。けれど、レアはこの身の毛のよだつような一連の攻防にも動じずに冷静に受け止めていた。
「……人の店を破壊して、人のゾンビに手を出す。よほどご立腹なようだ。その理由はボクにはわからない」
「記憶力には期待していないからもう一度言ってあげるわ。日付が変わるよりも前にエリゼを殺せと指示したのよ。それなのに、何かしらね。これ」
……そういうことだったのか。そんな指示を受けていたのか。
レアが何故今日になって急に素性を明かしたのか。何故あそこまで苦しみながらエリゼを殺そうとしていたのか。その理由がこれだ。
レアの肩越しにフローゼと目が合う。害をもたらすつもりはあるのに悪意を一切感じさせない異常者の目だ。犯罪者なんてレベルじゃない。
「店に連れ込み殺すのかと思っていたらそのつもりもなく。それどころか、ものの見事に言いくるめられる。そうなると、わたくしが介入する他ないでしょう」
「――オーレンシュケン夫人。本来の依頼はエリゼちゃんの力の有無によって殺すかを判断するものだよ。ボクは力があると判断した。ソウマ君ではなく、エリゼちゃん本人のね」
「レア……」
俺の代わりにレアが強い語調で言い返す。レアが俺の言葉を信じてこちら側に立ってくれている。俺の言葉一つでエリゼを信じてくれている。それがどうしようもなく心強い。
「レア。あなた勘違いしているようね。依頼主はわたくしで、あなたではないの。力の有無に関して情報を集めて報告するのがあなたの役目。その結果から判断して指示を出すのがわたくしの役目。そのわたくしが判断して殺すように指示を出しているのよ。その時点であなたへの依頼は殺しに変わっているでしょう」
「ボクに与えられた依頼内容は、力があると判断できれば生かし報告する。なければ殺すだよ。力があると判断して殺すは専門外だ」
「それを屁理屈と世間では言うそうよ」
「これをボクの所属するギルドでは依頼内容に遵守すると言うんだよ」
両者一歩も譲らずに互いの意見を押し付ける。ここまで言われてもレアは退くつもりはない。
「そう。命令に背くと言うのね。だとしたら、勿論、報酬のノルデバルデン侯爵の件はなくなるのだけど」
「そちらは問題ないよ」
レアの騙しのない目線がこちらを向いた。
「ボクは完璧な復讐のために動いているからね。復讐のための道筋を汚すなんてごめんだからさ」
レア……。
「そう。闇ギルドは依頼や情報の管理に厳格と聞いていたけれど残念ね。だとしたら、ここで正式に依頼は破棄しましょう。ここからはわかるでしょう?」
フローゼが体の横で緩やかに杖で弧を描く。その軌道にはさっき放たれたような深紅の炎の塊が六つ浮かび上がっていた。
「あなたが仕事をしないのであれば、わたくしが自らの手で果たすまでよ。元より、あなたに期待していた役目は終わっているのだから」
「来るよ。ソウマくん!」
「わかってる!」
雇用関係の破棄を合図に赤い炎が放たれた。
スタートの合図から一瞬の遅れもないフローゼの攻撃。それに辛うじて付いていけたのはレアだ。瞬時に結界の魔法で青い盾を作り、防戦一方の戦いが開始する。
――まだ動くな。スタートが二人よりも出遅れるのはわかっていた。だから、初動はレアに任せて挽回する術を考えるんだ。
一つ目の炎がレアの青い魔法の盾とぶつかる。炎も盾も両方とも砕けて、無関係な棚の商品たちが被害者となって破壊される。
「今俺にできることは何だ?」
さっきようやく片付け終えた床に散乱していく魔道具たち。今度は拾っても不良品として捨てられる物ばかりだ。
散らばった……魔道具。 そうか! あれがある!
二つ目の炎が魔法の盾にぶつかる。今度はさっきよりも近い位置でだ。レアの魔法の出が一歩遅れている。ここが二人の魔法の力量差だ。そこを補うために隠された秘密兵器。それが俺。
レアの立ち位置と俺の配置。単にフローゼから守るためだけに、レアが背中側に俺を隠してくれていたわけじゃなかったんだ。手を広げエリゼを守るように見せていたが、あれは伏線。カウンターの上の魔道具を隠すため。
そして、背後に匿われた俺はその魔道具でフローゼの意表を突くための切り札だ!!
二歩、三歩と後退る。ここで大事なのは戦いに気後れしているように見せること。こちらには警戒心を抱かせないようにしながら、後ろ向きでカウンターまで近付く。
お尻に当たったカウンターの感触。顔に感情が出そうになったが、そこも堪えてカウンターの上へと指を走らせる。すると、爪の先にやや重厚感のある冷たい魔道具に触れた。
「――使い慣れた魔道具がちょうどあってよかったよ」
レアが思惑通りと横顔で笑みを浮かべながら体を傾ける。「使い方はわかるだろう?」とでも言いたげなレア。
ああ当然だよ。二人で勝つ。
狙いはフローゼじゃない。床だ。この魔道具は床や壁に触れて発動する魔道具。防御不能の光。
閃光の魔道具だ!!
「へー。そう」
負け惜しみなのか、それとも素直な関心なのかは知らないが、フローゼのそんな言葉の次の瞬間には俺の指先から閃光の魔道具が放たれていた。
「くらえっ!!」
野球選手のようなフォームで放たれた魔球の速度はおそらく百キロ未満。しかし、そんなひ弱な投擲でも訪れる結果は変わらない。
白い棒が床に触れる。カランと。その瞬間、眩しく多量の白い光が、この薄暗い魔道具店を白く染め上げた。
フローゼからの反撃はなし。魔道具の使用中にもちゃんと目は開いていた。
「目眩まし成功! じゃあ、レア。あとは任せ……」
と、言おうとした瞬間、俺の真横を炎が通過。当てずっぽうじゃない。確実にこちらを狙った的確な攻撃だ。
「何で場所が……ふむっ?」
「ほら、危ないから口を閉じてこっちでね」
レアに引っ張られてカウンターを跨いで影に隠れた。その頭上をまた火炎が通過するのだから何が何やらだ。
……いや、思考放棄はいただけない。考えよう。多分フローゼは見えていたときの位置を覚えていてそこに撃ち込んでいるんだ。ついでに俺が調子に乗って出した声まで聞こえている。だとしたら、見えなくてもおおよそで攻撃できる。
「つまり油断した」
「反省できるならよしだ。問題はここからだよ。目が見えなくてもこの調子。迂闊に近付くこともできないよ」
キーンと耳鳴りよりも心なしか心地よく横に伸びた音が響いている。そんな中で今度は小声で作戦を立てる。
「……近付くことはできない。でも、向こうと違ってこっちは閃光の魔道具の影響を完全には受けていない。遠距離攻撃の精度なら分があるよ」
「それは残念だ。実はボクもほとんど見えてない。実は閃光の魔道具は投げた当人以外は全員に影響があるんだ」
「ヴェっ!?」
「その声は本物のエリゼちゃんの威厳のためにも出さないほうがいいよ」
いや、確かにそれも死活問題ではあるけれど。それ以上に大問題発言があった。レアも見えてない? つまり目眩ましで両方とも命中率を下げただけ?
「いや、それでも俺が方角をサポートして遠距離攻撃すればいい。まだこっちが有利」
「ネクロマンサーの戦い方を君はどう想像する?」
「ん? 急な話だけど……」
ネクロマンサー。ゾンビを操ったり、あとは死霊の腕を召喚して攻撃したり、スケルトンを呼び出したり。
「召喚系」
「そんな便利な魔法は存在しないからね。厳密にはネクロマンサーは魂を扱う役職だ。肉体に仮想の魂を流し入れ意のままに操るとか」
召喚するのではなく、元からある肉体に魂を入れるということ。スーレ鉱山でのゾンビ。レアが直々に操っていたウッツ。両方とも最初から操るべき肉体が存在したという話らしだ。
「ふむふむ。……えーと。つまり?」
「このテーブルの上にある魔道具を投げる。これが今ボクに可能な遠距離攻撃だ。キヒ」
「……それは笑い事じゃない!」
大声を出してしまいまた位置がバレてカウンターにフローゼの火炎がぶつかる。貫通こそしなかったが激しい衝撃で頭を打った。
「……ってて。――それでも地の利はある。レア。自分の店なんだから肉体のストックぐらいあるよね」
「生物だからね。作り置きはしてないんだ。基本のストックは一つ。そのストックはちょっとした事故によって今は目の前の通路で血だらけだ」
「はは。流石転生ポイント51の境遇か。――やってくれるよ」
いつだってビブライアはそうだ。乗り越えた先にも永遠と続くような苦境を準備してある。レアに殺されそうになり、そこを乗りきったと思って一時間と経たずにさらに厄介なフローゼが敵として現れた。
ウサギ転生、オオカミ転生、ハチ転生、シカ転生。どれも脅威とのファーストコンタクトからは一時的に逃れている。しかし、そのどれもが二度目の最悪には対処できたことはない。
だからって諦めるのか? ――NOだろ。
これまで転生先で生き残った経験がない? だからなんだ。負け癖がついて次も負けるって話なのか? 違う。勝つために転生し続けているんだ。
「――成功のない経験はこの一度の成功のためにある……」
そして、今の俺にはこれまでになかった本心を語り合える仲間がいる。
「レア、策を立てる。情報が欲しい」
「諦める気はないようだね。どんな情報が欲しいんだい?」
「戦力差。あとはこっちの手札」
「実力は夫人のほうが上。火力、範囲、近接戦。真正面からの勝ち目はない。こっちの手札は店の魔道具とボク、フロアキャットフィッシュに動けるかわからないホルドだ」
フローゼはレアだけでは手に余る。だとすると、いかにフローゼの裏をかくかが勝つための鍵。
顎にそっと指を当てる。微かに冷たい指先は自分らしい思考に立ち戻らせる。
フローゼの攻撃はざっと三つ。炎の玉を浮かべて放つ攻撃。至近距離の相手を燃焼させる攻撃。ホルドを壁まで吹き飛ばした衝撃波のような攻撃。
火の玉。 これは火力が高くて一撃で致命傷。けれど、攻撃までに段階がある。作った玉を撃ち切らせれば次の準備までワンモーション入る。
ホルドの顔面を焼いた至近距離の燃焼。 技の出は普通。杖を向けられてから発動なのは確実。そもそも、全ての魔法は杖の動きに連携していた。ここは致命的な弱点か。
衝撃波。 これは吹き飛ばす力はあるがそれだけ。一撃で戦闘不能にはならないが厄介な攻撃だ。
……隙がないわけじゃない。杖の動きを誘導すれば攻略は可能。問題はこっちの火力。
「レア。こっちの攻撃手段は?」
「実践的な技ではないけど、触れられれば向こうの魂に干渉できる。魂を引き抜いたりとかは時間がかかって現実的ではないけど」
「ないけど?」
「気絶までは追い込んでみせるよ」
「こっちの決め手は射程単の必殺付きの攻撃か。なるほど」
当たれば一撃で勝負が決まる。好みの話なら好きなタイプの攻撃だ。ただ自分の身や仲間の身がかかるリアルの場面では頼りたくない技だ。
それをどうやってフローゼに当てるのか……。
「フローゼか」
一つだけ、認めたくはないけれど有利に働くことがあった。
俺がフローゼの思考を理解できてしまうこと。
どれだけ非情だと思っても、心の奥底ではその正しさも見付けてしまう。けれど、今は、そんな俺の理論的すぎる思考回路が役に立つ。
「――俺だったらフローゼの動きを予想できるかもしれない」
最悪を想定して動く。感情的ではなく理論的。この思考が同じなら、フローゼの動きをある程度誘導できるはず。いや、必ず誘導できる。
ここまでの転生への不満。境遇への不満。フローゼへの怒り。
溜まりに溜まってるんだよ。ハッピーエンドに飢えているだ。だから……。
震える腕に恐怖はない。ただ成功する未来を思い描いて腕を震わせる。
やってやる。俺が、エリゼとしてフローゼを見返してやるんだ。だからそのために……。
一人の女の子の幸せを勝ち取るため、俺はレアの耳元に唇を近付けた。そして、レアにしか聞こえないようにこう言う。
「レア。正面突破って好き?」
それが俺が勝つために考えたフローゼ攻略の最善の作戦だった。
*
転生部屋のテーブルランプを思い出すような質感の閃光の魔道具は、内に貯めたマナを光として吐き出し終え、静かにその効力を失わせた。
魔道具店ファブロスの店内は、眩いばかりの光を失ったことで、かえって色鮮やかに瞳に映る。
――散らかり――血で汚れ――焼け焦げ。店内の様相は散々である。しかし、その中でも目を引くのは二人の影だった。
扉を破壊された店の出入り口側に佇むのはフローゼ・オーレンシュケン。優美な立ち姿の彼女の、ラピスラズリのように真っ青なドレスにはホコリ一つ触れていない。その姿は荒れ果てたファブロスにはあまりにも不似合い。その背後で揺れる火球も相まって、ただならぬ存在感を放っていた。
一方もう一つの影、エリゼ・オーレンシュケンはカウンターテーブルの奥で、両手を胸の下で組んで自信ありげに仁王立ちする。
地位だけで言えばフローゼと同じぐらいファブロスには相応しくない。しかし、その庶民にも寄り添える温厚な人柄や、比較的質素な服装もあり、フローゼよりは馴染めていた。
「あら。そう来るのね」
「そうだよ。これが俺の選んだ勝ち方だ」
「あなたが囮となって時間を稼ぎ、レアで奇襲を仕掛ける。悪くはないわ。けれどね。それにしては少し準備が足りていないのじゃないかしら?」
フローゼが容赦なく杖を振ると、動きに合わせて浮かんでいた五つの火の玉の一つが俺の元へと向かってくる。
我慢しろ。震えるな。動くな。
迫ってきた火の玉が目が眩むような明かりの軌跡を残しながらの顔の横を通過した。
躱したわけでも、外させたわけでもない。ただ、フローゼがあえて自分の意思で外しただけ。
フローゼは注意深い。だから、無防備でエリゼの姿で目の前にいたら、絶対に警戒して最初の一撃を外して様子を見る……。
「今の魔法を見ても避ける素振りもないのね。単なる囮とは違うのかしら」
フローゼは罠を疑って手を止める。やっぱりだ。わかってはいたが、フローゼは口では相手を侮っていても、決して過小評価はしていない。正しく相手を見極めている。
だからこそ、全てを警戒しながら、力のないエリゼの反応を探ってくる。
「わたくしの攻撃を無防備なあなたに集めさせたいのかしら。そうね。この店は散らかっていて死角も多いもの。今頃この両側の棚の裏を移動し、わたくしの背後から攻撃しようと、裏地に蔓延る不審者のように息を殺して、レアが隠れているのでしょう」
フローゼはそれとなく指先で棚に触れる。左右の棚を確認しているような仕草を見せてこちらを揺さぶっているのだ。
こういう場面の対処法は意外と難しい。よく見るのは「動揺したな」なんて言われながら詰め寄られる展開だろう。けれど、動揺しなければ、それはそれで相手に情報を与えてしまう。
打つ手なし? 普通の人ならその結論に至るだろう。ただ俺は違う。数多の被害妄想から編み出した対処法を知っている。
「ドウダロウネー。ワタシ、このクニのコトバ、ワカンナイ」
「……あまり娘の体で遊ばないでもらってもいいかしら。きちんとエリゼの中にいるあなたも殺したくなるでしょう」
「惜しい。そこでエリゼじゃなくて俺だけを殺したいって言ってくれたら、別の肉体で出直したかもしれないのに」
「残念ね。わたくし贅沢なのよ。あなたもエリゼも殺したい」
……それは嬉しくない贅沢だよ。
フローゼの殺意が文字通り二倍になってエリゼの体に降り注ぐ。それでも、こちらの隠したいものは隠せた。今はそれでいい。
「どちらにしてもあなたは勘違いしているわ。あなた一人でわたくしの攻撃を防げるはずがないでしょう?」
「どうだかな。それよりも一つ訊きたいことがあったんだよ。フローゼ・オーレンシュケン」
「都合が悪くなって話を変える。あまり人との駆け引きには慣れていないようね。けれど、聞いてあげるわ。遺言ぐらいは聞くのがマナーでしょうから」
そうか。だったら、心置きなく訊かせてもらう。
「――何でこんな依頼を出してエリゼを殺そうとしているのか」
そう言葉に出した瞬間、確かに空気感が変わった。表情や動きに出たわけでも、次の一言までに間があったわけでもない。けれど、これまでどこか遠い存在だと思っていたフローゼが、一つ近い存在に感じられた。
わかりやすく言うと人間らしさが見えた気がしたのだ。
「話していたらわかる。あなたはこんな利益にならないようなことをする人間じゃない。それなのにエリゼを殺すなんて何の意味もないことをやろうとしている」
「無防備で出てきたと思ったらそういうこと。わたくしを説得するつもりだったのね」
「……ちょっと違うよ。ただ、話が通じるタイプの人間だって思っただけだ」
人間にも動物にいろんなタイプがいる。
昨日出会った犯罪者の三人組。あれは間違いなく俺の理解できない思考回路で生きている。けれど、今目の前にいるフローゼは違う。最初はエリゼを殺そうとしている敵としか思えていなかった。しかし、一度時間を置いて気が付いた。
「殺したいだけなら、最初から力の有無なんて確認なんて依頼しない。フローゼ。本当はエリゼに何を求めているんだ」
「……へぇ。そう。見誤っていたわ。あなたはエリゼとは違って少しはできる人間のようね」
初めてフローゼは自分の非を認める。おそらく、ここからがフローゼの本心だ。
フローゼは目線を俺から微かに下げると、そのままどこからともなく本を取り出した。
見覚えがある。黒い本だ。屋敷で追い出される直前に見せられた本。
「でも、何であの本が……」
「優秀な人間には相応の報酬が与えられるべきというのがわたくしの考えよ。だから、あなたのその目に免じて教えてあげましょう。これよ。これがエリゼを殺そうとする意味」
「本? ただの本が? ……いや、それに誰かの命令が書かれているとか」
「違うわよ。これはね。読者の願望を叶えるための近道を教えてくれる本。願望の書とでも言いましょうか。この世に原本と複製品合わせて五冊しか存在しない特別な本よ」
「……願望の書?」
黒い本を再度見つめる。表紙にタイトルも挿し絵もないその本には確かに特別な印象を抱くが、フローゼの言うような大層な代物には思えなかった。
何より、その中身は一度見たことがある。
「白紙の本だったはずだ。他ならぬフローゼから見せてもらったんだ」
「白紙? どこがかしら?」
片手で本を開いてフローゼは中身に目を通す。中身などないはずなのにその目は確かに何かを読んでいるように動いている。目の動きを偽装しているようには見えない。それがまた不可解で不気味だ。
「ちゃんと書いてあるわよ。オーレンシュケン家を守るためにはエリゼを殺すようにとね。同じには見えないにしても、あなたにも何かは見えるでしょう」
夕飯のときと同じように本が開かれてこちらに向けられた。本のシルエットが目に残る。そこから片面ずつ注視しながら隠された文字はないかと目を凝らすがそれでもやはり白紙だった。
でもただの白紙の本だとして、フローゼがそんなものを常に携帯するのか? 幻覚でも見えていないとあり得ないだろ。
フローゼはこちらに見せていた本をまた自分のほうへ向けてから読む。その無表情からは今度は何も感じ取ることはできない。
「そう。あなたにはこれが見えないのね。欲がないのかそれ以外の理由か。どちらにしても、何も読めないあなたには理解はされないでしょうね」
「たとえ読めたとしても、作者が誰かもわからない本を信じて人を殺そうとする人の気持ちなんてわからないよ」
「口が過ぎるわね。あなた、中身はエリゼじゃなかったわね。その上で尋ねるのだけど、あなた育ちは?」
「何で急に」
「話の腰を折らずにさっさと答えてくれないかしら?」
「……貧乏ではないし、かなり融通の利く生活だったよ」
質問の意図がわからないまま、フローゼの針のような話口に裏表のない答えが出ていた。
そこそこの高校卒業後、社長の父のつてで名のある企業の元へ。住居も二階建ての一棟を与えられ、冷暖房からネット環境まで何から何まで用意されていた。
この世界での貴族ほどではないにしても、育ちは良いほうだとは自覚している。
俺の反応に「そう」とフローゼは続ける。
「家を失う気持ちはわかるかしら?」
「それは……」
「当たり前に存在していた生活が、当たり前ではなくなろうとしている。昨日そこにあった花瓶に活ける花がなくなる。毎月のように仕入れていた衣服が減る。昨日いたはずの使用人がいなくなる。それが没落の足音として近付いてくる」
フローゼの表情は変わらない。声音も変わらない。それなのに口をついたのは紛れもない弱音だった。それも俺程度にもわかる感情。
火球の一つが花となり散る。その炎として散っていく花弁の一枚一枚に焼け落ちるオーレンシュケン家の屋敷を見た気がした。
「家を失う。食事を失う。あなたでもその恐怖ぐらいわかるでしょう。わたくしたち貴族が抱く思いはそれよりも深い。家、地位、金、人、生活。多くのものを失うのよ。あなたならどうする?」
「俺なら……」
部屋からパソコンもゲームもなくなる。肌身離さなかったスマホもなくなり、暇をしてベッドに横たわろうとすればベッドと布団がなくなる。せめて食事をと思い一階に下りれば食事どころか冷蔵庫もレンジも炊飯器もない。焦って家を飛び出せばその家さえもなくなっている。
取り戻し方すらわからない、そんな風に身の回りものを失っていく恐怖。おそらくフローゼの失うものは俺が想像しているものよりも多く重い。そして、現に今失い続けている。
「――自分が身を捧げてそれが守れるのなら一考するでしょう。少なくともわたくしはそう。アルフレートもテレーゼも、エリゼもそうでしょう」
違うと言いたかったが、唇が震えるだけて声にはならない。自分も同じ思考でエリゼを救おうとやってきた。気持ちはわかる。
こちらの反応に寄り添うようにフローゼは言葉続ける。淡々と理性的に。
「これがわたくしがやろうとしていること。エリゼも喜んで受け入れてくれるわ」
理解はできる。自分ならそうするという気持ちもわかる。でもだ。
「――自己犠牲は、自分からやることに意味があるんだ。強制されることじゃない」
「あら?」
「フローゼ。あなたを説得できるような話は正直できないよ。けど、俺は願望の書なんかよりも、エリゼが生きることのほうがオーレンシュケン家の価値になると信じてる。だから改めて言うよ」
魔法もろくに使えないが挑戦的に。認められられなかったエリゼを認めさせるため。俺は胸の上を拳で叩く。
「――エリゼは殺させない。それが俺からお母様への宣戦布告だよ」
「……そう。理解はできても結局は感情で動くのね。いいでしょう。元々、話で何かが変わるとは期待していなかったわ。お互い言いたいことは言い、あなたは時間稼ぎの役目も果たした。ここからはわかるでしょう?」
会話のために萎んでいた火球が、再び唸りながら膨らみ臨戦態勢で宙を漂う。赤黒い炎の明かりがフローゼの固い頬を暗く染めた。
「だったら実力で示しなさい」
その瞬間、火の玉が杖の一振で弾き出された。一つだけでも扉を突き破るような火球が五つ全て連なって向かってきている。
これまで通りの防御は通用しない。氷雪の魔道具も、さっきレアが使った魔道具も、どちらも一撃受けるだけで精一杯だった。それが五つ。一点集中で向かってくる。
魔法も使えない。突出した身体能力もない。スキルもこの場で使えるものはない。回避も防御もままならず、衣服も皮膚もその下をも焼き焦がされ、痛みに呻き死ぬしかない。
「――だけど友達はいるんだよ」
魔道具では守りきれない。――知っていた。
エリゼでも俺でも対応できない。――知っていた。
だから用意していたんだ。最も頼りになる友人を。
「レア!」
「守らせてもらうよ。貴族様」
そう言ってこれまでずっとカウンターの裏に隠れていたレアが立ち上がる。緩く弧を描きながら巻き上がる黒いレース。その存在感は敵と味方両方に異なる美しさを見せつける。
炎が近付いてきて瞳孔が萎む感覚があった。しかし、その明かりが斜め前に出されたレアの右手のひらによって遮られた。
「スケイルシールド」
紡がれた詠唱の先に青い盾が現れる。鱗を彷彿とさせる形のそれは、一つ二つと数を増やし、火炎の届く前に五つの壁となる。フローゼの放った炎の魔法の数と同じだ。
最初の一枚が炎の塊がぶつかった。シールドの砕ける軽い音と、火炎が空気を燃やす音が混ざる。音の判定では炎の勝利だが、結果は相討ちで炎のほうも散り散りとなって熱気で通路沿いの棚を焼く。
一枚二枚とシールドが砕けていく。最終的にフローゼとの間に壁がなくなるが、もう壁は必要ない。フローゼの用意していた五つの火球は全て尽きている。
「防御に徹してわたくしの魔法を使い切らせると。予想外だったのは認めましょう。けれど、それで? 防いだとしても、この距離ならまだ魔法の発動が間に合うわ」
「残念だけど、攻めはレア以外に任せているんだよ!」
『行け』
心の中で力強く叫ぶと、入り口側から人影が現れる。あらかじめ準備していた次の手。俺のトラウマ、ゾンビのホルドだ。
俺の発言でフローゼも勘づいて背後を振り返る。しかし、そのときには既に、身体中にやけどを負っていたホルドが、フローゼに飛びかかろうとしていた。
「がぁぁうぅぅ!!」
これはフローゼの想定外のはずだ。ホルドにあれだけ攻撃を浴びせて倒したと錯覚していた。だから、閃光の魔道具の効果のあとにホルドの姿が店の隅からなくなっていたことに意識が向かなかった。
「丈夫さだけは認めてあげるわ。けれど、それだけでしょう」
完全に意表を突いた。しかし、それでもフローゼのから受けていたダメージは大きく、スピードは遅く俺の目でも捉えられるほどだった。
勿論、それはフローゼにとっても遅く見えていたことだろう。当たり前のようにフローゼはバックステップで大振りの右を避ける。さっきのように半歩だけ躱し至近距離で反撃するだけの余裕はないが、それでも攻撃は躱された。
「ありがとう。ホルド。それだけ……で十分だ」
今の回避でフローゼは店のど真ん中に移動した。そこにはもう一つ、最大の決め手となるモノがある。片付けそびれていたナマモノが。
「あう」
「まさか……」
「ネクロマンサーの能力の一つ。死体に仮想の魂を吹き込みゾンビを生み出す。だ!」
乾燥していた血溜まりがゾンビとして甦った偽レアの動きでひび割れた。新たなゾンビの魂を宿した偽レアゾンビ。何かと語弊を生みそうな名前の彼女は、微力ながらもフローゼの足首を掴んで、ホルドのほうへと放たれようとしていた魔法を妨害した。
『グッジョブ』
『この人ぉ、食べたい』
『それはダメ』
偽レアゾンビに強めに注意をしながらカウンターを飛び越える。ゾンビ二人はよくやってくれた。ここからは俺たちの役目だ。
「レア!」
「行くよ」
チェスを思い出すような展開だ。正面のエリゼで注意を引き、背後からのホルドで逃げ場のない中央通路に誘い込む。そこで一つ偽レアゾンビでアクションを入れて、さらに一歩こちら側へと誘き寄せる。
伏線、伏線、伏線。
いくつもの攻撃を本命に見せかけた。全てはこのレアの一撃必殺の気絶技を当てるため。
足を掴まれていたフローゼが、偽レアゾンビを蹴りつけて脱出。生まれたての偽レアゾンビには戦闘力はない。ここでお役御免だ。
フローゼもそれはわかっている。こちらの狙いまで見透かしている。だから、力を使い果たしたホルドのほうではなく、こちらを振り向いていた。
「ちょうど良かったわ。遠距離魔法は切らしていたのよ。近付いてきてくれるのであれば、あなたを殺せる」
フローゼは一切の迷いなくエリゼを殺そうと方向を変える。脅威となるレアではなく無力なエリゼのほうへだ。
杖がこちらを向く。ホルドの顔を焼いた魔法、フレアパージの射程圏内に入った。
やっぱりエリゼを狙ってきた! でも回避はしない。直進一択!!
距離は二メートルほど。攻撃範囲からは外れていない。それでも俺は次の一歩を踏み出していた。
「終わりね。フレア……」
「キャット!!」
フローゼの詠唱よりも先に、最後の切り札を声高に叫んだ。すると、待ってましたと言わんばかりに、フロアキャットフィッシュが床から尾びれを出す。位置はフローゼの背後だ。
尾びれがフローゼの背を打った。本気であれば背骨ごと粉々になりそうな体格差だが、そこは遠慮するように伝えてある。
フローゼと違ってこちらの勝利条件は殺害じゃない。フローゼの意識を奪い、そのあとにレアの魂性術で記憶を消すことだ。
背中を打たれたフローゼは魔法の発動に失敗。苦い顔で前へと押し出される。その面にここまでの不満を込めて一発叩き込みたいところだったが、それは作戦とは違うので拳をほどく。
さて。
「これで詰みだ」
前に押し出されてきたフローゼを両腕を広げて包み拘束する。身長の差があって杖を持った腕までは拘束できなかったが、これで魔法を当てる暇はなくはなった。
そう。これで終わり! あとは!
「レア!」
エリゼの肉体で可能な限り力強く抱き締める。顎を引いて歯を食い縛って、目を瞑り祈るように。
「――成長したわね」
は? 今……。
そっと背中に何かが触れる。フローゼの最後の抵抗で魔法を食らったのかと思ったが熱くはない。人肌で優しく温い温度。そして、柔らかく包まれているようなこの感覚。
その正体を確かめようと目を開けた。しかし、そのときにはレアの魂性術が発動されていて、海の底から空を眺めたような青い光がフローゼの表情を消していた。
「ソウルアウト」
青い光が強くなる。フローゼの体から力が抜けて軽いとは言えない体重が俺のほうへとかかる。同時に背中にあった感覚が薄れて消える。
意識を失ったフローゼの体。それを傷付けないようにそっと棚にもたれさせた。その手の中には相変わらず杖は握られているが、もう片方の手からは戦いの最中もずっと持っていた願望の書がなくなっていた。
「フローゼ」
俺はそっと後ろを振り返る。そこにはさっきの拘束の間に手放したであろう願望の書が落ちている。それはまるで、自ら願望の書を……エリゼの殺害という意志を放棄したよう。
どうせ聞こえてはいないだろう。言う意味なんてないし、俺が言うようなことかもわからない。けれど、俺は俺として、エリゼとして口を開く。
「いかがだったでしょうか。お母様」
そんな皮肉のようで、ただ純粋にエリゼを認めさせるだけの言葉に、今度のフローゼは文句を言ってくることはなかった。




